八木啓代のひとりごと 2005年下半期

(12月31日 記)

さて、どうも G4 くんが素直ではないので、思い切って Mac Mini 購入いたしました。それがまた、暮れの忙しいところに届くもんですから、昨日は一騒動。
しかし、なかなか気持ちよく動いてくれてはおります。OSが 10.4Tiger になっているので、使い勝手がちょっと変わってしまっていますが、まあ、慣れの問題でしょう。

それにしても、Macintosh、OS10.1がPuma、10.2がJaguar、10.3がPantherで、10.4がTigerなら、あとはもうLionしかないのでしょうか。それとも、DragonとかDinosourioとかが続くのかな?

などとパソコンをセッティングしつつ、大掃除。最後に、ちょっと奮発して大きな大正海老をどんと2匹乗せた年越し蕎麦。ちょっと今日は疲労困憊が美味しいもの食べると溶けていきます。デザートは頂き物の虎屋の羊羹。日本の大晦日だなあ。

皆様、どうぞ良いお年を。


(12月21日 記)

ところで、ボリビア大統領選。
決選投票になるという当初の予測を裏切って、過半数で先住民出身の(そして、コカ栽培の合法化を公約とする)エボ・モラレスが当選しました。
もちろん、ボリビア史上始まって以来のことです。

米国にすれば、イラク問題で支持率が落ちているときに、大きな痛手でしょう。痛手と言うよりは、悪夢か。これから、あらゆる経済妨害とネガティブキャンペーンを始めるでしょうね。

ボリビア東部で産出する天然ガスの、海への輸送パイプライン開発を成功させるかどうか、が、モラレス大統領の成功の鍵でしょう。
成功すれば、ボリビアは、一躍、極貧国から豊かな国になれるチャンスがある。
しかし、その建設費用や技術的な問題が前にのしかかっています。
いままで、モラレス氏がやってきたことは、主に「破壊」でした。
彼が「建設」をすることができるのか。

以前指摘したように、パイプライン最短距離になるチリとボリビアは伝統的に仲が悪く、モラレス自身、チリの港にパイプラインを通さないことを公約にあげているほど。しかし、かといって、ペルーを通すとなると、そのペルーの政情問題もからんでくる。

もっとも、悪いことばかりじゃありません。
まず、キューバが、取り急ぎ大量の医師と看護師を送り込んでくれるでしょうから、比較的短期間に、山間部の、特に先住民の人たちの医療衛生状態は大きく改善するでしょう。
そして、当座の差し迫った問題として、ベネズエラから石油援助もあるでしょう。パイプライン建設のための資金にも投資してくれる可能性がある。

チリの次期大統領も、来年1月の決戦投票に持ち越されたものの、左派の社会党女性候補ミチェル・バチェレがおそらく大統領になるでしょうから、チリとの歴史的和解にこぎ着けられれば、ガス輸送パイプライン建設も混迷が続くペルーより現実的かもしれない。

コロンビアも政府とゲリラの歴史的和解が始まりました。
中南米は少なくとも、大きな痛手を超えて、「新自由主義経済の次」の模索を始めたようです。

そして、日本は逆に、歴史に逆行していこうとしています。


(12月20日 記)

ええ、ここ数日間、悪運に取り憑かれております。
確か、去年の今頃も、そういうことがあったような気がするんだけど......
(たしか、スズメバチの巣と、家の競売と家主の夜逃げだったな。くわしくはこちらをどうぞ)

まず、パソコンの不調や風邪がなかなか治らないのはともかくとして、3日前、洋服掛けが倒れて下敷きになりました。(笑)

洋服掛けというのは、中央に心棒があって、ぐるりにハンガーを掛ける、といっても結構大型のタイプのやつですが、服を取ろうとしたらいきなり、ぐらり。
そういうときに限って、家に誰もいない。そのまま倒してしまうと、その先にあるふすまにズブリといくかもしれないので、洋服掛けを必死で支えたまま、吊してあるハンガーをはずせるだけはずし、そのまま、半分解して、立て直してから、組み立て直し、服を吊し直す。
.....っていうとどうってことないんですが、端から見てたら、半時間あまり、さぞ、アホみたいな光景だったでしょう。

そして、翌日(2日前)。
台所の高い棚(あんまり使わない鍋とか入れておくところ)にあるカセットコンロ(テーブルの上での焼き肉とか鍋用のやつです)を仕舞おうとして、いすに乗ったら、なぜか、椅子がぐらり。転落。その下にはゴミ箱。(大爆)
まあ、昔取った杵柄というのかなんというのか、わたし、これでも武道やっておりましたから、転んで、頭を打ったり手や腰を痛めるというのはまずないのですが、(おしりに痣ができただけ)、運が悪ければ、怪我してても不思議はないですね。ゴミ箱が思い切りひっくりかえったので、台所掃除やり直し。(笑い)

さらに昨日。
これは不注意というと不注意ですが、プラスチックのボールをコンロのそばに落としてしまって、プラスチックが溶けて穴を開けてしまいました。
まあ、それ自体は、100円ショップでも売っているような安物のボールで、しかも汚くなってきたので、そろそろ買い換えようかと思っていたぐらいだったので、べつにいいのですが、なんと、そこから、あやうく火事を起こしてしまいそうになったのです。
もちろん、穴の開いたボールは燃えないゴミのゴミ箱に直行になったのですが、その溶けたプラスチックの飛沫が床に落ちていたらしい。
それから10数分以上たってから、プラスチックの焦げたような変なにおいがなかなかとれないので、気になって台所を確認しにいくと、折しもキッチンマットから小さな火が.....。まさに燃える直前。あと5分気づかずに放っておいたら、危なかったかもしれません。
もちろん、すぐ消し止めましたから、実害は例の安物のボールのほかは、キッチンマットだけだったのですが。
しかも、キッチンマットのおいてあるあたりって、みなさんそうでしょうが、台所の流しやガスコンロ、調理台の足下。その中には、調理油類やアルコール類などもありますよね。
危うく年末に大惨事。
いやあ、背筋が冷えました。

これって、ふつう、こういうことって続く?
なんかあるよね。天中殺(死語)とか大殺界(死語)とか。
いっぺんお祓いしてもらったら。

などと知人に言われて、まあ、お祓いはしないまでも、数日、行動を自粛しようとしていると、今朝の明け方!

トイレに行って、便座に座ったとたんに、それはもう絶妙のタイミングで電球の球が切れました。
真っ暗........。
小学校の頃にはやった、トイレの怖い話を思い出しますねえ。

やっぱ、お祓いしようか。


(12月18日 記)

たくさん柚子をいただきました。
だもんで、柚子風味の料理いろいろ。

柚子と山椒というのは、少量でお料理に高級感を与えてくれることでは極めつけの素材ですが、こんなにあるとうれしいなあ。
最初は柚子風呂を考えましたが、もったいないので(そこが貧乏くさい)、柚子ジャムなど作ろうと思います。香りがいいだろうなあ。蜂蜜漬けもいいかも。

などと思っていると、風邪をこじらせてしまいました。
とりあえず、柚子入りはちみつ湯。

そろそろクリスマスなので、シュトーレンなども作ろうと思っているのですが、どうも、いまいち体がだるさがとれなくておっくうです。

しかも、またPowermac G4くんの調子が悪い。まあ、6年前の機種ですからねえ。
速度も400Mzなんだもの。メモリをだいぶ足してやっているので、なんとかPhotoshopやIllustlatorはおろか、システム必要条件500Mz以上のはずのKeynoteすら動いていますが、ときどき、考え込んでくれてしまいます。
それだけならいいんだけど、ここしばらく、週一回ぐらいの割合でフリーズ。
月に2回ぐらいは、Disk Worrierとか、Tech Took Proといった修復ソフトをかけてやんないと、起動もしてくれなくなってしまう。

まあ、寒くなってからは、ちょっとした作業なら「こたつでiBook」が多くなっているので、さほど不便でもなかったりするのだけど、やはり、これでは困ります。

とはいえ、でかいけどNanaoの高性能ディスプレイも元気だし、色はきれいだし、キーボードもあるので、それじゃMac Mini買うしかないかとまじめに検討しているのですが、そのとたん、媚びを売るかのように、G4くんたら、快調なんですよね。
おまえ、人の心が読めるのか...。


(11月29日 記)

さて、ずいぶん間を開けて、大量更新です。
ときどきこういうことをするので、「Blog」にしたら、更新の手間が簡単ですと、といってくださる方もおられたりして。

ええと、それがですね。実を言うと、html化が面倒だから、まとめて更新になるんじゃないのです。
ハイパーテキストをほんのちょっとご存じの方なら、このページのソースをごらんになれば一目瞭然なんですが、このページのhtmlは非常にシンプルな作りになっています。
私は文章を、Jeditというエディタソフトで書いているのですが、本文さえテキストファイルを書いちゃうと、このエディタ付属のマクロメニューで、えいやっと、ほとんど一括変換できてしまう。

じゃあ、なんで、まとめて更新になるのか、といいますとですね。
「書きかけ」文章をためてしまうのですね。途中まで書いて、どうも締めが決まらない、というか、宙ぶらりんというか、何となく気に入らないとか。そういうのを溜め込んでしまうのです。いかんとは思うのですが。
だから、たぶん、Blogにしても同じことになると思います。すいません。

なんてことを書いて、一括大量更新の言い訳にしようとしていたら、がっぴ〜ん!
パソコンがいきなりフリーズしてしまいました。

マックOSXにおいて、フリーズというのは、かなりの異常事態です。
あわてて再起動すると............。

画面に白い林檎が亡霊のように浮かび上がるものの、それっきり。
5分たっても10分たっても、林檎の霊が浮かんでいるだけ。

........起動しない。

まあ、こういうことは過去にもあったので、あわてず騒がず、インストールディスクを入れます。
インストールディスクから起動させて、これに付属しているディスクユーティリティで修復、という基本的なやり方です。

......認識しない。

一瞬ひるみましたが、こういうことも過去にはあったので、あわてず騒がず、より強力なTechTool Proという修復ソフトのCD-ROMを取り出し、こちらから起動させようとする。

起動。ほ〜らね。できるじゃん。

と思ったのが甘い。修復ソフトの動きが、フリーズではないものの、異常に遅い。ふつうなら数秒で終わる探査に10分以上。
なんかいやな予感だけれど、とにかく待って待って待つ。
夕食を作り、夕食を食べ........映画を見て寝てしまう。

翌朝、再起動すると、同じ状態。白い林檎の亡霊が......。

Tech Tool Proというのは、ハードの診断もできるソフトなので、これで異常が出ていない以上は、機械そのものがご臨終ということではないはずなので、何とか解決ができるはずなんだけどな。

とにかく、データだけでも救おうという方に方針転換。
実は私は、わりとこまめにバックアップをとるたちなのだけど、今回に限って(だいたいこういう時ってそうなんだよね)、11月にはいって雑用で忙しかったので、イギリスから帰国した11月5日以後のメールデータや作成書類をまったくバックアップしていなかった。
その中には、書きためていたモノローグの原稿も含め、失うにはちょっと悲しい代物もあったりするのである。(そういうときに限ってそうなんだよね)

iBookとG4をFirewireで接続し、G4をターゲットディスクモードにして起動。(Tのキーを押しながら起動すると、マッキントッシュは外付けハードディスクと化すのだ)
ああ、それなのに、iBookくんのデスクトップに外付けハードディスクのアイコンは現れてくれない。
認識していないのだ。がーん。

ええい、負けないぞ。

と、今度は、iBookから、DiskWarriorをかけてみる。
こんども超のろのろ動いているが、じっと耐える。

「致命的なエラーがあります。修復しないと先に進みませんが、修復しますか?」
当たり前だろうが。

というようなことを繰り返し、最後まで行くと、おお、デスクトップに、なつかしいG4のハードディスクのアイコンが...。
ここで、G4くんの気が変わらないうちに、あわててファイルを広げ、メールデータやここ一ヶ月の間に作った記憶のあるファイルをiBookに移植する。
これで、最悪の事態は回避。

ここからもう一度、さっきはインストールディスクのCD-ROMから起動しようとして失敗したディスクユーティリティを、今度はiBookからかけてみる。今度は、ゆっくりだがちゃんと動く。異常なし。
さらに、もういちど、iBookからTech Tool Proをかける。さっきよりはだいぶすみやかに動く。異常なし。

ここで、iBookを切り離して、G4単独で起動。じゃ〜ん。

復活です。これが、午後2時ぐらい。現在午後8時前で、まだちゃんと動いています。
どうやら、いまのところ直ったようです。
ということで、大量更新も可能になりました。

でも、こういうことがあるんだから、やっぱり、こまめに更新した方がいいですね。反省。


(11月12日 記)

共謀罪というものができてしまいそうです。
実際には何もしなくても、団体が「犯罪」の相談をしただけで罪に問うという法案です。
その団体の定義も、きわめて曖昧。「某ワイン酒場で、ワインを愉しむ会」などとうっかり名乗ってしまったら、それも団体。
で、酔っぱらったついでに、「えーい、あんなバカ上司締め殺してやりたい」と誰かが騒いだとして、まあ、酔っぱらってことですから、その場にいた人たちが、「まあまあ、気持ちはわかるよ」程度でおさめておいたとします。
すると、立派な共謀罪成立です。

