八木啓代のひとりごと 2003年度

(12月8日 記)

 急に寒くなってきました。
 今年は暖秋だったので、東京あたりは、紅葉もないままに冬突入という感じです。

 考えてみれば、私にとっては、今年2回目の冬。なんたって、夏場に、冬のチリに行っているんだもの。
 だもんで、今年の冬はちっとはラクなんじゃないかなと思っていましたが、甘かったですね。やっぱり寒いものは寒い。
 しかし、チリで買ってきたお土産のマフラーやショール(お土産というだけではなく、チリ南部のあまりの寒さに、自分用に購入したものも含めて)がやっと役立つのは、ちとうれしかったりします。じつをいうと、チリから帰った日本は酷暑の真っ盛りだったので、アルパカのマフラーなんていう、超暑苦しそうなお土産をあげても誰も喜んでくれそうになかった(どころか、顰蹙を買いそうだった)ので、あえてとっておいて、今頃、家族などにあげて喜ばれています。

 そういえば、チジャンでポンチョを買っていたディレクター氏は、アレを今頃着ているのだろうか。エスニックな衣装を好む彼は、「いやぁ〜、冬物のエスニック衣料ってあんまり東京じゃ売ってないんで、ちょうどいいなあ」と、喜んで購入しておられましたが、チジャンでは妙に似合っていた(地元に溶け込んでいるともいう)「らくだ色」のアルパカのポンチョは、渋谷の街中では、かなり注目を引くグッズであろうことは間違いなさそうです。


(12月2日 記)

 このところ、妙な貰い物が続きました。
 ひとつは、渋柿。
「ひょっとすると甘いかもしれないから。渋かったら捨てて」と、近所のお爺さん。彼の家の庭には立派な柿の木があるのですが、95%ぐらいが渋柿なのだそうです。で、残りの5%が、甘柿ね。
 で、上の方をちょっとだけ削ってみると、これが、ぜんぶ渋。だいたい、私って、福引きでも赤玉を引くタイプだからなあ。
 でも、捨てるには惜しい、かなり大ぶりにして見目麗しい立派な柿だったので、渋抜きに挑戦することにしました。ほんとは焼酎でやるのですが、焼酎を切らしていたので、ラムの安いやつをヘタに塗って、冷蔵食品の宅配便の入っていた発泡スチロールの箱に、林檎一個と一緒に入れます。林檎は甘みを増す効果があるらしい。
 で、そのまま、一週間放置。
 想像以上にトロリと甘い熟し柿が完成。たまたま遊びに来てくれた知人2名も激賞。

 もうひとつは、近所の商店街のおばさんから「お願いだからもらって、まずいお米」。
 なんでも、田舎に住んでいるお婆さんが趣味で作っているお米を、お世辞で誉めたら大量に送ってくれたのだそうで。その米が、「とにかくまずい」「冷えたら最後、食べられたものじゃないのよ」

 そこまでボロクソに言ったら、お米が可哀想じゃんねえ。
 だいたい、タイ米をまずいという日本人は多いけれど、あれは、「タイ米がまずい」のじゃなくて、「タイ米という別種の穀物に、日本米の調理法が合わない」だけなのです。チャーハンやリゾットにすれば、あれほど美味しい米はない。
 まあ、この場合は、日本米には違いないので、炊き方の問題じゃないの?
 と言ったのが、運の尽き。そのおばさんに、(もらった半分らしい)10キロも持ち込まれてしまったわけ。

 で、試してみました。
 うん。これはたしかに不味かった。なんともいえず、ふっくら感に欠け、味わいがない。
 さすがにプロが作るものとは、明らかに違うという感じ。米に詳しい人によると、冷害や病害虫に強い米(つまり、誰にでも作りやすいお米)というのは、まずいのだそうで。
 しかし、10キロであります。これを延々と食べるのは、日本米であるだけ、正直きつい。というわけでまた工夫。
 たしか、大阪時代に親しくしていた寿司屋の親父も言っていたではないか。「飯の旨さは、ブランドじゃない。炊き方だよ」
(今の近所の洋食屋のシェフといい、非素材主義者が、わたしの周囲に多いのはなぜ?)

 ほんとは、土鍋で炊くのがいちばんおいしいし、それが駄目でも、ガス釜ならかなり米の味は変わります。
 ただ、主婦なら良いけれど、ご飯を炊く間そばについているのは、毎日となるときつい。さらに、うちはガス釜が使えない。噂では電気釜でも「圧力釜」というのは、相当違いがあるらしいけれど、いまある電気炊飯器を使えるのに買い換えるのも、ちょっともったいない。
 ということで、比較的安易なやり方をいろいろ試してみました。

 で、結論。もち米を少々ブレンドし、日本酒と備長炭を入れて炊く。
 別のお米になりました。ブランド米とは言わないけれど、「けっこうおいしい」程度のお米。
 誤ってまずいお米を買ってしまった人は、一度お試しください。もちろん、試さなくてすむ方がいいに決まっているんですけど。

 などと言いつつ、お米をくれた商店街のおばさんにもレシピを伝授。そしたら、「お婆さんがまた送ってきたの。これからいくらでも持って帰って!」

 そうなると、米代が助かるのは確かだけど、じつは私は、ここ数年、ずっと玄米7分づきを食べているのです。これを食べるようになってから、以前は、ビタミンBの錠剤が常備品だったのに、いまや、にきびや口内炎、肌荒れ知らず。せっかく、綺麗な肌を取り戻したのに、白米食にちょっと戻りたくはないなあ。


(11月27日 記)(12月5日 一部追記)

 中国の神舟5号が打ち上げ成功する一方で、日本はたかが人工衛星でまた失敗。
 もちろん、日本が世界に誇るべき技術は多くて、それらの多くは町工場の職人さんたちの水準の高さを示してはいるのだけれど、それとは別に、もっと大きなところで、日本の何かが崩れているような気がするのは、わたしだけだろうか。

 日本にいると気がつかないのだが、すでに、国外では、かつて日本が王座に君臨していた家電での覇権は崩れている。
 たとえば、20年前なら、メキシコ人は日本製の家電に憧れた。10年前には、高品質の日本製と価格の安い韓国製との間で迷った。
 いまは、韓国製の家電製品は、質の点でもデザインの点でも、日本と遜色ないか、むしろサービスなどの点で優れてさえいる。
 これであと10年たてば、メイド・イン・ジャパンのシェアはどうなるだろう。

 いつも気になっていたことだが、中国人・韓国人と日本人の決定的な違いが一つある。
 儒教文化が根付いているせいか、中国人や韓国人は、同胞を大事にする。とくに異国の地にいるときには。親戚でなくても、紹介がなくても、とりあえず、新参者は、チャイニーズタウンなりコリアンタウンを訊ねれば、とりあえず住むところや働くところを世話してもらえる。才能があれば、どんどん引いてもらえる。
 これは在日の人にもいえることで、在日の人は、なるべく在日の人に仕事を融通する傾向がある。在日の映画監督は、在日作家の作品を取り上げ、在日の俳優を使い、在日のカメラマンを使う。もちろん、才能は重要だが、同じ才能であるなら、必ず同胞を使う。あるいは、同胞を優遇する。
(これは、批判ではなくて、誉めているのである)

 そして、その逆をいくのが日本人である。
 日本人は、あとから外国に来る同胞を「自分の既得権益を脅かす存在」と見るか、あるいは、金蔓にすることしか考えていないという人たちが残念ながら、かなり存在する。外国事情に疎い同胞は、絶好のカモということだ。現地相場の何倍にもあたる手数料は当然だし、詐欺紛いの事例は多い。大使館の人間自体、それを認めているというのが現状だ。

 (と、これを書いてから、別件でもたもたしていたら、アップロードする直前の11月30日、大使館の人2名がイラクで殉職。だもんで載せるべきがどうか数日迷ったが、上記の件についても以下のことについても、事実は事実なので、やはり掲載する。
冷たいようだが、これだけイラクが泥沼化していて、なおかつ、日本政府がアメリカ追従外交をおおっぴらにおこなっているときに、イラクで自分たちがどのような立場にいるかを冷静に判断できるかどうかが、大使館なり外交官の重要な職務であり、情熱や根性論はまったく別の次元の問題である。それを混同するのは、おそろしい話である)

 そして、もっと言ってしまうと、日本の大使館とは、たぶん、世界でもっとも自国の国民の安全にも、国益にも興味を持たないところだ。
 実話だが、ある日本人男性と彼のメキシコ人妻と子供が、メキシコに妻の里帰り旅行に来て、帰りの飛行機に乗る少し前、メキシコシティで、交通事故に遭った。両親はかすり傷程度だったが、赤ん坊が大怪我を負い、手術のために、緊急輸血が必要になった。
 ところが、赤ん坊は、父親に似てA型だった。
 A型は日本ではもっとも多い血液型だが、メキシコでは少数派になる。
 病院で用意できたA型の血液では足りない恐れがあったので、医師は、両親の友人知人に当たって献血者を集めてくれと頼んだ。そこで、父親は、大使館に電話をかけたのだが、そのときの大使館の返事が凄かった。
「勤務時間外なので、月曜の朝にかけてください」
 金曜の午後5時数分過ぎだったという。
 たしかに、勤務時間外かもしれないが、まだ、大使館内には大勢の人が残っていたはずの時間である。しかも、赤ん坊の手術で緊急だと伝えているのにもかかわらずだ。
 電話口で食い下がる父親に、さらに、大使館のスタッフはこう言ったという。
「奥さんが、メキシコ人なんだから、そちらの方(のコネ)で捜したらいいでしょう」

 たしかに夫人はメキシコ人だが、彼女はメキシコの地方都市の出身で、彼らがメキシコシティにいたのは、まさに日本に帰るための飛行機に乗るためだった。だから、シティに知人などほとんどいない。(ましてや、夫はスペイン語はほとんど話せない)
 しかし、そこまで事情を説明したにもかかわらず、電話はあっさり切られてしまったという。

 結局、夫婦は泣きながら、病院の入口に立って献血を募った。見ず知らずのメキシコ人数人がこころよく応じてくれ、事情を聞いたそのうちの一人が、メキシコ滞在を延長せざるを得なくなった夫婦に、当座の住居まで提供してくれたという。
 おかげで赤ん坊は助かり、いまはすっかり大きくなった。

 しかし、忘れてはいけない。日本大使館というのはそういうところである。国会議員や皇族関係者が来たときに大騒ぎして、至れり尽くせりの接待をするためにあるところと思っておく方が賢明だ。
 明らかに誰が見ても売春婦であるような女性をあちこちに同伴して、現地で笑いものになっていた領事だっていたし、(そのことをやんわりと指摘された別の大使館員が、「あの人は優秀な方ですから、英雄色を好むのは仕方ありません」とまじめな顔で答えたことも、追加しておくべきだろうね。売春婦とつきあう外交官は、国家機密の漏洩に繋がりかねないのだから、まともな国なら、それだけで罷免ものなのだけど)

 こういう大使館を外交の手先に使い、世界各地に散らばる古顔の海外在住日本人は、新参者や日本の日本人をカモにする。
 そうでなければ、日本の企業社会の順列や地位の上下関係を海外に持ち出して、閉鎖的な社会を作っている。
 もちろん、例外的な人もまたたくさんいることは否定しないけれど、(友達としてつきあっている海外在住日本人も何人もいるし、『MARI』に出てくる「ヒライさん」みたいな人だってもちろんいる)、しかし、一般論としていうならば、日本人同士が助け合い護りあう代わりに、まるで、無視し足を引っ張り合っているようなのだ。
 そしてそのわりに、驚くほど自らの日本文化を知らない。
 中国で下品な踊りを踊って問題になった留学生の文化程度がそうだったように、まさにそれが日本の文化程度なのだ。

