八木啓代のひとりごと 2005年度 上半期

(6月18日 記)

少し前の話になりますが、とても凄いケーキを頂いてしまいました。
福岡のパティスリー・リヴゴーシュさんのチーズケーキです。

どこが凄いのかというと、低温殺菌の牛乳で、チーズから手作り。

以前にも書きましたが、私は、いわゆる「素材主義」にはやや懐疑的な立場を取っています。
つまり、「どこそこの産地直送の厳選された素材」に「どこそこの産地直送の厳選された調味料」を「何とかいろいろ立派な経歴のシェフが」使っていることを売りにした、最近はやりのレストランなどのことです。

まあ、それは美味しいのは認めます。
でも、それは最高の素材を使っていれば、よほど作り方が下手でない限り、料理がおいしいのは当たり前で、それってシェフの腕ではないんじゃないの。

で、実際、そういうレストランで、はっきり言って、素材の良さをぜんぜん生かせていないとしか思えない高級料理を食べたこともあります。

あるゴージャスな中華料理店。ウニにアワビにフカヒレ、もちろん海老カニ帆立は、冷凍じゃなくて鮮度最高品と、高価な素材をどっさり使ったコース料理。はっきり言って、可哀想になるほど素材が殺し合っていました。高級品を、思いつくだけぶち込めばいいってもんじゃないって。

これ、じつは、お食事券をいただいて行ったお店で、自分の財布が痛んでなかったらからまだ救いがありましたが、自前だったら、数日クラい気持ちになったかもしれません。まあ、あのお値段を出して、自前では行かないと思いますが。
(ちなみに、とても反面教師になったので、このあと、この店のメニューのいくつかを参考に、はるかに質素な素材でいろいろ料理を作り、その後、定番化したものもありますので、ただ勿体なかったというだけの経験にはなりませんでした。それにしても、「お食事券」って、ATOKだと「汚職事件」って変換されるのですね。どきっとしました)

そこまでいかなくても、もちろんまずくはないし、おいしいといえばもちろんおいしいんですけど、素材がいいですよねとしかいえない料理とか。(だったら、築地で自分で入手して、家で食べた方が.....)
もちろん、店の雰囲気やサービスなどの評価を含めても、その店の場合は、そう思ってしまったということです。

ですから、ふつうの素材、場合によっては粗末な素材でも、あっと言わせるようなものに仕上げるのが、シェフの力量ではないのか、と思ってしまうのですね。そもそも、フランス料理にしても、素材が良くないからソースが発達し、京料理や山西料理にしても、新鮮な素材が手に入りにくいから、乾物料理系のものすごい技術が発達した、という側面があるわけですから。

以前、ある懐石料理系の板前さんが出してくださった、一見お総菜のような、何気ない煮込み料理が、もう、なんともいえないほど美味しかったので、思わず歓声をあげたら、「お宅でも、その気になればできますよ」と、にこにこ顔で、あっさり作り方を説明してくださったことがあります。

え? いいの、そんなに簡単に教えちゃって?

聞いて納得。
たしかに、家庭でもやろうと思えばできないことはない。でも、口で語ると簡単そうなその手順は、現実問題として、とても家庭ではできるようなものではないんです。何気ない煮込みに、とても家庭のお総菜では考えられない手間暇。
道理で、私の作る煮込みと、ひと味どころか二味も三味も違うはずだわ。

いや、確かに物理的な意味では、やってできないことはないんですが、でもその労力や、素材そのもののうしろで見えない下ごしらえのために消えた素材達や、さりげない隠し味を作っている材料達をぜんぶ揃えることを考えたら、「プロの料理を賞味する方がずっと現実的」ということ。

板さんも、わかってるから、あっさり教えられるのよねえ。

で、話戻ります。
チーズケーキは、私も作ったことは何度もありますし、お店でもいろいろな種類のものが、比較的安いお値段で売ってます。

ただ、この頂いたチーズケーキが、どこが凄いかというと、まず、素材が尋常ではない。
それも、ありがちな素材を自慢したいだけの素材主義ではなくて、「体に害のあるものを最大限排除したい」というポリシーに基づいた素材主義です。で、そのうえの手間暇のかけ方が、また凄い。
この店のサイトで、チーズケーキの作り方すべて写真入りで公開されているのですが、あの板前さんと同じ、いやそれ以上に、「ご家庭でできるようなものではない」からできるんですな。

で、肝心のお味。
日ごとに味が変わります。初日のフレッシュな感じ。翌日のやや熟成した濃厚な味。3日目、4日目とより熟成の進んだ味。
チーズケーキがこんなに味が変わるというのも、初体験。驚きです。

私個人としては、3〜4日目の熟成が進んだ方が好みでしたが、毎日、ここまで違う味わいというのは初めてです。まさにチーズは生きている。

はっきりいって、かなりお値段が高いので、貧乏音楽家には気軽に注文しにくいというのが、唯一の難でありますが、チーズケーキお好きな方、あるいはチーズケーキを内心馬鹿にしている人には、一度、経験の価値はあるかもしれません。


(6月17日 記)

気温30度の大阪から帰った東京は、その日が、気温27度、翌日から20度。
で、風邪をひいてしまいました。年に一度はやりますね、鬼の霍乱。
熱こそ出なかったですが、猛烈な咳と鼻水、鼻づまりで、頭がぼうっとしておりました。

あまりに頭がぼうっとして、ハナをかんでいる間に、自分が何をしていたかわからなくなったりするので、ひょっとしてアルツハイマーの初期症状だったらどうしようと真剣に不安を感じたぐらいでございます(大爆)
昨日あたりで、頭がすっきりしてきましたので、ああ良かった。
そんなわけで、モノローグの更新もできていませんでしたが、やっと復帰です。


(6月12日 記)

すでにBBSに書いていますが、大阪ライブ、盛り上がりましたね。
久しぶりにお会いした皆様、遠くから来られた皆様、ありがとうございました。

西本諭史さんとは、今回で3回目の顔合わせなのですが、前回がピアノ(吉田幸生さん)、その前がベース(岩田晶さん)との組み合わせで、ギター&パーカッションというのははじめてです。
それもあるし、なんせ2年ぶりなので、曲も覚えていらっしゃらないだろうし......という危惧もあったのですが、どっこい。素敵なギターでしたね。初顔合わせの西野欣也さんのパーカッションも、とってもいい感じでした。

あまり乱暴にくくるのは問題がありますし、常に例外はあるということはわかっていただきたうえで、読んでいただきたいのですが、東京のプレイヤーの方は、スタジオ系の方が多いせいか、初見での演奏など凄いです。
プライドも高い方が多いのですが、どちらかというと、ボーカルに合わせるというよりは、編曲に忠実であるか、あるいは、自分の個性に忠実であるという傾向があります。
なんといっても、市場も大きいですから、特定のジャンルに特化したプレイヤーの方も多いし、その専門性の深さは、ある意味、外国の民俗音楽を演奏するとしても、わざわざ「現地出身のプレイヤー」を呼ぶ必要がないぐらいです。
だから、一緒に音楽を作るという意味での発見なども多くて、それはそれで楽しいのですが、ボーカルとして自分のやりたい音楽と違うものになってしまうことも、ままあります。それが刺激になることもありますが、たまには、フラストレーションとなる場合もある。