なんてことが、実際あるわけないと思うでしょ。常識で。

ところが、「ポストにチラシを入れただけで不法侵入」「妹と住むという名目で借りたマンションに友達が転がり込んだので詐欺罪」「駐車車両の取り締まりに来たおまわりさんに、取り締まりの説明を求めるために、パトカーの助手席側にかがんだだけで、パトカーの進行を妨害したとして、公務執行妨害」なんつー、それこそ、常識ではかりしれない、とんでもない理由で不当逮捕が相次いでいるのが、ここ最近の日本なんですわ。

ここで、こんな法律ができたら、もう、こじつけやりたい放題・不当逮捕天国ですね。というか、まさにそのためにだけに作られるような法律であります。
詳しくは、以下をご覧ください。

http://kyobo.syuriken.jp

どうです。真剣にカナダあたりに移民したいと思いません?
今、アメリカ合衆国では、カナダ移民希望者が激増しているそうですが、日本も近々、そうなるのでは。


(11月10日 記)

イギリスに行っていました。
写真家の岡部氏、今年は大ブレイクです。先日のポルトガルでの個展が評判がよかったらしく、イギリスで開催されたWOMEXという世界音楽博のオフィシャル・フォトグラファーに選ばれたとか。
このWOMEX、参加料も高いのですが、岡部氏の特権で、3名まで無料、しかもスタッフ扱いというので、八木もついて行ってきました。

これが凄い。

世界各国、ヨーロッパ、アフリカ、中近東、アジア、ラテンアメリカから、40以上のグループがライブをやるほかに、各国のインディーズ系のレコード会社、プロモーターが、一同に会する大情報交換見本市。
といっても、主にヨーロッパ中心で、ラテンアメリカとアジアはかなり弱いと見ましたが、それでも、その情報量はものすごい。
こういう見本市で、情報交換をすることで、広報力・国際宣伝力が弱いというインディーズの弱点をフォローするという取り組みというわけです。
これにつきましては、岡部氏のサイトの写真がその凄さのすべてを物語っていますので、そちらをごらんください。

会場はイギリスのニューカッスルにあるセージ・ゲーツヘッドという、3つのホールを擁する二重橋の東京国際フォーラムみたいな近未来風の建物だったのですが、中心となっているのは、ドイツのプロジェクトチームで、これがまたすごい。すべて完璧に時間厳守。3会場での40以上のライブが押さない(ライブの開演が遅れないこと)。
そして、スタッフは、楽屋裏にスタッフ用のレストランがあったのですが、これもすごい。

ホテルの貸し切りパーティールームぐらいのところに、ビュッフェ形式。完璧に装った制服のメイド付き。
メイドです。本物のメイド。

秋葉原をうろうろしているメイド(爆)ではなくて、あの由緒正しい白いひらひらエプロンの、金髪にピンクのほっぺのイギリス人メイド。
そして、銀色のお皿に並べた冷製オードブルに、まるで一流ホテルから持ってきたかのような、銀色の覆いのついたビュッフェのホットプレート。ちゃんと、流麗な飾り文字で「本日のメニュー」なる一覧も飾ってあります。

冷製:各種コールドミート、季節の野菜のマリネ、チーズ盛り合わせ
温製:チキンのクリームソース、タイ風カレー、メキシコ風チリコンカルネ
デザート:各種ケーキ盛り合わせ、果物

おおっ!なんだここは。一流ホテルかい。
と一瞬喜んだのもつかの間。それらの食事は、すべからく「何ともいえない」お味付けなのでした。

なぜ、チキンのクリームソース、タイ風カレー、メキシコ風チリコンカルネがすべて同じ味をしているのか、いったい誰に説明できるでしょうか?
ええと、すごくまずいわけではないんです。なんというか、同じ味。なにかが根本的に欠けているような感じの。
....そうか、これがイギリスかあ。

ちなみに、見本市期間中、メニューは毎日変わっていましたが、味はみんな一緒でした。
素材が悪いわけではないのです。(すごくいいわけでもないけど)
ただ、何というか、味付けのセンスに「違う美意識」というか「歩み寄れない何か」があるのですね。(笑)
ああ。こんなに衣装や器に凝るなら、その数分の一のエネルギーを「味付け」にまわしてくれよぉ。

わたしは、これまで、外国に行くときに醤油を持って行く日本人をバカにしていましたが、撤回します。なおかつ懺悔します。
イギリスに行くなら、醤油を持って行きましょう。
ちなみに私たちをけっこう救ったのは、行きのKLMオランダ航空の機内食についていた小さなプラスチックのお魚くんでした。(大爆)

ちなみに、泊まっていたのは、岡部氏が見本市のご招待だったおかげで、けっこう高級感のあるデザイナーズ・ホテルでした。
一階のレストランも、天井の高いヴィクトリア風の建物を改装したもので、ニューカッスルのちょっとスタイリッシュな人たちが出入りしている感じ。
ウエイトレスさんも上品だし、お皿もカトラリーも朝食の盛りつけも、すごく美しい。
味は......幸いなことに、かりっと焼いたトーストには自分でバターとジャムを塗り、味付けなしのふつうの目玉焼きには自分で塩胡椒しましたので、とってもおいしく食べられました。そう。素材は悪くないんですよ。しかも、揚げたり焼いたりする加減も別に下手なわけじゃないんですよ。味付けがなんかへんなだけ。

ちなみに、そのあと行ったロンドンでは、スターバックスとマクドナルドとバーガーボーイとケンタッキーフライドチキンだらけでした。
イギリス人にとって、あれが「とてもおいしい」というのはわからないでもないけど、だとしたら、何で、ふつうのイギリス料理をもうちょっと工夫しないんだろうか???謎です。


(11月7日 記)

わかりやすい、ということは、そう簡単ではない、と書きました。
簡単ではありません。
だからこそ、わかりやすい説明、には注意しましょう。

何事でもそうですが、世の中に、そう簡単にすぐわかるものがあるわけないのです。
たとえば、あなたのお仕事だって、3つぐらいの言葉で簡単に説明できるようなものじゃないでしょ?

たとえば、「パン屋です。パンを焼いています」という方でも、そのパンに愛情があればあるほど、説明したいこと、説明しなくてはならないことが、それこそ、本が一冊書けるぐらいあるはずです。

ましてや、政治思想や経済論などは、簡単にわかる方がおかしい、と思っていてください。

政治や経済が簡単に説明できるものならば、人類は2000年前に理想社会を建設し、飢える人などいないはずです。
簡単ではないからこそ、古代から、知恵者と呼ばれる人たちが、あらゆる可能性を考え、分析し、理論を作る。
しかし、その分析も理論も、それ以上に激しく動きゆく歴史や、あるいは民族や文化によって異なる価値観のために、決定的な解決を生むことができないわけです。まるで、変異してゆくウイルスのように。

そして、だからこそ、重要なことがあります。
ある一つの思想や理論が、決定的な解決を生まなかったとしても、それがすべて間違っているということにはならないのだということにはならないわけです。あるワクチンが、変異したいまのインフルエンザには効かないとしても、結核には特効薬だったのかもしれないのです。
そしてまた、その(いまはほとんど役に立たないかもしれない)ワクチンを、過去のその時点で作り出すために、それだけの努力と研究が必要であったかということと、その基礎そのものは、現代にも通用するかもしれないのです。

歴史上、思想や哲学と呼ばれているものも、それと同じです。
19世紀の産業革命の時代に生まれた思想が、現代的ではないという人は、そういう批判自体が愚かであることに気がつくべきでしょう。それは19世紀の思想なのです。
言うまでもなく、その19世紀の思想を、そのまま現代に当てはめようとするのはもっと愚かですが。

だからこそ、思想や歴史を「簡単に説明する」ということの危険性にも気づく必要があるでしょう。
歴史に両面があるのは当然だし、思想だって、賢人が過去の歴史から学び、分析し、考えて発想したものを、ふつうの人間が簡単にわかるように「簡略化」などできるわけがないのです。

人間は、対象に対して、真摯な情熱があればあるほど、簡単にはしょった説明などできません。

だからこそ、「わかりやすい説明」には注意しなくてはなりません。
それが、自由主義経済論であり、フリードリヒ理論であり、レーニン主義であっても、はたまたキリスト教神学でも、同じことです。
「入りやすい入門書」はあるかもしれませんが、「これだけ読めば、全部わかるような、わかりやすい解説」などあるわけがないのです。
もしも、あるとすれば、それはとても危険です。
とりわけ、それが政治や経済に関するものであるときは。

わかりやすい言葉。

たとえば、「すべての改革が具体的にどういうものであるか、また、その結果どういう事態が起こりうるかという、いくつものパターンのシュミレーションまでも含めた、本来ならそれだけでかなり分厚い企画書と論議が必要であるはずの内容」について「郵政民営化がすべての改革の手はじめ」で、わかったつもりにしてしまうこと。

これは、まさに、ヒットラーやスターリンの得意な手法でもありました。


(10月25日 記)

最近、私は日本語の曲を歌うことも多いけれど、原則として、あまり「いわゆる翻訳物」の歌のレパートリーは多くはありません。できるだけ原語で歌うようにしています。
もちろんそれは、カッコをつけているわけではありません。

他の歌手の方の場合も含めて、原語で歌う理由というのは、いくつかあって、最大の理由は、言葉の音韻の問題とそこから生まれる雰囲気の問題でしょうか。
フランス語にはフランス語の音韻があり、英語には英語の音韻がある。
同じ歌であっても、イタリア語で歌うのとドイツ語で歌うのでは、かなり雰囲気が変わってしまいます。
同じラテン語系で、鼻にかかる系統の原語であるポルトガル語とフランス語ですら、けっこう違う。
ましてや、日本語というのは、ヨーロッパ語系(この場合、ラテン語系とゲルマン語系)の言葉と比べて、たんに、母音が多いか子音が多いかというだけの問題ではなく、口蓋の使い方そのものが違います。

よく、日本の幼稚園や小学校で「大きく口を開けて歌いましょう」と習いますが、なぜかというと、日本語の母音の発音は顎と唇でおこなうからです。
ちょっとここで、少し意識して、アイウエオと発音してみてください。一番動いているのは唇だと思います。

しかし、ヨーロッパ語系の原語は、唇よりもむしろ、口蓋の内側と舌で母音を発声します。
といってもわからないですよね。(笑)
歯を閉じた形で(つまり顎を動かさないで)、アイウエオと言ってみてください。普段使ったことのない、上顎の奥の方とか口の中が振動しているのがわかると思います。極端に言うと、唇をほとんど動かさなくてもアイウエオの発音ができる方法です。
これは、このまんま裏声で歌えば、すぐに頭蓋骨に音を響かせるクラシック的な唱法につながる発音で、地声でこれをやるとブルガリアンボイスみたいになります。
これがわかっていると、あのクラシック的唱法の基礎は特殊なものではないということがわかります。

これに比べて、日本語の発声は唇と顎でおこないます。口蓋内に響かせるということはやりません。鼻のあたりで響かせる感じでしょうか。そのまま歌うと、ビブラートのかからないユーミンの唱法、ある意味、日本人にはもっとも自然な唱法です。

つまり、発音が若干違うという問題ではなく、根本的に違うのです。

余談ですが、英語とかフランス語は、日本語と発音がかなり違うので、学ぶ方もかなり「できない発音を習得しよう」として学びます。ただ、スペイン語やイタリア語は、母音の数が日本語と同じ、発音もローマ字とほとんど同じで、カタカナ読みでもかなり通じるということもあって、学ぶ人には、文法を習得しようとか単語を覚えようという努力はあっても、「できない発音を習得しよう」とはほとんど思わないようです。
まあ、実際、通じるという点では、現地に住んでいてさえ、それで不自由はないのですが、ただ、歌を歌うとなると少し事情は変わります。カタカナ読み方式だと、いくら練習しても、なんとなく変なスペイン語になってしまいます。プロの方でも、そのへんのことがわかっておられない方は、日本にはかなり多いです。

さて、そんなわけで、話は戻りますが、ドイツ語の歌は、ドイツ語から生まれたわけですから、その雰囲気を持っています。
シャンソンをドイツ語で歌えば、もうシャンソンの雰囲気はないだろうというようなものですね。
ですから、ジャズを日本語で歌えば、やはり「違うもの」に変じてしまう。

始末が悪いのは、スペイン語系の歌を日本語で歌うと、ムード演歌になってしまう。(大爆)
これにはもちろん理由があって、よく、ラテンアメリカの音楽が日本人に親しみやすいのは、アンデス民謡(いわゆるフォルクローレ)がいわゆる日本の民謡音階と似ているから、という説が一般的ですが、それだとタンゴやいわゆるラテンに親しみを感じる日本人の多さには説明ができない。
むしろ、終戦後の日本の歌謡曲が、ラテンとタンゴの影響を強く受けてきた結果、と言うべきでしょうね。

時代的に戦時中の日本ではタンゴがよく聴かれていましたから、終戦後の歌謡曲の伴奏は、40年代のタンゴ楽団の音作りを模倣したようなものが多かったですし、50年代には世界的なマンボ・ラテンブームがあり、その影響で、日本でもラテンがよく聴かれるようになり、その結果、大衆歌謡にもその音作りをとりいれたものが多かった。とくに、ムード演歌と呼ばれているジャンルは、まんま、メキシコでボレロと呼ばれるラテンバラードを日本風にアレンジしたものです。演奏者や歌手も、下火になったラテン業界から歌謡曲の世界に行った人が中心となっていました。