 で、話は戻る。ちょっとでも実情を知っていれば、これで、中国人や韓国人の進出に対抗できると誰が本気で思えるのだろう。
 仮想敵国を作って盛り上がったり、富国強兵の時代に植え付けられた選民思想や、なんの根拠もない大陸の人々への優越意識、自分に都合のいいことだけを信じ、都合の悪いことは無視するという論法で、韓国や中国を蔑視する人たちが、いまでも日本に多いのは事実で、そういう人物をまた政治家として選ばれてしまうのが、日本という国だが、その是非を論じるのはここではやめよう。
 そういう問題ではなく、国際社会の荒波の中で、自らの文化を愛することすらしないで、互いに足を引っ張り合う民族と、自国の文化を愛し、互いに助け合う民族、そのどちらが生き残れるのか。
 「笑えなくなる時代」は、もうそこまで来ているかもしれないことに、気づかないふりをしていられるのは、あと、どれぐらいなのだろうか。
 そして、滑稽なことに、保守的で右翼的な発言をする人ほど、メキシコに半分住んで、スペイン語で歌う「外国かぶれ」の八木啓代などより、はるかに、日本文化(といっても、「開き直った幼児化文化」の方ではなく、伝統的な音楽や美術や建築などについてだ)についてのろくな知識を持っていないし、同胞を大事にさえしないというのが、日本の本当の情けなさだったりするのだ。 


 (11月16日 記)

 色を塗る話題、さらに。
 しばらく前に、日本で、メキシコの建築家ルイス・バラガンが話題になったが、彼の作品に限らず、メキシコ人は色彩感覚が豊かだ。
 で、家も、日本と違って、壁をペンキで好きな色にすぐ塗り替えちゃったりするのだが、どうも、わたしのメキシコの家も、いま、お色直しされているらしい。

 じつは、わたしのコヨアカンの家は、目下、メキシコに数年契約で引っ越してきているフォルクローレ・バンド『イリャプ』のリーダー夫妻が仮住まいしているのだが、あの毎日のリハーサルで練り上げる超綿密なコーラスの編曲でもわかるように、超几帳面な彼らの趣味が、「住宅リフォーム」だったりするのだ。要するに、ボロい家を買って、自分で塗り直して綺麗にしてしまうのである。
 しかも、彼らは、メキシコに亡命していたときにも、転んでもタダでは起きず、きっちりメキシコの民俗音楽も勉強して、サウンドに取り入れていたぐらいである。彼らの趣味である「住宅リフォーム」にも、メキシコ的アートセンスを取り入れてしまったのである。
 だもんで、彼らの本拠地であるチリのサンティアゴでも、フリーダ・カーロの家もかくやといわんばかりに、お屋敷を見事なブルーに塗ってしまっている(これは、メキシコだとそうでもないが、サンティアゴだと異常に目立つ建物となっている)。
 で、エージェントとの契約で、一時的にメキシコに越してきた彼らは、正式に引っ越し先のアパートもしくは家を見つけるまでということで、わたしのコヨアカンの留守宅にいるわけだが、まず、頼んだわけでもないのに、大掃除をしてくれたらしい。(ちと恥ずかし)
 で、次に、壁を白く塗り、窓枠を青く(?)塗り直したらしい。(なんでも塗り直しの必要のある壁を見ると、イライラするのだそうだ)
 色あせかけていた玄関扉も塗り直して、民芸風のきれいな陶器のプレートをはめ込んだらしい。
 で、次は、バスルームだと、メールには書いてある。
 いうまでもなく、彼らは、大スターだったりする。こないだも国立オーディトリアムで1万人も集めて、コンサートやったところなんである。それにしちゃあ、実益性の高い趣味だなあ。
 でも、なんか私って、友達に恵まれて、すごいトクしてないか?
 と思うが、メキシカンアートに凝りすぎて、ひょっとしてトイレの壁に骸骨の絵とか書いてあったら、ちょっとイヤかも。


(11月14日 記)

 さて、ここのところ、お菓子を頻繁に作っていると(書き仕事の合間の気分転換にちょうどいいのだ。おやつにもなるし)、さすがにちょっと飽きてくる。で、近所の人にあげたりしていたら、商店街のひとに「これは売り物になる。真面目に作って売らないか」というオファーを受けてしまった。
 一瞬、それは趣味を実益を兼ねてるかも、と思ってしまったが、よく考えたら、家庭用の天板一枚しか入らないオーブンで数十個とか焼こうと思うと、すごい時間と手間がかかるのよね。主婦のアルバイトというならともかく、わたしには向かないよな。
 と思いつつ、今日作った、抹茶小豆マフィン。上品な味でございました。
(しまいに太るぞ)

 さて、秋になってきたので、化粧話題。
 食品添加物を気にしてはいても、口紅のついた口でモノを食べてたらなあ、と自分では思うのだけれど、化粧にはそれなりの効用があるのは確かです。なんでも、ボケたおばあさんでも、お化粧をしてあげると反応する。それを繰り返していると、ボケのすすみが遅れるらしい。
 かくも「見られている」ことを意識することは、社会的生物としての人間にとって重要なことであるらしい。
 逆に、学生時代「かわいこちゃん」で男の子にも人気のあったような友達が、結婚して専業主婦になって、子供ができて、毎日、幼児だけを相手に、家でトレーナー上下で過ごすようになっちゃっうと、いきなりオバサンくさくなっちゃって、たまの同窓会で出会ったとき、愕然とするってことありませんか?
 となると、最近、路上でも、「見られていること」を意識しないで、べたっと座っている若い子たちは、25歳ぐらいを過ぎると、一気にオバハン化するのではないかしら.....いや、オバハン化ならまだ良いけれど、ゴリラ化はイヤだなあ。

 と、いう話題はさておいて。化粧の話です。
 以前、ある美人の知り合いに、「若い頃(そのころはわたしも若かった)に、いい加減なコトしていると、あとで泣くわよ」といわれたことがあって、そのときは、「ふうん、そうかい」としか思っていなかったけれど、そのしばらくあと、その方が、わたしが判然と考えていたよりも、一回り以上年齢が上だったと知って、驚いたことがありました。
 やはり手入れはバカにできない。
 で、中南米歩き回って、手入れなど考えてもいなかったわたしも、それ以後、かなり心を入れ替えたのでした。
 ボロは着てても心は錦という考え方はあるし、ほんものの美人はどんな恰好でも美しいのかもしれないけれど、やはり、ちょっとした心がけと工夫で、若さと美しさが保てればいいですものね。

 ただ、面倒な手入れは、けっきょく長続きしないし、高額な手入れもお金が続かない(爆)ので、わたしがやっているのは簡単なことばかりです。
 まず、自分の肌にあった化粧品を決めること。
 基礎化粧品って、どれも同じような感じがして、つい惰性とか瓶やパッケージのデザインなどで選んでしまいますが、かなり違います。最近は、けっこうサンプルなどがもらえるので、試してみるのがいいみたい。わたしは、基礎化粧品は、無香料のシンプルなものを使っています。
 日焼けどめは、大台を越えてからは、必需品(爆)。シミやソバカスや日焼けあとがすぐにとれないんだもん。今年の2月のメキシコで、たまたまティオティワカン遺跡に行ったときにうっかりしていたら、たった半日で鼻の頭が赤くなってしまって、日本に帰ってから、半年苦労しましたがな(大爆)。いまは、医薬部外品のを使っています。

 で、(ここからが本題)。
 お化粧を、わたしがわりと短時間で決めている方法です。もちろん、体質や皮膚の状態の個人差は大きいので、参考になりそうなところだけ参考にしてくださいね。
 まず、夏場は、汗をかいて崩れやすいので、わたしは、日焼け止め効果のある固形ファンデーションを使います。朝に塗った日焼け止めが汗で落ちてきても、外出時に、鼻の頭を固形ファンデーションでおさえることもできるしね。皮膚の色より、少しだけ濃い色(つまり冬のファンデーションより少しだけ濃い色)を使うのが、夏場は自然でいいようです。
 シミとかソバカスにはコンシーラーを塗りますが、肌に直接つけるのではなく、化粧用のゴムスポンジ(コンパクトについてくるやつではなくて、できれば別売りの四角いのを買いましょう。安いものだから)にコンシーラーを塗って、押し叩くようにつけるのがコツです。自然について、浮きません。
 日焼けで赤くなってしまった鼻の頭(笑)をごまかすには、ファンデーションを塗る前に、下地ファンデを塗るしかないのですが、これは肌の元の色によって黄色かグリーンか青。人によって(というか、もとの肌の色合いによって)違うようです。わたしは最初、黄色を勧められて試してみたら、ハズレ。けっきょく、ブルーが落ち着きました。
 そして、冬になると、リキッド・ファンデーションです。これがむらなく、自然に仕上がります。化粧用スポンジに出して、軽く叩くように要所要所につけてからかるく広げます。そして、パウダーをはたきます。乾性肌の人でもしっとりとした感じになります。

 簡単で重要なのは、アイライナーとリップライナー。輪郭がはっきりしているだけで、顔が生き生きします。舞台用やパーティー用には、リキッドのアイライナーをくっきり使いますが、普段はペンシル型のアイライナーを軽く入れます。普段用のわたしの好みは、目の上は黒、目の下は白のアイライナー。薄化粧で、目が生き生きします。
 そして、リップライナー。できれば、赤系とブラウン系を2色そろえます。大した技術がなくても、簡単に唇の形を整えられ、化粧崩れを防ぐ効果も高いのです。
 で、あとは口紅で塗りつぶすだけですが、ここで、あると超便利なのが、「白」の口紅。そう、一時、ヤマンバルックの女子高校生が必須にしていた「妙な」アイテムです。
 なにに使うのかと言いますと、「混ぜる」のです。
 ほら、かならずあるでしょう。もらいものの好みに合わない口紅とか、そのときはほしくて自分で買ったのだけど、実際に使ってみると似合わないなと思った口紅。
 こういった口紅をふつうに塗ってみたあと、上から、白の口紅を紅筆で重ねます。
 あら不思議。色がすごく穏やかになります。しかも、いま流行のグロス系口紅のようなつやが出ます。しかも、グロスほど脂っこい感じになりません。(あれ、下手に使うと、天ぷら食べたてみたいになるのよね)
 これ、とくに夏場は、お薦めのテクニックです。暑苦しい色の口紅も、つややかで涼しげな感じになります。もらったのはいいが、これ、サルサ歌手でもあるまいし(笑)、日本でどうやって使えって言うんじゃ、というような、真っ赤とかショッキングピンクの口紅(親戚のオジサンとかが海外旅行のお土産でくれたりするんだ)が、見事に生き返ります。
 唇全体に塗るのではなく、唇の中央部分だけに白を乗せると、ふっくらした立体感を出すこともできます。騙されたと思って、やってみてください。
 好みはありますが、グレー系とか黒系の服を着るときに、このやり方で作ったピンクまたは赤+白の口紅という組み合わせは、秋口から冬にかけて、とても上品でオシャレです。
 もちろん、口紅は、どの色でも混ぜたり重ねることはできるので、いろいろ、着る服などに合わせて、試してみてください。
 わたしは、自分に似合う色はこの色、とは決めずに、服によって、ワイン系の服の時はワイン系の化粧。オレンジ系の場合はオレンジ系、というふうに合わせています。
 限りなくナチュラルにしたいときも、目尻だけでもアイライナーを入れ、唇の色に近いベージュ系ピンクのリップライナーで唇の輪郭をしっかりとって、薄い色のマットな口紅かリップクリームを塗っておくだけで、きりっとした感じになります。とくに30代後半になると、そのあたりで手を抜くと、人によっては、ほんとにおばさんくさくなるので、ご注意。 

 アイシャドーは好みです。が、やるなら、化粧品添付のチップを使わないで、細めでやわらかめの化粧筆で、まぶたにぼかすと、自然且つ上品に仕上がります。最近老けてきたような気のする人は、その上で、目尻に、すこしつり目気味にチップで少しいれると、顔だちがくっきりします。
 写真などを撮られるのがわかっているときは、かるくノーズシャドウを入れても良いですね。これも、チップで絶対やらないように(チンドン屋になります)。やわらかい筆でかるく入れます。
 薄いベージュか白のパウダーやシャドウなどをお持ちなら、額と鼻のTゾーンに、軽くハイライトを、これも柔らかい筆でさっといれると、すごく立体感のある顔になります。
 それから、睫毛の薄い人は、マスカラ。これの裏技は、マスカラが固まってきてダマになってきたら、化粧水を一滴入れることです。で、しばらく置いておくと、あら不思議。マスカラがさらさらになってつけやすくなります。しかも、寿命もかなり延びます。

