八木啓代のひとりごと 2007年度 下半期

(12月29日 記)

二日前のことになりますが........今年最後のライブの日。
クリスマスのせい、というのもなんだけど、ほんとは前日、新聞のインタビューがあるはずだったのに、すっぽかされてしまい、しかも日程としてはクリスマスと新年の間。あまり良い日ではない。
ので、集客がかなり心配されていたのだけど、ふたを開けてみるとなかなかの入りじゃないの。

オープニングは、マルシアル・アレハンドロとラファエル・メンドーサ。
「それ、なんか間違ってない?」と、ここで文句をたれるのが写真家の岡部好氏。
「ふつうは、前座って、格下でしょ? 格上が先に歌う?」
うん、そうなんだけど、まあ、そういうこともあるって。

彼らが30分ぐらい歌ったところで、私が出て行く。
ピアノ、ペペ・モランという紹介におおっというどよめきと盛大な拍手。
そうそう。それをいうなら、伴奏も格上だったりするんだよねえ。(爆)

途中からはラファエル・メンドーサがギターで入ってくれたり、なんと、マルシアル・アレハンドロがコーラスで乱入してきたりと、たいへん豪華なライブでありました。会場の皆様もコーラスを大合唱。
ライブハウスでスタンディングオベイションってのもあんまりないと思うよ。(ロックは別として)
演っている方も楽しいライブでございました。

終わってから、テキーラ.........というのも、メキシコならでは(日本だと、広島の某ライブハウスでのみ可能)
酩酊してタクシーでご帰還、というのもメキシコならでは。(日本だと料金が....)


(12月27日 記)

メキシコシティでのクリスマスを終え、今日は今年最後のライブです。
マルシアル・アレハンドロとラファエル・メンドーサという素敵な作曲家たちに、ピアノはペペ・モランという、企画ものライブ。わかる人にはかなり贅沢な取り合わせですぜ。
だもんで、彼らの作品を中心に歌います(って、八木のもともとのレパートリーが彼らの作品多いのだけど)

ところで、海外ではブット首相自爆テロで暗殺。これで今年のニュースの締めとは、今年を象徴しているのかもしれません。一方、日本では、偽装問題が続いたあげくに、偽学位。

http://www.asahi.com/national/update/1227/TKY200712270400.html

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071227it14.htm

このネタ、私は2004年6月3日に書いているのですが、再掲します。今頃になって問題視かよ、って感じもあり。

(2004年6月3日付 Monologueより)

昨日来た笑えるのは、「働いても働いても、サラリーの安いあなたに」インターネットで、学位を取得できますよ、という広告。
じつはアメリカには、こういう詐欺同然の大学(を名乗る、実態は事務所)があって、試験も実技も面談も、もちろん、実際の授業もいっさいなしで、一見それらしい「卒業証書」だの「学位」だの「博士号」(もちろん、事実を知っている人には、ただのオモチャだが)を出してくれるところがあるのである。
驚くのは、この事実は日本ではあまり知られていないため、この手のパシフィック・ウエスタン大学だのホノルル大学だのの「偽大学」の学位をほんとに掲げて商売している人がけっこう多い。うさんくさい健康食品を推奨している外国大学卒医学博士や名誉教授などは、ほとんどコレ。
なんと、この肩書きで、評論家を名乗ってTV出演している人もいれば、ほんものの大学教授にまでなってしまっている人もいるから驚く。
ふと思いついて検索してみたら、その手の大学の日本語サイト(日本国内の問い合わせ先)もあるから驚いた。
説明のもっともらしさが笑えるのだけど、せめて、独自ドメインもないところが貧乏くさいなあ。
ちなみに、その種の大学については、ここのサイトが詳しいので、興味のある方はどうぞ。

追加情報としては、以下のサイトも参照のこと

http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2006/12/post_5681.html
http://degreemill.exblog.jp/


(12月22日 記)

メキシコシティから一列三席のバスみたいな飛行機で空路1時間40分。
着いたカンペチェは、熱帯地方。まだ午前中なのに、いきなり暖かい空気と椰子の木が迎えてくれる。

「うわぁ、ハバナみたい」とはしゃぐキューバ人ども。
もちろん空港にはお迎えが来ていて、マイクロバスでホテルに直行する。

が。
その空港からホテルまでの風景までが、なぜかやたらにハバナに似ているんである。
まあ、同時期に建設されたカリブ海の町だからかもしれないんだけど。

バスが海岸沿いに走るマレコン通りに入ると、キューバ人たちのはしゃぎぶりはさらにパワーアップ。なんせ、通りの名前まで同じなら、景色まで笑っちゃうほど酷似なんである。
具体的に言うと、ホテル・リビエラからハバナ・ビエハに向かうあたりね。ないのは黒い旗ぐらい。(ってったって、ほとんどの人にはわからんと思うローカルネタだけど)

「これでモロ城塞があったら、完璧じゃん」とパーカスのケケ。
「城塞ならありますよ」と運ちゃん。
(ここで、おおっとどよめくキューバ人)

「そういえば、いまごろフィデルはなにをしてるんだろうねえ」とピアノのぺぺ。
「そりゃ、飯食ってんだよ」とギターのフェリペ。「ベネズエラのチャベス(大統領)と」
ふんふん。
「そいで、ブッシュに電話かけて、世界の新聞記者どもが飢え死にしないですむように、次はどんなおもろいネタを仕込むか、相談するんだ」
出たぁっ。

笑い転げているうちに、バスはホテルに。カンペチェはハバナに似ているが、実際はずっと小さいのだ。
ホテルのフロントに着くと、まだ午前中なので部屋は用意できていないとおねえさんに言われてしまう。

ここで日本人やメキシコ人ならあきらめて、荷物だけ預かってもらい、カフェテリアにでも行って時間を潰そうとするところだが、キューバ人は違う。
すかさず、フェリペ君が前に進み出て、フロントのお姉ちゃんになにやら甘い言葉をせつせつと囁きはじめるではないか。
すると、たった3分で突然お姉ちゃんにスイッチが入って、パソコンで鬼のように真剣に検索を始め、あっという間に空いている部屋を(それもアップグレードした部屋を)4つ用意してくれたものである。(実話)

「この人、いつもこんなんなの?」と空港に迎えに来てくれたフェス担当のおねえちゃん。
「そう」と私。
モンテレイ公演の時は、ホテルの朝食のメニューがいまいちだったのだが、彼がレストランのお姉ちゃんに甘く切々と囁くと、続々と追加料理が出てきたものだった。(実話)

「だから組んでるとか?」とフェスのおねえちゃん。
いや。でも、こいつが詐欺師にならずに音楽家になったというのは、世界のためにいいことだったとは思ってるよ。
ちなみにフェリペ君の座右の銘は「困難は打ち勝つために存在する(フィデル・カストロ)」だそうである。

部屋に入って一休みして、カンペチェの町をちと散歩。
この町もハバナと同じく、ユネスコの世界文化遺産に指定されている。ここは、大航海時代のスペイン人が、メキシコ湾岸で最初に要塞を築いた街なのだ。だから、最近になって修復されたコロニアルな町並みはこれまたハバナ旧市街にそっくりで、実に美しいのだった。しかも、カンペチェは周囲に、これまた別に世界文化遺産に指定されたマヤのエズナー遺跡がある。まだ知名度は低いが、観光地として脚光を浴びる要素自体はたくさんある。

遅めの昼食(もちろん海産物)を食べて体を休め、すばらしい日の入りを眺めてから、サウンドチェックに向かう。
会場は、最初予定されていた野外ではなくて劇場に変更になっていたが、ちゃんとスタインウェイのピアノのはいった素敵な劇場である。
というので、ぺぺ君はもうご機嫌。
ハバナに空気が似ているもんで、すでにキューバ組はハイテンション。
とりわけ、この日のフェリペ・バルデス君のギターはすばらしく、フェスのお姉ちゃんも、べつに彼が口先三寸物資調達の才能があるから組んでいるわけではないことは心から納得してくれたであろう。

もちろん、私もスイッチが入っていた。
アンコール2曲、オールスタンディングオベイションが、そのお返しである。


(12月21日 記)

さて、カンペチェのフェスティバル。
メキシコシティに着いてから、プログラムもらってびっくりしたのですが、なかなかちょっとしたフェスティバルですがな。

オープニングがグロリア・トレビ(なぜかポップス)、フランスからクラリネットのフィリップ・ベロー、トリオ・ダルジャン、イギリスからはイル・ディーボ(ここまでクラシック)、コスタリカのアドリアン・ゴイスエタ、ニカラグアのルイス・エンリケ・メヒア、ウルグアイのダニエル・ビグリエッティ(このへん、フェスの好みかも)、あ、ジャズ部門ではキューバのカルロス・デル・プエルトとかジミー・ブランリーが来てる。

んで、八木組はというと、うしろにツッコミ2人とボケ1人......じゃない......ギターにフェリペ・バルデス(キューバ)、ペペ・モラン(メキシコ)、フアン・アントニオ・"ケケ"・サンタナ(キューバ)というインターナショナルな構成である。
フェリペとぺぺとは長い付き合いで、CDにも参加してもらっている仲。

フェリペは、「フィーリンの女帝」といわれた大歌手エレーナ・ブルケの専属ギタリストだったプレイヤーで、エレーナの死後はフリーランスのサポーターとして今や大忙し。最近はジャズにも進出して、ゴンサロ・ルバルカーバ(いきなりそう来るかい)とちょくちょくセッションしているという凄腕である。
彼が売れるのもそのはずで、フェリペが伴奏してくれるだけで、30%ぐらい歌唱力がUPして聴こえるんだものな。(爆)........というぐらい、自分は自分で超絶技巧を披露しつつ、タンゴダンサーのような見事なリードで歌い手の声とノリを引き出して存分に歌わせてくれるのである。

ペペ・モランはメキシコ・ジャズ界の重鎮だったトランペット奏者シロ・モランの息子で、包容力のあるとっても暖かい音を出すピアニスト。ちょうど自分のCDを、それも同時に2枚録音中。(なので、リハに1時間遅れてきたあげくに、私の曲チェックが事前にできなかったとにこにこと説明する。いいの、本番でちゃんとやってくれたらさ)

ケケ・サンタナは、本職はヨルバのサンテリアをやる人。一番得意なのはバタ・ドラムとコーラス。
ま、私の伴奏にはちょっともったいないわな。(と、キューバのパーカッションに知識のある人なら、みんなそう感じると思うので、あらかじめ自分で言っておくね。自覚はしてるって)

という豪華なメンツである。
むろん、一ヶ月前から譜面も録音もプログラムも送ってるのに、最初のリハで「えーとこれ、どんな曲やったっけ」「おお、めっちゃかっこいいアレンジやな、誰が弾いたんや......あ、俺やんけ」などとほざいている連中は、やはり筋金入りのラテン系である。

これで八木の歌も60%ぐらい上手に聴こえるというものさ。へっへっへ。

フェリペ「カウントはぺぺね」(明らかに自分でテンポを覚える気がない)
ぺぺ「でもバンマスはおまえだろう」
フェリペ「いや、バンマスは君。俺は監督」
ケケ「えっ、そうなの? じゃ俺は何?」
フェリペとぺぺ二人同時に「雑用係」(おお、すごい息の合い方)

というようなのをリハ開始5分でかましてくれるセンスもきわめてラテン的である。
で、数回のリハのあと、カンペチェに向かったのでありました。


(12月16日 記)