大阪のプレイヤーの方は、とにかくライブ慣れしてます。それも、たぶん市場が小さいために特化したジャンルだけを演奏していては、小さい市場をさらに狭くしてしまうだけになる(からだと思います)ので、守備範囲が広い。いろんなジャンルは一通りやったことがある、という人が多いです。
コアな音楽のバンドを作りたいときにはそれが弊害になることもあるわけで、たとえば、HAVATAMPAのようなバンドは、大阪ではまずできないでしょうが、逆に、八木啓代のソロのような、ラテンフレーバーではあるけれどコテコテではなく、あくまで歌が主役で、やや無国籍。でもそのわりにコード進行が妙な(笑)曲が多く、演奏が定石通りではできない....というような音楽の場合、ラテンが好き、でもボサノヴァもシャンソンもファドもジャズも好きで演奏するし、ライブでの修羅場はぜんぜん平気....という関西の人の方が向いているのかもしれません。その中で、キューバのボレロもアルゼンチンのサンバも、メキシコのバラードもブラジルのポップスもきれいに違和感なく溶けあうことができます。もちろん、日本の歌もね。

コアな音楽とそうでない音楽、両方できるというのは、とても贅沢なことですね。


(5月30日 記)

立つレッサーパンダやピアノマンなどが話題になって、大事なことは報道されないここ数日のうち、今頃になって、セラフィールドでの放射性溶液漏えい事故について、このような記事が出ています。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050529-00000068-kyodo-int

これも共同のみ。
一方で、原電が、暢気にも、そのセラフィールドに中学生を引率して物見遊山に行こうとしていたことが発覚。目が点。ほんとにほんとに馬鹿じゃなかろうかとしかいいようがありません。

http://www.taro.org/ml/mailmagazine/index.php?mode=day&log=200505&date=28#no267

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200505260033.html

ちょっとネットで調べてみると、原電の「事業報告書及び収支決算書」が出てきました。もちろん、原電自身が公開しているものです。

この事業、前回は平成15年の7月18日から27日に行っており、中学生5名と教員1名をセラフィールドに派遣するのに、なんと、3,268千円(つまり326万8千円ね)の予算が計上されているときてます。今時、ひとり50万以上! しかも、参加者からもひとり10万円を徴収するらしいです。どんな旅行なのでしょう。

これに限らず、この資料を見ると、原発がいかに気前がいいかがよくわかります。がんがん補助金もらえます。貧しい音楽家としては福井に移住したくなりそうなぐらいですが、でも、大不況の日本でここまで景気がいいと、むしろ、原電自身が「危険手当」としてばらまいているようにしか.....。


(5月29日 記)

さて、今度は、大量の(1kgぐらい)の金塊.....ではなくて、金塊型クーベルチュール・チョコレートを頂いてしまいました。
クーベルチュールというのは、いわゆる製菓用チョコレート。チョコレートの元になるものです。しかも、無糖。ベルギー製の高級なものらしい。

その方も別のお知り合いから頂いたのだけれど、お菓子作りの趣味はなく、一度試しに作ってはみたけれど、悪戦苦闘した挙げ句、きっちり分離してしまい、持て余しているのだとか。

チョコレートって、本格的に作るとなると、たしか、温度管理とかむずかしかったんだよねえ。

とりあえず、そのうちの150グラムほどを使って、温度管理の必要のない、一番簡単なガナッシュを作ってみることにしました。いわゆる生チョコです。

このクーベルチュールが、タブレットではなくて固まりですから、まず割るところから。
100円ショップで買ってきたアイスピックで割って、使う分をとりあえず、なるたけ細かく砕きます。
それから、生クリーム(ほんとは動物性のがいいのだけど、とりあえず冷蔵庫にあったのが植物性だったので)を沸騰させない程度に暖め、一方で、チョコレートを耐熱ガラスのカップに入れて、電子レンジでチン。(やりすぎると焦げるので、少なめに加減しながら溶かしていきます。7割ぐらい溶けたらOK。あとはかき混ぜるだけで大丈夫)

沸騰しない程度に煮立てた生クリームに溶けたチョコレートを入れて耐熱のゴムベラでかき混ぜながら味を見て、砂糖を加えます。ふつうはクーベルチュールチョコレートといっても砂糖は入っているのだけれどね。
混ざったら、好みの洋酒をちょっと加えて、固めます。私はジップロックコンテナの浅くて四角いやつに、ラップを敷き、そこに流し込みました。
ちなみに、暖めた生クリームに、細かく刻んだチョコレートをそのまま入れて、生クリームの熱で溶かすやり方もあります。
いずれにしても、水気は大敵。
私にこのチョコ塊をくださった方は、レシピはお持ちだったようですが、生クリームを沸騰直前まで暖めるというのに抵抗を感じて、熱湯でチョコレートを溶かそうとしたのが決定的敗因のようです。

2〜3時間置いて固まったら、型から抜いて(ラップの四隅を引っ張るだけ)、適当な大きさに切り、無糖ココアをまぶしてできあがり。

上等のクーベルチュールというだけあって、確かに美味しいわ、これ。大人の味です。いかん。ばくばく食っては、ニキビが出るぞ。


(5月25日 記)

前の週末、ついに念願のメールソフト乗り換え決行しました。

いままで、Mac OSX用のメールソフトというと、決定打がなくて困っていました。
Mac OS標準付属の「Mail.app」は、なんせ重い。

結局、有料の(しかも安くないのだが、仕事上必要なときがあるので、いやいや購入したMicrosoft Officeにはいっていたので)Microsoft Entourageを使っていたのですが、このソフトには、さすがにマイクロソフト社の製品だけあって、やっぱり致命的な欠陥があります。
OutlookやOutlook Expressにも共通する欠陥なのですが、すべてのメールデータをひとつのバイナリファイルにして保管するという非常識な仕組みになっているため、このメールデータにいったんエラーが起こると、「過去すべてのメールもアドレスブックも、要するにすべてのデータが消える」という、世にもおそろしい事態になるわけです。これを一度は体験した人は少なくないでしょう。

(言うまでもなく、Outloos Expressには、これに加えて、ウイルスに弱くセキュリティぼろぼろというさらなる問題があります。WindowsユーザーでOutloos Expressを使っている方、せめて、Outlookを使いましょう)