 さあ。これでお気づきでしょう、男性陣。
 世の男性がよく勘違いしていることなのですが、「一見、あまりお化粧していないみたいな女性」ほど、じつは丁重に化粧しているなんてのは、よくあるのです。

 さて、ここで、男性女性コドモ共通の、裏技もひとつ。
 頭とか身体をばきんとぶつけて、青痣ができることがありますよね。これ、服で隠れて見えない場所ならいいですが、そうでないと、格好悪い。コブなんかできちゃうと最悪。
 こういうとき、なるべくはやく、卵の白身を塗ります。コブを防ぎ、青痣もかなり防げます。コドモのいるご家庭には必須の知識です。
 卵の白身がその場で簡単に手に入らないときは、砂糖水をコットンに染みこませてあてます。腫れが引きます。この砂糖水パックは、寝不足などで瞼が腫れたときの応急処置にもなります。
 それ、キューバ人の知恵でしょ....なんて思っているあなた、ほんとだってば。


(11月10日 記)

 日本人サル化の話をしていたら、昨日、反省ザルの次郎くんが亡くなったそうで。 ううむ。サルの次郎くんの方が、大半の日本人より「まっとう」な気がしてきました。少なくとも、たとえポーズだけでも、反省することを知っているという点で。


(11月6日 記)

 中国で、反日デモ。
 こんどは、馬鹿な留学生が、文化祭で卑猥な踊りを踊ったことが発端だそうだ。
 で、「たしかに下品だが、日本なら大学のコンパや学祭でやっているようなことで、中国は、感覚が日本と違うので問題になった」という解釈が主流なようだ。
 たしか、少し前の、売春パーティー問題での反日デモの時も、「日本の法律では(買った方は)違法ではない」とか「売春も相手の国にお金を落としているから、ODA」などと抜かした、救いがたい大馬鹿なやつ(残念なことに、この人物は、わたしの高校の後輩らしい)がいたが、そういう問題ではないということさえわからないというのが、バカというより、情けない。
 おまえら、法律的にやっていいかとかそういう問題ではなく、「人間として、恥ずかしい」とは思わないのか。

 と、書いていたら、11月3日、文化の日。
 この日、なにか、「文化的な」番組を見た人いますか?
 そうです。一番の目玉番組が、「IQテスト」。
 これがまた、空前の視聴率だったらしい。

 で、気がついた。

 要するに、いまの日本人にとっては、文化というのは、伝統的な能や狂言や歌舞伎や邦楽や茶の湯や華道ではなく、もちろん、シェイクスピアでも夏目漱石でもなければ、クラシックでもジャズでもなく、タルコフスキーでも黒沢でもなく、バラエティー番組とIQテストが「文化の日」にふさわしいものなのである。

 中でなにを行うか、中に何を入れるかではなく、ただ維持費だけでも莫大にかかるような巨大な箱を作って、けっきょく、カラオケ大会や「ジブリ展」をやっているのが、国民が選んだ選挙によって地位を得た政治家たちの「文化政策」なのである。

 「何でも鑑定団」の大ブレイク以来、一部の出演鑑定家の、注意深いコメントはあるにしても、実際には絵画やアンティークの「値うち」が、何万円という値段でだけ評価されるようになり、さらには、いま再現することは不可能な江戸時代の職人の名人芸的な細工物よりも、レアもののプラスチックの玩具の方が、「熱狂的なコレクターが多いから」という市場原理のゆえに、「はるかに値段が高い=価値がある」という現実が、日本人につきつけられ、また、それに対して、それをなんの疑問もなく受けいれているのと、結局は同じコトなのではないのか、と。
 そう。世界にひとつしかない職人芸的な工芸やアート作品よりも、型入れで作られて安っぽく耐久性も低いゆえに大半は捨てられ、その結果、残存数が少ない=レアなプラスチックの玩具の方を、本気で欲しがる=高い価値と見なす人の方が、いまの日本には圧倒的に多いということだ。

 いま一番「売れている」現代美術アーティスト村上隆のもっとも代表的な作品は、アニメのフィギュアで、それを彼自身「日本人の恥ずかしい幼児化を象徴したものとしての作品」と語っている。
 わたしは村上隆の作品を必ずしも支持しないが、彼の現代美術家としての感性は凄いという点については、全面的に認める。たしかに、これは(かなしいほどに)おそろしく的を得た発言であり、表現だ。

 で、話は戻る。
 もしも、同じことをフランス人やアメリカ人やメキシコ人がやったとしても、やはり中国で抗議行動は起こるだろうが、それ以上に、その留学生の出身国で「国の恥」だとして、彼らに対しての、大きな批判がわき起こることだろう。
 しかし、日本でそういう批判があまり起こらないのは、たんに、話の論点を常にすり替える、アジア蔑視思想の強い人間が幅を利かせているというだけではないのかもしれない。
 外国で、自分の国の文化を紹介してみろ、といわれたときに考えつくことが、ブラジャーや紙コップで下品な踊りを踊るという知性の退化と幼児性こそが、まさに、いまの日本の「恥ずかしい」若者文化の象徴なのかもしれない、と、気がついたのだ。

 最近の日本人はサル化しているとおっしゃったのは、京都大霊長類研究室の先生だった。
 なんでも、いま会っていたばかりなのに、姿が見えなくなると、ケータイで電話する。メールする。その内容も、伝えたい中身があるわけではなく、ただ、合図として声を出しているだけのようなもの。それが、サルの群のコミュニケーションと似ているのだそうだ。
 たしかに、もはやこれは、幼児化を通り越して、サル化といえるかもしれない。

 その結果、文化の日に気にすることが、IQということだとしたら、皮肉な話だとおもわざるをえない。いや、もっとも、的を得ているというべきだろうか。


(10月27日 記)

 すでにBBSで話題になっていますが、いま、扉絵が『死者の日』バージョンになっています。
 米国のハロウィーンは、ケルトの祭りに起源があるとされているキリスト教の祭りで、ここ数年、日本でも、カボチャのかぶり物が知られるようになってきていますが、メキシコの死者の日は、明らかにマヤやアステカの祭りに起源があるものとなっています。

 死はけっして恐ろしいものでも呪わしいものではなく、生の延長。というより、より良き別の世界へのいざない。
 生け贄はおそろしいものではなく、太陽に捧げる血の儀式を繰り返す彼らを見て、スペイン人は邪教と判断したのだけれど、そこには、たしかに根本的に違う価値観が存在していたのは確か。
 だからこそ、その古代の神々を封じるために、スペイン人たちは、古代の神々の神殿を破壊し、その土台に、その石をもってキリスト教の教会を建てた。

 それが、かつては古代アステカの宗教都市であったメキシコシティに、異常にまで教会が多い理由なのだけれど、この10月後半から11月はじめの「死者の日」は、まるで、古代の神々と古代の価値観が、封じられた石のその下から蘇ってくるような空気がメキシコには漂うのである。
 10年前には、死者の日の教会には、キンセンカの花が飾られ、薔薇の花びらが撒かれ、松脂の香が焚かれ、おびただしい蝋燭が並べられた間には、髑髏が飾られていたものだった。
 (これのどこがキリスト教やねん)

 さすがに、最近は教会ではやらないみたいだけど、墓地はもちろん、中央広場や街の小広場、公園、それに公共や半公共のスペースには、オフレンダと呼ばれる死者の日の飾りつけが、いまでも行われる。
 オレンジ色のキンセンカと紫色の乾燥花。お香。ひらひらした色とりどりの切り絵(パペル・ピカード)は、中国の切り絵がメキシコ化したもの。そして、髑髏のお人形やお菓子。たくさんの蝋燭。パン・デ・ムエルト(死者のパン)と呼ばれる砂糖をまぶしたさくさくの菓子パン。
 私の住むコヨアカンの広場などでは、ポソーレ(豆のシチュー)やタマル(トウモロコシ粉のチマキ)の屋台も建ち並び、この期間は、すっかりお祭り気分満載になれるのだ。チョコレート(ココア豆を石臼ですりつぶしてスパイスを利かせたメキシコ風で、ものすごく香り高い)やアトーレ(アーモンドの熱い飲み物)などのメキシコの伝統的な飲み物も売っている。
 カトリーナという立派な名前まである、羽根帽子で着飾ったエレガントな骸骨の貴婦人の扮装をした人たちも、街角に現れる。いまの扉絵の絵は、そのカトリーナの肖像で、メキシコ近代絵画の父とされる銅版画家ホセ・グァダルーペ・ポサーダの作品だ。

 もちろん、日本ではなんの馴染みもないのだけれど、ちょっとだけメキシコの雰囲気を味わってみてください。
 ハリウッドのステロタイプな「砂漠、サボテン、陽気」なメキシコではなく、むしろ、メキシコ人の本質に近い、そして、フリーダ・カーロやディエゴ・リベラが愛した、「ゴシック・ホラー的」魅力に満ちたメキシコを。


(10月25日 記)

 えー、あまりにも、ぼろくそに書きましたね。フリーダ。
 ただ、わたしはべつにサルマ・ハエックが嫌いというわけではありません。ミスキャストであるという点と、彼女にプロデューサーとしてのセンスがない(監督イエスマン過ぎ)というだけで。
 ひとつ彼女のよい点として評価したいのは、あれだけセックスシーンがあるにもかかわらず、ポルノ映画になっていないということ。なんというか、ハエックの出るベッドシーンはどれもいやらしくなくて、スポーツみたいな健全さなんである。そして、かわいいのは事実である。前にも書いたけど、ボディラインは完璧だし。
 で、そこが、じつに『フリーダ』っぽくないんだよね。生涯を肉体的苦痛で満たされた中で生きた人なんだもん。いかにもエクセサイズの女王って感じの健康的なフリーダって自己矛盾しているじゃん。
 もちろん、健康的イメージで売っていたトム・クルーズが、吸血鬼を演じて、大方の予想を裏切って成功した『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』の例もあるけれど、このときのトム・クルーズの役者根性は半端なものではなかったのだ。
 だから、彼女は、アクション映画とかに進出したら、良い面が出るのではないか。陰のある複雑な人格は、いくらなんでもね。

 もちろん、監督の問題も大きい。
 プロデューサーであるハエックがどうしても主役でなくてはならないなら、もっとメキシコ文化の呪術性をクローズアップして、ゴシックロマン的美しさを感じさせる演出にしていたら、ハエックの美しさを別の意味で際立たせ、ストーリーにも必然性と説得力を持たせることができたかもしれないのだ。
 なにより、最も重要な登場人物2人が画家なのだ。絵が重要なモチーフとして出てくる。それだけに、カメラワークに細心の注意を払え、構図の美しい、要するに絵画的センスの高い監督でないと話にならない。
 そこのとこ、かつてのポール・ルデュックはうまかったね。息を飲むほど美しいシーンの連続で。カメラワークから実在の絵画作品にうつる演出なんかに、ぜんぜんとってつけたような無理がない。ただ、彼が作ると、芸術を追求しすぎて難解になってしまうので、ハリウッドには向かないのは確か。
 わたしだったら、監督はポランスキーといきたい。せめてグレゴリー・ナビ。

 そして、重要な脇役であるディエゴ・リベラとトロツキーにこそ、あまたの女達が、フリーダ自身もが心を迷わせるような、「魅力的で個性的な」俳優をもってくる必要もある。
 リベラは、オリバー・プラット。(ルベン・ブラデスを太らせるという超裏技もある。ルベンならやるかもしれない)
 トロツキーは、個人的趣味でブライアン・コックス。
 せっかく、シケイロスにアントニオ・バンデラスを使うなら、彼の出番ももうちょっと掘り下げたらいいよね。シケイロスくんも、トロツキー暗殺を試みて、失敗・逃亡してるぐらい濃いキャラクターなんだからさ。
 音楽は、グスターボ・ロペス。ベラクルス音楽でもマリアッチでもなく、土俗的な香りが濃厚でありつつ、メロディが美しいオアハカの音楽(ソン・イストメーニョ)の『ラ・サンドゥンガ』などをモチーフにしたものがいいだろうね。
 これで、主演がジェニファー・ロペスだったら、ハリウッド製といっても、かなりいい映画になったと思うぞ。


(10月21日 記)