昨日書いたサンタ・マリア・デ・イキーケ事件について。メールなどでご質問を受けたので、補足しますね。

サンタ・マリア・デ・イキーケ虐殺事件とは、チリの、というより中南米の労働史上に残る事件。

1907年12月10日、チリ北部のサン・ロレンソ硝石鉱山で始まったゼネストが拡大して、数日のうちに、近辺の硝石鉱山に飛び火する。
当時のチリの硝石鉱山労働者の実態は過酷なもので、低賃金・重労働であっただけではなく、賃金も鉱山のみで通用する地域通貨で支払われることも多く、生活必需品も鉱山会社指定の売店で、会社側の言い値で購入しなくてはならなかった。(これはもちろん福利厚生のためではなく、高く売りつけられていたという二重搾取があった)

この硝石鉱山労働者たちとその家族6000名から8000名(チリ人だけではなく、ペルー人とボリビア人多数も含む)が、鉱山会社のオフィスのあるイキーケを目指し、16日、この町のサンタマリア学校にピケを張った。これに対して、21日、当時のチリ内務大臣ラファエル・ソトマヨールの命により、カルロス・シルバ将軍率いる軍が襲撃・発砲し、死傷者数百名から最大3600名に及ぶという大虐殺事件に発展した。

この事件の衝撃は大きく、後、硝石労働者の待遇がある程度改善された要因となったといわれています。

この事件を元に、作曲家ルイス・アドビスがセルヒオ・オルテガらの協力を得て作ったカンタータが、「イキーケのサンタ・マリア」。1970年、キラパジュンによって初演され、何度か録音されています。

というわけで、関連映像もどうぞ。

サンタ・マリーア・デ・イキーケ事件100年

カンタータ「サンタ・マリーア・デ・イキーケ」よりフィナーレ(キラパジュン)


(12月15日 記)

木曜から、メキシコに来ております。
公演2本。キューバ人のギタリストとパーカッショニスト、メキシコ人のピアニストという編成で、新曲もいろいろやります。
リハもいまからなので、けっこうスケジュールきついのですが、20日のカンペチェのフェスティバルでのライブは、久々の大きな野外コンサートです。
27日には、シティでのライブです。こちらはピアニストのみ。
El Breve Espacio
(Alvaro Obregón #275 e/ Salamanca y Valladolid, Col Roma, 3096-9571. Reservacion 5533-5197)
21:00〜

例のごとく急に決まったのですが、今日は今日とて、Radio Educacionの生放送。午後5:30からAM1060です。メキシコ在住の方はどうぞ。

で、昨日、金曜の夜。
クリスマスの電飾を見物がてら、コヨアカンの中央広場にぶらぶら歩いていくと、文化会館で、無料コンサート。
「サンタ・マリーア・デ・イキーケ事件100周年メモリアルコンサート」
チリの、そのサンタ・マリーア・デ・イキーケからグループが来ているようです。

サンタ・マリーア・デ・イキーケ事件というのは、20世紀初頭、チリ北部の硝石鉱山でのストライキに軍が発砲して、数百人の死者が出たという、チリの労働史上有名な虐殺事件。これに関して、ルイス・アドビスのすばらしいカンタータ「サンタ・マリーア・デ・イキーケ」があります。

中に入ってみると、ちょうど始まるところ。
事件は1907年。そうか、それで今年が100年なのね。

コンサートは、イキーケ市の教員の人たちで作っている18人編成のグループで、ケーナやチャランゴ、ボンボといったアンデス楽器などとコーラスです。ビクトル・ハラの曲で始まって、チリの民謡、そして締めは、カンタータ「サンタ・マリーア・デ・イキーケ」から。

よく練習はできていて熱意もあるけれど、すごく巧いとまではいえないアマチュアの演奏なんですが、でも、なんというか、とても熱くていいもの聴かせてもらいました。

で、そのあと、さらにぶらぶらと中央広場に到達し、ふと教会の方を見ると、光が漏れているではありませんか。金曜の夜にミサ? と思って入ってみると、クラシックコンサートでした。しかも、第9。

演奏は、コヨアカン区民オーケストラなんですが、このコヨアカン自体がメキシコの有名な音楽学校2つを擁し、その教員学生はもとより、住民にプロの音楽家も多い地区です。指揮者はパリ音楽院出身のイスラエル人だったりします。独唱者は国立芸術院のオペラ歌手を引っ張ってきたようで、町内の催しとはとても言えないレベルのものでした。
しかも、18世紀建築の絢爛たるバロック教会の中です。

席は一杯だったので、教会の中央の通路の真ん中当たりにぺったり座って、上を眺めると、丸天井の壁画があります。神の栄光をたたえる合唱にふさわしく。贅沢な。

治安が悪くなったとされるメキシコシティの中でも例外的に、深夜近くなってもまだ人々がぶらぶら行き交うコヨアカンの街路を、満ち足りた気分で帰ります。手にはシナモンの効いたメキシコ風のホットチョコレートと揚げドーナツ。
さあ、私もスイッチ入りましたよ。


(12月11日 記)

物欲に負けて、結局買ってしまいました。
いや、「ひょうたんスピーカー」でも「自爆スイッチ」でもなくて、Intel Core Duo MacMini。

この秋、ちょうど某カメラ屋さん系家電量販店のポイントが27000円も貯まっていて、このポイントで壊れていたCDコンポを買おうと思っていたのに、それが綿棒一本で復活してしまって以来、何に使おうかな、と思っていて、ずるずると。
「自分へのご褒美」って、なんて危険な言葉ざんしょ。

なぜ、今かといいますと、いまならMac MiniにTigerが搭載されていて、なおかつLeopardのアップグレードDVDがついてくるからです。
これが来年になると、はじめからLeopard搭載型。

もちろん、Leopardに興味はあるのですが、問題はAdobe CSとの相性です。
CS2や3は対応するらしいのですが、そのひとつ前のバージョンであるCSは不明。
でも、CSが動かないからといって、CS3に簡単に乗り換えるには、ちょっと高いよな、アップグレード料金。
というわけで、Adobe CSがまっとうに動くかどうかが世論調査でわかってからLeopardに乗り換えようと。

いや、これが早いです。前のMacMiniも1.33GHzにメモリ1GB載せていたのですが、断然早い。ストレス度がかなり違います。
てか、MacMIniくんにストレスを感じるようになってしまったのも、しばしば手伝いに行く某大学でIntel Mac使うようになっちゃったからなんだよう。

で、前のMac Miniくんは、データ移し替えが終わると、お掃除されて、オークションで売り払われてしまいました。
ところが、OS9クラシック環境が必要な人には、前のMacMiniではないと駄目なのですよね。というわけで、オークションでは意外に良い値がつきました。43500円。
ついでに売り払ったジャンク系がらくたも(ゴミの日に捨てようと思っていたが、ひょっとしてと思って、オークションに出してみると)、それはそれで値段をつけてくれる方たちがいて、合計6000円以上。

そもそも買うときに、貯まっていたヨドバシのポイントを使っていますから、物欲に負けたもなにも、タダ同然で新品交換状態です。
なんか、来年いい年になるかも。


(12月9日 記)

知り合いの方に教えていただいたこのサイト。
http://fsokuvip.blog101.fc2.com/blog-entry-335.html
(2ちゃんねる系が好きでない方は、お読みにならないほうがいいかもしれませんが)

吉野家テラ豚丼、ケンタッキーフライドゴ○○リに続いて、ミスドで、店員がドーナツに穴を開けていたという.....。

で、昨日、朝から爆笑していたのだけど、その午後、たまたま立ち寄った某画廊で出されたのが、かの「白い恋人」ではありませんか。

生産ラインを変え、機械も変更して再生産するようになったのだとかで、ちょうど北海道に旅行してきたお客さんが、「話のタネに」とお土産にしてくださったのだそうで。

その「白い恋人」をつまみながら話すとなると、当然、会話は一連の食品偽装問題ネタへと動くわけですね。で、この日、流れはそのままミスド・ドーナツねたに。

で、そこに絶妙のタイミングでやってきた、別の知り合いの方が手土産にと持ってこられたのがなんと......。
http://ginza.keizai.biz/headline/468/

ええ、オープン後二ヶ月経った今も、平均1時間20分待ち行列が続いているお店なんだそうで。
しかし、その箱を見たとたん、もちろん、大爆笑が渦を巻いたのはいうまでもありません。


(12月8日 記)

ここで、対照的なんだけれど、とても心に残った映画2本ご紹介。

「ジプシー・キャラバン」

ロマ(ジプシー)のルーツは、インドにあるという。インドの踊りや人形芝居などをする人々が西に流れて、流浪の民ジプシーに。その大移動の中で、ハンガリーやルーマニアなどの音楽、スペインのフラメンコなどを作り上げていったわけだ。
その一方で、ジプシーというと、同化しない異民族であることから、差別され、犯罪者集団などのように扱われてきた迫害の歴史もまた長い。ナチによって大量虐殺を受けたのは、ユダヤ人だけではないのである。

そこで、そのロマの音楽を代表して、インド(マハラジャ)、マケドニア(エスマ)、ルーマニア(タラフ・ドゥ・ハイドゥークスファンファーレ・チョカーリア)、スペイン(アントニオ・エル・ピパ)といったロマの音楽家たちが合同でコンサートツアーを行ったという企画の、その随行ドキュメンタリーであるとともに、カメラは彼らのそれぞれの故郷、住んでいる土地へも向かい、彼らの今の生活をも映し出す。

....この手の音楽が好きな人には、もはや説明は不要ですね。

それにしても、インドからスペインまで、その距離はとんでもなく離れていますが、ロマの音楽に通じる節回しや感性などは、まさに脈々と流れています。芸能を伝える民族集団の血というべきか。迫害の歴史の中の悲しみや怒りや諦念さえもが、その音楽へのエネルギーとなってゆくのを実感できるのは、鳥肌の立つセンセーションです。

牡牛座

脳卒中に倒れて半身不随の状態で、モスクワ郊外の静かな館で療養生活を送るウラジミール・レーニン。
療養といっても、老いと病魔は確実に彼を蝕んでおり、死を目前にして、しばしば惚け症状すら見せる彼の回りを、ゆっくりと時間は流れてゆく。

というとまるで救いのない映画みたいなのですが....。

生と死・正気と恍惚の狭間にいるレーニン、という素材の周囲で流れていくすべてが、これがなんといいますか圧倒的に美しいのです。フランドル派の絵画のような、といえばおわかりでしょうか。
タルコフスキーが好きな人ははまります。
そして、最後のシーンの感動的な美しさ........。

どちらも近日公開です。お楽しみに。


(12月3日 記)

今年は12月中旬からメキシコに行ってしまうので、昨日は早めの大掃除。幸いにも暖かい日なので助かる。晩ご飯は、豆腐ときのことネギの味噌汁、牛肉の野菜巻き、サラダ、栗ご飯。栗は丹波栗をチルド室で一ヶ月熟成させたものを使ってみた。むくまでひやひやしていたが、これが甘い。確かに糖度が倍ぐらいになっている。すばらしい。

1402_08.jpg

それから、サイトの引っ越しにともなって、しばらく休止していたサイト内全文検索を復活させ、クリスマスの飾り付け。FirefoxやSafariでごらんになれます。
.....などと、現実逃避していてはいけませんね。その他、片づけなくてはならない雑用多数。

ああ、なんかコイツが無性にほしい。


(11月23日 記)

こないだのライブを、例のMicro Memo+iPod+コンデンサマイクで録音していたら、
いや、受けましたね。一部の方には、ライブそのものより受けていたかも。

で。似たネタ。

あの「ひょうたんスピーカー」で、私の物欲をちくちく刺激してくれたバード電子の新製品だそうである。

iPod nanoのパッケージをリユースするスピーカー
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=346087&media_id=36

