八木啓代のひとりごと 2001年度

(12月27日 記)

  で、今年のクリスマス。平穏に家で過ごしました。

  料理は、季節野菜のポタージュスープと、伊勢海老のグリル・サフランライス添え。
青野菜のサラダに、苺のデコレーションケーキ。いちお、すべて手製。

  と、書くと、なんかすごいことやったみたいですが、スープは普段でもよく作っているもの。
たまねぎみじん切りと季節の野菜(あり合わせの野菜ともいう。今回は、じゃがいも、にんじん、ブロッコリーの茎)薄切りを油で炒めて、白ワインを入れてから、コンソメスープで煮込みます。
野菜が柔らかくなったら、ミキサーにかけてポタージュ状にし、それから鍋で暖めなおしながら牛乳を加えるだけ。

  伊勢海老。これはゴージャスですね。
でもじつは、インターネットのオークションで、業者さんから仕入れたので、意外に安かったのですよ。
で、値段も値段だったので、大したことはないだろうと思って、ホワイトソースとチーズでグラタン風にして、ボリュームアップし、べつに前菜も用意する予定だったのが、届いたのを見てびっくり。これがでっかいの。
それで、急遽予定を変更して、前菜はキャンセル。伊勢海老自体も、あっさり味のグリルで食べることにしました。
軽く茹でてから、出刃包丁で縦半分に割って、塩胡椒して、オリーブオイルをちょっとたらして、オーブンで焼きます。それだけ。
サラダも、マカロニとか卵とか考えていたのだけど、伊勢海老のでかさを尊重して、レタス中心のシンプルなサラダに。
それでも、海老だけでお腹いっぱいになりました。

  付け合わせのサフランライスは、炊飯器に米と分量の水と、バターひとかけと適度の塩、冷凍食品の ミックスベジタブル適量、お湯で煮出したサフランを入れて、スイッチを入れます。それだけ。
サフランて高いので、ターメリックで代用してもいいし、なにも入れなくてもおいしいバターライスです。これはキューバで教えてもらったやり方。
ちなみに、サフランは、なぜか、秋葉原の百円ショップで売っていた。

  ケーキは、まあ、余興ですね。
パウンドケーキやチーズケーキはよく焼くのだけど、スポンジケーキは長らくご無沙汰なので、ひさびさに作ってみようかと。結果は、ちょっと重たくなってしまって、いまいち。
でも、味は美味しかったです。ケーキをクリームで飾るのって、子供の粘土遊びみたいで、楽しいしね。

  翌朝は、伊勢海老の残骸である殻と頭をごとごと煮出して、スープ取り。
これでしばらく、美味しいスープにありつけます。アメリケーヌソースにしてもいいかな。


(12月23日 記)

 クリスマスが近づいてきました。
 日本のクリスマスはいたって商業的であるせいもあって、この不況にも関わらず、クリスマスイブの夜だけは、高級ホテルは10月から予約満杯だそうで。
 クリスマスってのは、サンタが、子供にプレゼントを持ってくる日じゃなかったんだっけ??
 それはともあれ、メキシコでは、クリスマスはぜったいに「家庭」で過ごします。
 そして、クリスマス前の17日ぐらいから23日は「ポサーダ」と呼ばれる期間で、この間にもパーティーを開いて、知り合いをもてなします。ポサーダは、ヨゼフ(スペイン語ではホセ)と臨月のマリアが、子を産む場所を求めてさすらったことになぞらえていますが、この習慣がメキシコだけに強く残っていることに関しては、古代メキシコ(つまりアステカ時代)のメキシコでも、この12月中〜下旬は、戦いの神ウィツィロポチトリの祭りが行われていた時期に当たっていたからではないか、という説があります。
 統治者や宗教が変わっても、名義だけ変えてお祭りをやっちゃったわけですね。
 11月初旬の土俗色豊かなハロウィーン「死者の日」といい、メキシコはどうもそういう祭日が多い。
 そもそも、メキシコに行かれた方はご存じでしょうが、メキシコ市内や周辺は、やたらに教会がたくさんあります。あの教会は、じつは、もともと先住民の神様の聖地や神殿をぶっ壊して、そのあとに建てたので、あんなに数が多いのですね。
 つまり、カトリックの顔をして、その底には古代の宗教が埋まっている。
 それはともかく、クリスマスです。
 ポサーダには、赤ワインに黒砂糖、グァバやオレンジ、林檎などの果物、干し葡萄、干しプラム、クローブ(丁字)、シナモンを入れて煮た飲み物を振る舞います。これが、寒くなってきた季節にぴったりなので、私もときどき日本で作ります。
 風邪にもとても効きますよ!
 それから、クリスマスには七面鳥。七面鳥はメキシコ原産ですから、起源は古いのでしょうね。七面鳥って、じつはぱさぱさした肉なんで、普通に食べると、それほどおいしいものではないのですが、これを茹でて、クルミやナッツや生クリームたっぷりの、あるいはチーズクリーム系のこってりしたソースで食べると、とてもおいしい。
 スモークしたのも売っていて、これをオーブンで暖めて食べてもおいしいです。
(メキシコの年末の福引きでは、よく、この燻製七面鳥が景品で出ています) そして、年末のパーティ。ここでもなぜか、七面鳥です。つまりメキシコでは、クリスマスと年末と続けて、七面鳥を食べることが多いのです。
 そして、年明け1月6日には、東方王の日。預言者の誕生を知った賢者が、ベツレヘムの星(あのクリスマスツリーのてっぺんにあるやつ)に導かれて、幼子イエスを祝福にくるという祝日。この日、子供はプレゼントが貰え、ロスカ・デ・レジェスというバターケーキを食べます。ケーキには中に指輪か小さなお人形が焼き込まれていて、それに当たった人は、幸運の印。で、お返しにパーティーを主催して、みんなにご馳走する。
 と、12月中旬から1月初頭まで、メキシコでも宴会が続くのでした。
 それはいいけど、コンサートツアーの詳細が、おかげでなかなか決まらん。(笑い)