この状態に陥ってしまったら、唯一の手段として、optionキーを押しながら起動するという手があります。これによって、運が良ければ、ソフトが最適化されて、データが復活することがあります。
しかし、決定打でも何でもないのでして、結局、まめにバックアップをとるしかないわけなのです。

一度などは、このバックアップの途中に何らかの異常が起こって、バックアップ前(つまりオリジナル)のデータが破損し、しかもバックアップ先のデータも破損し、顔面蒼白になったことがありました。
さいわいなことに、バックアップは2カ所に取る(つまり、ファイルは合計3つ保存している)ことにしていて、そのうちの最後の一カ所が無事だったので、その無事なデータを、壊れた2カ所に移植し、事なきをえましたが、あのときの10数分の手に汗握る感ってなかったぜ。

こんなおそろしいソフトを、仕事で使い続けるのは嫌だったので、でも、Mail.appは重いし.....と思っていた矢先に、今年になって正式リリースされたMozilla系Thunderbird。
もちろん、かつてのNetscapeメーラーみたいに、重苦しい色のデザインではないし、AOLのID取得をしつこく持ちかけてきたりもしません。(なんたって、これが嫌で、Netscapeメーラーを使わなかった)

ネット検索してみても、評判は上々です。アイコンも名前もかっこいいし。なんたって、さんだぁ〜ばぁ〜どだ。テーマソングもあるぞ(それは違うって)

ところが、いざMac版Thunderbirdをダウンロードして起動させてみると、OutlookやOutloos Express、Eudoraからはできるのに、Entourageからデータを直接取り込む機能がないのですね。がぁーん。

ということで、過去メールを参照するためにEntourageを残し、新たなメールからThunderbirdに切り替えるというのも考えたのですが、それも素人くさい。
絶対なにか方法があるはずだと思って、またまたネット検索。

見つけたのが以下のふたつのページです。

http://www.goodbyeinternet.com/mt/2004/1226024642.htm

http://www.mozilla.gr.jp/forums/?mode=al2&namber=14537&rev=&0&KLOG=94

さっそく、簡単そうな上記の方法でやってみました。
結果は無惨。まったく無理です。
メールデータそのものが少なく、そのメールをいろいろなフォルダに分けて保存していない場合は、このやり方でもできるのかもしれませんが、私の場合は、ぐしゃぐしゃになりました。

で、面倒そうだったけど、2つ目の方法。これは手間がかかりそうだったので、時間があるときまで先延ばしにしていたわけです。で、一昨日、気合いを入れて作業突入。
おお。すごい! きれいに読み込んでいるぞ!

フォルダごとに一個づつやらなくてはならず、私は仕事の案件やメールの内容ごとに、いくつもアカウントを使い分け、細かくフォルダ分けをしていたので、それなりの手間になりましたが、見事に移植完了。

アドレス帳の方は、何度か失敗。Entourageからエクスポートしたデータが、テキストファイルなのに、どうしても文字化け。で、どうやらThunderbirdは、文字コードUTF-8、改行UNIXみたいなので、文字コード変換してやってみたら、大成功。(あとでよく見たら、それをちゃんと説明してくれているサイトもありました)

そして、使ってみたThunderbird。使えます!

いちおう、Entourageの方もいつでも復帰できるようにしてあるのだけど、その必要はなさそうです。
とにかく、軽い。
つまらない画像はシャットアウトできるし、迷惑メールは自動でさくさく判別してくれるし、Entourageよりはるかに細かい設定が可能だし。インターフェイスもおしゃれだし。

拡張機能で、スペイン語のスペルチェックもやってくれる。(これは、Mail.appもやってくれるんですが)
いうまでもなく、メールデータはフォルダことにテキストデータで保存されるので、不慮のトラブルの場合も最小限の被害で済みます。

何でもっと早く乗り換えなかったのか....(って、自分が怠惰だったからさ)

ついでにブラウザも、(Caminoは気に入ってはいるのだけど)、Firefoxに乗り換えて、ばりばりに拡張機能でチューンアップしようかと思っています。

そういう意味では、Open Officeも今年になって正式な日本語版が出たので、Microsoft Officeにやむなく高いお金を払う必要もなくなった(ああ、悔しい!)し、こと、パソコンユーザにとっては、2005年は画期的な年ではないでしょうか。


(5月21日午後3時 記)

あるメーリングリストで、イギリスの核廃棄物処理工場で、大規模な汚染物質漏洩事故があったと知り、慌てて調べてみて愕然としています。
驚いて検索して、次の詳細が出てきました。

とりあえず、日本でのマスコミ報道
Googleニュース検索(セラフィールド関連報道)

共同通信が配信したようですが、そのせいか、「大新聞は黙殺し、地方紙だけが扱う」という、かなり異常さを感じさせる検索結果となっています。大新聞系がホントに記事にしていないので、最初「トンデモ系の誤報か」と思ってしまった自分が怖い。

政治家で問題視しているのは、自民党の河野太郎氏のメルマガぐらい。

ちなみに、この共同通信のもとになった英ガーディアン紙の記事(英語)
http://www.guardian.co.uk/uk_news/story/0,,1479483,00.html

日本語訳(出典:美浜の会)
http://www.jca.apc.org/mihama/uk_france/guard050509.htm

Newscientist記事(英語)
http://www.newscientist.com/channel/earth/dn7359

続報などは、美浜の会のサイトで読めます。

それにしても、漏洩事故も恐ろしいですが、この報道の異常さには背筋が凍りそうです。日本のマスコミには言論の自由がここまでないのでしょうか


(5月21日 記)

私が暢気にオレンジの皮を煮ている間に、ボリビアではメサ大統領が法案拒否をやめたことで、法律は公布となり、デモは収まったようです。
しかし、ぜんぜん本質的な問題の解決にはなっていないわけで、これからどうするんでしょうね。

一方、メキシコではフォックス大統領が「人種差別発言」して、アメリカで問題となっているという件、Yahooニュースあたりでも報じられていたので、ちょっと解説しておきます。

要するに、フォックス大統領が、13日に、テキサスから来たアメリカの企業家たちの前で、「メキシコ人は仕事を前にした威厳とやる気と能力にあふれ、米国の黒人さえやりたがらない仕事をしている」と発言したのが問題となっているわけで、これにさっそく、アメリカの黒人指導者達が噛みついたと。

まあ、当然でしょう。明らかに人種差別的ですもん。

問題がさらにこじれたのは、この発言が問題視されたあとも、フォックスは、あくまで謝罪しないで、これを「解釈のせい」にしちゃったことです。要するに、自分の発言が曲解されたという言い分でして、だから、「誤解されたことに遺憾の意を表明した」だけで、謝罪はしなかった。

でもね。確かにフォックス氏に、黒人を貶めるというはっきりした意図はなかったのは確かとは思うけれど、これは差別発言ですよ。その自覚がないから、よけい始末が悪いというか。