うーん。「おやすみピーナッツスピーカー」にも心が動いていたんだが。

参考までに
ひょうたんスピーカー
http://shop.bird-electron.co.jp/shopdetail/009001000001/order/
ジャンルが「デジタル民芸」というところがさらに心を揺さぶってくれる。これで、チェケレの天才パンチョ・テリーを聴きたいものだ。

おやすみピーナッツスピーカー
http://shop.bird-electron.co.jp/shopdetail/015000000010/
ネーミングが良すぎ。デザインもかわいすぎ。


(11月16日 記)

食の都大阪には、かつて、吉兆・花外楼・大和屋という三大料亭があった。その中の大和屋はバブル崩壊とともに没落したものの、高麗橋の吉兆と北浜の花外楼は、ずっと格式ある料亭として名を馳せていたものだ。
明治維新の志士たちの直筆の書や掛け軸をなにげに並べた花外楼にしても、天才湯木貞一が一代で日本最高と呼ばれるまでの名声を築き上げた吉兆にしても、むろん、そう簡単に行けるお店ではないのだが、間違いなく、和食の真髄を見せていただける店であった。

なかでも、吉兆出身の板前さんが開いておられるある割烹は、移転されてからはなかなか足を運べないが、交通の便のよい場所にあった頃は、私の贔屓の店で、ほんとうに高水準のプロの技をいうものを毎回堪能させていただける、本当に信頼の置けるお店のひとつだ。

その吉兆グループのスキャンダルである。
娘婿の会社だという。やはり、というかなんというか。料理は料理人の手を離れたら、もう駄目だ。便利さを求められるようになった時点で変質は始まる。
それにしても、この始末、湯木さんが存命ならば、憤死されたであろう。いや、起こりえないか。
天才は一代限り、ということなのか。


(11月13日 記)

サブプライム破綻で大株安と、アメリカがくしゃみをすれば、すぐに風邪をひく日本.......とはいえ、ここまで素直に「SICKO」に登場する悪辣なアメリカ医療の真似をせんでも。

全盲患者、公園に置き去り 大阪・堺の病院職員4人
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007111301000708.html

はなゆーさんのBlogより以下のリンクも参照

「医療難民」の受け皿乏しく 全盲患者置き去り
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/101013/

「無理やり連れて来られた」 全盲患者置き去り
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/101014/


(11月11日 記)

客人が来たので、日本酒のつまみ編、第二弾。
リクエストがあって、鯖のスモークをまた作る。まあ、季節ものだからねえ。

それから、らふてぃ。豚の三枚肉を柔らかく蒸して余分な油を落としてから、砂糖と泡盛と醤油でじっくり煮込む。

さらに、坊ちゃんカボチャ(小型カボチャ)が出ているのを見つけたので、中をくりぬいて、鶏の挽肉と椎茸・人参などを詰めて、蒸し物にして餡かけにする。これも季節ものですね。

で、日本酒の筈だったんだけど、なぜか、紹興酒を合わせることに。これはこれで合いましたよ。

ところで6日付のLevan Polkka (Ievan Polkka)の件。CDがないのに、有線で流れるのはどう考えても妙なのでちょっと調べてみたら、流れていたのは、こいつである可能性が出てきた。

http://jp.youtube.com/watch?v=Ffqy8U4ceFA
http://www.nilab.info/music/20070708_000669.html

しかしこれが出るなら、初音ミクヴァージョンが出ても、ほんとにおかしくないなあ。


(11月7日 記)

ここでちょっとお知らせです。

サイトアドレスが、現在のhttp://nobuyoyagi.jpからhttp://nobuyoyagi.blog16.fc2.com/に変更になっております。半年ぐらいは、jpのままでもアクセスはできますが、リンクやブックマーク登録をしてくださっている方は、お早めに変更をお願い申し上げます。


(11月6日 記)

昨日、なぜかジャンクフード系揚げ物が食べたくなって、英国パブ風居酒屋で、フィッシュ&チップスとエールを頼み(いや、Happy Hourだったんで)、ちまちまやっていると......。

その店はBGMとして、たぶん有線で英語圏ポップスがかかっていたんだけど、
そこに突然。Levan Polkka
それも、キーの高い、「初音ミク」バージョンとおもわれるものが。

http://www.youtube.com/v/lG_kz6Sp500&rel=1
........。

そのあとは何事もなかったように、ふつうのポップスが流れていたのだが、あれは空耳ではあるまい。

そういえば、かなり前のことだが、やはりゆったり系BGMが流れている場所で、突然、キューバのソンが流れたと思ったら、それがコンパイ・セグンドの「チャンチャン」で.....その後程なくして、「ブエナビスタ」が大ブレイクしたのだったが。

まあ「電車男」っていう前例もあるし........近々、ネットを超えて大ブレイクするのか? 初音ミクのLevan Polkka....?


(11月5日 記)

党首会談をどちらが言い出したか.......朝日と読売で正反対の報道にも笑ってしまうけれど、読売の情報は明らかに、官邸サイドからのリーク。
いずれにしても、大臣の椅子が欲しいというのが宿願であることを見破られていて、自分は権謀術数に長けていると思っている小沢が、はるかに狡猾な福田に、きれいにはめられた、という話ですね。

■党首会談で「小沢副総理」一度は合意、17閣僚の配分も(読売新聞 - 11月05日 03:02)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe8400/news/20071105it01.htm

こんな提案に民主党が乗れば、次回の総選挙で惨敗して、かつての社会党〜社民党と同じ道をたどるのは明白だった。
それは承知の上で、小沢も、その場合はそれで自民党に復帰するか、あるいは大臣で花道を飾って引退するか、という含みも持たせた上での大連立のつもりだったのだろう。

で、最悪でも民主に揺さぶりをかけることができ、今回のようにうまくいった結果として、小沢が民主党で浮いてしまって辞任してしまう以上、民主党が支持率と選挙巧者を失うわけで、ついでに小沢氏が何人か引き連れて離党でもしてくれると、もっと笑いが止まらない。

やるじゃん。
とは思うが、このレベルの権力闘争ごっこをしている間に、日本はどこまで世界から取り残されてしまうのやら。


(11月2日 記)

昨日は、ひさびさに日本酒に合うつまみを色々作る。

魚屋に行くと、とても良い感じで脂の乗った旬の鯖があったので、三枚におろし、塩を振ってしばらく置いてから、さくらのチップでごく軽くスモーク。それから酢で締める。まあ、締め鯖のバリエーションなんですが、これがおいしいんだ。

それから、牡蠣が目についたので、これもゲット。
よく洗ってから、さっと酒蒸し。
オーブン皿に、薄切りにしてオリーブ油を通したじゃがいも、茹でたほうれん草を並べ、その上に牡蠣を乗せて、さらに味噌入りのホワイトソースをたっぷりかけてオーブンで焼く。

あとはビール・日本酒の定番、手羽先餃子ね。今回は餃子の種の代わりに、具は明太子。

いやもう、辛口の日本酒、進む進む。


(10月26日 記)

しばらく前からボイスレコーダーがほしいと思っていたのだが、いくつかの理由により延び延びになっていた。

ひとつには、Mac対応の機種が少ないこと。
値段も、欲しいなと思うようなのは、2万円ぐらいする。

にもかかわらず、どうしても必要というほど差し迫っていなかったこと。
いや、じつは「どうしても必要」なときはあったんだけど、そのときは友達に借りて乗り切ってしまったのだ。

2回目に「どうしても必要」になったときは、iBook+iMicで乗り切り、3回目に必要だったときは、別の友達のアナログのミニカセットレコーダーを使い、その音源をiMicでデジタル化するという面倒なことをやっていた。

ただ、そういうことばかりもしてはいられない。
ので、けっこう本気で購入を考えていたのだが、その矢先、iPodにつけるだけでiPodがボイスレコーダーになるというアクセサリがあるのを知った。

おおやったぞ.....と思ったのが甘い。
その種のボイスレコーダー用のアクセサリは、比較的新型のiPodのみ対応で、私のかわいがっている第一世代iPod Nanoではつかえないのだ。

micromemo

で、話がまた同じレベルに戻るわけ。
ボイスレコーダー買うべきか。

と、たまたま秋葉原に行ったら、ソフマップで、iPod Nano第二世代を叩き売りしているではないか! そう。第三世代が出たからだ。
新品一年補償付12800円。
その足で、旧型のiPodを下取りに出したら、6000円少しになったので、その金額とソフマップの商品券(なぜか持っている)3000円を足すと、わずかの出費で即新品ゲット。
もちろん、iPodはiPodとして使える。

あとは、アウトレットのボイスレコーダーアクセサリを入手するのみである。
これまた、定価は8600円だったのが、iPod第二世代が旧型になったので、ただいま値崩れ中。結局、5000円台でMicroMemoをネットで入手。

はめたらこんな感じ。
音もかなりいい。ふつうのボイスレコーダーとしては問題ないし、操作も簡単。
こいつの良いところは、外部マイクを接続して、かなり高音質のステレオ録音もできることだ。こうなると、使い勝手は広がりそうである。


(9月30日 記)

昨日、東京を横断して片道2時間近くかけて上映会に行きました。「蟻の兵隊」
たいへん面白い映画です。先月〜今月はドキュメンタリーの当たり月だな。

映画はなんというか唐突に始まります。
で、特にナレーションも説明もない。ので、山西省日本軍残留事件について事前に少し(まあ、ほんのすこしでいいのですが)予備知識がないと頭が白くなるかもしれません。
そういう意味で、なんかもうちょっと補足があった方が良いのに、と思いながら、
その「不親切な映画」を見ていたのですが、やがて、「その説明がない理由」が、じんわりとわかる人にはわかってきます。(こういう書き方をするのは、わからない人には、もしかしたら、わからないかもしれないから)

つまり、これは山西省日本軍残留事件そのものを扱った映画ではなくて、山西省日本軍残留事件の当時者であり、現在も、あの事件がなんだったのかを突き止めようとしている元日本軍初年兵のドキュメンタリーだったのです。
残留事件の被害者として、あの事件を調べるために中国に足を運ぶ彼は、そこで当然ながら、中国においては加害者である日本兵である自分と向き合うことになるのです。そして映像は(というか監督は)愛情を込めつつも、情け容赦なく、その被害者であり加害者であり、そして同時に、ごくふつうの謹厳実直な日本人(たぶん、あなたやわたしのお祖父さんであり得る)「元初年兵」をレンズで串刺しにしてゆく。

そしてそれにとどまらず、ナレーションや説明がないことによって、この事件が特定の某司令官が自らの保身のためだけに引き起こしたというような「わかりやすい悪いやつ定義」もなされない。つまり、問題がそういうことだけではなくて、国家がらみのもっと根の深いものであることが暗示されている。
彼らはそこにいたゆえに、存在を否定されなくてはならなかったのである。

そのあとの交流会で、この映画の広がりにMIXIがかなりかかわっていると池谷監督から伺った。
そういえば、かの「ホテル・ルワンダ」もMIXIからブレイクしたのだったよね。

私はNifty-SERVEの「パソコン通信」時代からの人間なので、なんというか、MIXIを「生暖かい」と感じることがあって、自分が入っているくせに、けっこう軽く見ていた部分が大きかったのだけど、やるな、MIXI。
てか、自分が見ていなかっただけね。こういう見ていたくせに見ていなかったことって、いっぱいあるのだろうけど。