(12月21日 記)

 アルゼンチン、えらいことになっていますな。
 かつてわたしが、PANDORA REPORTで予言した、経済破綻が新世紀早々出てきたわけで。
 だから、かつての栄光に酔ってちゃ駄目だってのに.....。

 (ちなみに、チリも話題になってるけど、あまりにもくだんない話なので、ここでは取り上げないことにします。それにしても、プロビデンシアか。絵に描いたような成金だな......ところで、最近チリでは、サルサバーがはやっているのですが、やっぱり成金おねだり妻もサルサバーを経営していたんだなあ........)

 で、話を戻すと、そのアルゼンチンの破綻の原因になった公的債務は、1320億ドル。
 というと、いかにも天文学的数字でしょ。
 でも、日本の公的債務は、政府と地方あわせて、ドル換算すると、5兆3300億ドルだって知ってました? そそ。アルゼンチンの40倍以上なのさ。
 いやいや、日本は、アルゼンチンと違って、貿易立国だから、と思っているあなた。アルゼンチンもかつては、輸出大国で世界有数の黒字国家だったときもあるということを忘れちゃいけません。(註:あの「エビータ」で有名なエヴァ・ペロンの時代ね)
 もちろん、まだ日本には、国民一人一人が貯め込んでいる資産があるとか、まだまだ輸出競争力があるとかいう楽観論もありますが、でも、輸出競争力の点からいうと、家庭電化製品は韓国に、工業製品も部分的には中国に追いつかれてる。衣料品はもう、ユニクロでわかるとおり、中国とは勝負にならない。
 貯め込んでる資産だって、円が暴落でもしたら、一気に減っちゃうんだよん。
 そして、ここで出てくる、アルゼンチンと日本の、もうひとつの大きな違い。
 基本的に農業国のアルゼンチンは食料自給率が高いけれど、日本のそれは著しく低い。
 ......これって、どんなホラー小説より怖くないか??


(12月20日 記)

 またまた、中東情勢が不穏ですね。アラファト議長の進退にも関わってくるかもしれない。
 マスコミは、相変わらず、ビンラディンの行方についてばかり時間や紙面を割いていますが、むしろこちらの方が大問題では。
 そして、ここでイスラエルのシャロン政権が、パレスチナへの無法な(まさに国際法を無視しまくった)攻撃を仕掛け、長年にわたる中東和平への努力を水泡とさせつつあることの裏には、いうまでもなく、米国をはじめとする世界の目が、パレスチナにではなく、ビンラディンの行方にばかり向いているという「時期の利」もさることながら、あのツインタワー攻撃事件直後、米国のマスコミで繰り返し流された「手を叩いて喝采するパレスチナ人」の映像の与えた印象の「おかげ」は大きいでしょう。
 勘ぐれば、あそこでパレスチナの映像を流したのも、シャロン派の陰謀では。