その一方で、ロサンゼルスでは、133年ぶりに、メキシコ系アメリカ人の市長誕生です。


(5月20日 記)

さて、昨日は、無農薬夏みかんでオレンジピール作り。
なぜ、マーマレードではなくてオレンジピールなのかというと、今年、ある方から頂いた無農薬夏みかんをちょっと食べてみたら、おいしいのよ、これが。
マーマレードにするには惜しいおいしさなので、ばくばく食べちゃっており、残った皮を冷蔵庫にためておいてオレンジピールというわけです。

マーマレード作りと同じく、皮は白いところをおおまかに削って、2度茹でこぼし、さらに一晩水につけます。
このみかんの皮は去年のほど苦そうではないので、砂糖は少し少なめにして、重量の75%ぐらい。
ホーローの鍋に皮と砂糖を入れ、焦げ付きを防ぐために少し、ワインを入れて煮始めます。それでも焦げ付きそうだったら、少し水を足してもいいかもしれません。
1時間ぐらいとろとろ煮て、水気がかなり減ってきたら味見して出来上がり。
あまり煮詰めるとかちんかちんになってしまいます。
煮汁ごと保存するやり方もあるようですが、私は、砂糖をさっとまぶすのが好きです。ざるで水気を切って、トレイに広げたグラニュー糖をまぶしつけます。これで瓶にでも入れておけば、いつでも食べられるお菓子完成。

お茶うけにいいし、スピリッツ系のお酒のおつまみにもなります。
もちろん、ケーキの材料にも。
砂糖漬けなので日持ちはしますが、夏場の暑くて湿度が高いときは冷蔵庫へ。
長期保存の場合、冷凍庫に入れておきます。(っても、人にあげたりしていると、すぐに無くなるんだけどね)

一緒に頂いた新玉葱は、料理に使ったりサラダにするだけではなくて、一個はピクルスに。
メキシコのユカタン地方では、赤玉葱でとってもおいしいピクルスを作るのです。赤玉葱だと色もピンクでとてもきれいなのですが、白い新玉葱でもとってもおいしいピクルスができました。これも何にでも合います。
個人的には、朝食の目玉焼きと一緒に食べるのが好きなのですが、もちろん、酒のつまみ可。


(5月18日 記)

南米のボリビアでも、ここ数日、火が燃えています。
カルロス・メサ大統領の辞任を求めて、首都ではデモ、地方では道路封鎖で、国内が麻痺状態であるようで、外務省からも渡航の自粛勧告が出ています。

ただ、この国の場合、事情がかなり込み入っています。

そもそもボリビアは、農村の識字率25%、平均余命65歳。農家の収入は月15ドル以下、所得格差は中南米でも最悪レベルという国。
もちろん、文化的には、かつてのインカ系の文化・技術水準を偲ばせる美しい遺跡群を持ち、いま日本で「フォルクローレ」といわれているジャンルは、ほとんどこのボリビア音楽といえるほど、ケーナやチャランゴの音楽を輸出しているぐらい(というか、ペルーやボリビアあたりの経済規模だと、国内市場では音楽家はプロとしては食べていけないので、観光客相手、または、外国で演奏活動をするのがメインとならざるをえないのが実態)なのですが、経済は崩壊しているといっていい状態です。

で、カルロス・メサ大統領本人はというと、彼は歴史家であり元ジャーナリスト。前大統領の辞任と国外亡命を受けて、副大統領から大統領に就任した人物です。
ただ、前大統領とは違ってアメリカべったりでもなく、いちおう、常に対話を重視する知性派。去年の7月にやはりボリビアが揉めたときもさっさと辞任を表明し、その辞任が議会で否決され(つまり、議会は辞めないでくれという態度)留任しています。

では何が問題なのか。
直接的には、ボリビアで産出する天然ガスの輸出問題です。
ボリビアでは、なんとかなりの天然ガスの埋蔵量があるのですが、これをどう運用化するかが目下の最大の火種。
先日、先住民代表の下院議員エボ・モラレス議員が提出し、若干の修正の後、議会が承認した石油・天然ガス法を、現実的でないとして大統領が拒否権を発動したことが、ここ数日の大騒ぎの火種になっています。
この法律とは、ボリビア国内のあらゆる石油会社は、納めるべき18%ロイヤリティーと32%石油採掘税を納めなくてはならず、また、ボリビア国家石油会社を唯一のエネルギー輸入業者と指定するというもの。ボリビアで天然ガス輸出産業に携わるのは、外資系企業しかないので、メサ大統領からすれば、この法律の内容が外資企業の接収につながり、「自殺行為」であるというわけです。

で、ここだけ読むと、メサ大統領はネオリベラリズム(新自由主義)派系外資優遇派で、モラレス議員は先住民の利益を守る愛国者というように見えますが、そう単純でもないところが根が深い。

そもそも、この騒動のさらなる発端は、前大統領時代から始まります。

ゴンサロ・サンチェス=デ=ロサーダ前大統領は、ブッシュにゴニーと呼ばれていたほどの親米的な人物で、最貧国ボリビアの経済回復のために、世界銀行の指示に基づいて、いわゆるネオリベラリズム経済政策を行います。
で、水道事業を民営化したところ、コチャバンバ市でその事業を請け負ったアメリカのベクテル社は水道料金を35%も値上げした。もとより、貧しい層が多い国ですから、水道代が払えない人々が続出して、反政府デモとなったわけです。しかも、この会社が、さらに地下水を汲み上げる井戸を増やそうとしたことから、地下水を使用している先住民農民層の反発を買い、都市住民に加えて、彼らもデモに加わることとなります。さらに、民営化によって解雇された鉱山労働者達が、加わってきました。
結局、このベクテル社はボリビアから撤退しますが、ボリビア政府に損害賠償を請求して、世界のNGOの顰蹙を買っています。さすがアメリカの会社。
(これほどえぐい例ではなくても、似たようなことはいまも続いていまして、今年1月には、フランスの水道会社が撤退。スペインの電力会社とイタリアの電信会社の撤退を求めてのデモが起こっています)

さらに、サンチェス前大統領は、ボリビア−チリの天然ガス輸送パイプラインを敷設し、ガスをチリのアリカ港経由で輸出しようとしたことに対する感情的反発が起こりました。なんでそんなことが感情的反発を生むのかというと、昔、ボリビアはチリとの戦争に負けて、この地域、つまり「海への出口」をチリに取られたので、いまでも反チリ感情が根強いのですが、まさにそこに引っかかったわけですね。
(しょせん感情論であって、ボリビア経済の安定や回復とは何の関係もないわけですが、サンチェス大統領のあとに登場したメサ現大統領が「チリ経由の輸出はしない」と公式に表明するまで、ヒステリックな騒ぎが続いたほどの、反感があるわけです。)