などとつらつら考えていると、そのルワンダで死刑が廃止になるという。
あのジェノサイドを経験したルワンダで死刑を廃止することで、世界的な死刑廃止運動への一助になれば、ということと、「人道に反する罪」を犯した人々への裁きを促進することが期待されているという。
http://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_04ba.html
ちなみに、これも、マイミク(mixi会員内の友達はこう表現される)はなゆーさん情報。


(9月24日 記)

CDを認識しなくなってしまっていたCDデッキを修理。

まあよくあると思うんですが、まず音飛びの異常が出るようになり、さらにCDによって読み取りができないケースがしばしば発生。
そのうち自分の手持ちCDの半分くらいは読み取れなくなり、そしてある日、どのCDを入れても認識しなくなってしまった.....という状態です。

もちろん、通常のCDクリーナーでのクリーニングをやっても改善しなかったわけ。

まあ、最近は音を聴くときはiPodが多いし、資料としてのCDを聴くときはパソコンで聴くか、便宜的に、iBookをアンプにつないでCDデッキ代わりに使っていたのだが、これはいくらなんでもiBookくんにとっては可哀想な状態だし、なにより、ふと思い立ってちょっと聴くという聴き方ができなくなってしまったので、本日、決行することにする。

といっても、メーカーに送るのではなくて、自分で修理。
以前問い合わせたら、修理にどうやらけっこうなお金がかかるらしく、いっそ新品を買おうかと思って、具体的な機種の目星もついていたので、(某カメラ店系大型電気量販店のポイントもそこそこ溜まってるし)、それならそれでただのゴミにしてしまう前に成仏(?)させてやろうと思っていたわけだ。で、分解。

ネジをはずし、カバーを取り、はずせるところははずして、中をきれいにお掃除。
けっこうよごれているものなので、水をよく絞ったタオルで拭けるところは拭き、細かいところ(とくにCD読み取り不良の原因であるはずのレンズ回り)はアルコールをつけた綿棒で丁重に拭き、組み立て直す。

電源を入れ、CDを入れると、おおっ、読み込んでるぞ。見事、完全復活。

勢い余って、調子の悪かったラジカセやら(じつは、CDデッキがおかしくなってきたところで、iBook君の前に、こいつを出してきて使っていたのだが、それも調子が悪くなっていた)、果ては、動きの鈍くなって捨てようと思っていた光学式マウスまで分解清掃して復活させる。素晴らしきリサイクル。

しかし......新しいのが買えなくなってしまったのでした。
となると、心が動くなあ....iPod Touch.......。いかん。


(9月15日 記)

自殺未遂報道まで出ている慶応大学病院の安倍元総理。
それにしても、病名が「機能性胃腸障害」ってのはないんじゃないか?

http://merckmanual.banyu.co.jp/cgi-bin/disphtml.cgi?url=03/s021.html

要するに、「検査しても何の異常もないけど、本人が病気だと主張しているから、病気ということにしておきます」という病名でしょ、これは。

なんか、この期に及んでまでお坊ちゃん丸出しだなあ、という気もするし、ここまで根回しができない側近しかいないってのも、人望がないんだなあというのを通り越して、なんかこう....。


(9月12日 記)

この元記事はもう消えているのだが、毎日新聞のサイトに本日午後、「安倍首相辞意:「週刊現代」が「脱税疑惑」追及で取材」という記事が出ていた。
この記事は、しばらくたつと削除されていたのだけど、捜すと、Yahoo ニュースで見っけ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070912-00000195-jij-soci

一方、週刊文春では明日発売の号で、安倍総理と慧光塾なるカルト宗教との関連についての記事がでるとか。

まあ、そういうタイミングだったわけで。


(9月11日 記)

阪神・巨人の東京ドーム三連戦ですっかり疲れてしまった。

といっても、もちろん、ドームに行ったわけじゃないんだけど、ラジオで聞いているだけでも、あれだけ毎日抜きつ抜かれつの接戦を繰り広げられると、気が休まりません。
三連線が連勝で終わったからいいようなものの、負けていたら脱力感がすごいだろうなあ。
それにしても、アナウンサーの声が枯れて途中交代なんて、初めて聞きましたよ。
喉を使う職業柄、なんかヒトゴトとは思えなかったりして。

shokuseki.jpg

ま、アナウンサーの声が出なくなるのは、喉の使いすぎなんだけど、それはさておき、日本の顔である総理大臣の日本語の乱れがここ数日、特にひどいのは本当に情けなーい気持ちにさせられる。いや、前からこの人、日本語力低かったのだけど、ここまでとはなあ。

まあ、私は難しい言葉をこれ見よがしにちゃんと使えるのが偉い、とはべつに思ってはいないのだけど、覚えたばっかりで自分でろくによく意味がわかっていない言葉を使うなよな、小学生じゃないんだから、とは言いたい。まあ、あの『美しい国』ってのも、ちゃんと意味を考えるわけでもなく、なんとなく使っていただけなんだろうけど。好物が、焼き肉、ラーメン、アイスクリーム、スイカ。嫌いなもの生牡蠣、というあたりも小学生レベルのような気もするけど。やっぱり「アメリカのえらい人と握手してとってもうれしくて得意」ってことなんだろうな。

さて、ここで、もういっぱつ映画のお知らせです。
といっても、これはすでに試写会見ておすすめ、というわけではなくて、八木が見る予定。

私は知らなかったが、日本軍山西省残留問題というものがあったのだそうだ。第二次世界大戦後も中国に残留し、中国の国共内戦を戦った、というより、戦わされた日本兵たちの問題を扱ったものだ。
同然、彼らの存在は、ボツダム宣言違反になるから、日本国としては存在を認めることは難しい。また、言わずと知れたことながら、国共内戦では、当時の中国政府であった国民党軍は敗者となったわけだから、現中国政府からすると、彼らは二重の意味での戦犯ということにもなる。

このあたりの資料としては、
http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/daiicigun_mokuji.htm
http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000252.html
などが参考になる。

「蟻の兵隊」上映と奥村和一さん(主演)・池谷薫監督のトーク
http://www.arinoheitai.com/

日時:2007年9月29日(土)
(1) 10:30〜 第1回上映
(2) 13:30〜 第2回上映
(3) 15:30〜 奥村和一さん(主演)・池谷薫監督のトーク
場所:日野市七生公会堂(TEL:042-593-2911
京王線・モノレール線高幡不動駅下車徒歩7分)
前売り券:999円 (当日券1,200円 資料代を含む)

蟻の兵隊 ―怒りと悲しみと―

香港国際映画祭 人道に関する優秀映画賞受賞
キネマ旬報ベストテン第2位(文化映画部門)
日本映画ペンクラブベストファイブ第1位(文化映画部門)

主催: 三多摩「蟻の兵隊」を観る会(042-592-3806古荘 他)


(9月5日 記)

すごく新鮮なサンマをたくさんいただいた。

焼いちゃうというのが、サンマの王道なのだけど、この間、サンマの塩焼き食べたし、せっかくすごく新鮮なサンマを頂いたので、今回はいろいろ手を加えることにした。

まず、今日はサンマの棒寿司。

サンマを三杯酢で締めて、小骨と薄皮を取り、酢飯で巻く。
巻き簀は100均で買った物だけど、中にラップを敷いて巻くと、そう難しくない。

サンマ二匹分をお寿司にして、あとの二匹を洋風のマリネにする。三枚におろして薄皮をむいて、まず塩で締めるところまでは同じ。
そこで、ごく軽く燻製にかけて(べつにしなくてもいいんだけど)、たまねぎ、にんにく、ローズマリーとライムとエクストラバージンオリーブオイルでマリネ。これは明後日ぐらいが食べ頃。
余った二匹分は昆布締め。これも2、3日大丈夫。

台風一過で暑くなったので、さっぱりしておいしいメニューです。しかも、数日楽ちん。

あと、冷蔵庫を除いたら、こないだブルーベリータルトを焼いたときに作ったカスタードクリームの材料の残りの卵の白身が残っているのに気づく。まずい。冷凍しておくのを忘れてた。ので、あわてて、フィナンシェを焼くことにする。これでおやつもに2、3日大丈夫。

ついでに、このサイトのトップページを作り替える。マイナーチェンジなので、見た感じはあんまり変わっていないかもしれませんが、IMGアニメをflashにしました。最近、依頼があったら作る(なんかこっちもプロ化してきた)ホームページにけっこう凝ったのを作っていながら、自分のがそういえば、作りっぱなしだなあと。


(9月4日 記)

またもや、おすすめ映画。ヴォイス・オブ・ヘドウィグ。

まあ、直訳すると「ヘドウィグの声」
ヘドウィグというのは、オフ・ブロードウェイで大ヒットロングランとなり、映画化もされたロック・ミュージカル「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」の主人公。ゲイで性転換者(しかもその手術は失敗する)のグラムロック歌手だ。

詳しくは、こちらをどうぞ。
Wikipedia 「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」
映画公式サイト

そのヘドウィグの曲をトリビュートしたアルバムを作ろうというプロジェクトのメイキングムービーがこれ。しかも参加メンバーも、ジョナサン・リッチマン、フランク・ブラックといった、オルタナティブ系から、シンディ・ローパーにオノ・ヨーコに至る、多彩な顔ぶれだ。
といっても、もちろん、ただのメイキングではないわけ。

アルバムの収益は、ニューヨークで、LGBTQの人たちを対象とした権利団体「ヘトリック・マーティン・インスティテュート」の運営する、LGBTQの青少年のためのハーヴェイ・ミルク高校に寄付される。
ハーヴェイ・ミルクは言わずと知れた、アメリカで始めてゲイであることを公言して大都市の公職に就き、暗殺された人。LGBTQという単語は、今回、私も始めて知った。
レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィアのそれぞれの頭文字をとったものだそうだ。

そして、このハーヴェイ・ミルク高校とそこに通う4人の生徒たち(2人のレズビアン、1人のゲイ、1人のトランスジェンダー)の生活が同時に描かれていくのだ。
当然ながら、自らがLGBTQである気づくことは、一生をマイノリティとして生きていかなければならないということだ。それも、ただのマイノリティではなく、差別と無理解と偏見と憎悪の対象になるマイノリティに。

保守的なアメリカの地方に生まれ育ったため、この高校に来るまでは毎日が地獄だったと語る少女がいる。
ひどい虐めを受けてカウンセラーに相談しても、「ゲイなのが悪い」と言われたという少年もいる。
家族の理解をどうしても得ることができず、自傷や自殺未遂を繰り返す子もいる。

そんな矢先に、この高校は公立として認可を受ける。それがニュースで取り上げられたことで、ゲイを敵視する人たちと擁護する人たちが学校に詰めかけ、彼らはガード付きで登校する。

まだあどけない顔の彼らが生きているのはそういう世界だ。
重い。
けれども、ずっと流れるロックと哀しくも可笑しいヘドウィグの物語が、この話をこれっぽっちも暗く湿っぽくはさせない。そしてなにより曲がいい。

オリジナルのミュージカルや映画を知らなくても、何も問題はない。
それらすべてを理由として、この映画をおすすめしたい。
9月22日から、東京渋谷ライズXと大阪シネマート心斎橋ほか

hedwig.gif

映画「ヴォイス・オブ・ヘドウィグ」公式サイト
(ただし、いきなり音が鳴るので、ご注意)


(9月1日 記)

新聞もテレビもインターネットもない4日間を過ごして下界に戻ると、メールが100通以上溜まっていた(註・ダイレクトメールなど含めて)のはご愛敬として、Wikipediaを役所が編集していたのが話題になっていましたね。