 いずれにしても、アメリカが支援しているうちは、タリバンの人権無視などの問題は公にされず、敵に回ったとたんに、ぼろぼろ出てくる。そして、だったら、こんな政権をなんでアメリカがずっと支援してたんだという話はどっかに消えて、今後は、アメリカがその国の「民主化」を支援・達成したという話になるんだな、これが。
 べつにタリバンを支持するわけではないが、このパターン、いい加減にしてほしい。
 そのことがらみで、いまは、ペルーのフジモリ氏もアメリカでは「悪者」に分類されているようです。というか、アメリカに見放されたのが、フジモリの失脚の原因でしょう。そこで、失脚したら出てくる出てくる人権弾圧報道。
 そんなの、MRTA事件の時から、わかってるじゃん。(笑)
 で、これがまた、日本じゃ小さくしか報道されてないってのが笑わせるけど、その日本で、現在、フジモリ氏を保護していらっしゃる曾野綾子さんは、もともと、あのチリの軍事クーデターを全面支援していらっしゃった方だというの、みなさんご存じかな?
 その夫君も、「女をレイプできるぐらいじゃなきゃ男じゃない」というすごい発言で文化庁長官を辞任なさった方であります。
 お友達を見れば、その人がわかると思うのはわたしだけではないでしょう。


(12月19日 記)

 星野が阪神監督就任。
 野村が辞めたら、阪神の応援に戻ると言ってきたわたしだが、あそこまで野村にしがみついた球団運営側にはかなりうんざりして、星野阪神を応援する気までいまいち湧かないのであった。これだって、いかにも、苦し紛れって感じで。
 岡田が監督だったら、また違ったんだけどなあ。
 それにしても、一部運営陣の、球団の私物化と意地の張り合い、なんとかしてくれ。


(12月17日 記)

 本日はなぜか東京日本橋の三越百貨店に。
 といっても、クリスマスセール参戦ではなくて、なんと、三越の6階美術特選画廊の「白日会会員選抜展」で、わたしをモデルにした絵が展示されているというので。
 わたしが大学を出たてで、フォルクローレのバンドをやっていた頃からの旧知の画家、池田良則氏の作品です。
 タイトルは『HAVANA』。ハバナのマレコン通りに佇む八木の姿が描かれています。
 日本橋三越方面にお立ち寄りの方は、ちょっと足をのばしてご覧になってみてはいかがでしょう。


(12月15日 記)

 ここのとこ、雑用に取り紛れる日々でした。
 その中で、15日土曜日、「創造する伝統 音楽のきずな ウタから歌い物へ」という長いタイトルのコンサートに行ってきました。このタイトルからはなんのことかわからないでしょう。じつは、日本の伝統音楽のなかの「うた」を検証していくレクチャーコンサートです。小島美子教授のわかりやすい説明があって、古い子守歌、奄美の島歌、雅楽から催馬楽(さいばら)と朗詠、そして、箏曲、長唄、小唄、端唄という伝統邦楽の歌ものをちょっとずつつまみぐいで、いちばんおいしいところを聞いていくという贅沢なコンサートです。
 しかも、この種のコンサートにはめずらしく、出演者がそれぞれの分野の超大物というので、知人の激烈推薦で、わたしもあわてて出かけたわけ。
 これが大正解。
 つまみぐいのおいしさ、というせいもあるのですが、一口に邦楽と言っても、その幅の広いこと。古き日本の子守歌の歌詞の残酷なこと。マザーグースもまっさおです。
 驚いたのが、雅楽の中の歌い物である催馬楽や朗詠の節回しが、先日の父親の法事で唱和していた浄土真宗のお経の節回しと酷似していたこと。雅楽って遠いものと思いがちですが、そういうところに伝統が残っているのですね。
 それから、端唄の本条秀太郎さん、粋だなぁ。
 こういうの聞くと、しゃきっと小紋の着物着て出かけたくなりますね。


(12月6日 記)

 やっと、スペイン語ページのオープンにこぎつけました。
 といっても、大半の方には関係ないでしょうが(というか、スペイン語ページを読むだろう人は、ここを読んじゃいないだろうし.....とは思うんだけど、以前、とある方から、「トップページのespañolをクリックしたら、工事中という表示さえ出なかった。ちと怠慢では」といわれてしまったので、いちお、ご報告です)
 これで、クリスマスが終わったら、電飾をはずして、当面は小規模更新ですみそうです。(といいながら、また、正月だ、バレンタインだ、エイプリルフールだと、遊んじゃいそうだなあ....)