ちなみに、ここで大統領打倒派の中心として登場するモラレス議員は、コカ栽培農民の代表です。じつは大統領選にも出馬し、サンチェス氏とは決選投票にまで持ち込んでいるだけの支持基盤を農民層に持っているのですが、彼はコカ栽培の合法化を掲げているぐらいなので、コカの根絶政策を進めるサンチェス(ブッシュと仲がいいから当然ですね)とは、当然、宿敵だったということです。

で、そういう一連の出来事が社会争乱を引き起こし、流血まで引き起こし、前大統領の退陣につながったわけ。

そこで登場したのが、メサ大統領というわけで、そういう意味ではサンチェスのネオリベラリズム路線をある程度引き継がざるをえないのは当然なのですが、一応、就任後、ボリビア史上ではじめての全て党派に属しない人や専門家からなる内閣を組織し、「石油と天然ガスの採掘に関する法律を改めて審査することを考え、憲法を改正し、それをさらに建設的なものにする」と述べてはいます。路線としては、ネオリベラリズムを引き継ぎつつ、どこかにソフトランディングする方法を考えていたと思えるふしがある。
問題は、その具体的な方策をちゃんと提示できていないということですが、かといって、モラレスの主張通りにやってうまくいくのかというと、とてもそうは思えない。

例の天然ガス法案では、モラレス議員が元々主張していたのは、ロイヤリティー18%ではなくて、50%。しかも、さらに10%を地域の市役所にも分配せよというもので、じつは、彼のいる党も含めてボリビアの左派2政党は法案に反対していますが、これは、大統領寄りなのではなくて、モラレス議員寄りの、さらに「過激な」法案を求めてのこと。
しかし、これはさすがに非現実的としかいえない内容です。これでは、ボリビアの天然ガスは国際競争力はなくなってしまうでしょう。(隣国ブラジルでも天然ガスを産出していて、現段階ですら、ブラジル産の天然ガスの方が安くつくようです)
当然、外資はこぞって撤退するでしょう。それは狙いのうちとしても、外資企業からの裁判もべつに怖くないとしても、チリが駄目ならペルーまでパイプラインを敷設し、ボリビアで天然ガスの輸出業務を行える国営企業を運営していけるのか、というヴィジョンまでモラレスがちゃんと持っているのかがぜんぜん見えない。

むしろ、「私は人を殺さない。分かりやすく話すべきだ。道路封鎖を解除させるために軍や警察も送らない。ボリビアで死者は出ないだろう。私は話し合いをする言葉の人間で、私の原則は倫理である」と、つねに対話しようとしているメサに比べると、モラレスの手法はとにかく「要求が受け入れられないなら、反政府デモの盛り上げと道路封鎖」一辺倒なのですよね。
道路封鎖すれば、経済が麻痺するのは当然なのでして、それってちょっとヤクザ的なんですけど。自分でボリビア経済を壊滅に追い込んでどうするんだ。しかも、(信じたくはないのですが)道路封鎖スト破りをやった農民にはリンチのような制裁があるとか、デモ参加者に日当が出ているという話もありまして。

最終的には、ゆくゆく天然ガス産業を国営化することを見据えてやっていくのが、国民をまっとうに潤すために、もっとも現実的かと思うのですが、モラレス議員の提案はどうもそういう発想ではなく、「ボリビアの先住民は貧しくて搾取されてきた(それは正しい)→たまたま見つかった天然ガスの利権で潤って当然(それもある程度正しい)→だからいまとれるところから金を搾り取りたい(それはちょっと違うんじゃ)」という感じ。
コカに関しては、コカは文化であるということには同意するし、コカを撲滅すれば問題が解決するということではないのも確かなのですが、だったらコカを解禁するのが良い、というものでもないところがビミョーなのであります。
私としては、モラレス議員も、どうも「自分の支持者の利権を守るためのが重要であるだけの、安易きわまりないオヤジ型政治家」に見えてしまうわけでして、メサが失脚したところで、彼にベネズエラのチャベスや、ブラジルのルーラのような現実的な政治運営ができるとは到底思えないのだな。

しかも、さらにややこしいのが、その肝心のボリビアの天然ガスの主要埋蔵地帯は、先住民の住む山岳地ではなく、東南部であることです。
この低地東南部、つまり、サンタクルス地方は、ボリビアの面積の1/3と人口の1/4を占め、ボリビアの国内総生産30%、輸出54%を占めている。
現在は、このサンタクルスで採掘された天然ガスは、ブラジルを経由して輸出されているわけです。
その豊かさゆえに、サンタクルスが支払っている税金額が、ボリビア全体の税金収入の40%に及んでいます。

にもかかかわらず、学校も保健所もラパスや他の山岳地帯と比べても少なく、国会議員数の割り当てもかなり低い。
そんなわけで、サンタクルスでは、そもそもメサ政権は山地先住民ばかり優遇しすぎという意見が多かったわけですから、この政府と先住民の対立を「ふざけんな」と思う人がいっぱいいるのも当然なわけで、ついには、サンタクルス独立(または大幅な自治)を要求して、政府と先住民派との対立に三つ巴で参戦。さらに状況を悪化させている、と。
(このサンタクルス地方は白人系が多く、その民族対立感情も根底にあります)

いや、凄いです。まともな人間がこの国の大統領になったら、ストレスはとんでもない数値になるでしょう。もはや対話ではどうにもなりそうにないのも確かです。革命でも起こして抜本的に改革するしかなさそうですが、なんといっても、この国はゲバラをみすみす殺させてしまった国でもあるのです。

そして、悲しいことですが、メサ大統領が今度こそ本当に辞任したら、とりあえずの後継者は、上院議長のオルマンド・バカが大統領に就任する可能性が濃厚なのです。このバカ氏には国民の支持が全くないので、さらに事態は混迷するだろうということ以上に、そうなったらボリビアが、しばらくの間、日本中で「トリビア的」笑いのネタにされるのだろうなあと思うと、き.....気の毒すぎる....。


(5月15日 記)

13日のライブ、たくさんのご来場ありがとうございました。
会場が小さかったせいもあって、当日おいでになって、ご入場になれなかった方もおられたようです。申し訳ありませんでした。

さて、かくえホール。
綺麗な木造の素敵なスペースなのですが、もともと、ライブのための場として考えて設計されてはいないせいもあって、非常に吸音性の高い素材が壁面に使われており、音響的にきわめてデッドな空間となっています。
だから、小さいスペースであるにもかかわらず、生音でのライブに無理がある。

(よくある素人さんの勘違いなのですが、ホールの大きさと音響には関係がありません。小さいスペースだから音響はいらない、大きなホールだから音響がいる、ということではないのです。大きくても、音響を綿密に計算して作られたホールでは、生音だけでかなりのことができますし、ほんの20平米足らずの喫茶店あたりほど、それなりにちゃんとした音響設備でライブをやらないと、まともな音にならない場合が多いのです)