 ここのBBSでもちょっと話題になっていた映画『フリーダ』見てきました。
 メキシコの我が家の隣人、といっては失礼。近年世界的にブレイクしているメキシコの女流画家フリ−ダ・カーロを描いた伝記物で、ハリウッド制作。メキシコでは、ほとんどあらゆる新聞で、「今年のワースト映画」と叩きまくられた作品です。

 まあ、もともとメキシコは反米感情の強いところで、メキシコ人の愛してやまないフリーダが、ハリウッド娯楽映画というので、反感を買ったかな、と思っていたのですが、見てよくわかりました。
 「すべての」新聞が叩いたわけ。

 えー、わたしは、たぶん多くの方が思っているほど反米的ではないので、(アメリカ政府のいくつもの政策については明快に反対し、口を極めて非難しますが、アメリカ文化自体を嫌いというわけではないし、ジャズは好きだし)、べつに映画が、スペイン語じゃなくて英語なのが違和感があるなどとはまったく思いませんでした。
 このテーマでは、20年前に、フランス・メキシコ合作映画として作られたポール・ルデュック監督、オフェリア・メディーナ主演の名作『フリーダ』もあるのですが、ハリウッド作品を、あの芸術的香気の高い(けれど、なかなかに難解でもある)と作品と比べてどうこう言いたいとも思わなかったし。

 にもかかわらず、「メキシコすべての」新聞が叩いたわけが、わかったというのは、なんぼなんでも、中身がひどすぎるということ。
 脚本が最低。演出が下品。出演者が大根。......という、ものの見事に3拍子揃った映画なのでありました。

 なんといっても、主役サルマ・ハエックの下膨れ系の顔が、どうひいきめに見たって、オリジナルのフリーダ・カーロにぜんぜん似ていないというのはさておいても、彼女演じるフリーダは、苦難の画家というよりは風俗嬢にしか見えない。
 なにかというとおっぱいを丸出しにして、腰をくねらせて男を誘惑しているか、そうでなければ、ヒステリックにぎゃあぎゃあ泣きわめいているだけなんである。
 そういう意味では、フリーダ役のサルマ・ハエックのプロポーションは抜群である。とくにバストがすっごく大きくて形もきれい。エステサロンか美容外科の宣伝広告みたい。でも、用がなくても脱ぎたくってしょうがないというのはちょっと違うんじゃあ.....。
 で、メキシコの誇る国民的画家ディエゴ・リベラは、露出癖のある風俗嬢と結婚するような男にふさわしく、いかにも知能指数が低そうな、ミーハーで気の弱いデブのオッサンであり、世紀の思想家トロツキーまでも、ただのエロ爺なのである。
 で、その彼らが、知性や教養の片鱗もなく、ほとんど15分おきに誰それ見境なしにセックスしているという、それはもうすごいストーリーなのだ。
 しかも、ハエック演じる風俗嬢フリーダが、NHKの朝ドラのような演出上の意図も見えないまま、酒場でわけもなく歌い出す(ちなみにハエックは、がらがら声で音痴だった)のはともかく、足が悪いという根本的な設定を無視して、突然、意味もなく下手なダンスを踊りだしたり、あげくに元気にピラミッドに登ったりする論理を無視した展開は、まさか、八木の愛するB級お笑い映画『デスペラード』のパロディのつもり?
 しかも、そこに、チープなCGまでついてくるという完璧なおバカさである。

 そして音楽。メキシコといえば、マリアッチ。
 ......まんまである。(爆)
 それに、最近ヨーロッパとアメリカの一部でブレイクしている、老チャベーラ・バルガスをなんの脈絡もなく登場させて、彼女の18番ヒット曲の『ラ・ジョローナ』を歌わせれば、話題性プラス1。

 合間には、アメリカ・メキシコ混血で、まさにフリーダ・ブームに乗って、フリーダそっくりの派手な民族衣装を着たエキゾチシズムで、アメリカで売り出し中の新人歌手リラ・ダウンズ。
 この映画に出て、うまくすれば大ブレイクするかも、というマネージメントの思惑見え見えだったが、サルマ・ハエックがフリーダ役なのだから、リラ・ダウンズ本人がフリーダ衣装を着て出演できるわけもない。そうなると、歌よりエキゾチックなビジュアルで売っている彼女は、衣装なしだと必死で熱唱しているわりには地味。というか、こんなに下手だったのか。

 そら、メキシコ人、怒るわな。
 わたしの場合は、怒るというより、あほくさくて脱力。というか、苦笑。
 わたしはじつはバカ映画はバカ映画でけっこう好きなのだけど、これはバカ映画としてもはき違えているよな。
 フリーダは、恋愛遍歴華やかな女性であったのは事実である。その夫、リベラもかなりの女性好きであったことは知られている。
 しかしながら、脚本家にも監督にも、なにより、主演でプロデューサーのサルマ・ハエック自身に、彼らはただの馬鹿な色情狂カップルでなかったからこそ、歴史に残ったのだという根本的な理解が欠如しているのだ。

 恋愛は枝葉末節に過ぎない。
 彼らは本質的に、「描かずに入られない」アーティストで、身を抉るような作品を残し、同時に、あの時代の筋金入りの共産主義者として、ためらいなく理想を信じる生き方をした。だからこそ、あの二人は対等のカップルであり得たのだ。
 その凄さが、彼らの絵が好きか嫌いか、とか、彼らの思想に共感するかどうか、というものを超えた強烈なキャラクターとしてのカリスマ性を生んだのだし、あの時代のメキシコの絵画運動が燃え上がるようなパワーを見せたのではなかったか。

 その並はずれたパワーの一部分としての恋愛遍歴も嫉妬もそれなりにすごいが、フリーダがきゃぴきゃぴで可愛くて腰をくねらせて媚を売るから、変態親父のトロツキーがへらへらと鼻の下を伸ばすのではない。

 そのあたり、さすがにポール・ルデュックの描き方、大女優オフェリア・メディーナの演じ方は、素晴らしかった。
 ヨーロッパ的美人観では美しいとはいいがたいフリーダであるにもかかわらず、彼女の知性と内面的な魅力、そしてなにより、彼女の周囲に漂う、ゴシックロマン的とさえいえるメキシコの土俗的・呪術的な雰囲気が、魔術的な官能性を醸しだし、きわめて理知的な、というか、ヨーロッパ的知性の体現者であるトロツキーのヨーロッパ的倫理観をもぐらつかせるのだ。

 でも、この作品では、フリーダに対しても、メキシコに対しても、なんの愛情も知識もなく、ただ、ここ数年、世界的にフリーダ・カーロがブームだから、このネタで映画を作れば当たるだろう、という製作者サイドの彼らの軽薄さがそのまま出ている映画なのだから、メキシコ人の総すかんを食らうのも仕方がない。

 ちなみに、映画を作るうえでのエピソードとして感動的に語られている「ティオティワカン遺跡での撮影を、サルマ・ハエック自身が、大統領と交渉して....」というのも、メキシコ人には通用しない出鱈目であることは、一言。

 そもそも、とってつけたような観光名所遺跡のシーンなんて、映画の中ではなんの必然性もないというのは置いといても、ティオティワカン遺跡は、月曜日が定休だから、月曜日の撮影許可を取って撮影使用料を払えば、NHKでも、フジテレビでも撮影できるのである。
 で、サルマ・ハエックのパパは、富豪の極右系政党の代議士で、現大統領とも親しいお友達であるという、ただ、それだけの自慢話に過ぎない。

 おっと、こういうことは内緒にしておいて、わたしがコーディネーターを頼まれたときに、「大統領と交渉して、そりゃもうたいへんでした.....」と恩を着せた方がいいのかな.....?


(10月19日 記)

 このモノローグを見て、わたしが栗の皮むき器を買ったと知ったさる方から、なんと、丹波篠山の栗と、黒豆の枝豆をたくさん送っていただきました。
 さっそく、皮むき器『栗くり坊主II』で、一気に剥いて、栗ご飯。残りはアクを抜いてから小袋に分けて冷凍しておきます。

 枝豆はゆでる。
 これは、この間、教えてもらった超簡単な方法がありまして、さっそく実践です。
 レンジが使える耐熱性の容器(わたしは旭化成のジップロックコンテナーを使用)に水で洗った枝豆に適量の塩を軽くまぶして入れ、蓋をずらせて、電子レンジで100gあたり2分です。つまり、300gで6分。
 ほんまにこんなんでいいんかい、と思うぐらい楽ちんで、しかも、荒熱がとれたらそのままフタをしておけばいいので、鍋やザルを洗う必要もない。

 栗剥きと枝豆ゆでがあまりにもあっけなくできてしまったので、勢いあまって、アップルパイまで焼いてしまいましたぜ。
 林檎はたまたま、昨日見つけて6個300円の紅玉を3個。薄切りにして、鍋にバターひとかけとグラニュー糖50g、レモン汁少々、白ワイン少々を入れて火にかけます。林檎の水分が出てくるので、しばらく煮詰めて、汁気がなくなったら、シナモンとカルダモン、ほんとはカルヴァドスがあればいいのだけど、ないのでラム酒(ブランデーでもいいと思う)を少々加えます。

 シナモンとカルダモンはなくてもいいけど、あればあったで、家庭で簡単にチャイ(インド風ミルクティ)が作れるので便利ですよ。
 チャイは、ごく少量の水を鍋で湧かして、紅茶(景品でもらうような安いやつで充分)を入れてちょっと煮出し、それから牛乳、シナモンとカルダモンを加えて、葉が開いたら茶こしで濾します。
 生姜とかクローブをちょっと入れるともっと本格的です。クローブは、風邪を引いたときにも使います。
 それと、シナモンは、豚肉料理(ローストポークから焼きそばまで)を作るときにひとふりすると、おいしくなります。
 たくさん使うものではないかもしれないけれど、あると便利です。

 で、話戻って、林檎の甘煮。
 このまま食べてもじつはおいしいのだけど、このあいだ、処分品300円の捨て値で売りに出されていた18cmのパイ型に、冷凍のパイ生地(これも冷凍食品4割引とかのときに買っておくのよ)2枚を引き延ばして、林檎を詰め、もう一枚をリボンに切って上に乗せて、オーブン200度で30分。極上のアップルパイです。
 自分で言うのもなんだが、そのへんのケーキ屋には勝っているぞ。

 で、今夜は、写真家の岡部氏に、現代美術作家・平原辰夫氏をお招きして、宴会。枝豆に築地直送のまぐろのお刺身、鹿肉の叩きなどをつまみに、チリから持って帰ってきたマルベックの赤ワイン。締めは栗ご飯。甘党の方はデザートにアップルパイ。とても幸せ。


(10月13日 記)

ええ、先日の、NHK-BS2の『人生よ、ありがとう』いかがでしたか。
このモノローグにも、BBSでも、あまりわたし自身が盛り上げないので、ひょっとしてなにかトラブルでもあったのでは、と深読みされた方もじつはおられましたが、そういうことはありません。
たんに、わたしの性格の問題であります。
時間をかけて苦労したものほど、できあがった直後というのは、だいたい冷静に評価できないのが普通なのであります。
というか、最初のうちは、「あそこで、ああしとけばよかった」的なアラしか目につかないというのが本当ですね。
たとえばレコーディング作品だと、最後のマスタリングまでつき合って、自分でOKを出したくせに、CD盤になったのを聴いてみると、微妙な音程だとか微妙なリズムだとか、もうそういうのが気になって気になって気になって気になって、仕方がない。
 それがわかっているので、しばらく放っておいて(自分では「熟成させる」という)、聴いてみて、やっと「うむ、まあ許せる範囲だ。悪くはない」と思えるわけです。
 訊いてみると、アーティストにはそういう人が多いみたい。(もちろん、常に自分の作品が大好きな「俺は天才だ!」タイプの人もいるんだけどね)。
 だから、きっとマネージャーという仕事が必要なのですね。

 小説でも書き上がった直後はハイですが、編集者に渡して、見本刷りが校正のために帰ってくるときが辛い。全部書き直したくなるぐらい気に入らないときがあります。しかしそういうわけにもいかないので、なるべく見ないようにして最低2日、できれば1週間ぐらい置いて熟成させてから(笑)、校正にとりかかる。
 まあ、そういう性格の人間なので、しばらく熟成させないとコメントをしたってしょうがないと、まあそういうわけなのであります。