(12月2日 記)

 八木にまたまた新刊です。
 といっても、全24章の論文集の中に、1章書いただけですが。新評論社から、「地球村の思想 − グローバリゼーションから真の世界化へ」
 いちおう、本のトーンは、グローバリゼーションには、きわめて懐疑的な立場で、私はその中で、音楽文化について論じています。ほかには、「グローバリゼーションと企業戦略」とか「中国のIT産業」「現代世界と宗教の役割」「グローバリゼーションの中のオリンピック」「路上生活者のあぶり出すもの」などという章があります。
 そうです。ほんとに論文集です。
 執筆も、私以外は、大学の先生ばっかりなので、なんで、そこに私が入ってるのかも、ちょっと(いや、だいぶ)謎。
 大規模書店や大学の生協はともかく、この種の本は、一般の書店で、簡単に手に入らないかもしれませんので、(八木のほかの本だって、そのへんの本屋にはおいてないぞ、という突っ込みは、ここではおいといて)、もし、ご興味のおありの方は、八木まで、メールでご一報ください。私の手元にも何冊かあります。価格は、3200円です。
 ただし、もちろん、(一般的な意味で)楽しめる本ではないので、そのへんはお覚悟を。


(12月1日 記)

 12月に入ったので、クリスマスの電飾をつけてみました。
(とはいえ、結局、Netscape Navigator だとうまくいかなくて、Internet Explorerでのみ、お楽しみいただけます。)


(11月30日 記)

 大阪でのライブが終わって、東京に帰ってきました。
 今回のライブ、依頼から一ヶ月もないという急な設定で、しかも、会場のポン・マリーの毎水曜日企画ライブの第一回ということで、すべてがばたばた。
 急すぎて、新聞・雑誌への告知ができないのは仕方ないとしても、ダイレクトメールなどで、常連の方にお知らせをするのも遅くなってしまいましたし、当日も、なんせ、会場側も初体験とあって、いろいろ段取りの悪い点もありました。いらしてくださった皆様、どうもすいません。そして、あれだけ急だったにもかかわらず、ほぼ満席の会場と暖かい拍手にほっといたしました。どうも、ありがとうございました。
 それから、7年ものラム酒、罌粟餅、ケーキ、チョコレート、お花、など、差し入れいっぱいありがとうございます!
 (大阪は、やっぱり、食べ物が多い)
 おいしいものに舌鼓を打ちつつ(へっへっへ)、最近お腹が出てきたような気もして、腹筋運動でもやらなきゃな、と思いつつ、また手が伸びるここ数日。(食事制限をしようとは、露ほども思わないところが、あさましい) 言うまでもなく、(諸処の事情のため)たった1日のリハーサルで、あの「陰険なコード進行の多い」八木のレパートリーをサポートしてくださった西本諭史さんと岩田晶さんには、感謝&感謝です。いや〜、みなさん、ほんまにプロやねぇ。


(11月10日 記)

 7日は、HAVATAMPAひさびさのライブでした。
 今だから言えますが、じつは、今回、かなりトラブルの多いステージだったのです。
 昨年12月のハバナ国際ジャズフェスティバルに参加したまでは良かったのですが、国際交流基金の助成金が、不況のせいか、例年より少額しかおりなかったので、その前にやったライブの収益をつぎ込み、メンバーからも若干の参加費を徴収してのキューバ行き。
 そして、バンドマスターで、リードトランペットの吉田憲司さんが、数ヶ月前、神経性(?)の痺れで、左腕が上がらなくなってしまい、リハビリ生活に。それがやっと直ってきたと思ったら、今度は、原因不明の鼻血(といっても大量出血)で救急車で病院に運ばれる有様。
 その一方、この日本を覆う大不況のせいで、音楽家の仕事はどんどん減っています。以前なら、オーケストラやビッグバンドを使うところでも、経費節減で、全面コンピュータ打ち込み、または、最低限のプレイヤーだけを雇って、あとは打ち込みで作ってしまったりすることも多く、またテレビから音楽番組が消えたこともあって、バンドマンと呼ばれる人たちの仕事場が、まるで氷が溶けるようになくなってきているのです。
 HAVATAMPAのメンバーは、ご存じのように、業界では、「その人ありといわれる演奏家」から「中堅」を中心に「抜擢新人」といったひとたちですが、中堅クラス以上の人たちですら、いまや仕事が激減して、以前ならハナから断っていたような条件の仕事でも受けざるをえなくなっているそうです。
 とても残念ですが、HAVATAMPAは、音楽的には国際的にも評価され、またファンの方には深く愛されていても、やり手の音楽事務所がついていたり、商業的に「売れている」わけではないので、メンバーに十分なギャラを保証することはできません。一方、多人数バンドなので、リハーサルひとつとっても、必要経費はそれなりにかかります。
 あるのは、いい音楽をやっているというプライドだけ。メンバーはほとんどボランティアなのです。
 そのため、以前なら、仕事を断ってでも参加するのが当然、という感じがあったHAVATAMPAのリハーサルに、「仕事が入ってしまったので」参加できなくなってくるメンバーが出てくる。いまの状況は、お互い痛いほど分かっているし、暮らしがかかっているのだから、それを誰も責められない。
 そういう状況のところに、吉田さんの病気ですから、一時は、真剣に、バンドの解散、または、当面の活動停止までが議論されました。
 そして、どんどん日程が迫ってくるスイートベイジルのライブをどうするか。