ただ、事前の打ち合わせにいろいろ誤解もあったようで、こちらの持ち込んだ設備と、ホール側で用意していた設備がアンバランスだったため、(はっきりいうと、あのスピーカーはないよな)、音響的にかなり問題のあるライブでした。音、割れていましたよね。八木は風邪をひいているのかと思われた方もおられたようです。リハーサルでこれはやばいと思って、本番ではかなり自分でボリュームコントロールしながら歌っていたのですが、それでなんとかなるような問題ではありませんでした。すみません。

そのほか、会場の見つけにくさ(暗くなると、入り口が極端にわかりづらい。かなりの方が、迷われたようです)、打ち上げの内容や段取りなど、事実上はじめてということで割引するとしても、私としては、かなり課題が多いなと思いました。

でも、銀座というどこからでも行きやすい便利な場所にあるあの空間の魅力は捨てがたいものがあるので、お店と相談し、アイデアを出しながら、よりよいライブを作っていきたいと思います。
次回にぜひご期待ください。

それにしても、ここ数日、寒いですね。
いったん夏かと思うほど暖かくなって、冬もの衣料を片づけたあとの寒さはひときわこたえます。


(5月11日 記)

堅い話が続きましたが、ここで、皆様お待ちかね(笑)の食べ物の話題です。

今日はちょっと寒いですが、それでも春になって暖かい日々が続いたので、植木鉢のハーブがぐんぐん成長。
ただいま、ミント、バジル、パセリ、タイム、ローズマリー、セージ、大葉、山椒など。
ローズマリーは早春にラベンダー色の花をつけていましたが、いまはタイムがきれいな桜色の花をいっぱいつけているので、摘むには可哀想な美しさです。

今年は香菜(中国でいうシャンツァイ、中南米圏でいうシラントロ)がどうしても欲しくて、種を蒔いてみました。(本当は秋蒔きの方がよいらしいですが、春でもそれなりに育つと聞いたのと、種がたくさんあったので)
発芽率が悪いと聞いていたので多めに蒔いたら、「どこが発芽率悪いねん」という茂りよう。あっというまにもやし状態になってしまいそうなので、せっせと間引きをしています。

しかし、間引きした生えたての香菜も、生意気にちゃんとあの独特の香りがあるのですね。
というわけで、若芽の香菜をいろいろ使っています。

野菜を刻んで、トマトで味を付けたスープに入れたら、東南アジア風。
アボカドペーストに刻んで入れたら、きっちりメキシコの味。
ピータン粥に入れると、さも香港の味。

癖が強いので好き嫌いはありますが、ちょっと入れるだけで、簡単にエスニックになるのが、香菜のよいところです。

この間は、ちょっと暑い日に、いい感じに育ってきたミントを摘んで、今年初のモヒートス。
最近、ガス入りのミネラルウォーターが手頃な値段で簡単に手にはいるようになったので、3年もののホワイトラム、砂糖、レモンを加え、この生ミントを一枝。爽快ですな。

あと、少しあると便利なのが、山椒ですね。
そう大量に使うものでもないですが、あれば、ただの焼き魚や澄まし汁に高級感が出る。
ただし、もう少し経つと、アゲハ蝶との戦いになります。
ひらひら飛んでくるあの蝶はとっても美しいのだけど、うちの植木鉢程度の山椒だと、青虫一匹であっというまに丸裸にされますからね。
ああ、自然との共生は難しい。


(5月9日 記)

先月に少し書いた、メキシコのAMLO(ロペス=オブラドール)問題。
結局どうなったか、というと、じつは膠着状態が続いていました。

目下、支持率80%人気最高の左派メキシコ市知事、アンドレス・マヌエル・ロペス=オブラドールを失脚させ、次期大統領選への出馬権限を失わされるべく、ほとんどでっち上げられた土地使用に関する法律違反問題で、これまた「超法規」的に、国会で、彼を訴追するかどうか(正確には、訴追ができるように、政治家の不逮捕特権を剥奪するかどうか)の投票が行われることになった、というのが、前回の要旨。

その国会では、4月7日に、大統領側の思惑通り、現与党で極右政党国民行動党PANと、長年の与党革命制度党PRIが連合を組んで、AMLO訴追のための賛成票を投じたのですが、このあまりといえばあまりに非民主的なやり方には、さすがに世界からの反発がありました。米国からですら「メキシコの民主主義の終焉」(NY タイムズ)とまで書かれてしまったようで。

いうまでもなく、メキシコ国内での抗議行動は活発化。
AMLO人気も衰えるどころか、4月24日の日曜には、メキシコシティでAMLO応援100万人デモ。
当のAMLO、憲法広場で、彼を「大統領」と呼ぶ歓呼の声の中で演説したそうです。

笑えるのは、政府発表が、12万人。市発表が120万人という、凄すぎる「誤差」。
でも、ローカルな話ですが、国立人類学博物館から憲法広場までのレフォルマ通りの9キロほどのデモが6時間に及んだという話では、12万人ってことはないでしょう。100万人近い数字だったのは確かです。

で、ここにいたって、旗色が悪い、これ以上やると、まさに自分は歴史的悪役になってしまうと見たフォックス現大統領は、見事な方向転換を見せてくれました。(さすがキツネ!)
4月27日夜、大統領は、検事総長の辞任を発表、訴追問題を終わらせることを電撃表明。

それを受けて、5月1日のメキシコシティのメーデーも、大盛り上がり。
ほとんどすべての人が街頭に出た、というぐらいの凄さだったようで。

5月4日には、就任したての新検事総長が例の土地問題に犯罪性がなかった(そんなこと最初からはっきりしていたさ)として訴追を行わないことを決定したと改めて発表するとともに、6日、大統領とAMLOは会見を行い、電撃和解したというわけです。

こうなるとお間抜けなのは、フォックスの尻馬に乗って、下院でAMLO追い落とし票を投じた前与党PRIですね。さんざん煽てられて高いところで踊っちまった挙げ句に、きれいにハシゴをはずされたわけです。
いまは、AMLO批判ではなく、大統領批判をやっているようです。(そら、そうでしょうが、あんたらがアホやったとしか.....)

一方、MILENIO紙は、「PANのサンティアゴ・クレール内務相とPRIのロベルト・マドラソ党主が、過去のお互いの選挙違反を追求しない。また、前エチェベリア大統領の裁判も無罪にする、という交換条約で、AMLO訴追のための密約をした」とすっぱ抜いています。
事実、エチェベリア大統領の裁判(1968年のトラテロルコ学生虐殺事件)は、この2月に、時効として却下されているということもあって、この新聞は、この件を徹底追求する構えで、いまも連日、後追い記事を乗せています。(がんばれ!)