 で、番組の話。
 日本中の大半の人にとって、あまり興味があるとはいえない南米の、それも政治問題を扱って、そのうえ、キーになるのがほとんど知られていない曲、というのは、難度でいえばかなり高いものだと思います。
 しかも、その歌が、誰が聴いてもリフレインが耳につくような、いかにもわかりやすく「感動的」な曲ならともかく、これがまた、曲自体は、さらりとした、しかも、どちらかといえば単調なメロディです。
 歌うビオレータも、いわゆる美声タイプではないし、ましてや美女でもない。

 にもかかわらず、中南米スペイン語圏からもし一曲、代表曲を選ぶのであれば、なにが適当か。
 という問いをしたら、おそらくはナショナリズムの強い中南米人のこと。メキシコ人はメキシコの曲を選び、キューバ人はキューバの曲を、アルゼンチン人はアルゼンチンの曲を主張するのは当然として、それでいながら、多くの人が納得できる選択となり得たのが、この歌、『人生よ、ありがとう』だったわけです。
 それはおそらく、あの番組でもコメントされていたし、わたし自身、拙著『危険な歌』に書いたことだけれど、「もっとも個人的な歌が、もっとも普遍的となり得た」ということなのでしょう。
 ただ、これを伝えるのは難しい。
 しかも、政治がからむ。

 そのかなり難度の高いテーマに挑んだという点、そして、それなりのものを伝えることができたという点では、文句なく、評価に値すると思います。このテーマをこの時期に放映することに拘ったプロデューサー氏とディレクター氏には、心から敬意を表したい。

 しかし、問題があるとしたら、これは仕方のないことですが、時間が短いなか、情報が多かったので、「切らなくてはならない」インタビューが多かったこと。番組の時間的・内容的制約のために、やむを得なかったとはいえ、あえて切ってしまった部分に、わたし個人にとっては、興味深い部分が多かったのです。

 というか、白黒わかりやすくないものを、白黒わかりやすい形に整理して報道するというのがTVのやり方。でも、白黒わかりやすくないところに、実のところ、本当に濃密で面白い人間ドラマがあるというのが、真実でもあるのです。

 あと、主演のマリア・イネス・オチョアは、正直に言って、荷が重かったかなという感じです。観光気分の最初は、かわいくて無邪気なだけでも良かったんだけどね。
 むしろ、(当初の危惧とは裏腹に)淡々と感情を抑えて語る山口智子さんのナレーションが印象的でした。


(10月10日 記)

 道具にこだわらない方が、と言ってるはじから、合羽橋道具街に行ってきました。
 ちょうど60周年行事だそうで、お祭り気分。
 で、前から欲しかったお菓子の焼き型やら、料理グッズをいろいろ調達。
 やはり100円ショップで買ったへなへなしたものでは限界があるので(爆)

 で、本日買ってきた型で焼き菓子など焼きますと、お店で売っているのと遜色ない出来になるのであります。いままでだと、味だけは美味しい我が家のおやつ。今日からは、お使いものにもできるのさ。(はっきりいって、わたしの作るお菓子のいくつかは、下手な洋菓子店で売っているものより旨いんだぞ)

 あとのヒット商品は、鍋の柄に差し込むタイプの鍋つかみ。要するに、柄の部分も金属製なので、すぐに熱くなる鍋を、いままでだといちいち鍋つかみで持たなくてはならなかったのを、これからは柄に差し込んでおくだけというわけ。ただし、火には注意しなくてはいけないけどね。

 それから、栗の皮むき鋏。わたしは栗ご飯が大好きなのだけど、ご存じのように、栗は皮を剥くのが一苦労。下手をすると、半日近くつぶれてしまう。もちろん、皮を剥いた栗もスーパーなどで売ってはいるのだけど、味ははっきり違うのが悲しい。
 でも、これがあればもう大丈夫。今年はがんがん栗ご飯が食べられるというわけだ。(わくわく)


(10月1日 記)

 八百屋さんに買い物に出かけたら、近所の洋食店のシェフとばったり。
 で、なんで、近所の八百屋なのかというと、じつは、シェフが仕入れているのが同じ店なんである。

 そもそも、その洋食屋は、最初に入って以来、シェフの職人芸的技術の確かさに、常連となってしまった店なのだが、メインディッシュはもとより、なにげない付け合わせの野菜が、そりゃもう感動的に旨いのである。たとえば、人参のグラッセ。たとえば、じゃがいものフライ。
 で、ここで、「そりゃ、うちの素材は○○村直送の有機無農薬栽培の............」と蘊蓄でもたれてもらえると、「まあ、素材からして違うのだからね」と、わたしなどは心安らかに食せるわけだが、残念なことにそうではない。なんたって、仕入先が一緒なのだ。

 「最高の素材がなきゃいいものは作れない、なんてのは、才能のない料理人の逃げだね」と、体を壊して下町に引っ込むまでは、欧州を含め一流といわれる店で華やかに活躍していたこのシェフは、言いきっちまうのである。
 それは極論かとも思うけれど、実際、一山100円の人参とかじゃがいもで、なぜ、こんなに差が出るのかがわからない。やはりプロ、それも、筋金入りのプロである。ちょっと料理のうまいアマチュアなど、足下にひれ伏すしかないぐらいの違いなのだ。
 そして、常連の特権か、ときどき、メニューにない料理を出されることもあるのだけど、それだって、毎度、予約をしていっているわけではない。
 臨機応変に、「そういや、アレがあったな」と、冷蔵庫開けて即興で作っていただけるわけである。
 その点において、シェフの言葉に嘘はない。

 しかし、実際問題としては、たしかに、弘法も筆は選ぶべきです。
 安物の筆では、どうやったって出せない線はある。
 2万円の初心者用バイオリン弾いていては、どうやったって、限界がある。
 丹波篠山の松茸だの、パルマの生ハムだの、最高の素材でしか味わえない味というのはたしかに存在する。
 でも、たしかに、本当に才能や技術のある人は、素材や道具を選ばないというのも事実です。
 いや、選ばないというのは正確ではない。いい素材でなくても、最高の道具がなくても、それはそれで高水準のものを当たり前のように作る。新鮮な素材が手に入りにくい京都やパリや中国山西省で、乾物や複雑なソースなどの高度な料理技法が発達したように。 そんな技術者に、よい素材や道具が渡れば.......こわいものはないだろうな。

 一方で、下手なやつほど、素材だの道具だのにこだわりたがるという耳の痛い指摘があるのも確か。
 で、そういう人ほど、素材にこだわった挙げ句に、その素材をいじりすぎて駄目にしてしまうことが多いとも.....。
 これは食材に限らず、下手なプレイヤーが演奏した楽器は、いいものであればあるだけ、デリケートにできているので、奏者の悪い癖がつくなんてことがあるようですから、おそろしい。

 そういえば、90年代はじめの、超物資不足のキューバで、キューバ人たちが信じられないようなアイデアと熱意で、いろいろなことをやっていたのを思い出します。
 見学に行った日本の医者が呆れかえっていた30年前の古い機器を自前で改良して、世界最先端の検査をやっていた医療機関や、ご家庭で手に入るものの配合で手製の現像液を作って現像した写真をヨーロッパの作品展に出していた写真家、日本なら田舎の中学校のブラスバンドでも使っていないようなボコボコの楽器を使って、すごい演奏をしていたプレイヤーたち。
 素材がよくないと、たしかに限界はあるけれど、その限界というのは、私たちが思っているほど高いハードルではないのかもしれません。

 そういえば、わたしの悪友で、チャイコフスキー・コンクールで、史上初のダブル受賞を果たしたビクトル・ロドリゲスくんというキューバ人ピアニストがいるのですが、彼は、コンクール直前、なんと突き指するというアクシデントに見舞われてしまったとか。しかし、彼は、常日頃、キューバで超おんぼろの旧ソ連製ピアノ(鍵盤がどえらく重いのだそうだ)で練習していたので、コンクール会場のハンブルグ製スタインウェイの鍵盤の軽さに感激し、突き指の痛さも疲労もまったく感じなかったそうです。
(それって、大リーグ選手養成ギプスみたいな話だな.......でも、本人から聞いた実話です)

 いずれにしても、不況とはいえ豊かな日本で、最高の素材を、いじりすぎて駄目にすることはやめる努力をした方がいいみたいですね。
 丹波の松茸が食べたいという気持ちがないといえば嘘になるので、もしも手に入ったら、わたしのような凡人は、さっとあぶって.....(笑)


(9月16日 記)

 重いネタを書いたところで、話題にするのはちょっと気が引けないでもないのだけれど、しかし書くぞ。阪神が優勝して、わたしはうれしい。

 ほんまに阪神が好きやねん
 べつに熱狂的な阪神ファンというわけではないのだけど、隠れファンアイテムである、『サンカイスポーツ』や『瞬刊ポット』だって隠し持っていたりするのである。(爆)
 100枚限定の『ほんまに阪神が好きやねん』テレカも、バッジだってじつは持っていたりするのである。(大爆)
 それなのに、同時に野村嫌いであったわたしは、ここ数年、あえて、阪神を応援していなかったのであった。

 だから、今年の星野阪神の優勝はかなりうれしい。かなりうれしいが、誰や、今世紀最後の優勝とか抜かしとんのは!


 (9月11日 記)

また、9・11がやってきた。
この日付で大半の人が連想する米国での同時多発テロはわずか2年前のことだったが、その後、米国はそのわずか2年間で、2つの戦争を起こし、民主化の名のもとに数万人を殺戮した。
そして、民主化されたはずのアフガンもイラクも、泥沼が続いている。

そんななかで再びやってきた9・11。
あのテロは、日本以外の国では、「カミカゼ攻撃」と呼ばれ、なぜか、日本のマスコミだけが「自爆テロ」と呼ぶのはなぜだろう。
おおかたの日本人にとって、刺激が強すぎるという配慮なのだろう。
しかし、外国で自分たちがどう思われているのかというのは、重要なことではないのかな。
あれは、まさしく「カミカゼ」なのだ。
発端はまさしく太平洋戦争の日本帝国軍であり、それを日本赤軍がパレスチナに伝えた。もともとイスラームであるアラブに、自爆=自殺美化などという発想はないのである。
それが、中東に広まった。それが、現在の日本人の意図であろうとなかろうと、その事実から目を反らすべきではない。
あれが、「カミカゼ」なのだと理解すれば、日本人には、ある程度、アラブや中東で吹き荒れるテロリストの心情が、ほんの少し理解できるはずである。
理解して、味方してやれということではない。まず、相手を理解するということが重要だということだ。あの太平洋戦争で、アメリカという国の国力も知らず、鬼畜米英というかけ声だけで、愚かな戦争に突入し、挙げ句に、カミカゼなどという美辞麗句のもとで、多くの優秀な若者を失ったという経験を繰り返さないために。
広島と長崎に原爆が落とされたとき、米国が歓喜に沸き返り、アトミックボム・ルックが流行った。なぜ、米国人は、そんなに無神経に無邪気に喜ぶことができたのだろうか。
それは、ときのトルーマン政権が、原爆の本当の被害を隠したということもあるが、それ以前に、「カミカゼ」という狂気の攻撃を行う国をやっつけたという、まさに、アフガンやイラク攻撃に見られたのと同じ盛り上がりではなかったか。
そう。60年前の日本は、そういう国だったのだ。そのことから目を逸らせて、「なかったことにする」べきではない。

韓国でのユニバーシアードで、北朝鮮の美女軍団の女性たちが、歓迎のための金正日の写真入りの垂れ幕を「失礼だ」とはずして、涙ぐんでいるのが報道された。
さも、北朝鮮が異常であるかのように。
べつに北朝鮮の肩を持つ気はないが、しかし、60年前の日本だって、御真影に同じことをされたら、同じように反応する軍国少女はいっぱいいたのではないか。なんたって、火事で御真影が焼けたというだけの理由で、自殺した学校校長の話が美談とされた時代なのだ。