 結局、条件付きながら、吉田さんがステージに立てる目処がついて、また、快く助っ人を引き受けてくださった方がみつかったときには、ライブ前一ヶ月を切っていて、それから慌てて、プロモーションです。当然、すべてが後手後手に回っていて、今度は、客席ががらがらだったらどうしようと胃が痛くなる始末。

 それでも、蓋を開けると、ほぼ満席のスイートベイジルに、肩の荷が降りました。
 そして、あのハイパーサウンドに体を抱かれると、ああ、やっぱりこのバンドをやっていて良かったと心から思います。たぶん、メンバーもみんな同じ気持ちだったのじゃないかな。さあ、来年も頑張るぞ。みなさんも、お友達いっぱい誘って来てね。


(11月1日 記)

 このモノローグを更新するかわりに、おわかりのように、ページを更新していました。
 こないだ、メキシコでフェスティバルに行っていたときに、仲間内や、取材してくれた記者からも、「おまえのサイトに行ったら、日本語オンリーだったぞ」と、ひんしゅくを買いまくったので、スペイン語ページを作ろうと思っています。
 といってもすぐにはできないので、とりあえず、まず、形から入ろうかと(笑)

 じつは、このサイト、自分で作っています。それも、ホームページ作成ソフトを使わずに、エディタに、手打ちでHTMLタグを書いているのだ。ボタン類も、自分でPhotoshop加工。へへへ。すごいだろう。(つまんない自慢だこと)
 でも、そこは素人のおろかさで、ときどきミスがあって、特定の環境でページが表示されなかったり、表示がヘンだったりすることがあります。確認しているんですが、たまに見落としがあります。
 とくに、JavaScriptはたいへん。これは、まだ私の実力では、ごく簡単なものしか書けないので、インターネットのWeb作成支援サイトから、フリーの見本をもらってきて、それを参考にして作っていますが、カッコとかコロンやコンマひとつ抜けているだけで、動かないだけならともかく、ページが消えたりします。そういうときは、どうぞ、メールでお知らせください。
(実際に、教えていただくこともよくあります。Rさん、Nさんありがとう)
 いま、クリスマス用に、画像のまわりに電飾をきらきらさせようと、昨日からやっていますが、IEだと綺麗に表示できるのに、NNだと、画像がずれてしまう。なんでだろう.....。

 それでも、HAVATAMPAのサイトも、デザインはほとんど私がやっています。その縁で、つい先日、HAVATAMPAのピアニスト氏のサイト のリニューアルも手がけました。あと、このサイトの写真を撮ってくださってる写真家氏のページとか。
 写真家氏などは、「写真を撮ってあげる」「ホームページを作ってあげる」というバーター取引(笑)で、私はけっこう対等な条件だと思っていたのに、なんと、ホームページができたのがきっかけで、彼の方は、雑誌に取り上げられたり、ついには、この大不況のご時世に、仕事まで転がり込んでくる始末。いいなー!ビジュアル系って強いのね!
 というわけで、最近、仲間内Webデザイナー(いや、便利屋というべきか)と化しているのでした.....。


(10月29日 記)

 急に、大阪でのライブが決まってしまいました。
 プロデューサーのオレペコ企画の岸田さんは、大阪における渋谷ジァンジァンみたいな存在だった旧ミノヤホールから、レッドライオンの支配人を経てきた方。ジァンジァンの紹介で知り合って以来、けっこう長いつきあいです。(そのジァンジァンも今は亡く.....)
 大阪のフランス料理店で、ライブも特別企画としてやりたいということで、その幕開けにわたしを選んでくださいました。
 フランス料理店といっても、ディナーショウ形式ではなく、お食事希望の方は8時までにお召し上がりになって、ライブのみの方は、チャージと飲み物一杯でOKという太っ腹な企画です。軽いメニューも用意するとのことなので、せっかくだから、お食事もいいかもしれない。


(10月20日 記)