総務省や文科省もWikipediaを編集していた 「WikiScanner」日本語版で判明

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0708/29/news059.html

アメリカでもこんな感じ

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0708/17/news029.html

まあ、Wikipediaは、誰でもが編纂できるので、たしかにちょっと調べるのに役に立つことはあるけれど、微妙だったり、バイアスがかかっているなと思われる記事もあったりするので、あくまで「目安」とか「とっかかり」にするのが正解かもしれない。

もっとも活字だから正しいってことはぜんぜんなくて、なんつっても、書店でそれなりの値段を取って売っている本でも、「をいをい」みたいなのは少なくないのだけどね。

ちなみに、Wikiscannerはこちらね。(^_^)

http://wikiscanner.virgil.gr/index_JA.php

これがかなり笑えます。


(8月30日 記)

某画伯のご招待で、八ヶ岳に行っていました。
別荘ですよ、別荘。
でかいワインクーラーもあれば、毎日ジノリの食器でお食事ですよ。
お金はあるとこにはありますね。
といっても、画家の方は人里離れたところの方がお仕事に集中できるから、ということで、べつに見栄張るための贅沢ではないようです。

それにしても、鬱蒼とした森の中の山荘に招待される5人の男女。
なんていうと、一昔前のミステリみたいですな。

ただ、招待客が順番に殺されるというようなことはなく(爆)、朝から摘みたての生ブルーベリーをばくばく食べたり、ダチョウ農園を見学に行ったり、ハンモックに寝ころんだり、と、なかなか、のどかに過ごしておりました。
なんたって涼しいし、八ヶ岳の農家から分けてもらう野菜も、元気があってとってもよろしい。
そのへんに野草のようにミントとか山椒とかローズマリーとか木苺とかあるし。
塩胡椒だけでおいしいラタトゥイユができてしまいます。(で、結局なりゆきでコックをやっている八木なのであった。ご招待は、実はそれが目当てか?!)

初日
昼:なすとフルーツトマトのパスタ、胡瓜とヨーグルトのサラダ
夜:ローストビーフ、マッシュポテト、新鮮野菜サラダ

二日目
朝:ベーコンエッグ、野菜サラダ、コーヒー、天然酵母パン、ブルーベリーヨーグルト
昼:ペンネの黒オリーブとチーズクリームのソース、サラダ
夜:ヴィシソワーズ(馬鈴薯のポタージュ)、虹鱒(地元産)のムニエル、ラタトュイユ

三日目
朝:スクランブルエッグ、ローストビーフマリネ、サラダ、コーヒー、天然酵母パン、ブルーベリーヨーグルト
昼:信州蕎麦(外食)
夜:夕顔の煮物、ピーマンと茸の和え物、なすの味噌田楽、馬鈴薯・若芽・茗荷の味噌汁、サンマ(銚子から届いた差し入れ)の塩焼き、野菜の浅漬け

四日目
朝:トマトとベーコン入りオムレツ、サラダ、コーヒー、天然酵母パン、ブルーベリーヨーグルト
昼:なすと茸の和風パスタ

「八ヶ岳の12ヶ月」なんて、スケッチと料理エッセイの本、いいかもしんない、なんてちょっと思ったりして。


(8月24日 記)

ひさびさに食べ物話題。

このところバカ暑いので、冷製スープにちょっと凝っている。
冷製スープは冷やした方が良いので、少し多めに作っておいて、だいたい二日ぐらい飲める。

このきんきんに冷えたにんじんのポタージュが、家族に大好評だったこともあって、その後、アボカドとヨーグルトのメキシコ風冷製スープ、次はガスパチョ。
アボカドとヨーグルトのメキシコ風冷製スープは、大使館のシェフに教えてもらったもので、アボカドはもともと酸味と合うので、とってもおいしくて我が家でも好評。これは野菜の冷製ポタージュと違って、まったく火にかけない。ミキサーにかけるだけ。

gaspacho.jpg

そして、ガスパチョ。
大昔に、どこぞの料理本に載っていたレシピで作ったら、なんかやたらに青臭いのができちゃって閉口したことがあって、おそらく同様の目に遭った人は他にもいるのじゃないかと思います。
ガスパチョのレシピはいろいろあるのだけど、ポイントは、日本の野菜はヨーロッパのより青臭さが強いということを前提にして作ること。
それでなくても青臭いんだから、セロリを入れるのはセロリをよほど好きな人以外はやめましょう。ピーマンを入れるように書いてあるレシピが多いですが、ピーマンではなくてパブリカです。
どうしてもパブリカが手に入らなくて、ピーマンを使う場合は量をぐっと減らします。パブリカは赤を使えば、とても綺麗な仕上がりだし、オレンジや黄色でも素敵です。ただ、パブリカは青臭くないからといって入れすぎないように。
そして、胡瓜も皮を剥きます。
トマトは完熟トマト、なければ、水煮缶でも可。あとはにんにく少々と塩胡椒と、隠し味に砂糖少々。オリーブオイル、レモン汁 (またはワインビネガーかりんご酢) 少々。とろみづけにパン粉 (理想はフランスパンの固くなったの少々)、または冷やご飯ひとつまみ(爆)。全部一気にミキサーにかけます。あとは冷蔵庫で冷やすだけ。
この作り方だと、青臭さが前面に出ることはなくて、とても飲みやすいおいしいガスパチョができます。

昨日のおかずは、ガスパチョとラムチョップのマスタードソース。


(8月23日 記)

さて、またちょっと戻ってキューバ話題。
島の明るい男たちと半月を過ごしたあとで言うのもなんだけれど、その島を出た人々の作った一本のビデオがある。
といっても、またあれかよ、という感じのCIAがらみの悪意まるだしの政治ネタものじゃなくて。
音楽ネタ。題して「ルンバの歴史」

rumba_jacket.jpg

これが意外にも、悪くないんである。
もちろん、亡命組の作ったDVDだから、現在のキューバについて肯定的に語ることはタブーだ。

アメリカはそういう意味では、表現の自由のない国だからね。
それどころか、アメリカ人が、ジャーナリストでもないのにキューバに行くこと自体が高額の罰金刑に処せられるような罪でもある。

ブッシュ陣営が、マイケル・ムーアのSICKOの公開を妨害するために、この法律を使ってフィルムの没収をしようとしたニュースも伝わっているのも道理というわけ。もちろん、ムーアは取材査証をちゃんととていたのだけどね。(まあ、映画ではまるで密航でもしたように描いているのがご愛敬だけど)

で。これは、そういう背景が存在する土壌で作られたDVDというわけ。
すなわち、現在のキューバについて少しでも肯定的に語る自由は彼らにはないから、このDVDには、アダルベルト・アルバレスもNGラ・バンダもチャランガ・アバネラも(名前すら)出てこない。触れられもしない。
シルビオ・ロドリゲスは当然として、ブエナビスタ・ソシアル・クラブにすら言及しない。
フランク・エミリオもリチャード・エグエスもパンチョ・アマットもゴンサロ・ルバルカバも「存在していない」

ここで、少しキューバ音楽を知っている人なら、思うかもしれない。
「だったら、そんなDVDナンの価値があるの?」

いや、ところがあるのですよ。
大物が出ていない........いや、出られないからこそ、ある意味、一枚のDVDでキューバ音楽について広く取り上げた入門編に仕上がっているわけ。
考えてもごらんなさいよ。キューバの大物を一人入れちゃったら、そいつ一人でDVD一枚分ぐらい終わっちゃうよね。
(そういう意味で成功したのも、当時「売れてない人」ばっかり集めて低予算で作ったブエナビスタだったわけですが)

それと、大物というのは、「その人独自の天才的なスタイル」が濃ゆすぎて、「ジャンルの代表」としては適切とはいえないことがある。
超絶技巧が行きすぎて、なにがどうなってるのかわかんないなんてこともある。
そういう意味では、天才でも大スターでもない人たちに、スタンダードを演奏してもらう方が、その音楽ジャンルを知るには、初心者にはわかりやすいわけで。

なわけで、「ルンバの歴史」と銘打ちながら、このDVD、結果としてキューバ音楽の、えらくわかりやすい入門編になっているのだ。
ルンバに始まり、トローバ、チャングイ、ソン、ダンソン、ラテンジャズと、ひととおり押さえるところはちゃんと押さえている。
驚いたのは、トローバに関してもちゃんと語っていること。

ヌエバ・トローバに関してさえ、もう....そりゃあもうめちゃくちゃ奥歯に物の挟まったような表現でありながらも、(そしてもちろん、彼らにはシルビオやパブロやビセンテの名前を上げることはできないのだが)、しかし、「その後のラテンアメリカに重要な影響を与えた」とまで言っているのである。これは偉い。よく頑張った。感動した。(ここ、小泉口調で)

トロバドールを名乗っている二人など、ちょっと微妙なところもあるが、(てか、トローバ組はほとんどみんな革命派だから、よっぽど人材がいなかったんだろうとは思う)、それは許そう。

ついでに、これはアメリカ制作の特権で、キューバ革命以前の、つまりキューバとアメリカの蜜月時代にアメリカで演奏している当時のキューバの大スターの映像なども入っている。このベニー・モレやペレス=プラードの映像は、マニアは垂涎ものかも。

お約束で、DVDの最後の方で、「キューバに自由が回復されることを」なんてのたまうセリフもあるが、そう言っている彼ら自身が一番わかっているのだろう。
ルンバもトローバもソンもチャチャチャもダンソンもヌエバ・トローバもアフロキューバンジャズも、島のキューバ人が生み出したもので、ラテンジャズやサルサはアメリカ在住のプエルトリコ人や南米人が生み出したもの。
亡命キューバ人が亡命キューバ人として生み出した文化はなにもない。(セリア・クルスやグロリア・エステファンのように商業的に売れた人はいるけれどね)
その屈折が、せめて、音楽のジャンルについてきちんと解説したいという気持ちを生んだのであれば、それもそれで評価したい。
こいつら、ちゃんと保険に入っているのかなあ、自業自得とはいえ、無保険だったりしたら可哀想すぎるかも、とかちょっと心配もしたりして。

ちなみに、八木、解説書いてます。


(8月22日 記)

数日前の話になるが、試写会でSICKOを見た。例のマイケル・ムーアのあれである。もう地下鉄にも宣伝ポスターが貼られている。

で、すでに内容についてあちこちで書かれているので、うすうすご存じの方も多いと思うけれど、これを見ると、アメリカ合州国に住みたくなくなるのが請け合い、てな映画。

まず、かの国5000万人近くに及ぶ無保険者。
すべて医療は自費診療となり、その医療費も信じられないほど馬鹿げて高額なため少々の病気は我慢、怪我をしたら麻酔なしで自分で縫う(まじ)、指を切断したら、どの指をつけるのが一番安く上がるか、費用対効果を考えて選ばなくてはならない。これだけで、かなりブラックである。
そして、しかしながら、今回はそれがテーマではないとマイケル・ムーアは語る。

問題は、保険に入っているにもかかわらず、満足な医療を受けられない人たち。
そして、少しずつ暴かれていく、「保険料をきちんと支払ってきた人たちに対して、その彼らの万一の時に、いかに保険会社が金を出し惜しみし、あるいは出さないですませるか、そのあらゆる手口と実例」が語られていくのである。
ほとんどそれは、シュールですらある。
なぜ、こんな非人道的でめちゃめちゃな制度が作られ、しかも維持されてきたのか、そこにもムーアは突っ込んでゆく。そして、それにひきかえ、皆保険制が施行されているカナダやイギリスやフランスの例が引き合いに出される。