「敵は同じ人間ではない」「だから話をしても無駄」という論調は、伝統的な戦争遂行論者の言いぐさである。
文化が違えば価値観が違うのは、あたりまえだ。それは異常とみるべきだろうか。
戦前の日本は、いまの日本人から見れば、明らかに「異常な」文化であり体制だった。
想像してごらん。天皇の人間宣言聞いて、泣く人がいたんだよ。論理もへったくれもない話ではないか。
しかし、それが「異常な文化」だったからといって、原爆を落とすのは正しいことだろうか?
(もちろん、あの時代の日本軍が先に原爆を開発していたら、間違いなく使っただろうけどね)
だから、問題は難しい。ヒステリックに経済制裁と騒いだら、それは太平洋戦争の時代と同じ過ちを繰り返すことになるからだ。

けれど、愚かな人ほど、安易な解決を求めたがる。
そして、愚かな人ほど、「自分は正しい」「自分は優秀である」という優越感を持ちたがる。
そういう愚かな人が、安易な解決に飛びつきやすくするために、多くの場合、マスコミが使われる。敵は悪である。敵は異常である。敵は同じ人間ではない。
マスコミの影響力が増大した、20世紀終わりから、その傾向はさらに強まっている。なんたって、TVうつりの良い政治家が当選する時代なのだ。
そのマスコミが、繰り返し、大同小異の論調で報道したらどうなるのか。
その後に続く言葉は、「だから殺すのもやむを得ない」

石原都知事がテロ容認発言をしたからといって、新聞に批判的な記事が出ている。
しかし、問題は、テロを容認するかのような発言をしたことではなくて、自分と違う意見を持つ人間は死んでもかまわない、ということをおおっぴらに発言したということだ。
つまり、彼は民主主義を本質的に否定したのである。

最後に、この9・11について、ただひとつの良いニュースを。
30年前の9・11のチリのクーデターで、ビクトル・ハラをはじめ何人もの人が殺されたチリ・スタジアムが、明日を持って、その名称を変える。
2003年9月12日から、正式名称、ビクトル・ハラ・スタジアムに。
あの事件を風化させないために、チリの人々が運動した結果である。


(9月1日 記)

暑い日本でうだりつつ、近況をつれづれ。
今月(9月)22日発売の、『小説宝石』に、八木の短編小説が収録されます。いままでの八木の作品とはかなり違っているので、驚かれるかもしれません。なんと舞台は日本です。どうぞ、お楽しみに。

 ところで、知人がちょっと鬱っぽい様子だったので、連絡してみました。
 すでに医師に相談したというので、安心。
 外国では、精神科医のカウンセリングを受けるというのは、とても一般的なことなので、悪い印象はありません。かくいう私も受けたことがあるぐらいです。
 で、その中でも、鬱病というのは、なんというか、アーティストとかインテリ、いってみれば繊細で知的な人がかかる病とされているせいか、それなりのステイタスがあるようです。かっこいい病気という印象かな。(たしかに脳天気なバカはかかりそうにない)
 だもんで、おまえが鬱病になるわけないだろう、と思うようなおねーちゃんが、物憂げに「私、ここしばらく鬱病っぽいので、明日、心理学者のカウンセリングを受けるの」などと自慢げに話していたりする。
 あと、ずる休みの口実にもされてますね。「鬱病が出て起きられなかった」とか。嘘っぽいと思っても、鬱病って、自己申告的病ですから、同じずる休みでも風邪と違って、「ほーら、風邪なんかひいてないじゃないか」というわけにはいかない。
 ただ、日本だと、精神医療に関して偏見が強いせいか、いまだに印象悪いですよね。だもんで、がまんして、あるいは、自覚症状が強いのに認めたくなくて、医者に行かない人も多い。
 でも、もしあなたが、精神的なストレス(とてもいやな体験や人間関係のトラブル、あなたの肩にすべての重圧がかかっている責任の重い仕事)を感じていて、夜眠れなくて疲れやすいとか、仕事に集中できないとか、朝起きられないとか、通常の検査などで身体的に問題がないにもかかわらず、体調が悪いとかいう場合は、どうぞお気軽に、訪ねてみてくださいね、心療内科。


(8月24日 記)

 皆様、ライブにおいで頂きありがとうございました。
 ひさびさのHAVATAMPAライブ、しかも、スペシャル・ゲストにタイロン橋本氏というのもあって、満員御礼でありました。
 お帰りになった方もおられたようで、ごめんなさい。

 それにしても、日本初のサルサバンド『オルケスタ・デル・ソル』創立は、1978年、なんだから驚きますよね。まさに、ニューヨークでサルサが燃え上がっていた時代。
 HAVATAMPAのバンマス吉田憲司も、タイロン氏もその時代の人なのでありました。
 さらに言ってしまうと、レクオーナ・キューバン・ボーイズの創立が1945年で、東京キューバン・ボーイズが1949年って、これはもう笑ってしまうぐらい凄い。日本のラテンの歴史も捨てたものではないです。
 ただ、日本で「ラテン」というと、なんとなく、バカっぽいイメージがあるのはなぜ?
 やっぱり、脳天気にマラカス振っているという雰囲気がぬぐえないのでしょうか。でも、マラカスをちゃんと振るのって、じつはかなり難しいんですけどね。

 で、わたしも、チリから帰って、大忙しで新曲の練習。なごやかなクエカのリズムを頭から消して(せっかく踊れるようになったのにな)、ハイテンションなクラーベです。
 せっかく髪を切ったので、久々に着ましたぜ、深いスリットの入ったスパンコールと金ビーズ付き、黒のドレス。金色のトパーズのネックレスとイヤリング。いや〜派手だね(笑) 気分はちょっと、『シカゴ』のキャサリン・ゼタ=ジョーンズ(嘘)。

 そんなわけで、タイロン氏とのデュエットはいかがでしたでしょうか。
 今後のHAVATAMPAも乞うご期待。


(8月18日 記)

 チリねたが続くところで、チリ独特の笑える話をひとつ。
(といっても、日本人にしか笑えないと思うのだけど)

 中南米では、大半の国でスペイン語が公用語に指定されていて、地名なども、それに準じるものが一般的ではあります。
 とはいえ、先住民原語が固有名詞に影響を与えているケースも少なくありません。
 日本で言うなら、札幌(サッポロ)、留萌(ルモイ)、標津(シベツ)などのように、アイヌの人たちの言語に起源を持つ地名が残っているようなもの、と考えたらわかっていただきやすいと思います。
 先住民文化の影響の濃いメキシコやグアテマラなどでは、Ixmiquilpan(イスミキルパン)、Tehuantepec(テワンテペック)、Queztaltenango(ケツァルテナンゴ)などといった舌を噛みそうな地名が多くて、慣れるまではまごつきますが、チリでは、これが、ほほえましい名前となるのです。

 Pio Pio(ピオピオ)とか、Con Con(コンコン)、Til Til(ティルティル)。

 これみんな地名です。
 パトリシオ・マンスの作品で(たまにわたしも弾き語りで歌う)、『ティルティルの虜囚 (El Cautivo de TilTil)』という美しい曲があります。
 19世紀のチリ独立戦争を闘ったゲリラ指導者マヌエル・ロドリゲスのことを歌った曲ですが、70年代から80年代には、反軍政の意味合いも込めて歌われた曲です。
 そのパトリシオが住んでいる町が、コンコン。
 狐ではなく、ペリカンのいっぱいいる、海辺の美しい町でした。

 そういうのはまだ良いけど、「ピオピオ大名誉博士(ほんとにいらっしゃる)」なんていう肩書きって、どうも、いまいち知的な感じがしないと思うのは、わたしだけ?
 あるレストランでは、「エクアドルえびのビルビル風」などという、これだけではなんだかわからない料理もメニューにありました。なんなんだ。
 もちろん、注文してみましたら、大正海老(に似た海老)を、ガーリックと唐辛子風味のオリーブオイルで味つけしたもので、とっても、おいしかったです。
 こういうのはいいですが、実際に見た広告には、こんなのがありました。

「Bio Bio セメント」(なんか、すぐ崩れそう)
「Ira Ira タクシー」(なんか、こわそう)


(8月16日 記)

 先日、日本人スタッフのワーカホリックぶりを皮肉った八木でしたが、じつは自分もあまり人のことが言えないのであります。(爆)
 それというのも、チリ人というのは、ラテンの中の日本人はたまたドイツ人と言いたいほど、真面目で几帳面な人が多いのです。
 チリの食べ物といえば、やっぱり、海産でしょう。
 それなのに、下見のときは、あまりのハードスケジュールに、一度も海産が食べられなかった八木なのでした。
 なんといっても、チリ生まれでドイツ亡命歴の長かった(ゆえに、さらにドイツ化している)コーディネーター、カルロス・プクシオ氏の立てたスケジュールが、きついのなんのって。すでにラテン化(それもキューバ・メキシコ系)している八木には泣きそうでありましたぜ。

 で、その反動で、某局スタッフが到着すると、さっそく海鮮市場に案内したのは、自分のストレス解消のためといえないこともありません。
 さっそく、オードブルに、生雲丹、ロコ貝(チリアワビ)などを注文し、メインには、穴子のオイル焼きなど。飲み物はやはり、ワインです。
 といっても、贅沢ではありません。チリではワインが、安い。下手すると、清涼飲料水よりも安い。スーパーの本日の特売などでは、日本だったらそこそこするといってもいいおいしいワインが、1本1ドルだったりするのです。
 そして、むろん、海産も安い。中皿たっぷりの雲丹が数百円。

 もちろん、海産だけが売りではありません。というか、むしろ、チリ人にはより一般的なのは、肉。
 意外に(というと失礼だけど)、肉がおいしいのです。
 ステーキのサンドイッチであるロミートを売りものにする軽食屋さん(といっても、日本人には、ぜんぜん軽食とは言えない)もたくさんあって、そういう店では、サンドイッチにアボカド、トマト、自家製マヨネーズ、キャベツの酢漬け(?)などを追加するのが普通。
 また、こういうお店では、ショップと呼ばれる生ビールも置いています。
 謎だったのが、「ショップ」はビールとして、やはりよく見かける「ファンショップ」。
 これ、なんと、ビールのファンタオレンジ割り。
 味はですね、苦いファンタというか、甘ったるいビールというか(まんまやがな)
「世界でもっとも不味い飲み物(某日本人スタッフの方談)」がなぜ、そんなにチリで愛されているのかは不思議です。女性向きらしいんだけど、わたしもおいしいとは思えなかったぞ。(それは、おまえが酒飲みだから、という突っ込みは不可ね)

 あと、とくに、南部のチジャンに行くと、名物のロンガニサという巨大ソーセージもたいへんおいしいもの。たっぷりのポテトピューレを添えるのが、正しい食べ方らしく、けっこうハマっておられる方もおられました。(たしかに、理想のビールのおつまみかも)
 また、同じくチジャンでは、七面鳥のポトフ(カスエラ)も名産。七面鳥なので、ちょっとぱさつくかと思っていたら、とんでもない。濃厚なスープに締まりのある肉質で、見かけとは裏腹に、絶品でした。

 ところで、日本はもとより、メキシコでもキューバでも、マヨネーズというのは、チューブ詰めか瓶入りをスーパーで買うものですが、チリでは、いまだにマヨネーズというのは、家庭で作るのが普通のようです。
 お宅に招かれると、必ずのように自家製マヨネーズのお皿が出てきて、茹でたムール貝やじゃがいもなどにつけて食べるのですが、これが、とってもおいしい。
 この、マヨネーズを使ったポテトサラダも、よくつけあわせに出てきます。

 ということで、マヨネーズの作り方を教わってきました。ただし、ポイントは、材料の配合ではなく「根性と忍耐」。
 卵黄に、一滴一滴、油を落としながら混ぜていくのだそうで....。
 恥ずかしいから黙っていましたが(爆)、バーミックスを使っていてさえマヨネーズ作りに失敗した私としては、反省しきりです。すいません。一滴一滴、忍耐なんですね。
 というわけで、秋になったら、マヨネーズ作りにトライしてみようと思っています。
 でも、チリ人の真面目さと忍耐強さの秘密も少しわかるような。


(8月14日 記)

 さて、日本でちょっと落ち着いたところで、忘れないうちに、放送内容に触れないところで、チリの話を少し。

 チリのクーデターを扱った五木寛之氏の小説に、『戒厳令の夜』というのがありました。スペイン内戦〜アジェンデ政権の崩壊を縦軸に、詩人パブロ・ネルーダ、音楽家パブロ・カザルス、そして、画家のパブロ・ロペス(これだけは架空)という3人のパブロを横軸にしていましたが、ここでは、パブロならぬ、3人のカルロスの話。