 ここのとこ、更新が滞っております。
 ひとつには、メキシコからCDをかかえて帰る途中、ロサンゼルスの空港で右手人差し指の爪を割ってしまったせい。
 さすがに、テロの余波で、荷物検査が厳しかったのです。レコード会社にちゃんとインボイスを作ってもらっていたにもかかわらず、メキシコの空港で梱包を開けられてしまいました。もちろん、デルタ航空は梱包をやり直してはくれましたが、ガムテープでぐるぐる巻きにしてくれただけで、最初につけてもらっていたプラスティックの帯は切られてしまいました。要するに、持つためのとっかかりのないただの箱にされちまったわけです。
 で、この30kgの箱を荷物受け取りのターンテーブルからひょいと持ち上げようとして、ぱっきりと爪を(それも先ではなくて、真ん中あたりをまっぷたつに)割っちまったわけ。
 まあ、これは(それなりに痛かったが)、空港の係員に包帯と消毒薬をもらって、自分で手当てして一件落着。
 とはいえ、ロサンゼルス国際空港って、医務室というものがないようです。怪我・病気の際には、空港外の病院まで行かなくてはならないのだとか。で、飛行機の中に常備する救急箱から必要なものを分けてもらうはめに。
 で、帰って翌日がライブです。
 今回は、ギターに『スパニッシュ・ コネクション』の伊藤芳輝さん、ピアノに斉藤哲也さんというお二人を迎えての、新ユニット立ち上げライブだったのですが、新ユニットだけに、そして、みんな(とくにサポートのお二人が)多忙のため、あまりリハーサルができなかったのもあって、当日、3時から通しで全曲リハ。
 そして、本番〜打ち上げです。
 コンサートたっぷり2回分は歌うと、さすがに、翌日は腹筋と背筋が痛い。
 20代のころは、10kgの荷物を持って、平気で長丁場のバックパッキングしていたのに、さすがの体力の衰えは隠せません。
 でも、年のせいだとは思いたくないので、このところの運動不足のせいにしつつ、そのさらに2日後には、亡き父の七回忌法要のため、実家のある大阪へ。
(註:わたしだって、木の股や石から生まれたわけではないので、親ぐらいはいます)
 ここで、法要膳の手伝いをしていて、今度は右掌に火傷をしてしまいましたがな。(なぜか大阪弁)
 まあ、すぐに水と氷で冷やしたので、腫れもなく、皮膚の一部に焼けたひきつりができたぐらいですみましたが、どうも、こういうことって続きますね。
 ということで、数日、オフにすることに決定。


(10月10日 記)

 人間、生まれるところを選ぶことはできません。
 そして、世界の人口比を考えれば、発展途上国と呼ばれる国の、貧困層と呼ばれる人たちの人口の割合はとても高いわけですから、たまたま先進国のはしくれであるニッポンなりアメリカなりに生まれたわたしたちは、それだけでも、とってもクジ運が良かったわけですよね。
 そう。はっきりいっちゃうと、単に「クジ運が良かったというだけの問題」。
 いくら才能があろうと、飢餓下のエチオピアに生まれていたら、赤ん坊のときに栄養失調で死んでいるかもしれないし、タイのストリートチルドレンに生まれていたら、インティファーダのパレスチナに生まれていたら、いやいや、同じ日本でも、江戸時代の農村は貧しかった.....なんてことを考えてると、少々びんぼーであったとしても、現在の日本に生まれたというのは、これはほんとに運がいい。
 で、だから、その運の良さを神様に感謝しましょうよ、なんつーことが言いたいのではなくて、アフリカやパレスチナや、要するに、貧しいといわれている地域や、戦火でひどい目に遭っている人々については、「ほんのちょっと運が悪かったら、それはわたしだったかもしれない」なんて、いつも思っています。
 クジ運がちょっと良かったというだけの理由は、クジ運が悪かっただけの人たちを、見放したり、見下したり、見て見ぬふりをする理由にはならない。少なくとも、わたしにとってはね。
 わたしは戦争に反対する理由は、要するにそういうことなのです。


(10月9日 記)

 とうとう、米軍がアフガン攻撃を始めました。
 で、日本も新法つくって、戦争参加ってか。
 Show the flagってのは、戦地で旗をなびかせろってことではなく、立場をはっきりさせろ、ぐらいの意味なんですが、小泉くんは英語が苦手でいらっしゃるようです。
 週刊誌などでも、戦争反対派の議員を『平和ボケ』呼ばわりしているらしい。
(インターネットのおかげで、メキシコにいたって、なんでもわかるのさ)
 それにしても、戦争に反対するのは、はたして平和ボケなのでしょうか。 