ちなみに、マドラソとAMLOは、同じタバスコ州出身。1994年の知事選で争った仲です。
このときは、マドラソが勝ったのですが、当時から不正選挙だったとの噂が絶えず、後に、マドラソが、選挙のために不正に180万ドル(しかもその資金は麻薬がらみだったとされている)を使っていたことが暴露され、しかも、州法廷が(政治的圧力で?)この問題の提訴を却下してしまったために、タバスコからシティまで続いたと言われた大抗議デモに発展したという過去の経緯つき。

いずれにしても、メキシコでは大統領は2期続けられないので、いまの大統領候補は、PAN陣営では、フォックス現大統領の元選挙広報〜スポークスマンという超キャリアウーマンで現大統領夫人(かなりの美人でもあって、人気もある)のマルタ・サアグン・デ・フォックス、カルデロン前エネルギー相、クリール内務相、PRI陣営からはマドラソ党主、そして、左派PRDのAMLOと、役者は出揃ってきたかな。

八木?
もちろん、メキシコにいたら、4月24日のデモに参加していたでしょうね。
(在メキシコ日本大使館からは、在住者に、デモに近づかないようにという注意がなされたそうですが)

ちなみに、昨日までの話題がらみで言うと、このAMLOはリナックス支持者としても知られています。メキシコ市長に就任早々、メキシコシティの官庁が、パソコン一台あたりにメキシコの労働者の最低賃金2ヶ月分にあたる250ドルを払ってMicrosoft Officeを導入することに反対し、リナックス+オープンソースソフト化改革を進めています。
個人的に訊いたことはないですが、たぶん、彼はインターネットを見るのには、Internet Explorerではなく、もちろん、Firefoxを使っているでしょう。


(5月3日 記)  長文注意

先日の説明では不十分と思われましたので、ブラウザについての解説を少し追加します。(この点について、私はすごく詳しいわけではないので、間違いもあるかもしれません)

まず、Webの基本とは「認可されたユーザーなら世界中の誰でも、どんなOSのコンピューターでも利用でき、簡単なユーザーインターフェイスで操作できるようになっていなければならない」ということと、「この環境でハイパーテキストを用いることができる=つまり文書内だけではなく、離れたコンピューター・システム上にある他の文書にもリンクを張ることができる」ということです。

そして、ブラウザとは、それらのハイパーテキストで書かれた文書を閲覧するためのソフトウェアのことです。

その歴史の最初の方で出てくるのが、NNという略称で呼ばれるNetscape Navigatorで、1994年にNetscape社が初の商用ブラウザとして開発したものです。

それまでは、インターネットといっても、世界中にサイトが数えるほどしかなく、ブラウザもカリフォルニア大バークレー校の学生が書いたViolaとか、イリノイ大学の学生が作ったMosaicといった、学生が作って無償配布された、原始的なものしかありませんでした。

(ちなみに、Netscape社は、このMosaic開発者が立ち上げた会社で、最初は、Mosaic Comunicatorという名前でした)

これ以後の数年間、つまりインターネット創世記には、このNetscape社のNetscape Comunicatorというのが、標準的なブラウザでした。いまでも、インターネット歴の古い人には、Netscape贔屓が多いのはそのせいです。

そこに殴り込みをかけたのが、ビル・ゲイツ率いるマイクロソフト社でした。

95年に大攻勢をかけたウィンドウズの登場です。このウィンドウズ・パソコンには、はじめから、Internet Explorerが、無料で標準搭載されていました。

しかも、このInternet Explorerには、Netscape Comunicatorよりも「先進的な」機能が、よりたくさん搭載されていました。

そもそも、HTMLとは、Hyper Text Markup Languageの略で、W3C(World Wide Web Consortium)委員会が文法を決めてきたのですが、最初にNetscape Comunicatorが覇権を握ったときに、Netscapeの独自機能を取り付けてしまいます。そういう意味では、発端を作って(結果的に自分の首をしめることになった)のはNetscape側なのですが、これを、文字通り、大拡張させたのが、さすがのマイクロソフト社というわけです。

http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/971031/result.htm (97年11月時点のユーザーの様子)

1998年11月、ついに、シェアは逆転します。

ウィンドウズが主流になると同時に、Web製作者も、このInternet Explorer仕様のホームページを作るようになってきました。
ここがビル・ゲイツのすごいところで、このInternet Explorerだけの「先進的な」機能には、プログラマをそそる機能がいっぱいあるのです。
それに引き替え、(いまでも使っている人は稀にいるのですが、)先発のNetscape社が追って出した、Netscape Comunicator4は、欠陥ソフトと言っていいバグの多い代物でした。

(ちなみに、このころ、W3Cは、なにをしていたかというと、この2社の競争の前で、HTML3.0文法はほとんど無視され、慌てて、この2社の「独自拡張機能を、後追いで正式採用しているようなていたらくでした。これが、HTML3.2文法です。)

そして、結果として、2001年頃には、多くのホームページは、Internet Explorerで見ると最高の機能を発揮し、その一方、Netscapeで見ると、かなり見劣りがしたり、場合によってはまともに表示されなかったり、フリーズを引き起こすようなものとなっていました。そのため、ウィンドウズユーザーでない人も、Netscapeを使うのをやめ、どんどんInternet Explorerに乗り換えるようになっていったのです。

Netscape Comunicator4.Xがどれほどタコだったかというと、八木は、2001年からホームページの作成を始め、HTMLの勉強を始めたわけですが、HTMLの文法どおりにファイルを書いているのに、画像がズレたり、一部消えたり、妙な見え方をするNetscapeには、ほんと〜に何度も、キレました。

結局、できることはふたつでした。Web製作者として、Netscapeユーザーを見捨てるか、二重手間三重手間になるのを覚悟で、Netscape Comunicatorのバグを織り込んだ、Netscapeユーザーのためだけの別ページを拵えるかです。

当然、少数者をなるべく排除しないのがモットーである八木としては、負担の大きい道を選ぶしかありませんでしたが。

そんな具合ですから、もう結果は明らかでした。ほんの数年経つか経たないかで、見事なほどに、あの一時はブラウザの代名詞であったNetscapeは駆逐されつつありました。このころは、マッキントッシュパソコンにも、Internet Explorerが標準搭載されるようになっていたのです。

Webの当初の理念とは、オープンプラットフォーム(OSや環境を選ばない)、すべての人にとって平等であるべきものであったにもかかわらず、実際に、この時点ではマイクロソフト社はブラウザを独占し、HTMLを支配するに至ったわけです。

残念ながら、この時点では、私も、Netscape対応のサイトを作ってはいながらも、自分ではInternet Explorerを使っていました。Netscapeのバグの多さのため、好き嫌いを言うまでもなく、Internet Explorerの方が、明らかに高性能だったからです。こうして、Netscape Comunicatorは、壊滅するのが時間の問題であるのは、誰の目にも明らかに思われました。

そして、Netscape Communications 社は、ここで最後っぺをカマします。
(「ジェダイの復讐」と形容する向きもあります)