むろん、この映画は、莫大な利権に対して喧嘩を売ったわけだから、(当然というか早速というか)反論がたっぷり用意されている。明らかに米系保険会社の雇った広告代理店や、そこで一儲けしようとする人たちが蠢くのは当然として、はるか日本にも、これは保険会社に雇われたというより、もう骨の髄まで「プロ奴隷」なんだろうなという人たちがいて、利権がらみの反論を得意になって翻訳して吹聴したりしている。

いわく、カナダの医療では待ち時間が長いことを映画では語っていないだの、医療保険支出のせいでイギリスの財政が破綻しかけているとか、フランスの高額の税金について言及していないとか。

で、保険会社陣営が、たぶん(マイケル・ムーアの映画製作費以上に)すごくお金をつぎ込んでいるであろうわりに、
で? だから? それがなに?
保険制度があるから、病院が混んでいることぐらい日本人は誰だってわかっている。
しかしああたね、いくら待たされるのが嫌だからっていっても、全額自費診療でしかも馬鹿高いから、病院はガラガラですよって言われてもねえ。
だいたい、アメリカなんて、医療保険もないくせに財政破綻してるじゃん。
イギリスにしたって、財政破綻の原因はべつに医療保険のせいじゃないよ。
としか言いようのない、説得力の薄い反論しかできないところが、この問題の致命的な部分だ。

実際に私が直接聞いたことのある、友人のアメリカでの実話。
ある日、夫人が急に苦しみだした。それも冷や汗を流すような苦しみ方である。
すぐにその友人は車に夫人を乗せて、病院に駆けつけた。
病院の真ん前に車を駐車できなかったのと、とりあえず夫人はよろよろとなら歩ける状態だったので、病院の前で降ろし、夫は駐車場に車を入れて戻ってきた。
その間の話である。
夫人は苦しみながら、車から病院の入り口までの数メートルを歩いて、病院の建物内に入った。
そこで、「支払が証明できるものを出さないと診療はできない」と言われたのだそうだ。冷や汗を流して苦しんでいる人間にである。もちろん、だからといって、他の病院に搬送手続きをするとかいうわけでもない。文字通りの放置、なわけ。

病院がそういうところであると知っているアメリカ人なら、そういわれるのは予期できたのだろうが、彼女は急患だっただけに、そんなことは思いもよらなかった。
そのとき、夫が駐車場に車を置いて、病院に入ってきた。もちろん、夫も同じことを言われたのだけど、幸い運転免許証を入れていた財布にクレジットカード(それも幸いゴールドカード)が入っていたので、それを出したら、やっと診療を受け付けてくれたというのだ。
(ちなみに彼らは英語を完璧に話せる人たちで、言葉の問題による誤解などはなかったことは追記しておく)
アメリカに旅行する人は、アメリカの病院とはそういうところであることぐらいは知っておくべきだろう。

それから、アメリカで心臓移植すると、なんで何千万円もかかるのか、という疑問の答えもここにある。

心臓移植をしなくては死んでしまう○○ちゃんは、果たしてアメリカに連れて行くべきなのだろうか?
戦後の洗脳教育のせいで、アメリカのものはなんでも舶来上等で世界一、高度先進医療はアメリカにしかないと思いこんでいる日本人が多いから成立している募金なのだけれど、医療関係者によると、アメリカの金持ちはアメリカでは医療を受けず、外国に行くケースが多いという。

そんな矢先にこのニュース。

「スノー米大統領報道官が癌にかかり、その治療費が支払いきれないため、任期中に辞任の意向を表明」

さらにさらにブラックである。
というか、ブッシュ陣営にあって映画の宣伝になってるかも。


(8月9日 記)

キューバ人たちと付き合っていた間、カロリーとコレステロールが高そうなものばかり食べるはめになっていたので、その反動が少しきていました。

鰯の梅煮とか、サンマの焼いたのに、きゅっとすだちとか。あ、ベトナム風生春巻きも食べたな。
暑いせいもありますがね、ここ数日は、さっぱりと。

でも明後日は超硬派的ライブなので、今日明日のご飯は、たぶん和食ではないな。
私はやや自己暗示型の人間でもあるので、たぶん、今日の晩はスペイン料理もどきを作って、明日はソーセージとザウアークラウト(もどき)とじゃがいもとレンズ豆かなんか食べるであろう。
べつにキューバ音楽のライブをやるからといって、キューバ料理を食べるわけではないんですがね、やっぱり、今回はちょっと緊張してるかな。なんせ、あの顔ぶれですのでねえ。

それで思い出したのだけど。
キューバ人たちの宿泊していたホテルの朝食はビュッフェで、洋食と和食の両方が自由にとって食べられるようになっていたのですが....

「日本料理のコーナーにすごい妙なものがあって....」と彼らは言う。
それって、異様な臭いを発して腐ってる豆とかじゃなくて?
「?」

いや、外国人宿泊客も多いホテルなので、さすがに「納豆」は置いていなかったようです。良かったね。
では、その妙なものとはいったいなんだろう。その特徴は?

「味付けは美味しいんで、みんな(キューバ人ご一行様)に人気があるんだけど、見た目は黒くて、なんか妙なんだよ。『ゴキブリの足の炒め物』にしか見えないんだけど」

それはいいけど、見た目がそういうふうに見える未知のものを、よく口に入れるね、同志。いくらホテルのビュッフェとはいえ。そこが好奇心旺盛というか、さすが革命的な連中は違うというか(爆)

以前、メキシコ人と「お好み焼き屋」に行ったとき、そのお好み焼きの上の削り節(彼らから見たら謎の物体)が、まるで生きているかのようにゆらゆら動いているのを見ただけで、もう引きまくっていたのとはかなり違う芯の強さである。
もっともキューバの兵役ではかなり過酷な訓練をやられるのは事実みたいだけどさ。
それにしても、見知らぬ国で、ゴキブリの足にしか見えないものを、口に入れるか?

さあ、日本の皆さんはもう何かおわかりですね。
「ひじきの含め煮」
だったのでした。

ゴキブリの足の炒め物かよ......

(ちなみに彼らの帰国後も、一部関係者の間では、「砂糖を大量投入したエスプレッソ」とともに、「癌のやつ一個」と「ゴキブリの足」は、表現として定着しかけているのであった。おそるべしキューバの影響力)

ところで、誰も「鞭」って持ってないんですかねえ。


(8月7日 記)

トローバ三昧の日々であった。

ギタリストの小林青年までも、彼らの買い物に付き合わされ(専門性の高いギター系のパーツとか音響機器は八木じゃお手上げなので)、ドスの利いた(訛ってるともいう)キューバ弁にめげず、どさくさまぎれにハバネーラやソンやフィーリンのギターの手ほどきを受けたようなので、ばりばりにキューバな八木のライブというのも、おそらく近日あるのではないかと。

それはともあれ、キューバの諺に
「孫は、来てくれたときと帰ってくれるときにほっとする」
というのがあるそうである。
「...良かったねえ。もうこれで君はゆっくり休めるよ」
とラサロ。この人、よく孫の話するんだよね。声は若くて艶っぽいのに。

で、この連中が帰国したのが8月1日。

甘いね。

じつは彼らを成田に送り届けたあと、私はとんぼ返りで、都内に戻り、家を通り過ぎて(;_;)、東京の西、世田谷まで向かったのであった。

ぼぉぉぉぉぉっと甘いトローバの余韻に浸っている暇はない。
11日に、180度違う世界のライブが待っているのだよ。

8/11(土)●「解き放て!禁じられた歌 〜両世界紀行」
吉祥寺・Manda-la2

大熊ワタル(cl)+千野秀一(pf)+八木啓代(vo) special session!
★関島岳郎(tuba,他)ゲスト決定!

<カタルニア民謡から、中南米のヌエバ・カンシオン、はたまたアイスラーの抵抗歌まで!?
世界を越境する「絹の声」八木啓代を迎え、クラリネットが泣き笑いサーカスを演じ、孤高のピアノが疾風怒濤の火花を散らす!>
open18:30/start19:30/前売¥2500/当日¥2800
MANDA-LA2店頭にて前売発売中!
(問)Manda-la2 : 0422-42-1579

ネット予約はこちら

あのシカラムータの大熊ワタルさんと関島岳郎さんに、超絶ピアノの千野秀一さんというものすごい顔ぶれに、八木が、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、カタルニア語、ドイツ語で歌うという、それはもう、大胆不敵というかあり得ねえというか無謀きわまる企画である。
それも、ほとんど新曲。

スペイン語で歌われる作品も、日頃のラテンアメリカ系のレパートリーではなく、ガルシア=ロルカに挑戦。
カタルニア語はリュイス・リャック(リンク先英語)、ドイツ語はブレヒトアイスラー。フランス語はアンナ・プリュクナル(リンク先フランス語)のシャンソン。ポルトガル語はシコ・ブアルキ(もちろん、「三文オペラ」を意識して)である。

軟派きわまりないトローバから、超硬派の世界に全面突入なのである。

蜜のような甘くやさしい響きではなく、アンダルシア〜フラメンコの諦念をたたえた哀愁、カタルニアの禁じられた言葉の歌、そして鋼の剃刀のようにエッジの効いたドイツ語のブレヒトの詩、ファドのさらりとしたポルトガル語とは響きの違う、粘度のある挑発的なブラジル語。

180度違うように見えるかもしれないが、ある意味、意図は似ている。
あえて翻訳されない言葉の響きは何を伝えるか。(日本語の歌もありますが)

「それ、聴きた〜い!」
と5人のキューバ人はたいへん悔しがりながら帰って行った。

ほっほっほ。

と見送ったものの、ちょい青くなっている八木である。激忙は続く。ドイツ語は難しい。

P.S.

ところで、どなたか鞭と軍服貸してくれる人ないですかね?(蝋燭と縄は不可)


(8月6日 記)

そして、メインの30日。
3人のヌエバ・トローバ第一世代の親父たちを中心に、トローバ150年の歴史を2時間に濃縮しつつ、トローバの真髄を伝えるという世界初、大胆不敵な試みである。

なんたって、世界初演なのだ。
これから何が起こるかわかっていたのは、出演者と八木だけだった。

きちんとした資料もプロモーションビデオもないのに、「ぜったいおもしろいから」という八木の舌先三寸だけを信じて、この企画に乗ってくださった東京の夏音楽祭のスタッフのみなさんの勇気と度胸は賛辞に値する。ほんとにありがとう。

そして、何が起こるかわかっていた出演者たちも、24日の成功で気は楽になっていたとはいえ、やはり、言葉の通じない日本の観客に何処までわかってもらえるかという不安はなかったと言えば嘘になる。

実際、「トローバは歌詞が命なのに、外国でわかってもらえるかどうかは疑問」という懸念を事前に表明する人もないではなかった。ばかだね、世界中のロック少年が英語がぺらぺらだとでも思っているのだろうか。

トローバの歌詞が重要なのは確かだ。しかし、何よりトローバはスペイン語の生んだ美しい歌なのだ。スペイン語とはこんなにも美しい響きのものなのかと思えるほどに。そして、そのメロディと絡み合う言葉の響きの純粋な美しさは、ある意味では、言葉のわからない外国人の方が理解できる場合だってあるのである。
だって、いくらドイツ公演をやるとしても、ドイツ語で歌う「ロンヒーナ」なんて、許せないでしょ。
以前、シルビオ・ロドリゲスは、自分の曲を勝手にドイツ語訳にして歌った歌手を訴えたそうだが、言葉というものを真摯に考えれば、わからないではない。訳せば、すでに、音楽としては「別のもの」なのだ。