で、その結果として、ボレロを日本語で歌うと、もろにムード演歌になる、と。
日本語の発音が、早いフレーズのリズムに乗りにくいというのもありますね。

また、高低アクセントを持つ日本語そのものが、メロディを規定するというという特性も見逃すことはできません。
直訳してリズムに乗せると、たいてい意味不明になるのはそのせいです。

そんなわけで、お客さんに歌の内容がわかるというだけの理由で、簡単に日本語訳をするということは、曲が本来持つリズム感やメロディをかなり変質させてしまうだけではなく、雰囲気(音楽を鑑賞するうえで、これはかなり重要)をもまるっきり別のものにしてしまいかねない危険性をはらんでいるということです。

もちろん、それをすべて納得したうえで、その危険性を最小にするべく吟味を重ね、あるいは確信犯的にあえて「別のものにする」ことをいとわず、日本語訳で歌う場合もあるわけですが、私の見るところ、安易にそれをやっているケースが目立つのも確かではあるのです。

さて、日本語化のもうひとつの問題。
言葉には、文化という背景があります。それも、その言葉が日常生活に密着した言葉であればあるほど。

たとえば、「四畳半」という日本語の言葉がありますね。
この四畳半という、3シラブルの言葉で、日本人は多くのイメージを浮かべますよね。
神田川にイメージされる、洗面器を持って銭湯に行く昭和40年代の暮らし。洗練というよりは、ちょっとごみごみした雰囲気。人によっては、まずエロティック、というより淫靡な感触を感じるかも。

つまり、四畳半の翻訳は「1.65平方メートルのほぼ四角形の部屋」ではないし、「畳四枚半分の広さ」でも言い表せないのです。でも、そのイメージを、もし日本を知らない、日本に来たことのない外国人にどうやったら伝えられるでしょう?
いや、なまじっか日本が好きで、日本に観光旅行に来たときにはちゃんと旅館に宿泊し、京都や奈良や鎌倉もきっちり名所旧跡を観光したし、箏と尺八の伝統邦楽のCDもお土産に買って帰ったというような「日本好き」ガイジンの方が、かえって、誤解度は大きいかもしれません。

逆も真です。
Black teaは紅茶のことですが、イギリス人の実生活におけるBlack teaは、日本人の知る「イギリス風のティータイム」の紅茶とはけっこう違う。
言うまでもなく、メキシコ人とはひたすらアスタマニャーナの「陽気な人たち」ではないし、キューバ人が脳天気に踊ってばかりいるわけでもない。
まったくはずれているわけではなく、ある意味、事実でもあるというのが、よけいに誤解を招くわけですが、それは所詮、四畳半の翻訳を「1.65平方メートルのほぼ四角形の部屋」と訳すようなもの。
日本人は狭い部屋を作るのだなあ、日本人は小さな家に住んでいるという話だからなあというだけの印象で終わってしまっては、けっこう「木を見て森を見ず」になってしまいます。

それぐらい、翻訳というのは難しい。

小説なら、まだ、全体が長いですから、その全体の中である程度イメージを作る助けにしてもらうとか、必要な場合、脚注などで解説するということができますが、これに絶対的な長さという成約があり、且つ、リズムやメロディの足かせがある歌では、正確な翻訳はまったく不可能だということが、わかって頂けるかと思います。となると、正確でないのは承知の上で、何を重視してどう汲み取るか、しかないわけですね。
しかし、その場合でも、つねに、「異言語、異文化間での、翻訳という作業は、簡単なことではない」ということを理解したうえでないと、それはただの軽薄なものでしかないという可能性があるかも、ということを念頭に入れておいてくださいね。


(10月1日 記)

9月30日、画期的な判決がふたつありました。

大阪高裁による小泉首相の靖国参拝違憲判決。
職務として参拝していないと言ったところで、公用車を使ったら、そりゃああた、公私混同でしょう。という以上に、一国の首相である以上、私的行動であろうと、国際常識をわきまえた行動が必要だということだ。

「戦没者への哀悼をささげるとともに、二度と戦争を起こしてはならないと参拝している」というなら、太平洋戦争を「やむをえなかった」と断言し、A級戦犯を「ぬれぎぬ」と主張する、宗教に名を借りた政治団体靖国神社に参拝するのは、日本語の読解暴力がとても低いのでなければ、どう考えたって矛盾なのですよね。

そして、松下が、ソフト会社ジャストシステムを相手取って起こしていた特許訴訟での逆転敗訴。
これ、ご存じでしたか?

ワープロソフトといえば「Micrsoft Word」と思っている人が増えている嘆かわしい最近の現状はともかく、MS-DOS時代から、パソコンを使っている人たちにとっては、ジャストシステムの「一太郎」「花子」は、パソコン用の日本語ワープロソフト、図形ソフトとして馴染みの深いものでした。いまでも、日本語入力機能に優れているこのソフトを愛用している人は、それなりにいるわけです。
その「一太郎」と「花子」の、ヘルプ用のアイコンが、1989年に松下が自社のワープロで使い、また特許を取得していたものと同じとして、提訴したわけです。

これのどこが問題なのかと言いますと、「弱いものいじめ以外の何者でもない」からなのでありまして、日本中のパソコン関係者の顰蹙を買い、松下製品不買運動にまで発展してしまったわけです。

では、どこが弱いものいじめなのか。

問題のアイコンは「マウスに?をあしらったアイコン」で、これをクリックするとヘルプモードになって、機能が説明される、というもの。
それって、見たことあるでしょ。
そうなんです。誰が見たって、マイクロソフトの「ヘルプトピック」、マッキントッシュの「バルーンヘルプ」と同じもの。

で、ここで、松下が、「うちの方が早かった」とマイクロソフトを訴えてくれたのだったら、「えらい!松下!がんばれ日本!」と言いたくなるのですが、なんで、マイクロソフトを訴えないで、それも最近になってからジャストシステムなんかを訴えるのか。そこが、「弱いものイジメ」というわけです。

そりゃ、マイクロソフトといえば、マッキントッシュのデスクトップをあざとく盗用したウィンドウズを堂々と発売して、しかも、当然のマッキントッシュ側からの提訴には、訴訟に強い弁護士軍団と政治力とで、ことをうやむやにしてしまったようなえげつないビル・ゲイツが相手です。アメリカでの裁判には莫大な金がかかるし、内容もセコイだけに、おそらく、あっけなく負けるでしょう。

だからといって、天下の松下が、同じ日本の、それも弱小企業を、こういう姑息なことでいびって、足を引っ張って、どうするんだ?松下幸之助さんが生きてたら、情けなくて泣くんじゃないか?頼むで、松下。

私の世代は、なんとなくソニーと松下の好感度は高い世代です。ソニーはダサイ製品を発表してほしくないし、松下は、弱いものイジメみたいなみみっちい真似をしてほしくない。
だというのに、あのSONYの新型ネットワークウォークマンのダサさといい、今回の松下の訴訟騒ぎといい、本当に日本の製造業は、どっかおかしくなっているんじゃないか。

そんな中での、松下敗訴です。当たり前というか、それを判断できる司法がまだ日本に存在していて良かったと思います。松下、控訴して、これ以上、恥を上塗りしないでくれ。でないと、本当に不買運動するぞ。


(9月29日期)

いやあ、今年の阪神は強かったですね。

2年前に比べると、盛り上がりが乏しいとかいわれていますが、以前より岡田監督待望論者だった私といたしましては、今年の優勝はとてもうれしい。

ところで、数日前、なかなかしつこい新聞の勧誘が来ました。断ってるのになかなか帰らない。景品のビール券にも洗剤にも関心がないと見ると、値引きです。それも、一ヶ月無料に始まって、その後、料金半額。そんなんあり?まともに払って新聞とってる人が聞いたら気を悪くするだろうに。

それで、こちらも奥の手。
「あのね。うちは、家族全員、熱狂的な阪神ファンだから、おたくの新聞は取れないの」(もちろん、嘘です)

すると、食い下がる勧誘員。「で......でも、今年のジャイアンツは、阪神優勝に貢献してますよ」

自分で言いながら、うなだれて帰っていったんですけどね。ううむ、やるなあ。


(9月27日 記)

新国立劇場で、オペラを見てきました。「ニュールンベルグのマイスタージンガー」
あまり知られていないですが、この劇場、一番安い席だと1500円からオペラが楽しめます。

マイスタージンガーというのは、「親方歌手」とでも直訳したらいいでしょうか。
ドイツのマイスターというのは、伝統的な職人制度の頂点に立つ存在で、現在も立派な国家資格。マイスターともなれば、一流企業のエリートサラリーマンに匹敵、あるいはそれ以上の社会的地位があると言われています。

で、この物語は、そのマイスターたちの権威がもっとも強かった16世紀のニュールンベルグ。

ここでは、マイスターは各職人組合の頂点に立つとともに、歌唱芸術の担い手です。つまり、歌がうまくなくてはマイスターとは認められない。この場合の歌は、作詞・作曲家も兼ねているので、すぐれた詩が書け、曲を作り、なおかつ歌えなくてはいけないわけです。

そんな町に貴族である騎士がやってきて、金細工マイスターの娘に一目惚れ。
ところが、その娘は、翌日のヨハネ祭でのマイスターの歌試合の優勝者と結婚することになっている。

そこで、騎士は一夜漬けでマイスターの歌試験に挑むが、伝統をまったく無視した歌い方にもちろん不合格。

しかし、生意気な騎士に革新的で型破りな才能を見いだした靴職人マイスターが、ヒロインの心も騎士にあることを知り、じつは密かに彼女を愛していた自分の心を隠して、騎士に密かにアドバイスを与え、最後は、伝統にこだわるだけの歌い方しかできない恋敵に恥をかかせて、二枚目が優勝、めでたしめでたし、という話。

まあ、オペラも歌舞伎もそうなんですが、むかしのエンターテインメントですから、だいたいは惚れた腫れたの話です。

ただ、このオペラ、ちょっと面白いのは、マイスターの歌試験で「自分は由緒正しい貴族の家柄」とのたまう騎士は、「貴族は親が貴族ならバカでもなれるが、職人は個人の能力」とやり返される。
じっさい、彼が貴族だからトクをするということはない。そして、最後は彼は、騎士であることをやめて、「名誉あるマイスターになる」ことを受け入れる。

そして、「伝統を守ることは大事だが、それだけに囚われると芸術は硬直した滑稽なものに成り下がり、かといって、革新だけを重視して伝統をないがしろにしていては、芸術は守られない。ドイツ万歳」と靴屋マイスターが歌い上げ、町中の市民がマイスターを称える大合唱で大団円なのですな。
(だもんで、結局のところ、主役は若い二人ではなく、靴職人マイスターみたい)

ここの部分の歌い上げ方、ヒットラーに好まれてしまったのも、無理はないぐらいの迫力があるのですが、ただ、メッセージそのものは、じつにまっとう。

今回の演出は、ちょっとイタリア・オペラっぽい軽い仕上がり。騎士が背広を着ていた演出はちと頂けないが、(いや似合ってたらいいんですが、このテノール歌手の人には、ウエストラインの太さが目立っただけだった。二枚目役だってのになあ....歌は良かったんですが)、2時から8時までの休憩を含むとはいえ、6時間(ここがやっぱりワーグナー)がわりと短く感じました。


(9月21日 記)

選挙の結果に落ち込んだから、というわけではありません。
母親が上京してきたこともあり、とりあえず、旨いものでも食べましょうと、土曜日に築地に買い出し。
まだちょっと暑いので、大きめの保冷バッグをふたつ持ち、まぐろと甘エビ、アジ、佃權の練り物など。

この日のお昼築地で海鮮丼。
でも、築地の場外やお寿司屋さんは、かなり観光地化しています。とにかく人が多い。長い行列に並んでまで....と思っていましたが、運良く人が途切れて座れたので。

この日の夕食は、もちろん、まぐろ中落ち、赤身、甘エビのお刺身。わさびは本わさびを張り込みます。
さすがに築地のまぐろは鮮度抜群。食べきれなくて翌日に残したのですが、まったく色も変わっていません。かくして日曜の昼も、まぐろ&甘エビ丼。
アジは、とても食べられそうになかったので、三匹ほどを焼いて南蛮漬けに。残りを三枚におろして、その日のうちに冷凍しておくことにしたのですが、築地の鮮度は凄い。内臓が新鮮でぽろりと取れるのです。こんなの初めて。

夜は、まぐろの喉肉のたたき。
まぐろの喉肉というのは、ふつうの魚屋さんやスーパーでは売っていません。築地ならではですね。この喉肉、ちょっと鯨肉に煮た歯ごたえとコクがあって、生で食べる場合は、にんにく醤油が合うのです。
私はさらにちょっと一手間かけて、火で炙って、たたきにするのが好み。もちろん、にんにく醤油です。生のにんにくがあまり好きでない方は、生姜醤油でもとっても美味しいのです。

そして、昨日の甘エビの頭を唐揚げに。これは、おかずというより、ビールのつまみ。(笑)
昨日の刺身に添えるツマを作るために大根を一本買っていたので、今日は、胡瓜、さっと茹でたぶなしめじと和えます。みそ汁も甘エビの出汁。

その次の夜は、まぐろ屋さんにおまけで頂いたまぐろの尻尾肉の煮物。
煮たら美味しいんですよ、と私の二の腕ぐらいありそうなのを4つぐらい頂いてしまいました。
これが本当に、生姜と味醂、少量の砂糖、醤油でシンプルに煮るだけで、絶品。白く通っている筋部分が、コラーゲンの固まりでぷるんぷるん。味も良ければ、お肌にも良さそうです。

まだまだ続くぞ。まぐろの頬肉というのもあります。これは、喉肉ほどレアではありませんが、それでも、ふつうの魚屋さんやスーパーではあまり売っていません。
ステーキにしても美味しいのだけれど、私の一番のお気に入りは、小一時間ほど、味醂と醤油・大蒜・生姜のたれに漬け込んでおいてから、片栗粉をまぶしての竜田揚げ。

そうこうしていると、アジの南蛮漬けがいい感じになってきてました。たっぷりの玉葱を中心にした野菜の千切りも一緒に漬けておいたので、栄養も満点です。

ほとんど一週間魚づくしですが、でも、まぐろの喉肉や頬肉などは、いわゆる魚というよりは、やや肉を思わせる風味があります。ワインも、白より赤がいい。
調理法もいろいろあるので、飽きません。特に今回、初体験の尻尾肉の煮物は、おいしかったな。

その築地、移転問題が持ち上がっています。というか移転そのものは都議会で決定済み。現石原都知事は、一等地を有効利用なさりたいのだとか。
しかし、移転予定地の豊洲は、土壌汚染を抱えているとか。(食品を扱うってのに!)