 まず、ひとりめのカルロスは、チリ側でコーディネーターをつとめたカルロス・プクシオ氏で、現地のフリーのTVディレクター。その正体は、かのサルバドール・アジェンデ大統領の腹心であった個人秘書オスバルド・プクシオ氏の息子さん。
 おうちには、なにげにアジェンデ・グッズがいっぱいあるだけではなく、彼自身の父上も、30年前のクーデターのあと、ドーソン島の強制収容所に送られ、そのときの拷問がもとでお亡くなりになったうえ、彼自身も、そのためにドイツ亡命を余儀なくされた人。
 バレリーナでもあるマリソル夫人は、当時、17歳。恋人が亡命しなくてはならないと知り、親の反対を押し切って一緒に行くことを決めたという、それだけでも、映画が一本作れそうな大ロマンスの主でもあります。
 という方ですが、その人脈を使って、あっと驚く超多忙な方のインタビューのアポイントまでとってくださいました。

 しかし、いま、わけあってスキンヘッドにし、さらにいつも黒っぽいコートを着ている彼は、なまじっか顔立ちが整っていることもあって、某局スタッフからは、
「でも、彼は、ルックスは悪役系だよね」
「にっこり笑って、主人公の親友とかを射殺する悪徳上司の役」
「あるいは、ソ連の大物スパイ役」
などと言われていたのを、もちろん八木は通訳したりせず、一緒に笑っていたのは言うまでもありません。(おいおい)

 そして、PANDORA REPORTオリジナル版では、軍政と闘うレコード会社アレルセの社長として姿を見せる、カルロス・ネコチェア。
 アジェンデ時代はミュージシャン。その後の軍政時代は、名ジャーナリスト、リカルド・ガルシアとレコード会社を設立し、その頭脳を武器に、軍の圧力や脅迫を巧みにかわしつつ、ヌエバ・カンシオンの復刻カセットをはじめ、新人の地下ヒット作を送り出し、チリの新しい歌運動の歴史を護り続け、軍政打倒までの一翼を担った人であります。
 彼も、これだけで、番組の一本は作れそうな人といえるでしょう。
 で、なんと彼は、いま、ヨーロッパと南米大陸をベースにした、フリーの凄腕プロデューサーとして活躍していたのでした。
 ホテルから歩いて1ブロックのオープンカフェで、毎朝、優雅に特注のカプチーノをすすることを習慣にしている、このフランス映画に出てきそうなロマンスグレーの渋いおじさまに、ここで運命的に再会したのも偶然とは思えなかったのだけれど、その後、この番組制作を邪魔しようとするある人物によって、プロジェクトがトラブルに見舞われそうになったとき、チリの音楽とマスコミ業界に精通している彼は、まるでチェスの勝負をしているかのように、一瞬、眉をひそめると、じつにエレガントに切り抜ける知恵を授けてくれたのでした。

 それにしても、取材終盤になって、
「○○の資料だけがどうしても見つからないのよね....」
と、わたしがカフェで唸っていると、
「あれ、それなら家にあるから貸してあげよう。なーんだ、はじめから言えば良かったのに」と、にっこり言われたときにゃ、脱力しましたぜ。
 しかも、資料を借りにお宅に行けば、趣味の良い超高層マンションの広いベランダには、なにげなく、ル・コルビジェの椅子だよ、おい。
 某局スタッフにも、「50歳になったとき、なっていたい理想のタイプ」と全員一致で言わしめた知的で洗練されたお洒落さは、特筆すべきものがありました。
 ただし、女性には、ちと危険度高いかも。

 そして、もうひとりのカルロス、こと、カルロス・ラルゴ。
 彼は、チリ・ラジオの名アナウンサーであり、音楽プロデューサーであり、ペーニャ(ライブハウス)の経営者であり、エッセイストでもあった才人、故レネ・ラルゴ=ファリアスの甥にあたる人。
 レネは、拙著『禁じられた歌』にも登場する伝説的な人物で、ビオレータ・パラを援助した人物でもある。そして、軍政終了直後、何者かに殺された。(右翼の犯行の疑いが高いものだったが、警察では強盗事件として処理された)
 アジェンデ大統領の時代は、大統領宮からのラジオ放送を担当し、クーデターで逮捕されたが、隙を見て脱走。そのまま亡命した。そして、その身代わりに彼の弟であったカルロスの父親が逮捕され、拷問死したという。
 アジェンデ時代、青年共産同盟のリーダーだったカルロス青年は、それでも軍政と闘う道を選び、チリ各地で抗議行動を続けるかたわら、兄弟で音楽グループ『エルマノス・ラルゴ』をつくり、軍政に禁じられた歌の演奏活動を、各地で行っていた。
 そんなわけで、反軍政活動のドキュメンタリー・フィルムやニュース映像を見ると、だいたい、彼はその場に居合わせていて、その場の状況を詳しく解説してくれるのである。 「ほら、ぼくはここだよ」と、ヒッチコックのように、あるいは、ウォーリーのように、問題のフィルムの片隅に写っていたりもする。
 彼も、彼を主人公に、ふつうのドキュメンタリーは一本作れるタマであるといえる。
 そんな経験上、サンティアゴのあらゆる道路のみならず、チリ全土の地理に詳しく、知人も多い彼も、事情を知って、スタッフへ名乗りを上げてくれたわけです。

「それはいいが、きみもカルロスかい」(と、プクシオ)
「このままでは、日本人は、チリには他の名前がないのかと思ってしまうぞ」(と、ネコチェア)
 まさかそれはないと思うけど、まぎらわしいのは確かだ。
 さすがの硬派のラルゴくんも、ふたりの強力なおじさまにそう言われて、
「ううむ..........では、プロジェクト期間中、ぼくが、本名ではなくて、子供時代のあだ名を使うというのはどうだろう」
 かくして、彼は、7月の一ヶ月間、カルロスではなく、『パト(あひる)』くんと呼ばれていたのでした。


 (8月13日 記)

 冬のチリから、4日前、酷暑の日本に戻ってきました。
 今日はちょっとましだけれど、いやいや、帰ってばかりの時は、茹だりました。
 そして帰るなり、今度は、体育会系ラテンバンドのリハーサルが待っていたのであります。
 クエカの6/8拍子長調の脳天気なリズムに慣れたところで、ビートの細かい3−2クラーベは、ほとんどカルチャーショック。
 せっかくクエカが踊れるようになったのに、などという愚痴を言う暇もなく、新曲のリハーサルであります。
 しかし、わたしはめげないぞ。(というところが、やっぱりわたしも日本人)

 というところで、22日のライブにも乞うご期待。
 (ところで、ファイル転送ソフトの設定の不備で、一挙掲載になってしまいました。読みづらくなってしまったこと、お詫びします)


(8月5日 記)

 さて、そろそろ長期にわたったチリ滞在も終わりです。
 この間、ほとんど晴れ。
 それも、この季節、雨がきわめて多いはずのチリ南部でも、毎日快晴。真冬のチリで、日焼けどめが必要だったとは、誰に想像できるだろうか。
 ディレクター氏は、某局でも有名な晴れ男らしいですが、それにしても凄い。

 そして、その勢いに乗って、日本人の働くこと。いや、ほんと、休みなし。
 チリ人スタッフも、驚きを通り越して、笑うほど。
 で、ついたあだ名が、「Trio los Trabajóricos」(トリオ・ロス・パンチョスをもじって、トリオ・ロス・トラバホリコス=ワーカホリック・トリオ)。
 ちなみに、このトリオには、ディレクター氏、カメラマン氏、音響さんの3人で、わたしははいっておりません。

 渡航前、ディレクター氏は、「ぼくはプロジェクトXとか、ああいう根性系感動ものって、あんまり好きじゃないんです」とのたまっておられたが、いやいや、きみの日本人度はとっても高かったよ。根性も大したものだ。感動した。(小泉調)
 というわけで、八木以外のほとんどの方は、終わりごろには、体調を崩したほど。

 最後の夜は、元インティ・イリマニのメンバー、マックス・ベルーの経営するレストランで、打ち上げを兼ねての宴会。
 スタッフに加わってくれた元エルマノス・ラルゴのカルロス “パト” ラルゴとアレハンドラ夫人。
 そして、人気バンド「イリャプ」のロベルト・マルケスとファニータ夫人に、いわずとしれた、店主マックスも加わり、最後は3バンド合同コーラス大会という、超豪華な打ち上げでありました。これを撮影できなかったのは、ちょっともったいなかったね。


(7月27日 記)

 いちおう、契約書も交わしているため、放映まで、ただいまわたしが働いている番組の中身はバラすことはできません。というわけで、さしさわりのない範囲で。
 番組のテーマは、BBSでもかつて話題になった、チリの女性シンガーソングライターであり、民謡研究家であり、画家でもあったビオレータ・パラのもっとも有名な作品、『人生よ、ありがとう』をめぐっての物語です。
 たんに、ビオレータの自伝的な物語ではなく、彼女の死後30年前のチリのクーデターを経て、彼女の作品のいくつかが政治的理由で禁じられ、彼女の歌を歌う人々が亡命に追い込まれ、その一方、軍政下チリで、彼女の歌、とりわけ、一見政治的ではない『人生よ、ありがとう』が、どういう運命を辿っていくのか.....それを描く番組です。

 しかし、そのために、お約束の街頭インタビュー(笑....でもほんとに、皆さんご存じでした)とかビオレータの生まれ故郷あたりを訪ねる(まあ定番ね)はともかく、なんで、南極の近く、マゼラン海峡くんだりまで来なくてはならんのだ?
 それも、寒いのが嫌いだから、わざわざ冬場は日本から逃げて、キューバかメキシコで過ごすというほど寒がりのわたしが、よりにもよって、なにが悲しくて、夏の日本から、冬のチリに来て、そのうえ、マゼラン海峡の吹きすさぶ南風に震えなあかんのだ?
 と、いう疑問は、番組で。
 その甲斐はあったとだけ申しあげておきましょう。
 これでつまんない番組に仕上げたら、殺すぞ>ディレクター氏

 それにしても、南米は6月から8月が冬。冷たいのが南風。水は逆方向に渦を巻き、太陽は北から。
 こういう国では、暖かいトロピカルな島に行くのを「北の島に行く」というのだろうか。
 冬物衣類をあまり持っていないため、借り物のダウンジャケットと、現地調達したアルパカのセーターとマフラーと手袋にくるまり、厳寒の南の最果ての島を目の前に、つまんないことを考えてしまったわたしです。

 それにしても、東洋の島国のTVが、こういうことに興味があるというのは、チリ人にとっても喜ばしいことであるらしく(チリで見かける日本人TVクルーといえば、アニータ取材ばかりということもあって)、なぜか、われら取材陣に、チリのTV局や新聞の逆取材が殺到するという珍現象も。
 イタリアの放送局が美空ひばりの番組を作る、という以上にインパクトがあるようです。

 むろん、内容が内容とあって、大多数の人々は協力的なのですが、なかには取材に対して嫌がらせを仕掛けかねない方もおられるため、なるべく、目立たないように取材をするつもりだったのですが、例のラロ・パラ翁が、別の取材で、われらがクルーのことをしゃべりまくったようで、その翌日から、わたしのケータイに、チリのマスコミからの電話ががんがんかかる有様。
 その結果、本日の大統領宮殿前のロケでは、われらがクルーに、チリの2大TV局がひっついての、取材されながらロケーション。
 大爆笑。
 わたしもしっかり直撃インタビューされ、(なんでも、ラロ爺様が、わたしのことを「女優かモデルのように美しい凄腕コーディネーター」とお話しになられたそうで)、それがまたゴールデンタイムに放映されたものだから、わたしたちご一行様は、すっかりチリの有名人。
 町中や市場などで声をかけられるのはもちろん、わたしも最南端の地から首都に戻る飛行機の中で、乗客の方にサインを求められる始末。
 なんかとっても複雑である。
 しかし、ここまで有名になってしまうと、TVでも超好意的に報道されただけに、いまさら、邪魔したい人もできないであろうというのは、よいことではあります。


(7月9日 記)