 というわけで、こちらの皆様にご意見を伺ってみたいと思います。よもや、94年以来、内戦中の(笑)メキシコを平和ボケとはおっしゃれまいよ。
 べつに八木の知り合いに限らず、たまたま今日入ったクレープ屋のおばちゃんなども、
「不景気だ不景気だっていっても、あれだけの軍隊を派遣できるんだから、アメリカの不景気なんて大したことないってことだよ。どうせ、また戦争で金儲けする連中が画策してるんだろうけどさ」
と、ばっさりです。
 現在、メキシコは、極右政党PANのフォックス大統領下にありますが、このフォックスくんは、ブッシュくんのお友達で、もちろん、国民の多くの意向を無視して、戦争協力を表明したため、支持率が落ちているようです。
  
 そんな調子で、やはりみなさん、戦争に反対の人が多いです。
 もともと、メキシコは、一般レベルでの反米感情が強く、アラブ諸国とも良好なつきあいをしてきたという経緯もありますが、「アメリカ人が6000人死んだのはもちろん気の毒ではあるが、パレスチナの人間が10000人死ぬのは可哀想じゃないのか」
 というあたりに尽きるみたい。
 この「パレスチナ」のところには、「アフリカ」でも、「エルサルバドル」でも「パナマ」でも、各自好みの国名を入れるのは可能。

 むろん、戦争慣れしているメキシコのジャーナリストたちで、たまたま、あの日、ニューヨークにいた人たちは、すごい取材をしてきたみたいです。カメラマンも、ほとんど「見てる方が怖い」ぐらいの映像を撮ってきた模様。
 ツインタワーからかなり離れたところにいながら、それでも一目散に逃げてた、日本のテレビ局のレポーターやカメラマンとはえらい違いです。
 このへんが、「所詮サラリーマン」、と「プロ魂のあるやつ」の違い。
 そして、戦争慣れした人たちが、主張します。
 戦争には、反対。
 これのどこが、平和ボケだろうか。というか、むしろ、戦争(それも現代戦)の現実をよく知りもしないくせに、煽ったり行きたがる方が、よっぽど平和ボケだと、わたしは言いたい。


(10月8日 記)

 一週間ほど前から、メキシコに来ています。
 目的は、わたしもCDを出しているレコード会社ペンタグラマ社の20周年の記念に、4日間にわたって、音楽フェスティバルが開催されていたので、それに出演するためがひとつ。
 もうひとつは、10月にメキシコで発売される、わたしの新作アルバム『Esta Mujer』を受け取りに。自分でも聴きたいし、少し日本に持って帰りたいもの。
 で、首尾はというと、アルバムはとっても素敵な出来です。
 このアルバムは、日本での拠点だった渋谷ジァンジァンがなくなったせいもあって、ここ数年、わたしが作家兼ラテンジャズ歌手(HAVATAMPA専属)になってしまっていたのに業を煮やして(?)、作曲家のマルシアル・アレハンドロが、訪ねてきて、「もういっかい、トローバ(吟遊詩人)の世界に戻ってこいよ。CDを作ろう」と言ったこと。
 そのあと、マルシアルや、やはり旧知のラファエル・メンドーサたちが、新曲を書き下ろして持ってきてくれたのを見て、また感動。中でも、言い出しっぺだけあって、マルシアルの曲は、すばらしいものでした。

    歌うことは私の喜び、私の命、私の仕事
  歌っているうちにできたのが、この女
  歌っているときの私がいちばん
  ほかに何を言うことがあるかしら
  歌っていれば、私の唇は愛で満たされる......

 こんな歌を捧げられて、もういちど歌わないわけにはいかない。
 レコーディングが決まると、今度は、ミュージシャンたちが、次々に手を挙げて参加してくれました。
 というわけで、低予算の製作にも関わらず、ゴージャスなアルバムができてしまったわけ。
 フェスティバルの方も、アルバムで一緒にやったキューバ人ギタリスト、フェリペ・バルデスと共演。彼は、キューバの『フィーリングの女帝』エレーナ・ブルケの専属ギタリストとしてのキャリアのある人で、彼女の日本公演に同行したこともある人。といっても、ふつうの伴奏ギタリストの域を抜けた、すごいインプロヴァイザーで、スリリングな演奏をする人です。今回のライブも、凄い盛り上がり。
 フェスの楽しさは、お客に混じって聴いてる同業者も多いことで、キューバのヌエバ・トローバのラサロ・ガルシアや、アルゼンチンのデルフォル・ソンブラや、ペルーのカルミナ・カンナビーノ、その他大勢メキシコのアーティストやら、今回初めて知り合ったフランシスコ・マドリガルなど、お互いにライブを聴きあって、その感想を互いに聞けたりするのだけど、「いい曲だねぇ!」「凄いギタリストじゃない!」
.....それはいいけど、わたしの歌にもコメントしてよね〜ぇ!