経済効率は結構ですが、それを求め続けた挙げ句に日本はいまのようになっちゃったんじゃなかったっけ?


(9月15日 記)

32年前は、チリのクーデター。
2年前は、イラク戦争への布石を作ったニューヨークでのテロ。
よくよく、9月11日というのは、因果な日であります。

そしてこのたびは、とりあえずは、郵政民営化選挙、と名付けたらよろしいのでしょうか。
後世には、おそらく別の名前をつけられるとは思うのですが。

かつて民主的なワイマール憲法下で、ナチスが政権を握ったときを彷彿とさせるとまでは申しませんが、いかに「単純化された図式」に人々は幻惑されやすいかという見本を見たような気がする選挙でした。
むろん、国民の素朴な疑問や素朴な誤解に対して、明快に答え、かつ、説得力のある主張を述べることのできない対立政党の頼りなさも、自民圧勝の大きな要因であったことは否めません。

この選挙の結果に関しては、もちろん、小選挙区制の問題もあるでしょう。しかし結果は結果です。かつて英明なドイツ国民がヒットラーを選び、昨年のアメリカ国民がブッシュを選んだように、日本国民は小泉を選んだのです。

郵政民営化、なんと美しい言葉だったでしょうか。
民間が参入に枷をはめ、JRのように分割するわけでもない民営化とはいったいなんだったのでしょうか。こうして、795兆円という、先進国の中で最悪の負債を抱える国家・日本に、世界最大の金融機関が誕生したわけです。(ちなみに、そのうちの240兆円は、小泉政権下での債務であることに注目。ちなみに、現郵貯と簡保の資産330兆円のうち9割以上は、すでに日本国債、地方債、アメリカ国債などの購入に使われています)

もちろん、日本国自体がかなりの資産を抱えていますし、(東レ経営研究所によると、政府は約430兆円の金融資産を保有)、今日明日に破綻ということはないでしょう。しかし、今日明日に破綻しないから、永久に破綻しないと債務を現在のペースで増やし続けるのは、果たしてどうでしょうか。

これで憲法改正でもやれば、もう完璧に、大戦前夜ですね。次のわかりやすいスローガンは何でしょうか。
いやいや、日本国民はそこまでバカではない?

.....そう思いたいものです。


(9月7日 記)

日本も台風14号で、被害が出ていますね。今日は東京も風が強い。
この台風にも、名前があります。ナビ台風。韓国語で蝶々のことだそうです。
とまあ、そんな雑学はどうでもよろしい。

カトリーナ台風のために水没したニューオリンズの救援の遅れで、現地は大変なことになっているようですね。死者は数千人ということなので、例の911テロを上回ることになりそうです。

http://www.nola.com/

日本のTV報道を何気なく聞いていたら、
「先進国のアメリカですらこれだけの被害が出たのですから、台風の強力さがうかがい知れます」などという間抜けなコメントをしているアナウンサーがいました。

間抜けですね。そういう問題ではないのだというのがわからないのでしょう。なんでもアメリカは世界一、一番優れている、アメリカの政府の言うことはなんでも鵜呑み、というマッカーサー・コンプレックスからまだ抜けていないのでしょうかね。

今回の件について、911テロの被災者の大半がホワイトカラーの白人であったこと対照的に、被災者の大半が、貧困層の黒人であったことは無視できないでしょう。
ニューオリンズが水没したのを知りながら、ブッシュは3日間、なにもせずにテキサスで休暇を楽しみ、コンドリーザ・ライスはニューヨークでコンサートに行ったり、ブランドショップでお買い物をしていて、ブーイングされたらしいです。

http://www.nydailynews.com/front/story/

かつて、コンドリーザは、ジンバブエ大統領に「白人のご主人様(ブッシュ米大統領)の言葉を繰り返す奴隷」と評されたことがありますが、これじゃ、そう言われても仕方ないですね。かつて、アフリカで、黒人を狩り、白人の奴隷貿易証人に売り飛ばしていたのは、白人とつるんでいた黒人。また、米国やカリブの農園でも、白人のご主人に忠実な黒人が、特権を与えられて、同じ黒人を監督し鞭打ち、反乱を密告したものですが、まさに、いまのコンドリーザ・ライス女史は、そういう「白人のご主人に骨の髄まで忠実なおかげで、特権を与えられた」黒人奴隷という感じがいたします。ガラスの天井を突き破って、白人エリート層の仲間入りをした彼女にとって、貧困層の黒人は、彼女のキャリアにとって都合のいい時だけは同胞で、そうでないときは同胞でも何でもないのでしょう。

http://blog.livedoor.jp/sistah/archives/2005-01.html

ああ、アメリカの一大文化であり、一大産業でもあるジャズは、まさにこのニューオリンズの貧困層の黒人から生まれたというのに。
でも、コンドリーザは、たしかジャズは嫌いで、クラシックファンであることを売りにしていたんでしたっけ。

もちろん、そういうひとは、時代・人種・性別を問わずいるんですが、コンドリーザの場合は、絵に描いたようなケースといえるでしょうね。それにしても、本当に、マイケル・ムーア氏のネタは尽きず.....という感じです。


(8月31日 記)

さて、私がポルトガルで音楽三昧さめやらぬ間に、日本は日本で、ついに優勢民営化法案否決〜解散が決まりましたな。
本日も、窓の外を選挙カーが通り過ぎてまいります。「共産党は郵政民営化に断固反対です」

あのな。また、惨敗するぞ、共産党。
なんで、そんなに簡単に、小泉のペテンに引っかかるかなあ。

この選挙を、経済問題や靖国問題や年金問題をなるべく争点にしないための小泉のペテンが「郵政民営化解散」で、すべての問題を「郵政民営化にすり替える」ってやり口でしょうか。

そして、ここはメキシコでも、ましてやボリビアでもない、日本だ。
民営化=外資による公共事業乗っ取り=法外値上げ
などという認識パターンを持つ日本人が果たしているのだろうか。ましてや、それが事実になるかどうかをさておいても、だ。

民営化と言えば、大多数の日本人が思い出すのは、あの、1987年の国鉄民営化=JR化だろう。
あのときも民営化反対論議があってさんざん揉めたが、蓋を開けてみれば、ダイヤは大混乱にはならなかったし、地方路線がぜんぶ切り捨てにもならなかった。

実際には、赤字路線はかなり廃止され、国労員が標的にされて大量解雇を受けたり、その中でのいじめが問題になったりしたが、いわゆるふつうの市民には、これは直接関係のある話ではない。(実は、連合までが一緒になって容赦ない国労員解雇を裁判所にまで認めさせたことは、現在にいたる容赦ないリストラの嵐の引き金になったという点で、関係ないわけではないのだが、こういうマクロ的な味方をする人はほとんどいない)

まあ細かいことを言うと、先日の尼崎の列車事故も、JRの金儲け第一路線が生んだ事故と言えないことはないが、国鉄だったら絶対事故は起きなかっただろうか。少なくとも、JRの安全対策を置き去りにした収益路線は批判を浴びたものの、民営化そのものが問題であったという論議にはなっていない。圧倒的多数の利用客、とりわけ都市住民の多くは、むしろ民営化後、自動改札が増加し、SUICAやICOCAなども導入され、駅にコンビニやレストランも増えて、便利になった=良くなった、と感じているのではないか。

ニュージーランドの郵政民営化が失敗したから、日本も失敗するかもしれないなんて、子供の作文みたいなことを選挙カーで言ってちゃいけない。それを言うなら、イギリスの国鉄の分割民営化も破綻したが、だからといって、日本のJRが破綻したわけではない、と簡単な根拠を示されたら、それで終わりだからだ。

もうひとつの民営化は、ご存じ、日本電電公社。

これも民営化されて、民間との競争が導入されたことで、電話は通じなくなってしまうどころか、電話料金は大幅に下がった。とくに国際電話なんて、数年前の数十分の一になってしまったからすごい。というより、日本のIT化が遅れていたのは、電電公社が積極的でなかったからで、これが民営化されたことで、IT化が一気に進んだという説もあるぐらいだ。

さあ、もう、問題は明らかだ。

つまり、大多数の日本人が抱いている「民営化」のイメージというのは、JRとNTTというわけ。民営化前に反対派が騒いでいた問題、つまり、悪意のある言い方をするなら、親方日の丸に守られていた人を除けば、大多数の国民の生活を脅かすようなトラブルなど、ほとんど何ひとつ、現実には起こらず、むしろ、関係者ではない庶民の圧倒的多数にとってはメリットの方が多かったという印象だ。

ここで、郵政が民営化、という言葉が出てくる。

すでに、国民の誰でもが、クロネコヤマトや佐川急便、要するに宅配便のサービスを知っているし、使ったことがある。宅配便は民間企業だし、もともとヤマト運輸は参入に積極的な姿勢を見せていた。民間企業が参入できない部門ではない。
そもそも、外国に比べて、日本の郵便料金は高すぎる。それは、郵便局の独占事業だからだと誰でも考える。いや、最近は電子メールや宅配便(メール便を含めて)の利用が多い。いわゆる、ふつうの「お手紙」を郵送する回数自体も激減しているのではないか。

だとしたら、郵政民営化の何が悪い。
ふつうの国民は素直にそう考えるのだ。

これに加えて、あの特定郵便局問題がある。いまどき世襲の局長。正規募集も行われない局員。そして、世間の相場より大幅に高い年収。
こんなものが、明らかになってはもう駄目だ。たとえ郵便局に、「郵便局員の給料は税金を投入していません」なんて張り紙をしたって駄目なのだ。だって、郵便局は法人税も事業税も固定資産税も払っていないんでしょ。そのうえに世界一高い日本の郵便料金は、そういうことなのね、と思われて、おしまい。
特定郵便局長の妻達がデモをやるのはもっと悪い。自殺行為だ。そこまでしておまえら、時代錯誤的な既得権益を守りたいか、と思われるだけだからだ。(小泉くんのほくそ笑みが目に浮かぶよ)

議員が造反すれば、もっといい。踏み絵ついでに、郵政利権と密着しているのがこいつらだ、郵政民営化賛成派はクリーンだというイメージを、労せずして作れるからだ。

球団買収問題で、楽天三木谷社長にきれいに負けて、世の中、お金だけでは駄目だ。けっきょく、まだまだ日本を動かしているのは偉そうな権威主義者の親父どもであって、政界や財界につながっていないと、彼らには相手にされないどころか、いじめられて恥をかかされるだけだと身にしみたライブドアの堀江社長の引っかけ方もうまいもんですね。彼が当選するとは思えないが、今後、彼のような素直な人材は、飴と鞭の使いようで、いろいろ利用価値があると踏んでいるのでしょう。(今回落選したら、次は参院選比例代表の名簿に乗っけてもらう約束なんだろうな)

要するに、やればやるほど、小泉くんの思うつぼ、というわけだ。
ここで、きれいに、小泉くんのやろうとしている民営化の中身とは、実のところ、何なのか、という肝心の議論は消えてしまい、ついでに、経済の回復も、年金問題も、靖国問題も、イラク問題も、きれーにすり替えられてしまう。

見事である。

じつは大して見事じゃないんだけど、こんな姑息な手がきれいに通用してしまうのは、野党が駄目だからだ。
とくに共産党。郵政民営化反対です、とか選挙カーでがなっていて、本気で選挙やるつもりなのか、君ら、正気か、と言いたい。

郵政民営化反対なら、自民党の造反議員と同じこといっててどうするんだ。それとも、日本の民衆は、ボリビアの民衆のように、民営化という言葉に過剰反応して、「民営化反対・外資反対・国営死守」と、ピケを貼って、国中の道路封鎖をして応えてくれるとでも思っているのか。