 さて、チリでも、目下、話題なのは、「ゲイシャ」こと、アニータ・アルバラード。
 とはいえ、日本の報道のように、チリで彼女が英雄視されているというようなことはありません。
 当初の報道で、たしかに、彼女が「金満国家日本のバカな役所から、莫大な金を騙しとった」ことが、コンゲーム的な、つまり、庶民が喝采を送るような頭脳犯罪に見られたこともあったようですが、実状が露わになるにつれ、そういう声は小さくなっているようです。
 というのも、チリでいま問題になっているのは、彼女が、チリ人女性を騙して日本に連れて行き、売春を強要したという罪。このことで、社会的非難が高まり、彼女が訴追されるのも間近という見通しも。
 昨日も、彼女がらみの番組が2つ、チリでゴールデンタイムに報道されていました。一方は、彼女を徹底非難。もう一方はやや彼女を擁護気味。ただ、擁護気味の方の論調は、「日本でも彼女を応援する人たちがいる」という感じ。事実、街頭インタビューで、「アニータをかっこいいと思う」と答える日本人数名が紹介されていました。
 しかし当たり前ですが、限りなく多数にインタビューすれば、そういう人もいるのは当然。
 TVでの、「世論がまるでそうであるかのような、よくある手口」は、どこの国でも健在なのであります。


(7月7日 記)

 今日は七夕。
 ただし、わたしは目下、南米のチリにいます。見えるのは南十字星。
 などというと超かっこいいですが、じつは、某放送局のお仕事の下準備の滞在のゆえ、煩雑なプレ・コーディネート業務に追われております。要するに、撮影前の下調べと、予約ですね。
 しかし、昨日は、仕事半分とはいえ、楽しいパーティーがありました。
 パーティーの主催者は、フアニータ。わたしの20年来の友人で、チリを代表する人気バンドのひとつイリャプのリーダー、ロベルト・マルケスの夫人にして、時には過激な女性人権活動家にして、頭のリボンがトレードマークの可愛い人です。
(拙著「禁じられた歌」や「PANDORA REPORTのオリジナル版(文庫版ではないやつ)」にも出てくるカップルですね)
 だいたいにして、いざというときに大胆な行動をとる腹の据わった知的な女性というのは、ふだんは、可愛くてエレガントというのが多い気がします。
 フアニータも、子供二人が独立した年になっても、小鳥のような可愛い人。

 で、今日のメニューは、大鍋に、鶏胸肉と魚貝類を入れて煮込んだチリ風海鮮シチューと、自家製のパン、大皿に盛ったゆでたじゃがいも、たっぷりのチリワイン。
 彼女の話では、伝統的にはチリでは、じゃがいもが主菜(つまり、日本におけるご飯)で、パンを食べるというのは比較的新しい習慣だそうです。
 そして、お客は、主賓が、ラロ・パラ爺様とその奥方。
 ラロ・パラは、チリの伝説的なシンガーソングライターで、「新しい歌運動」の母とも呼ばれるビオレータ・パラの実の弟で、現在、85歳。
 しかも、ただの有名人の弟というだけではなくて、爺様もすぐれた民謡歌手で、しかも、ここ2年というもの、チリのコンパイ・セグンド的人気を博しておられ、ライブは若者で満席、CDも何枚も出て、自叙伝も出ている有名人です。
 ちなみに、このパラ兄弟。悲劇的な死を遂げたビオレータ・パラはもとより、長兄で95歳になるニカノール・パラも、ノーベル文学賞の有力候補に挙がっている高名な詩人というとんでもない家系であります。

 で、ラロ翁。
 たいへん陽気な方で、30歳年下の献身的なエリザベス夫人(8年前に互いに一目惚れで結婚なさったそうです)とも仲のいいことったら。バイアグラ不要だそうで。
 そして、殺された名プロデューサー、レネ・ラルゴ・ファリーアスの甥で、軍政時代に過激な抵抗歌で名前をあげた音楽グループ『エルマノス・ラルゴ』元メンバーのカルリート“パト”ラルゴ。
 他に数名。

 それにしても、誰でもが、ワインの銘柄だけではなく、カベルネ・ソーヴィニオンのグラン・レセルヴァだの、シラーだのカルメニエールだの(以上、葡萄の品種)、適正温度がどうのテイスティングがどうのと、なにげに蘊蓄をたれるチリ、恐るべし。(そして、最後は何気なく、アルゼンチンワインをけなすのも、チリのお約束のようである、笑)

 ということで、ここに登場の強烈なキャラクターの面々、これがなにを意味するかは、皆様、乞うご期待。


(6月28日 記)

 最近知った素敵な店。
 大井町のラ・カンティネッタというワインバーです。
 ワインバーといっても、バブリーにオシャレっぽい店ではなくて、静かなお店。
 大井町の駅から、商店街を登っていくと、その名も『ベンセレーモスビル』という、過激な名前のビルがありまして、そこの1階裏手です。
 「シラーの帝王」と異名をとられているらしいご主人は、中南米音楽ファン、それも、日本ではかなり珍しい、ヌエバ・カンシオンのファンの方です。お店には、八木の著作もあって、ちょっと恥ずかし。ワインもさることながら、そのオタク度もかなり高し。
 でも、ここのお店のワインは、ほんとうに上質で、うっとりとさせてくれます。なにげに出てくるおつまみの一品一品も、趣味がいい。
 ほんとは、マスターとゆっくりお話ししながら、ワインの蘊蓄などうかがうと楽しいのだろうな、と思いつつ、二度とも、別の方との仕事の打ち合わせに走ってしまいました。
 そのうち、仕事抜きで行きたいお店です。


(6月17日 記)

 日本経済新聞のインタビューに行ってきました。
 記者さんは、10年近く前にキューバで知り合った方。PANDORA REPORTにもちらりと登場なさっている方です。
 久しぶりの再会のあと、インタビュー。7月中旬に記事掲載予定だそうです。
 健康をテーマにした話なのに、この日の八木はやや風邪気味。どんな記事になるか楽しみです。
 (註:ファイル転送のミスで、モノローグ掲載の方が遅くなりました、すいません。というわけで、ここに問題の記事があります)


(6月15日 記)

 大阪と神戸で立て続けにライブをしました。
 今回は、ピアノに前回のTAOのライブでご一緒した吉田幸生さん。そしてギターに、これまた一度、ご一緒した西本論史さん。
 吉田さん曰く、「八木さんが(バンドやプレイヤーに合わせるのではなく)気持ちよく歌えるようなバッキングをしたい」というお言葉どおり、気持ちよく合わせていただきました。
 お店はどちらも初めてのところでしたが、行かれた方はご体験のとおり、どちらも好対照にして、雰囲気の良いところでしたよね。
 神戸の「サロン・ド・あいり」は、ご主人が音楽好きで、奥様が元宝塚、ということもあって、シャンソン系の方中心に、採算よりも、独立系の歌い手をバックアップしたいというご主旨なのだそうです。
 ここのライブ料金には、食事代も含まれています。というので、てっきりおつまみ程度かと思ったら、なんと大皿系とはいえ、とってもちゃんとしたお料理が。で、ステージのあとは、出演者・お客さんを交えての宴会モード突入というわけです。茄子の南蛮浸し、超美味しかった。
 BBSでおなじみの方も何人かいらしていて、(ハンドルネームを使っていても、顔を見ると、なんとなくわかってしまうのが不思議)、予期せぬオフライン・ミーティングも。

 一方、大阪の方は、ルスティックと呼ばれる、荒削りなカントリースタイルの木工工房idd Work Shopを会場にしたライブ。ここ、大阪のプレイヤーの間では、「演ってて楽しい」とすでに有名らしい。
 というので、期待して行きましたが、予想に違わず。
 もともと、わたしはルスティック(スペイン語ではルスティコ)な家具というのが大好きで、メキシコのコヨアカンにあるわたしの自宅では、食卓も椅子も、ベッドも机も鏡台も棚も、目につく家具はぜんぶ、木彫りのルスティコで揃えているほど。
 なので、展示してある作品も、ああ買って帰りたい、という誘惑と戦わねばなりません。(ここで買ったら、メキシコにどうやって持って帰るねん?!)
 あ、それでステージですね。はい。音響も広さもほどよく、噂に違わずいいステージだったと思います。なつかしい友人にも再開でき、個人的にも、とっても楽しかった。
 ライブのあとは、吉田さん、西本さん、プロデューサーのオレペコ企画の岸田氏、シモーヌ深雪さんなどと、桜橋駅近所の居酒屋で一杯。岸田氏は、八木の関西ライブを企画するという奇特にしてありがたい方であるうえに、激安旨い居酒屋捜しの天才でもあるのでした。

 それにしても、去年出たCD『Esta Mujer』。メキシコでも、レコード会社やプロデューサー主導ではなく、八木の歌(とキャラ?)を愛する作曲家やミュージシャンたち主導で作られたせいか、日本でも、プレイヤーの方々にたいへん好評のようです。わたしとしても、とってもうれしい。


 (5月28日 記)

 悪いことは、確率的に、続かない。
 というわけではないですが、プリンタは、いちおう、印刷ができるまでには回復。パソコン問題も、全面解決ではないけれど、まあまあ解決に。
 ということだからではないですが、久々に、アンヘル・パラと話をしました。
 ちょうど、フランスで、彼が中心となって作った、故サルバドール・アジェンデ大統領へのオマージュのアルバムが発売されて、その見本版を、フランス在住のライター&コーディネーターの對馬氏が、わざわざ送ってくださったのです。

 このアルバム、アンヘル本人のほか、姉のイサベル、ビクトル・ハラ、グループ・ヴェンチスカ、そしてアンヘル・パラとのデュエットのために、ゼブダというフランスの人気グループの2人のヴォーカリスト、アクとムースという人たちが特別参加で、フランスでもちょっと話題になっているとか。
 對馬氏の紹介文はこちら

 アジェンデ大統領の演説の肉声で始まり、懐かしの『不屈の民』のシュプレヒコール「El pueblo unido jamas sera vencido ! 〜 団結した民衆は決して負けない」から、ラップでのアンヘルの歌が重なる。これが、じつにオシャレ。
 あの時代を古びた思い出であることから解き放ち、ふたたび、イラク戦争の硝煙立ちこめる2003年に、怒りを突きつけている。そのうしろに、ビクトルの曲がさらにリミックス風に流れる。「走れ、走れ、でなければ、君は殺される」。
 これが冒頭のエキサイティングな曲、「大統領アジェンデ」

 って、ただ、そういうレアなアルバムをコネで入手したっていう自慢話ではございません。これ、6月にメタカンパニーから日本発売決定だそうであります。
 このご時世に、ふたたび、もうひとつの9.11にむけて、このアルバムを作ったアンヘルもやってくれるが、これを日本で出そうという会社が存在するのも本当に嬉しい。


 (5月27日 記)

 溜め込んでいた雑用(これがまた、面倒がってあと回しにしてきたものだから、いざやろうとすると要領が悪い)を片づけていたら、プリンタが停止。
ぶつくさ言いながら、マニュアルを読み直し、接続をやり直すところからはじめて、いろいろなことを試して、ようやく半復旧すると思うと、インク切れ。(爆)
あわてて、前に買ったことのある近所の文房具屋に買いに行くと、なぜかわたしのプリンタ対応のインクだけが品切れ。絶句しながら、家に帰って、ネットショップで注文することにすると、なぜか型番が変わっていて、調べなおして注文するのにも四苦八苦。
そうこうしていると、今度は、パソコンにも異常が。
しようがないから、予備のノートパソコンを立ち上げると、げぇっ、液晶にドット抜けが!

 と思っていると、今度は、わたしがボランティアで運営を手伝っている別サイトに、数日前からどうしてもアクセスができない、サイトはなくなったのですか、というお問い合わせ。
まさかと思って、アクセスすると、サーバーダウン。運営者に問い合わせると、復旧の目処が立っていないという。
このサイトは、ちょっとだけど公共的意味合いのあるサイトで、最近、頼りにしている方たちもそれなりにいるらしいというわけで、あわてて、無料サイトのページを検索して、ミラーサイトの立ち上げを試みる。

 なんか、八木、悪いものでも憑いたのか?

 確率的には、立て続けにエースが出てくる可能性はたいへん低いものですが、確率が低いから起こらないということではなく、なぜか、悪いことは続けて起こり、とりわけ、電気製品は立て続けに壊れる