なーんちゃって。成功したからなんとでも言えるんだけどね(爆)

それにしても、この日も出ました。当日になって、
「なーなー、昨日のコーラス良かったから、今日はこれも歌おうよ、はい歌詞カード」

(-_-;)

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しかも、その曲。アウグスト・ブランカの代表曲である「贈り物」。

これはアウグストがはじめて外国に旅立つことになったとき(生きて帰ってこられないかもしれないと本気で思ったのだそうだ)、当時恋人だった夫人に捧げた曲である。
「風に捧げる歌がほしい、いつも君が歌ってくれるように/君の耳に残り、眠っているときですら聴いていられるような。あなたが悲しいときに、嬉しいときに歌がほしい、僕がいなくても、君に寄り添っていてくれるように」
という、それはもうロマンティックな歌だ。
男声が歌うと、女性に愛を捧げる歌であり、女声で歌えば、捧げられた女性が男を想いながら捧げられた曲を歌う、という趣向。

で、今思いついたヴァージョンは、男が歌い、それから女が同じメロディを繰り返し、後ろで男がハモる、という構成ね。おお、これは美しいぞ。

「だろ? だろ?」

うん美しい。ただ、そういう解釈なら、女声はあまり「私は歌うまいぞぉ」って感じで感動的に歌い上げちゃ駄目なのね。この場合。ヘタウマまでいかないにしても、やや素人くさい感じぐらいのほうがいいかな。

てなわけで、これまたリハ一回で本番です。音響の方ご迷惑をおかけしました。

augusto.jpg

まあ、それにしても、和気藹々としたトローバ、良かったっすね。いい意味での寄せ集め。
3人のおじさんたちはさすがに個性豊か、キャラが濃くて良かったですが、第二世代のペペ・オルダースも良かったです。この人の作品は、ボディブローのように、あとになって、じわじわ頭に残ってきます。
しかし写真見ると、トロバドールというよりは、休憩中のゲリラ兵みたいですが。

磨き上げたクラシックとはまったく違う意味での、もっと素朴な人間の声の美しさ、声の生むハーモニーの美しさ、言葉の響きの美しさ、言葉の生むメロディの美しさ。言葉の持つエネルギー。

バベルという映画のメッセージは、文化が違うことで伝わらないもどかしさ。言葉がわかっても伝わらないもどかしさ。
このステージはその逆です。文化が違っても伝わるなにか、言葉などわからなくても伝わるなにか。

歌っている彼らも、滅多にないほど気持ちの良い楽しいステージだったとか。
ああ。そして、割れるような拍手が私たちに答えてくれたのでした。
(2枚目写真:ペペ・オルダース by 岡部好)


(8月5日 記)

それにしても、連中は元気である。
まあ、日本に来たのははじめてだからわからないでもないんだけど。

そして始終、脂っこいものを食い、冗談を言いまくっている。
彼らの辞書にメタボリックシンドロームという言葉はないのだろうか。

もちろん、彼らの大半はコレステロールや中性脂肪の問題は持っている。(そりゃ、あれだけハラが出てりゃあな)
そもそも、キューバ料理そのものが脂っこい。
だいたいか豚肉や鶏肉を揚げたようなものが多いし、それにくわえて、一日に何回も飲むエスプレッソコーヒーには「正気とは思えん量((c)写真家岡部氏」の砂糖を入れ、甘いものは大好き、さらに、酒、タバコときている。しかも野菜をあまり食べない。
ついでにいうと、揚げ油も植物性ではなく、たいていが動物性のラードである。
日本でも、寿司とか刺身系より、トンカツ、天ぷら、ステーキ系のものを毎日食っていた。

「確かにキューバの食生活はものすごく体に悪いと思う」と、アレハンドロ君。
「僕は日本に来て、しみじみそれを感じたなあ」
(といいながらも、こいつも毎日、油ものを食っていたのは言うまでもない)

それで私はつねづね不思議なのだが、あれだけ体に悪い食生活していて、なんであいつらは長生きなのか?
キューバの平均寿命は先進国の水準と比べても高く、しかも老人ボケも少ない。
もちろん、革命政権下で、ものすごく完備された医療システムというのはあるだろうけど....。

「ストレス溜めないからじゃない? 俺等は」とアウグスト。
「なんでも笑いのネタにしてしまうのさ」

「体に悪いといえばさあ」と、さっそくペペ・オルダスが始める。
「スペインのタバコの箱って、強烈だろ?」

うんうん。日本だと、「喫煙は健康に害を与えます」と箱に書いてあるよね。最近はキューバですら「妊娠中の女性にはタバコの煙は害を与えます」みたいなことが書いてある。
ただ、これがヨーロッパに行くともっとすごい。スペインとかポルトガルだと、ほんとに「喫煙は癌の原因です」なんてズバッと書いてあるもんね。

「でさ、俺のダチがこないだスペインに行って、タバコ買いに行ったらさ」

タバコ売りのおばちゃんが渡してくれた箱には「喫煙はイン○テンツの原因になります」と書いてあったのだという。
おおっ、なんとストレートだこと。

で、その箱を受け取ったキューバ男はどうしたか。
「あっ、すいません。癌のやつと替えてください」

orz.....

lazaro.jpg

恋愛と笑いが彼らの原動力であるらしい。
ただ、それがただの脳天気ではないのも確か。
まあ、確かにキューバ人は、まともに考えるとストレスの高い経験を始終しているわけで、明るくないとやってけないだろう。

ここ10年ぐらいでキューバを知った人たちは、ここ数年のキューバの変化を「大きな変化」と感じ、カストロの健康問題がキューバにとって大問題であるかのように質問する。
でも、90年代初頭の、ソ連東欧圏が崩壊し、それに加えてアメリカがなんとしてでもキューバを崩壊させようと経済封鎖を強化してあらゆる圧力をかけたために、キューバが深刻な食糧と物資危機に見舞われた「特別な時代」を知っている人間から見れば、ここ数年の変化なんて大したものではないし、べつになんてことでもない。
そういうときに尻馬に乗って、ごく普通の日本人だって、キューバをバッシングしていたのだよ。ちょうど、寄ってたかってイラクの日本人人質をバッシングしたみたいにね。
アメリカ合衆国で、中米で、南米で、韓国で。キューバに頻繁に行っていたというだけで、私だって、何度も身の危険を感じるような目に遭わされたものだよ。

でも私の経験など、大したものでもない。
親父さん世代は、キューバ革命そのもの、キューバ危機、70年代の冷戦が深刻化していた時代、のそれぞれの時代に、何度もいろんな覚悟をしながら、それでも歌い続けて生きてきた人たちなのだ。

ま、話戻って、そんなわけで、彼らの冗談はきつい。
ついでに言うと、カストロネタのジョークも多い。
カストロをネタにしたジョークを連発してげらげら笑っているからと言って、現政権を嫌っているのかと早とちりするのも、もちろん、大間違いなわけで。そのへんが、平和ボケしている日本人にはわかりづらいキューバ人の感覚がある。
(写真:ラサロ・ガルシア by 岡部好)


(8月4日 記)

さて、で、音楽祭の意向もあって、同じ顔ぶれで、まったく内容の違うコンサートを二つやることになっていた。
7月24日、武蔵野市民会館ではビセンテ・フェリウ(+ゲスト4名)のコンサート。
前半は、文字通り、ビセンテのギター一本のステージで、後半からギターのアレハンドロや残りのトロバドールたちが招かれて
1〜2曲ずつ参加するという構成。

言葉がわからないという日本の聴衆をターゲットにしているわりには、正攻法というか大胆不敵なプログラムである。直球ストレートで真っ正面から勝負という感じ。ま、そこがビセンテ。

しかし、それはいいけど、その日になってプログラムを大幅に変えたため、事前に配布するはずだった手元のプログラムが役に立たなくなってしまった。来日直前に送ってきたプログラムの歌詞の抄訳と解説、すごい一生懸命に書いたのにさぁ〜(:_:)
(しかしそんなことで怒っていては、キューバ人とはつきあえないんである)

で、必要なときだけ出てって舞台通訳だけやるはずが、舞台解説もやることになってしまう八木なのであった。もちろん、そういう話ではなかったから、ぶっつけ本番である。

しかも、その日になってから、なぜか、ホテルのフロントで、ビセンテがなんかプリントアウトを頼んでいる。

「あ、これね、君が歌う歌」
「は?」
「いや、男声だけでやると高音きついから。それで、ちょうど女性ボーカルがいるんだから、そこ歌ってもらおうって」

ちょっと待ってくれよ。
言うか? そういうこと、当日になって?
てか、なんか一曲ぐらい一緒に歌おうかぁとかいう話が前に出ていなかったと言えば嘘になるが、その後何も言ってこないので、その話は当然なくなったと思ってたよ。
(しかしそんなことで慌てていては、キューバ人とはつきあえないんである)

というか、トローバのライブに行くと、その場でギター渡されて歌わされることなどしばしばあるので、この連中、そういう感覚なのである。まあ、そういうことをするのも、「トロバドール仲間」だと思われているわけなんだけどさ。
だいたい、当日になってプログラムが変わるってのはなあ、そもそもあんたらゲネプロというもの、一回もキューバでやってないだろう?!
(しかしそんなことで驚いていては、キューバ人とはつきあえないんである)

まあ、そんなわけで本番2時間前 (2週間前でも2日前でもない)になって、私が一曲コーラス参加(リハ一回で)することになったわけである。

augusto.jpg

で、本番。
じつをいうと、この日のプログラムは私のもともとの企画ではなかったので、私には完全に絵が見えていなかった。
すべてビセンテ・フェリウの歌の力である。
正直、言葉通じないのに、しかもクラシック系の聴衆の前で、前半40分ギター一本だけというのは、私もやや不安がなかったといえば嘘になる。
が、さすがにヌエバ・トローバ四巨頭のひとりですねえ。いざとなると、大した存在感でしたよ。

で、途中から、アレハンドロ・バルデスの繊細なギターが、ほんとに良い感じで加わり、明朗なアウグスト、甘い声のラサロ、闊達なペペ・オルダースが加わっていく。ええコンビネーションやねえ。

そして、返ってきた拍手は、まさにヌエバ・トローバ本邦初公演成功と銘打つにふさわしいものだった。
(写真:アウグスト・ブランカ by 岡部好)


(8月3日 記)

というわけで、やってきたのが、陽気な5人の革命派キューバ男たちだったわけ。

ヌエバ・トローバ(新しいトローバ)といっても、60年代末から70年代初めに起こった運動である。
砂糖黍刈りのマチェーテ(山刀)とギターをもって独立戦争に行っていた男たちが始めたのがトローバであるから、機関銃とギターの革命の時代の若者(当時のね)が始めたのが、ヌエバ・トローバ。

いずれにしても、トローバと同じくヌエバ・トローバも時代の中で、自然発生的に生まれた。
なんとなくギターを取って歌い出す若者たちの動きが潮流となり、風の噂で互いを知り、旅人に家で作ったカセットを託し、仲間を増やしていった。
それがやがて、文化運動として国に認められ、補助を受けるようになっても、その本質は変わらない。

なんで「ヌエバ=new」なんてのをつけたのかといえば、「だから、そのときみんな若かったし、若い時ってバカだから、いずれ自分が年を取るなんて考えてなかったんだよ」(シルビオ・ロドリゲス)。
プロジェクトということで国の助成金をもらうのに、なんかそれらしい名前をつけなくちゃいけなかったので、ラム酒でぐでんぐでんになりながらみんなで苦しまぎれにつけたというのが実情らしい。