言うなら、徹底して「問題のすり替えを許すな」だろうが。
そのうえで、郵政民営化反対なのか、賛成なのか。問題のすり替えは困るが、郵政民営化はそれはそれで、重要な問題だからだ。

反対だとして、では、いまの郵便局制度をどこまで支持していて、公営の枠組みの中でどのような改革を考えているのか、のかどうかを、きちんとアピールしなきゃ駄目だろう。
もっとはっきり言うなら、郵便局長の高すぎる年収や世襲制についての改革についてどう思っているのかをアピールしなきゃ駄目だろう。

これは共産党だけではなくて、社民党にしても、態度をはっきりさせきれない民主党にしても同じだ。
世論は、郵政民営化、何が悪いと思っている。それを読んだ上での小泉の戦略なのだ。

まともに戦う気なら、それも読み込んだ上での対抗戦略が立てられなくてどうする。
民主党は、まだ、テーマを年金問題に振り向けようと躍起だけれど、ここで、野党統一戦線を組めない弱さが露呈する。そして、小泉が切り札にしている郵政民営化に煮え切らない態度をとればとるほど、自民党内の粛正選挙ブームに埋没するだけなのだ。

こんな子供だましの手に引っかかって、どうするんだ。


(8月5日 記)

こうして濃いシネシュのフェスティバルは終わった。
岡部氏とリスボンに戻り、丸一日オフの日があったので、リスボンから電車で1時間ほどのシントラの街に観光に出かける。

シントラは、世界文化遺産に認定されている古都だ。
なかでも、見所は、街の中央にある王家の夏の離宮と、さらにシントラ市街からバスで15分ほどの山の中にあるペナ宮殿というふたつの宮殿ということになっている。

で、王家の夏の離宮。立派な宮殿ではある。だけどそれだけ。ポルトガルが世界の海に乗り出し、もっとも豊かだった時代に立てられたにしては、よく言えば質実剛健、悪く言えば、野暮。

それに引き替え、なかなかのものだったのはペナ宮殿の方だった。あのワグナーを崇拝し、ノイシュバンシュタイン城を建設した狂王ルードヴィッヒのいとこに当たるフェルディナンド2世が、同じ建築家をドイツから呼び寄せて建設したという小さな城なのだが、これが、遊び心満載で、贅を尽くしていて、実に面白いのだ。

皮肉なことである。このフェルディナンド2世も、在世の時代には、愚王と言われたことは想像に難くない。だって、この城は、国民から見れば、ばかげた国費の無駄遣いで作ったとしか思えないからだ。

「バカが文化を創るのだな」
と、深く感慨深げにオカベ氏。
「賢くて、計算ができるやつには、こういうものを作ろうとは思わないよね。」

たしかに、このフェルディナンド2世のばかげた道楽がなければ、シントラはこの城を持つことはなかったし、いま、世界文化遺産に登録されることもなかっただろう。そして、現在の多大な観光収入は、その愚王のおかげなのだ。

「ぼくはバカに自信を持ったぞ。ちまちました計算からは、文化は生まれないんだ」
あの、それはちょっと違うと思うんだけど.......。

寒ささえ感じる夜もあった、快適なポルトガルから戻った東京は、激暑だった。
留守中に、ハーブもほとんど全滅しているではないか。悲しい。
それでも、毎日、新鮮とはいえ魚ばかり食べていた反動か、その日の夕食は、ラムチョップのマスタードソース、翌日はチキンの生クリームソースがけだった。


(7月30日 記)

そして3日目。
最初は、モロッコのグループです。パンフによると結成4000年?
まさか、記録があるとは思えないので、いわゆる「中国3000年」とかいうたぐいの触れ込みなんでしょうが、それにしても、4000年とは強気ですな。
それはさておき、この種のバンド。超エスニック系で、最初の一曲はとても面白いけど、何曲も聴いているとけっこう苦痛を感じる系統なのでは?

marroco.jpg

そういう不安を抱きつつ、それにしても、今日は寒いです。ほんとに夏か?
夜になると冷え込みはさらにきついので、かなり重ね着をして臨みます。
開演しばらく前から、その寒い中、緑の長い衣装に身を包んだおじさんたちが舞台袖で整列しています。真面目。

それで、15分押しで演奏開始。
なんと、意外に楽しいステージではありませんか。べつに電気楽器を入れているわけでも何でもなく、本当にエスニックなんですが、思っていたよりずっと、楽器も音楽がバラエティが豊かです。最近になって、いろいろなフェスティバルに出演しているのでしょうか。思っていたよりステージ慣れもしています。しかしなんと言っても、楽しそうなのがいいですね。
いや、このバンド、侮れません。お客さんも大喝采です。

ktu.jpg

続いて、KTUというフィンランド・米国混声バンド。
メインのアコーディオン奏者とiBookでのエフェクトサウンドがフィンランド人で、ベースとドラムスが米国人。キャッチフレーズが、「地獄のアコーデオン」。ええと、アコーデオンをフィーチュアしてのパンクロック、なのであります。
どこかで見た顔だと思ったら、ホテルの同じ階に泊まっていて、よく廊下で顔を合わせる礼儀正しいお兄さんでした。(パンクスって、素で会うと礼儀正しい人が多いんだよね)

ルックスはすばらしいです。たぶん、いままで出演した中で、ビジュアル的には一番クールだったのではないでしょうか。
ただし、曲がどれもみんな似ているのはなぜ?あと、パンクスだったら、そんなに予定調和しないで、もっとキレろよっ。
と、ごたごた書いていますが、嫌いだったわけではありません。テクニックは高いし、ビジュアルも悪くないんだから、もっと凄いことが出来るはずだという将来への期待値を込めての評価です。まだ結成して日が浅いみたいなので、メンバー間に遠慮もあるのかもしれないですね。

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そして、最後のアイルランドのキーラです。何回か来日もしているケルト音楽のバンドです。
といいながら、実は初めて聞いたのですが、これがものすごいテンション。アイルランドとかケルトというと、エンヤとかドロレス・ケーンの印象が強かったのですが、こちらはパーカス&ダンス系です。

フェスティバル最後のステージということで、一曲目と同時に花火とか紙吹雪の打ち上げとかがあったのですが、それらの音が邪魔にならないんだもの。

主なフロントは、レレレのおじさんに似たでかいタンバリンのような太鼓(裏でミュートさせて音色を変えるなど、けっこう芸は細かい)のお兄さんと、緊張感のない顔でバグパイプを演奏する兄さん、そして、髪を振り乱したフィドル(バイオリン)のお姉ちゃんですが、とにかく動く動く。フォーメーションの入れ替わりも激しいです。
カメラマン、みんな、顔が引きつっていましたね。人ごとながらたいへんでしょう。(翌日の新聞は、みんな、モロッコのバンドかKTUの写真を載せていて、キーラの写真がなかったのは、きっとみんなブレていたのでは...?)
それにしても、濃いグルーブです。恐るべしアイルランド。
音楽が終わって、とんでもなく寒いことに気がつきます。明け方3時前。急にがたがた震えが来るから、おそろしい。

とにかく、そんなわけで堪能した3日間が、めまぐるしく過ぎたのです。

(すべての写真:岡部好)


(7月30日 記)

そして、2日目の29日。
まだ日も高い午後6時半から、地味だけれど、おすすめのステージがあると聞いて、ミセリコルディア礼拝堂に。ここ、岡部氏の写真展会場でもあります。

lula.jpg

ここで、ギターとヴォーカルだけ。それも弾き語りというシンプルなライブが始まりました。足はツッカケ。(というかビーチサンダル)
ルーラ・ペーナという女性ヴォーカルなのですが、これが素晴らしい。

ギターワークはシンプル。それなのに一曲目から、彼女の世界、なのです。声は、超コントラルト。たぶん声だけなら、性別も年齢も不詳なほどに。にもかかわらず、深みのある上質なエロティシズムが漂います。そして、ファド。
それは、私たちがよく聴くことができるファドとはまったく違うのだけど、でも、紛れもなくファド。そして、なんの違和感もなく、ヴォイス・パーカッション。いやあ、素敵でしたね。

それから、長丁場に備えて夕食。わたしはワインは我慢して、水。岡部氏は、お酒は一滴も飲まない人なので、かわりに極大チョコレートムースという恐れを知らないデザートまで。

さて、この日のメイン会場カステロは、まず、フリージャズ系のマーク・リボット。
ええと、フリージャズ系です。昨日までがかなり濃かったので、まるで一服の清涼剤のようです。

そして、次が、メキシコのアストリッド・アダッド。
ええ、この人、メキシコの超過激こてこてキッチュ系小林幸子、なのです。というのも、衣装と舞台装置の区別が微妙なので。そして、歌う曲ごとに着ているというより、背負ってたり巻いたりしている衣装が替わったりするんで。

もちろん、ポルトガル人には、スペイン語の歌の意味はほぼわかります。もちろん、MCも。
「皆さん、メキシコってご存じよね。私たちの過去は修羅場だったわ。そして、私たちの現在は混沌(カオス)なの.....せめてもの慰めは、未来が.....ないってことね。ほっほっほ」

出たぁ〜!メキシコ人のもっとも得意とする「自虐ネタ」。

astrid.jpg

最近の日本には、自虐史観などという妙な言葉がありますが、自虐のどこがいかんのでしょうな。
自虐、それは、自分を低く落とすことで、笑いをとるという高度な技であります。伝統的な大阪ネタの笑いは、たいていこれですね。笑いというものこそ、人間を他の動物と区別する高度な感情表現であるのだとすれば、弱いものを貶めて笑うというのは、野蛮人の行為です。自虐ねたの笑いとは、明らかによりレベルの高い、文化的なものといえましょう。
言うまでもなく、アホの坂田は「芸」としてあれをやっているのであって、アホの坂田がほんとにアホだと思ってる人がいたら、その人の方がよっぽどアホですね。吉本がじつは大企業であるように、自虐ネタとは、誰も他人を傷つけない高度に知的で、文化的なものなのです。自慰を他人に見せるのは、客観的にはただの気持ち悪い変態ですが、自虐は、ネタとしてたくさんの人を楽しませ、好感度を高めることができます。
自虐史観などという言葉で他人をけなす、そのへんのことがわからない人たちは、やはり、そのあたり、知能がお低いのではないでしょうか。まあ、自慰行為を人に見せて、それで他人がどう思うかおわかりにならないぐらいですから......ひょっとして、おサルさん以下?

ま、それはさておいて、ポルトガル人が、一般的にスペイン語を嫌うという傾向があるのは事実ですが、この自虐ネタオンパレードには、場内大爆笑&拍手喝采です。

などと言っているはじから、またまた出たぁ〜!自由の女神じゃなくて、銃の女神。
「みなさん、アメリカに行ったことあります?あそこはとっても楽しいところらしいですよ。是非、いまのうちに観光旅行にまいりましょう。アメリカさんが私たちの国に来ないうちにねっ
いやもう、この写真がすべて物語っていますね。彼女の、歌の内容。

このあとも、やってくれますわ、コンドームを風船にしてふくらませるわ、その他いろいろ。パンクですねえ。けばいけど。歌はランチェラです。けっこううまいんですわ、これがまた困ったことに。(なんで困るんだ)
もう場内、大爆笑の嵐です。さきほどの超絶技巧フリージャズの音楽的テンションはきれいにかき消され、ムードは「小林幸子vs吉本新喜劇」です。どうするんだ、次の奴。

しかし、この状況変化にひるむような人が、次の出演者では、もちろん、ありませんでした。

hermeto.jpg

さて、ここに、ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダース人形とサンタクロースと松本零二を足して3で割って、不気味さを60%ぐらい加味したような爺様がおいでになります。ルックスだけで、すでに濃いキャラです。
言うまでもなく、お食事中のレストランで、突然、(お食事の美味しさに感動したらしい)喜びの大合唱を始めたりするバンドです。
初対面の岡部氏を、雄鶏の鳴き声のする、からくり懐中時計で何度もからかったりしていた(またこの人が素直に引っかかるんだよな、何回でも(-_-;))のも、この爺様。(で、翌日になって、写真展を見たらしく「いゃあ〜、キミは、大した写真家じゃないか、昨日はおちょくってごめん」とか言いにきてくれていた)

これが、噂の変態超絶音楽の大御所、エルメート・パスコアル御大だったのでした。

いや、この人、ほんとに凄いですね。とにかく、すべてがパフォーマンス。すべてが音楽と化すのです。この人にかかったら。
音響トラブルで、キーボードの音が出なくなったら、それも含めて即興パフォーマンス。雑音もその場でサウンドのうち。
それでいながら、とってもテンションの高い、超絶技巧的で、かつ、ものすごくまとまりのある音楽なのです。
メンバーも楽しそうに音楽しています。音楽って素敵だなあ。

かくして、かなり満腹で、この日のステージ終了。気がついたら、気温は下がっていて、凍えそうな寒さです。足の先など氷みたい。
魔法が解けたように、急に現実に返って、よろよろとホテルに帰ります。これが二日目。

(すべての写真:岡部好)


(7月29日 記)

さて、それでやっと、フェスティバルの話。

ポルトガルの日暮れは遅いので、9時開演。
シネシュの街は小さいので、ほんとに人が集まるのかと思っていたら、どこから湧いてきたのか、いつの間にやら、カステロは一杯になっています。