(2001年9月13日 記)

   ニューヨークで大規模同時多発テロが起こった。
 こともあろうに、わたしがライブのダイレクトメールを送信していたそのときにである。(その結果、わが知人の方々は、テロの大惨事が報道されている中、脳天気なライブのお知らせを読む羽目になったわけだ。なんてこったい)  民間航空機が、航空機がビルに突っ込む。
 これはまさに禁じ手である。しかし、テロが、いわゆる『戦争』とは異なる『テロ』であるのは、まさにジュネーブ条約もへったくれもない禁じ手を使うからこそなのだから、これを汚い手だの卑劣だとの言っても仕方がない。
 言い換えると、これが、『戦争』と『テロ』の違いなのだ。
 この手法は、「誰も思いつかなかった」というのも誤りで、たしかトム・クランシー(だったと思う)の小説にすでに書かれていた。この小説では、ホワイトハウスが標的だったが。だから、正しくは、「本当に実行できるとは、誰も思わなかった」というべきだろう。  と、重箱の隅をほじっても仕方がない。
 問題は、今後、どうなるか、ということだろう。
 おそらく、この手法は、航空機を操縦でき、且つ、死を恐れない人間を確保することができれば、もっとも有効な手法であることは立証された。彼らが原発に突っ込まなかったのが、まだしもである。
 これが有効であった以上、今後、同様のテロは常に起こりうるということだ。それも、改良(改悪というべきか)されたヴァージョンで。
 では、どうしたらよいのか。  むろん、テロ対策を強化するのは、ある程度まで有効だろう。(最大の問題は、人間は慣れてくると危険を忘れ、手軽さを優先させたくなるということだ)
 犯人逮捕に全力を挙げるのも、有効だろう。しかし、アメリカ国内だけでも400以上の過激派団体があるのだ。イスラム過激派を徹底逮捕したところで、今後、他の団体がやらない保証はない。それどころか、感情にまかせて、イスラム教徒にとっての弾圧に映るような状況に陥れば、事態はよりややこしいことになりかねない。  大切なのは、冷静に状況を判断することだ。
 アメリカ国民のもっとも良い点は、ピュアな理想論を信じる心やさしい人々が多いということだ。しかし、裏を返せば、情報操作されやすいし、感情に走りやすい。
 わたしが危惧したのは、あのテロ事件直後、「喝采するパレスティナの民衆」の映像が繰り返し放映されたことだった。
 冷静にご覧になればわかるが、この映像は、ごく一角の数人の人々を映したものにすぎない。
 しかし、笑っているオバサンは一人で、あとは子供数人の映像でしかない数秒の映像であるにもかかわらず、それらが繰り返し、悲惨に倒壊するビルの映像の間に挟まれて放映されると、まるで、パレスティナ人すべてが、テロを支援し、アメリカの民間人の死を喜んでいるかのように感じられる。
 これは、おそらく意図的なものではないだろうが、結果的には、おそらく、アメリカ人には強力な反パレスティナ感情を生んだだろう。
 これによって、パレスティナ政策に変化が起こり、さらにパレスティナ人を追いつめる結果になったら、これは別のテロを引き起こす引き金になりかねない。(パレスティナはもともと自爆テロの多いところなのだ)  むろん、人間の大量死に喝采するというのは普通の神経ではない。
 人の不幸を喜ぶ、というのは、それだけで十分に不幸なことだ。
 しかし、わたしたち日本人には......かつて特攻隊というものを持ち、カミカゼという言葉を作り出したわたしたち日本人には........そして、いまも『新しい歴史教科書』などというもので、「あの頃」を美化したい気持ちを抜きがたく残す日本人には、ある意味では、その気持ちが理解できるはずである。
 だからこそ、その不幸が何故なのか、を考えることが大切ではないだろうか。そして、それを理解したうえで、『仲介』役が果たせるまでになれば、日本は、立派であろう。  残念ながら、小泉首相の対応は、よく言えば無邪気、悪く言えば愚直であった。
 テロを非難する。まあそれはいいとして、「報復に積極的に参加したい」とは何事か。 報復によって、テロが激化した場合、この弛んで平和ぼけした日本も、巻き添えテロをくらって、準政治体制下で、国民がしゃきっとしたらよいとでも思っているのだろうか。 そんなことより、ここぞとばかり、アメリカのミサイル防衛構想についての無益さを説けないものか。原発については、安全対策を練り直したのか。
 まったく、危機管理音痴もほどほどにしたらどうか、と言わざるを得ない。