しかし、70年代初頭に青年だった人たちだから、いまや立派なおっさんである。
それが3人も揃うと、「ヌエバ・トローバ・ソシアル・クラブ」((c)ラサロ・ガルシア)みたいでもある。
かつては可愛かったアウグスト・ブランカは、風船みたいになっているし、セクシーな色男だったラサロ・ガルシアは完全に爺さんと化している。歳月はおそろしい。
(それをいうなら、このたび来日はしなかったが、あの頃はあんなに素敵だったあの人もだな.......いや、そういう私も、かつては元気なコムスメだったが、いまではおばさんに.......orz)

ただ、かなり若い頃からヘアスタイルに難があった(つまりお茶の水博士みたいな頭だった)ため、30代の頃、えらくおっさんくさくて、そのルックスのせいで、明らかに大分損をしていたビセンテ・フェリウ本人は、年を経て、きれいにスキンヘッドになっていたため、ちょいワルな風情さえ醸し出し、腹は出ているものの、60直前としては結構悪くなかったというのは、一部の人に希望を与えてくれたと思う。.....一部の人に限られるとは思うけど。

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古きトローバが恋の歌で、ヌエバ・トローバが政治的と、勝手に分類して誤解している人も少なくないが、古いトローバにだって政治の歌はかなりあるし(たとえば初期の労働組合闘争の歌とか)、ヌエバ・トローバだって8割以上が愛の歌だ。政治の歌にしても、べつに革命賛美ばかりしているわけでもない。ソ連製のテレビもベルリンの壁崩壊も、もっときわどいことも平気でネタにされてしまう。
要するに、彼らは、社会に起こっていることや自分の感じたことを、言の葉とギターを操って歌う吟遊詩人(トロバドール)だからだ。

キューバ音楽の中で、ソンが踊り系、トローバは叙情的な音楽としての別の系譜、と思っている人もいるが、それも誤解。
ソンもトローバに含まれる。ただ、ギター一本だと叙情的にならざるをえないだけ。同じ曲でも多人数で演奏して、派手に編曲したら踊れるようになるというだけ。
........というあたりは、HAVATAMPAのライブを聴いたことのある方ならおわかりかもしれないが。

で、そのトロバドールが4人いると、すごいことになる。
始終歌っている(しかも一人が歌い出すと、皆即興でハモり出す......某観光地で雨が降り出したとき、「雨に唄えば」を歌って踊り出したときは、さすがに八木も引いた)のは当たり前として、とにかく好奇心とテンションが高い。
革命派キューバ人であるため「田舎もん」とみられることを恥ずかしいと思うどころか売りにしていたりするから、自分の失敗談を語って、笑いを取るのも大好きときている。
珍妙な英語でホテルのフロントのお兄さんをひくひくさせるのは、ほぼ毎日だし、ウォシュレットがどういう仕組みか確かめようとして、顔面シャワーを浴びるのなんぞ、もう着いた当日すぐの出来事であった。(写真:ビセンテ・フェリウ by 岡部好)


(8月2日 記)

さて、7月は悪夢のように忙しく、ほとんど日記が書けなかったのは、何を隠そう、キューバ人たちのせいだった。

東京の夏音楽祭という音楽祭の企画に協力することになったのが、今年の春なのだけれど、まだ日本に紹介されていなくて、なおかつキューバを代表するにふさわしい....という書けば簡単だけど、実はぜんぜん簡単ではないお題を出されて、ちょっと頭をひねる。

日本に紹介されていない美しい音楽といえば、やっぱりトローバでしょうねえ。
ただ、日本というトローバという概念がまったく知られていない国に、これを紹介するにあたって、どうしたらよいものか。
で、スケジュール的に可能で、音楽性が高くて、重鎮で、なおかつ性格が良い(これ重要)ビセンテ・フェリウに話をし、さらに、同じくヌエバ・トローバの創始者組で、ビセンテとはスタイルが違っていて、それでもなんか相性の良さそうな(単なる八木の思いつき)ラサロ・ガルシアとアウグスト・ブランカに声をかけてみたわけ。
3人でのコンサート。それもヌエバ・トローバだけではなくて、古いトローバから始めて、「トローバという世界」がわかるようなもの。

ふつうにキューバ歌曲のコーラスをやるんなら、コーラスグループを呼べば簡単で綺麗なものができるんだけれど、それじゃつまらない。歌です。トローバです。

トローバはジャンルではなく、いわゆるシンガーソングライターの歌でもない。キューバというものを消しがたく根っこに持つ「死ぬまで」吟遊詩人たちの作る世界なのだということをわかってもらうためのライブです。

「それは面白そうだねえ。僕らには常識でも、外国人はたいてい知らないし、キューバ人ですら最近の若い子でわかってない子がいるからねえ」とさすがにビセンテ、意図を理解して、すぐ乗ってくれる。

あとでわかったのだけど、3人一緒にやるのはこれが始めてではなくて、ただし、前回3人が一緒にコンサートをした1980年のボリビアでは、クーデター未遂事件騒ぎに巻き込まれて、彼らは逮捕投獄を経験したとか。

で、3人の他に、ヌエバ・トローバ第二世代のトロバドールでもあるペペ・オルダスも加えての編成はすぐ決まったのだけど、ペペはなんと、1990年に私がチリに行ってライブやったときに、一緒に右翼の襲撃にあって銃撃されたやつであった.....というあたりが、軟派に見えながらも政治とは縁の深いヌエバ・トローバ陣営らしいところ。(笑)

これに加えてピアノとベースが入るはずだったのですが、来日直前になってピアニストが腱鞘炎で来日不可に。まだ査証がぎりぎり間に合いそうだというので代役になったのが、アレハンドロ・バルデス。

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こんなギリギリで代役なんて大丈夫ですか、というフェスティバル側の懸念の声に、とりあえず、Googleで検索してみる(笑)と、この代役のアレハンドロの名前が一番たくさん検索結果に出てくるではないか。
なんと彼、2001年のラテン・グラミーアルバムに参加していたのでした。
グラミー賞とってるやつが代役???
と思ったが、そこが、キューバなんだなあ、また。

「だって、グラミー賞なんて取ったって、キューバじゃそんなの誰も知らないよ」(後に本人談)
まあ、知らないってことはないと思うんだけどさ。

この彼のギター、ほんとに素晴らしいかったですね。
天才的な人というのは、学ぶまでもなく、とても自然に楽器なり道具なりを手にして、鍛えられた体の延長のように完璧に無駄のない動きで扱うものですが、アレハンドロのギターはまさにそういう音です。あれ、すべて独学なのだそうで。(だから妙なギターの持ち方してましたが)
超絶技巧を売りにするプレイヤーは数多いですが、あの空気を呼吸するような自然さは彼独特の響きとしか言えません。
(写真: アレハンドロ・バルデス by 岡部好)


(7月16日 記)

台風一過というところで。
この台風、マンニィ(MAN-YI)という名前が付いていたようですね。香港の海峡の名前だそうです。
そういえば、最近、日本では台風を番号でだけ呼んで、「名前」で呼ぶってことをしなくなりました。なんででしょうね。
といいつつ、去年の台風14号は、ヤギという名前でした。それはそれで「ヤギ、猛威をふるう」「ヤギのため、死者何人」とかニュースでいわれたら嫌だったと思うけど。

ojosmalignos.jpg

さて、しばらく前から、ネット上で、チェーンメール化しているネタで、「宇宙の神の目」というのがあります。
NASAのハッブル天文台の撮影だそうで、確かに、神の目...にみえる。
というか、よくある、どこぞに浮かび上がったキリストの顔とかマリア像というより、よほどそれらしい。
ただ、チェーンメールにある、3000年に一度の現象だとか、願い事が叶うというのは、まあ、ちょっとアレですが。

写真の出典はたぶんこちら。このギャラリーはちょっと見る価値があります。
http://hubblesite.org/gallery/album/nebula_collection/+1

神の存在はともかく、宇宙は素晴らしい。


(7月12日 記)

黒い女神....といっても、メキシコの話じゃなくて。

ギリシア神話に出てくる知恵の女神アテネの肌が黒かったのではないかという仮説である。
といっても、トンデモ系の話でなくて、いま欧米の古代ギリシア史関連の学会で大論争を起こしているテーマとなっている。
ロンドン出身でアメリカの大学で教鞭をとっていたマーティン・バナールが、歴史学・社会学的見地から古代ギリシア史を再構築し、私たちの考えていた古代ギリシア世界が、19世紀近代ヨーロッパのヨーロッパ中心主義による「捏造」であると看破したもの。
事実、19世紀以前の文献(古代ギリシアのヘロドトスから中世〜ルネサンス期を通じて)では、エジプトとフェニキアが古代ギリシアの母であると当然のように語られている。
すなわち、ギリシアはエジプトの植民地としてエジプト文化の薫陶を受けることによってはじまり、ギリシア神話の神々もエジプトの神々にその起源を持ち、ギリシア神話でおなじみの「登場人物たち」....つまり私たちがなんとなく白人だと思っている英雄たちもまた、神話を丹念に読んでいくと、フェニキア出身であったり、エジプトから来た人たちだったりするということだ。

blackathena.jpg

それが、帝国主義の時代の中で、ヨーロッパ文明の母であるギリシア文化がアフリカの影響によって生み出されたということを否定したい人たちによって、巧妙に史実はすり替えられてきたと。
とても興味深い本である。

ブラック・アテナ 古代ギリシア文明のアフロ・アジア的ルーツ、マーティン・バナール、新評論

ただしちょっとお高いので、興味のある方は、図書館にリクエストするのが良いと思うよ。というか、図書館には備えておくべき一冊だと思う。
いわゆる学術書なので、さらっと読むには不適。ちなみに、この著書のガードナー、もともとの専門は中国史で、さらに母方の祖父は著名なエジプト学者。ということで、古代ギリシア語と古代エジプト語にも精通しているから、それもすごい。

話変わるが、古代ギリシアから年を経て、紀元前のエルサレム。
アラム語を話していたイエス・キリストも聖母マリアも、ともにセム系の民族であり、当然浅黒い肌をしていた。
現在のキリスト教会の聖画に出てくるような「白人」ではありえないことは考えてみれば明らかな話で、考古学者による復顔だとこの通り

この古代ギリシアの神々がエジプト文化の借用であったというバナール説も、日本人から見れば、(ましてやヘロドトスの文献などを丹念に説明されると)、わりと素直になるほどね、と頷ける話だが、それが、欧米でヒステリックなまでの論争になっていること自体が、白人優位主義というものの根深さともかかわってくるのだろう。

ちょっと話はずれるが、一時、話題になった(というか周期的に話題になる)トンデモ系のネタで、中南米の古代文明には宇宙人がかかわっているナンタラ系の説というのも、そもそもの根底は、「白人(インド=ヨーロッパ語族系)文化の影響を受けていないにもかかわらず、非常に高度な文化や文明を作り上げることができるという事実をあまり信じたくない」という感覚が抜きがたくあるのも、要チェック。

もっとも、日本文化だって、中国・高麗の薫陶を受けて育ってきたものだ。
飛鳥時代には中国や韓国の人々こそが文化をもたらす人々だったわけだが、いつの間にやらそれを否定しないまでも、矮小化したがる人たちがおり、それどころか、そういう恩義ある国々に対して、日本が戦時中にやった愚かな所行を「なかったことに」したいという人々が、アメリカで新聞広告まで挙げて国辱をサラしてくれたものだったが(見事に逆効果になりましたがね)、「信じたいものを信じる」というのは、真実を見つめる勇気のない人々の得意技なのだろうか。


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