7月28日初日のオープニングは、ポルトガルの新しい世代のファドの歌い手の一人として人気の高いクリスティーナ・ブランコ。
何度か来日公演もしています。彼女の夫のクストディオは、腕のいいポルトガル・ギター奏者で、しかもセンスのいい作曲家でもあり、オリジナル曲をたくさん持っていることも強み。
この彼女が数曲歌ったところで、ブリガーダ・ビクトル・ジャラというバンドが加わります。
ええと、これはいうまでもなく、Brigada Victor Jara。つまり、あのチリのビクトル・ハラから名前をとったバンド。

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70年から73年のアジェンデ政権下のチリでは、壁画運動が盛んでした。「Brigada+人名」というグループを作って、一夜のうちに、何もない壁に、かっこいい壁画を描いてしまうというアート運動で、その中で一番有名だったのが、ビクトル・ハラ自身が「B.R.P.」という行進曲まで作っているBrigada Ramona Parraだったのですが、このBrigadaとは、「〜隊」という意味です。

それが、73年のチリのクーデターで、アジェンデ政権が潰され、Brigadaも潰されたなか、亡命していったチリ人たちが亡命先で、チリの壁画運動や音楽運動を継続しようと作ったのが、ヨーロッパにいくつかできたブリガーダなのですが、ポルトガルでも、そういうことを背景にチリの亡命者を中心に作られたのが、ブリガーダ・ビクトル・ハラというわけです。

その後、そのバンドは、ボルトガル人メンバーだけとなり、かつてチリの『新しい歌』運動の中で、インティ・イリマニなどがやったように、知られざるポルトガルの民族音楽を研究し、演奏するグループとなったというのがその歴史。
というと、なにやら、私はこのバンドと親しいみたいですが、実は、ライブで聴くのは初めてです。

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ポルトガルの音楽というと、ファドがなんたって有名なわけですが、ファドはポルトガル音楽というより、リスボンの港付近の都市音楽。(アルゼンチンのタンゴみたいなものですね)
ポルトガル人自体は、フェニキア人、ケルト人、ゲルマン人、ベルベル人といった民族の混血ですから、ケルト伝統のバグパイプなども民族楽器として残っているのだとか。

そういったブリガーダ・ビクトル・ジャラ(司会の人が「ビクトル・ジャラ」と発音していたので、こちらに統一)ライブに、今度は、女性のアカペラ・コーラス・グループ、セゲメ・ア・カペラが加わります。これも、ポルトガルの民俗音楽をテーマにしているのですが、これがまたいいんだわ。ブルガリアン・ヴォイスを少し思わせますが、もっとケルト的・イスラム的な感じなのです。かなり八木のツボにはまりました。

そして、最後は、クリスティーナ・ブランコ、ブリガーダ、セゲメが一緒に、ポルトガル民謡です。

クリスティーナ・ブランコって、(もちろん、歌は巧いのだけど)、彼女自身というより、後ろの旦那のクストディオの書き下ろす新曲とそのセンスでオリジナリティを出している歌手、という印象があったのですが、こういう人だったのね。

とにかく、しょっぱなから、てんこ盛りのステージです。

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続いて、前日の夕食レストランではいまいち雰囲気が暗かったボスニア=ヘルツェゴビナのバンド。モスタール・セヴダ・レユニオン。

このバンド、あの90年代前半の内戦下で、血で血を洗う殺し合いをしていた当事者のセルビア人(東方正教会キリスト教系)とクロアチア人(カトリック系)とボスニア人(イスラム系)が、その内戦まっただなかで結成した混成バンドだそうで、バンド編成そのものが、一歩間違うと、いつリンチされてぶっ殺されてもおかしくなかった中をくぐってきたのだそうで。(実際、家族全員殺されたなんて人もいましたね)

そのためか、始まったとたんに、バンドは超ハイテンション。
音楽はダンスバンド系で、一曲目から乗せる乗せる。客にウケなきゃ命はない、って感じの、ど迫力です。

音は、アコーデオン、ベース、ギター、バイオリンなどでジプシー色濃厚の、でも西洋音楽風の強烈にノリのいいダンス音楽のうえに、純白のスーツで決めた渋い爺様が直立不動で、イスラム風のメロディラインの歌を、朗々と歌うのです。
歌詞はもちろん意味不明なのだけど、「愛には愛で返そう」とか「おれのバイオリンはマシンガンより強い」とか言ってたのだそうで。

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で、そこに、さらにゲストボーカル(のはずだったのが、いつのまにやら定メンバー化しているという事情がまるで、どこかのバンドみたい)の、マトリョーショカ体型のおばさん、リジャーナ・バトラー。
70年代のユーゴの大歌手で、引退していてドイツに移住して暮らしていたのを、バンドにはまって加わったのだそうで、これがまた、ど迫力なんですわ。しかも、すごいおばさんなのに、もう、妙にカワイイの。(しつこいようですが、マトリョーショカみたいで、しかも踊る踊る)

いや、このバンド、ほんとに凄かったです。音楽をやること自体が、プロテスト。バンドをやること自体が、プロテスト。
戦争というのは、そういうことだということです。そして、人間は強い。いや、音楽は強いというべきか。

そして、この夜の最後が、アフリカはマリの盲目の夫婦デュエット、アマドゥ&マリアン。

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マリには、吟遊詩人(グリオ)の歌の伝統があり、ブルースに似た雰囲気もあるそうですが、この二人が歌うのも、アフリカン・ブルースという感じの、哀愁を帯びた歌です。マリでは、盲目の人間同士が結婚するというのは、ほとんど例がないのを愛情で乗り越えたというような解説もパンフにはありました。
これはこれでなかなか悪くない。単独で聴いたら、もっと印象も強かったと思います。

ただ、ボスニア=ヘルツェゴビナ組の熱い強烈なテンションのあとでは、なんというか、ちょっと作為的な印象を受けてしまったのですね。邪推なのかもしれませんが、すでに、フランスを中心にひとつの市場となっていて、固定ファンも多いアフリカ音楽という分野で、やり手のプロデューサーが次に仕掛けた.....という感じの。
いや、前のグループが強烈すぎたから、そう感じてしまっただけなのかもしれないんだけど、ブルースというには、歌い方はさらりとしすぎている感じだったし、ミュージシャンは、夫婦二人とフロントでジェンベ(太鼓)を叩いているお兄ちゃん以外は、全員フランス人らしい白人。音も、妙にヒップポップ的に(初心者でも踊りやすく)まとまっているし。

なんか一曲ぐらい、ハジけてキレてくれるかなあと思って聴いていたのですが、ある意味、最後まで淡々とまとまったステージでした。アフリカ音楽は、繰り返しが延々と続く感じの曲が多くて、それだけでノレる部分はあるし、あまり歌い上げたりするの自体が「伝統的」ではないのかもしれないし、単に好みの問題かもしれないのですが、悪く言っちゃうと、どの曲もみんな同じで、ちょっと不完全燃焼。

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そこで、カステロのあと、第2会場の海岸横特設ステージへ。
ルーマニアのブラスバンドです。時間は深夜2時半すぎ。

ロマ音楽自体は好きなのですが、ブラスバンド?
と思いながら、しばらく待っていると、演奏が始まりました。

おお、そのへんの村のおじさんたち、という感じのおじさんたちが出てきて、アコーディオンにバイオリン、トランペット、チューバを構えるではありませんか。
テンション高い。いいぞいいぞ。単なる好みの問題かもしれませんが。おじさんたちのブラスに、若い子のボーカルやアコーディオンがからむのもいい感じです。
これでかなり満足して、というか、気がついたら、小泣き爺のように疲れが背中に溜まっていたので、よろよろとホテルに帰還。明け方4時。

これで初日とは、濃いフェスティバルになりそうです。

(すべての写真:岡部好)


(7月27日 記)

さて、それでフェスティバル本題に入る前に、もうちょっと道草。

シネシュの旧市街(歴史景観保存地区)は、海水浴場になっている浜辺(バスコ・ダ・ガマ海岸)から急な坂を上ったところにある城塞跡と、その脇の教会、教会より歴史が古いらしいミセリコルディア(聖母の慈悲)礼拝堂の3つを中心に、イベリア半島特有の中世風の白壁・赤茶色の煉瓦屋根の家々が広がっています。

その中心である、城塞跡がメイン会場。ちなみに、ポルトガル語で「カステロ」。それも、「キャスティーリョ」とか「カッスティジョ」とか面倒な発音をするのではなく、文字通り、日本語で「かすてろ」と発音する感じ。
ほとんど日本のお菓子・長崎カステラの語源伝説そのまんまです。

たいていの方はご存じでしょうが、あえて書くと、昔(おそらく1570年代)、ポルトガルの船が日本に来たおり、ポルトガル人が侍達に菓子を出して接待した。その菓子があまりにも旨かったので、食べ終わったあとで、侍が「これはなにか」と尋ねたところ、ポルトガル人は(食べ終わっていたので)お皿に書いてあった城の絵のことだと思い「カステロ」と答えた。.......という伝説です。

この伝説については、もうひとつ、間違えたのではなく、出したお菓子を「スペインのカスティリア地方のパン Pao de Castilla」と答えたからという、よりもっともらしい説もあります。

たしかにこっちの方が一見もっともらしいですが、しかし、この説には、なんでポルトガル人が、当時、海外においては覇権争いをするライバル国であり、国内においては文字通りの敵国だったスペインのカスティリア(実際、1580年から1640年まで、自治権つきとはいえ併合されるという屈辱を味わっていて、これが現在に続くポルトガル人の反スペイン感情の源のひとつ)をわざわざ引き合いに出すのか、いまいち必然性がないという欠陥があります。また、そもそも、それだと「カスティリァ」と訛るので、発音としてはずっと遠くなってしまう気もします。

ちなみに、カステラ+語源でGoogle検索すると一番上に出てくる語源解説サイトでは、ポルトガル語「pao de Castelra(パオ・デ・カスティーリャ)」である。なんてカタカナ読みまでつけて書いてあったりしますが、この説は、この時点でアウト。paoは、pãoの間違いで、ポルトガル語では「パオ」ではなくて「パン」と発音するからです。明らかに、スペイン語(正確にはカスティリア語)とポルトガル語の混同です。

いずれにしても、この説だと、その時代のポルトガルにスポンジケーキ系菓子がなかったのか、という疑問が残ってしまうのですね。

もちろん、この話の主人公のポルトガル人が、ポルトガル人にあるまじき神経質に几帳面で、しかも愛国心の低いやつだったので、あえて正確を期すために「このお菓子は、ポルトガルで普通に作られているスポンジ菓子ではなくて、スペイン風のスポンジケーキ」という意味で使ったのかもしれないが、それにしても、ふつう、外国人にそんな説明はしないんじゃないだろうか。

ま、仮にそうだとしても、カスティリアという地名自体「城=castilla」から来ているので、ラテン語由来の「城」という言葉が、カステラの語源であるということには間違いはないのだけど。

で、いわゆるスポンジケーキのことをポルトガルで何というかというと、「ボーロ」(これも日本語のカタカナそのまんま)。

実際、私が、フェスティバル会場の売店のガラスケースにあったシフォンケーキ風のスポンジケーキを指さして「それなんていうの?」と聞くと、おばちゃんは、元気よく「ぼーろ」と答えてくれたものです。
そのあと、丁寧に「これがチョコレートのぼーろ(bolo de chocolate)で、こっちが、パイナップルのぼーろ(bolo de anana´s)」と補足してくれました。

(外国人に訊かれたら、そう答えるのが、やっぱ普通だよね)

このボーロという言葉は、いわゆるケーキ一般を指し、卵ボーロや蕎麦ボーロの語源となっています。カステラの原型と考えられているらしい pão de lo(パンゥ・デ・ロ)という北部のお菓子も、「ボーロ」の一種。
(ただし、蕎麦ボーロはハイカラな語源だけをもらった明治のはじめごろの発明のようですが。)

ついでに、スペイン=カスティリア語で、ケーキ一般はなんというかというと「パステル」。これも、どこから「pan de castilla」が出てきたのか疑いをさしはさむ根拠であります。

ただ、この問題を本格的に論じるには、ふつうのスペイン語やポルトガル語の知識ではなく、中世カスティリア語と中世ガリシア=ポルトガル語(このふたつは12世紀頃には分離していたと考えられている)の知識と、料理の歴史に関する知識が必要になってきますので、とりあえず、今回は雑学的道草ということで。


(7月25日その2記)

さて、フェスティバル話題に入る前に、ちょっと話戻して、閑話休題。

今回、八木がお供をしているオカベ氏には、じつは、写真展のほかにもうひとつ目的があったのでした。
今月の12日から、東京で忌野清志郎氏を撮影したオカベ氏の個展があるのだけれど、彼はもともとロック出身。それもばりばりのパンクス系だったのが、たまたま友人に誘われて、韓国のサムルノリという打楽器のグループを聴き、それがきっかけでワールドミュージックにも興味を持つようになったそうな。

しかし、その後の行方を決める決定打となったのが、ポルトガルが世界に誇る(というか、現代史上でのポルトガルほとんど唯一の世界的有名人)大歌手アマリア・ロドリゲスの歌声だったのだそうです。
彼女の歌うファドにはまった岡部氏は、以後、アマリアさんの来日公演を撮り続け、彼の作品は、アマリアさんの方からも「わたしの最高の写真」とお気に入りだったらしい。

そのアマリア・ロドリゲスは、1999年に亡くなっているのですが、いまは彼女の生前のままに保存され、記念館になっているというお宅に、『アマリアの最高の写真のオリジナルプリント』を寄贈し、彼女のお墓参りをするというのが彼の長年の夢だったのだそうで。

そんなわけなので、今回の、ポルトガルでの写真展の話には、喜んで飛びついたかというとさにあらず。
じつは、彼は、飛行機が大の苦手という人なのだ。

しかも、オカベ氏は、カメラを持っているときはしゃきっとしているが、カメラを持っていないときは、「バンソウコウを貼った写楽くん」みたいなひとである。この写楽とはもちろん、江戸時代の浮世絵師のことではなくて、手塚治虫氏のマンガ『三つ目が通る』の写楽くんであることはいうまでもない。
このマンガをご存じない方は、『バカボンのパパ』を連想して頂けると、その次にオカベ氏にわりと近いキャラクターと思われる。その天然ぶりは、私もときどき不安になるぐらいのパワーがある。なんたって、自転車できれいな雲を追いかけていて、熱射病になったことがあるという人物である(子供の頃の話ではなく、わりと最近のことだ)。ほっぺたにご飯つぶをつけて、元気に天下の公道を歩くのぐらい、彼には平気の平左なのだ。
ちなみに、飛行機の次に苦手なのは、ベッドだそうだ。自宅では畳に布団なので大きな問題はないとのことだが、旅行先では、いまどき宿泊はたいていホテルなので、よくあちこちにすり傷をこしらえていたりする。

そんなわけで、ポルトガルからオファーがあったときも、「ワーイ、ポルトガルで写真展だって!」と喜んでいたのもつかの間、ポルトガルには飛行機に17時間くらい乗らなくてはならず、しかも、乗り換えもあると知って、「飛行機はヤダ。船で行きたいよう」などと馬鹿なことを言い出した挙げ句、やっぱり行かないとか言い出して、結局、フェスティバル事務局が折れて、バ○のお守り 付き添いのための旅費&滞在費も出してくださることになったというぐらい、それはそれでキャラの濃い、好意的にいうと、観察しているだけで退屈しない人であったりする。

そんなわけで、飛行機に乗る前日と当日は昼間の朝顔のようにしょんぼりしていたものの、リスポンに着くと元気を取り戻して、「アマリアさんの家に行かなきゃ」。
で、記念館に電話して場所を確認し、出かけることになった。

記念館で受付をやっていた、ご高齢にさしかかる熟年のご婦人は、オカベ氏の持参してきた写真を見るなり、「あ、この写真!」
アマリアさんの一番好きな写真で、印刷物にもなっている写真よ。まあ、あなたがこれを撮ったカメラマンね。そういえば、見覚えがあるわ!
なんと彼女は、アマリアさんのツアースタッフ(音響さん)だったのです。

アマリアさんの家をじっくり見せて頂き、お墓の場所も教えて頂いた。
ところで、この家、正面に黒いストール(ファド歌手が愛用する)が掲げられ、お花がたくさん飾ってある。毎日こんなに飾っているとしたら、凄いことだ。一周して、下のオフィスで雑談していると、今度は巨大な箱に入った大量の赤い薔薇の花も運び込まれてくる。

「いまから何かあるんですか」
「そうじゃないの。今日は、アマリアの誕生日だったのよ」

これはまた、なんという偶然。

その後、アマリアさんの墓所のあるパンテオンに。
ここは、直訳すると共同墓地なのだが、私たちが想像していたような墓地ではなく、リスボンにおいては、探検家バスコ・ダ・ガマや大詩人カモンエスなどと並んで、歴史的な偉人をまとめて祀っている大聖堂だった。
そのパンテオンに流れているのが、亡きアマリア・ロドリゲスの歌声だったのも、その日が誕生日であったせいでしょう。墓所には山のように花が積まれていたのも。

で、これで、目的の半分を果たしたオカベ氏は(しかも、しばらくは飛行機に乗らなくていいので)、夏休みの小学生のようなノリで、元気にシネシュに乗り込んだというわけなのである。


(7月25日 記)

さて、派遣されてきた迎えのミニバスに乗って、リスボンの南、アレンテージョ地方に向かいます。

リスボンを出ると、すぐに平原と低木の森です。ここってほんとにヨーロッパ?アフリカか南米みたい。そういえば、フランス人なんかは、ピレネー山脈から先はアフリカだと言っていたような。

ほんとに、どこに連れて行かれるのかと不安になった頃、いきなり巨大な天然ガスのタンクとパイプライン。そして、それを通り越してしばらくゆくと、今度はタイムトリップしたかのような、南欧独特の白壁に煉瓦色の屋根の続く中世風の美しい町並と、こぢんまりした漁港のある美しい街に入りました。
この両方がシネシュ、だそうです。

どうやら、天然ガスの輸入港のある工業地帯のおかげで、ある程度の財源のある街が、そのお金で、旧市街を美しく維持し、なおかつ、どかんと文化イヴェントに金をかけ、旧市街地区に観光客を呼び込もうというのが、今年で7回目を迎えるフェスティバルのもともとのコンセプトであるらしい。

ホテルにつくと、実行委員長でプロデューサーのカルロス・セイシェス氏が直々に迎えてくださっているではないですか。
しかも、この人、すげえいい男なんであります。ジェダイの騎士みたい。(註:ヨーダではない)
とはいえ、彼のお目当ては、もちろん私ではなく、お隣の写真家岡部氏なのはいうまでもありません。初対面ながら、堅く手を握りあう二人。ふんだ。そのうち私の方だって振り向かせてみせるもんね(違うって)

とりあえず、部屋に荷物を置いて、迎えに来た運転手の兄ちゃんの案内で、すぐに遅めの昼食に。
接待しろと言われているらしくて、海辺のものすごく眺めの良いレストランに案内され、名産のアレンテージョ地方のワインだのタコのマリネだの、海老のガーリック炒めだの、アサリのワイン蒸しだのが、次々に出てきたのでした。

ここで、前言を撤回いたしましょう。

ポルトガルの食いものはおいしい!
さすがに漁港だけあって、海鮮がとにかく新鮮なのだ。それを、シンプルにオリーブオイルとガーリックなどで、炒めてあるだけで、めっぽう美味しい。アサリなんて、おまえはハマグリかいと言いたいぐらいの大きさで、身の肥えていること。んで、アレンテージョ地方の(といっても、スペインとの国境近くの産らしい)白ワイン。これがまたいけるんですな。

それまで、片言の英語で用件を伝えるだけであった(そして、まるで避けているかのように、こちらの話を聞こうともしなかった)無愛想な運ちゃん、私がポルトガル語をある程度喋るとわかると突然饒舌になって、アレンテージョ料理の講釈まで始めてくれる。
「いや、リスボンの食事がいまいちだったんだけど」
と言おうものなら、
「リスボンの魚介なんて、鮮度が悪くて食えたものではない。下手をすると、平気で冷凍物を出してくる。ポテトフライだって、じゃがいもをちゃんと刻んで揚げているのではなくて、マクドナルドみたいな冷凍物なんだ」と、馬鹿にしきった口調。

ま、どこの国でも、地方の人はだいたい首都の悪口(食べ物がまずい、治安が悪い、空気がクサい、都会人は根性が悪い、その他もろもろ考えつく限り)をひととおり言ってくれますが、これも世界共通ですね。

ただし、食い物に関しては、確かに絶品でありました。
むろん、私たちが行ったリスボンのレストランが、たまたまハズレが多かっただけなのかもしれませんが、それにしても、この後、一週間の滞在期間中、シネシュではどこのレストランに行っても、海鮮にハズレはなかったから凄いものです。魚介にきわめて詳しい築地通の某画伯でも、十分、お口に合うものと思います。(というか、海鮮が旨すぎて、他のものを食べようという気にもならんかった)。

ただやっぱり、調理法は、塩焼きとフライ+大量のくたくたになるまで茹でた野菜(主にジャガイモ)、だけなんだけど。(笑)
(註:ポルトガル人の名誉のために付け加えておくと、バリエーションとしては、いちおう、塩焼きに「レモンをかける」「酢をかける」「オリーブオイルをかける」「溶かしバターをかける」があります)

しかも、いままでいろいろな国際フェスティバルに参加した中、このフェスの食事情は最高でした。
たいていのフェスというのは、参加者がまとめて泊まっているホテルの宴会場みたいなところをビュッフェにして、そこで食事をさせるか、あるいは、ホテル(または最寄りの提携レストラン)で、機内食のごとく非常に限定されたメニューから「ポーク or チキン」という感じで、選ばされるのが普通です。それ以外のものが食べたきゃ、自前でどうぞ、というわけ。
音楽家に好きなものを好きなだけ呑み食いさせたら、えらいことになるであろうという「音楽家性悪説(性バカ説ともいう)」に基づいているものと思われます。

ところが、ここは違う。
毎食違うレストラン(それもけっこう高級)に予約が取ってあって、「お好きなものをお食べください」なのです。

ここで他人事ながら、不安になる八木。
フェス開催前のこの時点でシネシュ入りしているのは私たちだけとはいえ、それでもユーロ建ての物価は高いので、もし私たちがロブスターだの酒だのがんがん注文すればとんでもねえ値段になってしまいます。
こんなに、性善説的な運営で、これから大量にやってくる音楽家相手にこんなおそろしいことをやって、フェスの財政は大丈夫なのだろうか???

ま、食事が良いのは何よりとして、ホテルから徒歩7分で海水浴場という立地も素晴らしい。この時点で、すでに、シネシュよいとこ一度はおいで、と言いたいぐらい。運転手の兄ちゃんによると、長期保養客が多いようです。
泳ぐというより、浜辺でだらぁ〜りと寝そべっている感じ。これぞ、バカンス。じつにいいですな。
美しく日焼けをするためトップレスになって、堂々と寝そべっておられるお姉さまたち(でもみんな上品な感じ)もけっこうおいでになって、目が点になっている岡部氏。

そして、フェスティバル。
開催前日になって、ぞろぞろとアーティストたちが到着してきました。

前夜のディナーには、ブラジルのエルメート・パスコアルご一行やボスニア=ヘルツェゴビナのモスタール・セヴダ・レユニオン+リジャーナ・バトラー、ジャズのデヴィッド・ムーレイ、フェス実行委員長夫妻らが参加。
お互いが知り合いになれるのが、フェスティバルの醍醐味でもあります。
とはいえ、9時半からのはずが、実際に食事が始まったのは11時過ぎていて、さすが、ポルトガルはラテンの国と理解。

とはいうものの、このあと、海鮮リゾットや魚フライにワインをがんがん開けながら、夜が更けるほど宴会状態となってハイテンションで盛り上がるブラジル人(料理が美味しいといっては、「夜の女王のアリア@Die Zauberflo¨te (c)Mozart」の合唱になり、あげくに、その場で作曲まで始めるエルメート爺さま)に引き替え、夜が更けるほどに「いつ終わるんだろう、このバカ宴会は。私たちはどうしたらいいんだろう.......」とも口に出せず、なんとなく居心地悪げに、だんだんえもいえぬ悲しみに満ちてくる(誰だって疲れるよな、わかるよ)セルビア人とクロアチア人たち。

まともな英語を話せそうな人間を求めて、八木に声をかけてくる孤独なアメリカ人サックス奏者のデヴィッド・ムーレイ氏に、この状況で皆を観察しつつ(しかし、どちらかというとかなりブラジル寄り)、にたにた笑う日本人写真家岡部氏。

こうして、フェスティバルは幕を開けたのでした。


(7月24日 記)

しばらく間が空いてしまいました。
自慰的な教科書問題で揺れる日本をあとに、ちっとバカンス(少し仕事あり)。

はじめてのポルトガル。少し仕事というのは、今回は、なんとお供だからなのであります。
八木の写真もたくさん撮ってくださっている写真家の岡部好氏が、ポルトガルの海辺の街で行われる大規模音楽フェスティバルでの個展に招待されることになって、その通訳(おいおいおい)。
なんせ、海辺で一週間ごろごろできて、旅費と滞在費を全部もってもらえるというので、ほいほいついていくことに。

で、リスボン。なんでも空港からのタクシーは観光客をぼるので有名らしいですが、覚えたてのポルトガル語で愛想良く挨拶して、ホテル名を告げたら、なんの問題もなかったようです。

で、ホテルについて、第一の問題発見。
ホームページで、部屋にインターネット設備ありと謳っているのでわざわざ予約したホテルに、インターネット設備がない!
いきなりLANもイーサネット・ケーブルも無用の長物のようです。

フロントの兄ちゃんに、どうなっているんだ、と(ちゃんと、ポルトガル語で)文句をたれたら、「インターネットはですね、電話線をモデムにつないで云々....」と、ものすごい間抜けな講釈をされてしまいました。

あのね。
10年前じゃあるまいし、今時、そういうのは各室にインターネット設備あり、とは言わないのよ!

同じ言語圏でも、ブラジルならば無料のプロバイダがいくらでもあるので、ホテルの部屋からモデムを電話線につないで、現地のアクセスポイントからインターネットにつなぐことはできますが、そういえば、ポルトガルには、無料のプロバイダもないようなのでした。
こんなことなら、1ヵ月だけAOLにでも加入しておけば良かったですね。
というわけで、ひょっとして、ここは、すご〜くインターネット後進国なのかもしれないという予感。

とりあえず、次の朝、早起きしてリスボンの街を探検です。
意外なのは、リスボンとハバナがえらく(雰囲気が)似ているということ。

それも、最近、観光化が進んでやたら綺麗になって、高級なレストランなども増えたハバナと違って、80年代のハバナです。ええと、なんというか、時代に取り残されて、やや朽ち果てた感じ。
なんかはじめて来た土地という感じがしません。

モウラリア、アルファマといったファド発祥の地といわれるあたりなど、古い建物で入り組んだ路地の坂道に洗濯物がひるがえり、そのへんの煤けたベンチで、爺さんたちがトランプしていたり、おばさんたちがでかい声で井戸端会議をやっていたりと、坂と市電(いわゆるチンチン電車)さえなければ、まんま、ハバナですがな。

道を尋ねようものなら、メキシコ人のように適当に出鱈目を教えたり(事実です)しないで、とにかく懇切丁寧に教えてくれるところも、まるでキューバ人のよう。うっかりしていると、道を訊いてもいないのに、「あっちの方向に何それがある」だの「こっちの道を通る方が景色がいい」とか、口やかましく、教えてくれる婆さんたちがいるのも、まるで80年代のキューバ。

「あんまり観光客相手じゃない、伝統的なカサ・デ・ファド(ファド酒場)ってありますかね」
などと下手なポルトガル語で訊ねようものなら、
「いまどき観光客相手じゃないカサ・デ・ファドなんてないわよ。ねえ。マリア」
「この坂を下ったとこに一件あって、有名な店だけど、高いよ」
「あそこだって、観光客しか行かないわよね」
「でもそこそこ有名な人は出てるようだよ」
「だいたい、カサ・デ・ファドなんてもの自体が、観光客向けなのよ」
「あたしが若い頃はね、ファドなんて、そのへんの食堂で歌ってたようなもんよ」
「そうそう。食堂よ、食堂」
というようなことを、ばあさん4人じいさん2人ぐらいで、一斉にわめき立ててくれるのである。

ううむ。そのあたりの事情などは、最近のキューバと似ているかも。(苦笑)

岡部氏と合流して、昼ご飯に出かけます。
ここで気がついたのが、大阪出身の人間がはじめて東京のそば屋やうどん屋に入って、うどんの天かすや刻み海苔(※これらは、喫茶店の砂糖と同様、無料であるのが常識であると大阪では考えられている)が、東京では「別料金」を取られることを知り、ものすごいカルチャーショックをうけて、「東京はおそろしいところだ」と思うのと同様のことが、ポルトガルにも存在するということ。

たとえば、メキシコでレストランにはいると、テーブルに、山盛りのパンとトルティージャ、それに各種のソースがあって、それらが無料なのが常識であります。

ちっと気の利いた店なら、パンやソースだけではなく、トルティージャ・チップス、クラッカー、ジャムやチーズ、ちょっとしたつまみ程度も、テーブルにどっさり置いてあって、それも無料が常識。

しかし、ポルトガルでは、それらのものは、すべて別料金で、しかも高い(!)のであります。
とにかく、パン別料金。バター別料金、チーズ別料金、小皿のオリーブ別料金。しかも、食べないなら食べないと、かなりはっきり申し渡しておかないと、手をつけていなくても、平気で全部勘定書につけてくるうえ、飲料は水でももちろん別料金なので、油断すると、たとえば、7ユーロ程度の料理を二皿頼んだだけなのに、25ユーロ以上の請求が来るのである。
パン1ユーロ。バター0.5ユーロ、チーズ2ユーロ、オリーブ3ユーロ、別のつまみ5ユーロ、コーラ2ユーロ、水2ユーロエトセトラ。
ちなみに、1ユーロが約140円。
.......ポルトガルはおそろしいところだ。
(あとでわかったのですが、同じ言語圏でも、ブラジルは別料金制ではないとのことです)

しかも、料理といっても、魚(または豚か鶏)に塩振って焼いただけのものに、茹でたでかいジャガイモまたはフライドポテトと、不器用な切り方をした生野菜が添えてあるというだけの、シンプルといえばシンプルだけれど、料理ってほどでもないじゃん、と言いたいようなものだったりする。

名物の鰯の塩焼きだって、おいしいといえは、もちろんおいしいのだけど、所詮、鰯の塩焼きなのである。鰯に塩振って焼いただけなのだ。問題の鮮度にしても......(これに関しては、はっきりいって、私は点が辛い。なぜなら、私には、築地市場にめっぽう詳しい某画伯という友人がいるので、プロ太鼓判の築地直送の魚介をしばしば食卓に乗せることができるという僥倖に恵まれているからだ)

ついでに言うと、野菜はいまいち。味が薄いのだ。おそらく土が悪いせいと思われる。
豚や鶏は、日本のスーパーで大特売をしているようなブロイラーやアメリカ産冷凍物の豚肉などに比べると悪くはないといえないこともないが、メキシコや南米のように、素材の旨味だけですべてが許されるほど、すば抜けて美味しいというほどのものでもない。なんたって、調理も雑だし。
さらに言うと、パンもいまいち。いや、ほんとに。チーズも今ひとつ。

考えたら、なんのかんのといっても豊かな日本で、私たちは、けっこう旨いパン屋のだの、フランスやイタリア直輸入のチーズなんか食べたりして、口が肥えているのだとも実感。

そういうところも、ある意味、とってもキューバ。

ええ、いずれにしても、このような食事で、4000円近く取られたら、誰だってむっとしますよね。デフレの日本なら、ランチでこの値段出せば、相当ええもん食べられまっせ。
誰だ!ポルトガルは食い物が美味しいと言ったのは! 北大路魯山人の説ではないが、日本であまり旨いものを食ったことがないとしか思えんぞ。

と、インターネット事情と食事には大いに不満ながら、でも、ポルトガル人が親切なので、リスボンをてくてく。
バスの運ちゃんに道を訊いたら、始発地点で停車中だったとはいえ、わざわざバスを降りて、停車場にある地図で場所を確認してから、そりゃもう全身で懇切丁寧に説明してくれたのには、驚くしかありません。

夕方、またひとりでアルファマを歩いていると、オランダ人の青年にナンパされてしまいました。(ここで気がついたが、ポルトガル人は、メキシコ人やキューバ人と違って、ナンパしてこないのでした)
正確にはナンパしたのではなく、私がきょろきょろしていたので、道に迷って言葉がわからないでいるのではないかと思って、英語で道を教えてあげようと声をかけてくれただけだったのでしたが。

笑ってしまったことには、このオランダ人も写真家。

それもフォト・ジャーナリストで、現在、リスボンに住んで、ポルトガルをテーマに写真を撮っているのだとか。いま、マグナムの写真展をリスボンでやっているよと教えてくれたほか、ホテルでインターネットを使えないとこぼすと、「そういうの、ポルトガルではよくあるんだよ〜。こっちの人はインターネットをまだよく理解してないみたい」と笑いながら、リスボンで唯一(笑)無線LANでアクセスができる(つまり、自分のパソコンを持ち込める)インターネットカフェを教えてくれました。
それでも彼に言わせると、やはりポルトガルの魅力は、人間が温かいこと。
オランダに5年住むより、ポルトガルで1ヵ月住む方が、友達がたくさんできるらしい。
(ほぉ、オランダというのはそういうところなのか)

そんなこんなで、リスボンで3日を過ごし、いよいよ目的地のシネシュです。


(7月10日 記)

ポルトガルに2週間ほど行くことになって、ポルトガル語の勉強をしています。

ええと、ポルトガル語は、同じラテン語系の言葉であるスペイン語とは親戚関係なので、書いてあるとほぼ意味が理解できるぐらいに似ています。だから勉強といっても、一から始めなくてはならないのではなく、ある意味、方言をひとつマスターするという感じなので、ものすごく大変というほどではありません。
しかし、「すごく大変」ではないのだけど、逆に、ちょっとした言葉の言い回しの違いとか、単語の意味合いの違いがなかなか覚えられない。
これは、最近、極度に物忘れがひどくなっているのと関係があるようですね。
人名なんて、ほんと、ど忘れが多いったらありゃしない。「ええと、あの人、ホラ、あの人.....ええええっと、なんてったっけ。ここまで出てるんだけど....」を、最近、始終やっているわけです。
自慢じゃないですが、あたしゃ、昔は記憶力はそれなりにいい方だったのですが、それは今は昔になってしまったようです。
脳は使わないと退化するといいますが、そんなに使っていなかったかなあ.....。

それにしても、書いたら理解できるぐらいの、それぐらい近い関係のコトバであるなら、ポルトガル人だって、そこそこスペイン語がわかるだろうに.....と思われるでしょ。
そうなんです。たいていのポルトガル人には、スペイン語はかなりわかります。大阪の人が、自分では喋らなくても、東京弁が理解できるのと同じぐらいには、わかるようです。(ブラジルでは、小学校からスペイン語を義務教育で学ばせているので、理解度はもっと高いです)
だったら、八木も、下手にポルトガル語を学ばなくても、スペイン語で通せば、それはそれで何とかなるんじゃないのか、と思われる方もおられるでしょう。もっともです。
しかしながら、ここに陥穽があるのでした。

ポルトガル語とスペイン語は、「方言どおし」と言っていいほど似ています。
しかし、ポルトガルとスペインは隣どおしの国なのです。

隣どおしの国というのは、だいたい仲が悪いという、悲しき法則があるのでして、とくにそれは、国の大きさが完全に同じではなく、一方が大きく(あるいは経済力が強く)て、片方が小さい(経済力が弱い)場合、この法則は、よりシビアに適用されるという原則があります。

もうおわかりですね。

ラテンアメリカでいうと、ウルグアイ人はアルゼンチン人がきらいだし、ボリビア人はチリ人がきらいだし、グァテマラ人はメキシコ人がきらいです。
ラテンアメリカ諸国など、歴史も浅いし、ブラジルを除けば、言葉も同じで、民族的にもそう大きな違いはないにもかかわらず、「きらい」なんですから、この問題の根の深さがおわかりかと思います。

これで、文化や言語が違えば、さらに「きらい」度はグレードアップします。
もちろん、歴史的背景というのも同じです。
強い国は、ほぼかならず、弱い国を侵略したり、併合しようとしたり、政治に介入しようとした過去があり、領土紛争で揉めたことがあり(多くの場合、それは今でも続いていたりする)、なにかというと、弱い国の文化を「イナカ」あるいは「劣等」呼ばわりして、せこい優越感を持っていたりします。
弱い国の方は、もちろん、それが数世代は続いているわけですから、恨みが溜まっているわけです。
で、いずれの側の政治家も、自分とこの国が内政に失敗して経済危機などが起こると、国民の不満を反らせるために、そういうときに領土問題あたりを蒸し返して、隣の国バッシングをやります。
すると、素直な国民は、自分とこの内政問題をきれいに忘れて、隣の国の国民の反自国デモだの、不買運動などに、素直に怒ってくれるわけですね。もともと「きらい」なんだから、火をつけるのは簡単というわけです。

つまり、クウェート人がイラク人をきらいで、メキシコ人はアメリカ合衆国がきらいで、韓国人が日本をきらいなように、「ポルトガル人は、スペイン人がきらい」なわけ。
というわけで、ポルトガルでは、偉そうにスペイン語を喋らない方がいいようである、と。
もちろん、これは、あくまで庶民感情レベルの一般論ですが、庶民感情レベルの一般論というのは、バカにしちゃあいけません。経済ぼろぼろの日本国民なんて、ちょっと煽られただけで、もう、それはそれは素直に、中国や韓国バッシングに走って、危機的な国家財政の問題も憲法改正の問題も、どうでもよくなってしまうんですから。

ま、そんなわけで、脳への刺激も含めて、ポルトガル語の勉強であります。


(7月8日 記)

しばらくモノローグを書くのをさぼっていたら、イギリスで同時多発テロ。それも、オリンピック開催発表の次の日に、です
アメリカで9・11テロがあって、スペインでも列車テロがあったんですから、アメリカにいの一番に賛同してイラクに軍を送ったイギリスは、自国も標的になることを予期していなかったのでしょうか。もちろん、していたのかもしれませんが、実感がなかったのでしょうね。その問題を真面目に考えているなら、オリンピック誘致で浮かれていられるわけないですから。
しょせん、遠くで流されている他人の血には、自分は痛みを感じないということでしょう。

であるなら(であるからこそ)、不本意にも、テロは意味を持ってしまいます。
というか、それー遠くで流されている他人の血に無自覚な人たちに、目の前で流れる血を見せることで衝撃を与えるーがテロの本質なのでしょう。だとすれば、テロ対策とは、外国人を取り締まったりすることではなくて、「遠くで流れる他人の(多くの場合、違う民族の)人たちの血に、もっと関心を持つこと」でしかありえないでしょうね。
それが、一部の政治家にとって、とても都合の悪いことなのだとすれば、テロの首謀者より、ずっとたちの悪い人たちがのさばっているということになりますね。


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