1998年3月31日、みずからソースコードを公開し、世界中のボランティア・プログラマが自らの意志で、後継ブラウザ開発に協力することができるという道を与えたわけです。(単に「投げただけ」というのがじつは実態に近いようですが)

ここに、現在に至るMozilla プロジェクトが生まれました。とくに、マイクロソフトのIT世界単独支配を是としない、新型のおなじくオープンソースOSであるLinaxに関わった、若いプログラマ達がプロジェクトに結集しました。

(ちなみに、Mozillaとは、創世記ブラウザMosaicと日本製怪獣Gozillaを合わせた造語で、もともとNetscape社で使われていた新型プロジェクトのコードネームです)

同じ1998年には、アメリカ最大手のインターネットプロバイダAOLがこのNetscape社を買収するという形で、元Netscape社のMozilla開発スタッフを雇用し、その後、AOLのブラウザとして、彼らMozillaグループが開発したNetscape Navigator6.0を採用します。
(Netscape Comunicator4.7のバージョンアップとしては、あまりにもプログラムを変えすぎて、というか、実質作り直しに近かったため、5.0を飛ばして、6.0が発表されたのです)

しかし、それが助けの神になったかというと別問題。まだまだ、Internet Explorer側の力は圧倒的に強かったのです。

いくらAOLが大手でも、Netscape Navigatorで見ることができなかったり不具合や制限のあるサイトが現実に存在し、しかも少なくないとなれば、ユーザーはそっぽを向きます。それこそが、HTMLコードを支配する強みでした。まさに、Internet Explorerの罠です。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/USNEWS/20020829/14/

結局、Netscape6.0(正確には、6.1以後)は完成度の高いブラウザであったにもかかわらず、その後も、どんどんシェアを落とし、わずか5年後の2003年に、AOLは電撃的にNetscapeブラウザ事業の従業員を解雇、新契約をマイクロソフト社と取り交わします。

独立の事業とはいえ、Mozillaプロジェクトは、AOL傘下にあり、主要開発者はAOLから給料をもらっていたわけですが、ここでAOLはMozillaに200万ドルの手切れ金を渡して見捨て、マイクロソフトと組むことにしたわけです。こうして、開発事業はAOLの手切れ金で「Mozilla Foundation」という新しい独立財団を作り、ここに移譲されることになりました。

Netscapeの終焉、Mozillaの全面敗退と、大々的に報じられたニュースとなった出来事です。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/NT/NEWS/20030717/3/

ちなみに、この2003年は、Mozillaにとって最悪の年だったといえるでしょう。

この少し前に、Macintosh社はOSXを発表し、2003年1月に発表したSafariを、OSX(10.2以降)の標準搭載ブラウザとしました。このSafariは、さすがにデザインのマックだけあって、OSXのインターフェイスにマッチした、なかなかおしゃれで軽いブラウザです。Mozillaが、Mac OSXのために開発していたCaminoは、Apple社に採用されず、このSafariはKHTMLエンジンを採用しています。(このことでも、Mozillaはもう時代遅れ、とマイクロソフト派に揶揄されています。実際は、おそらく、Apple社がAOLと組みたくなかっただけなのだと思うのですが)

そして、マイクロソフト社は、次の一手を打ってきます。Mac用Internet Explorerの開発は打ち切り、後継ブラウザソフトは、Windows OSのみに添付するという発表です。ライバルが壊滅し独占になったうえで、今度は、ブラウザをさらなる次期Windows普及のための武器にするというわけでしょうか。対して、Apple Macintoshは、Safariを改良してゆくということで、ここには、もはや、Mozillaの居場所は無いかのように見えました。

http://pcweb.mycom.co.jp/news/2004/01/19/007.html (2004年1月はこんな状態)

さて、ここで個人的なお話。

八木は、Netscape Comunicator4.7の時代に、さすがにうんざりし(Netscapeという名前も大嫌いになって)、Internet Explorerに乗り換えていましたが、その後、ちょっと試しにNetscape Navigator6.1を使ってみたら、これが思ったより悪くない。
しかし、ソフトしてのデザインがいまいちダサイのですよね。なんか暗くて重苦しい。しかも、メールソフトと一体化しているところがちょっとうざったい。起動もその分、トロくなる。

だもので、たまに使っていました。

その後、このNetscapeは着替えができる(つまりブラウザのボタンのデザインなどを、かなり自由にカスタマイズできる)ことに気づき、ポップなインターフェイスにして、愛用。

Macintosh OSX乗り換えの少し後からは、Safariも使うようになりました。なんつーても、さすがデザインのマックだけあって、Safariのデザインはオシャレ。しかも、SafarIconというソフトを入れると、そのデザインをさらにカスタマイズできるときている。もちろん、早い。

たまに、Web制作のためにInternet Explorerを立ち上げると、イライラするぐらいの差があるのです。唯一の問題は、Safariでは「Bookmark(お気に入り)」の呼び出しが面倒くさいほか、使い勝手が悪い。
Bookmarkの呼び出しをよく使う私としては、これがちと面倒。まあ、そんな矢先に、Mozilla 壊滅かという話になったわけですね。

そうなると、見捨てられることになるのが、Linuxユーザーです。でも、Linux系には元々、高度な技術者が多いところ、そう手をこまねいているとも思えない。
そして、どっこい。Linux組を中心とする、「マイクロソフト嫌い連合」の努力の末(?)、Mozillaは壊滅どころか、復活したのです。

この間の彼らの合言葉はちょっと感動的でしたね。

ここで負けてしまったら、この戦争全体に負けてしまうんだ。
そして毎朝唱えるんだ:
ここで負けてしまったら、この戦争全体に負けてしまうんだ。
貢献できる部分がないか探しながら Mozilla のコードに目を通す時には、思い出して欲しい:
ここで負けてしまったら、この戦争全体に負けてしまうんだ。
本当なんだ、友人よ、そして、尊敬に値するコミュニティのメンバーよ:
ここで負けてしまったら、この戦争全体に負けてしまうんだ。 (by Dave Whitinger)

根性と愛情だけで、問題が解決するわけではないのは自明であるとしても、それでも、こうして2004年11月に発表されたFirefoxは、ウイルスに弱くセキュリティ上の不安が多い「Internet Explorer」をカバーするものとして、登場。なんと、リリースから100日後にダウンロード数が2500万を突破したのです。現在、半年で、5000万も突破。

とはいえ、Internet Explorer帝国からいえば、まだまだ氷山の一角にしか過ぎないのですが、かなりこのころ問題になっていたInernet Explorerのセキュリティ問題への最短の解決法として現れたFirefoxが、実際に使ってみると、これまた「使い勝手の良い」ブラウザだったということはいえるでしょう。

ちなみに、MozillaがAppleのために、Safariのモデルとして開発したブラウザは、改めて、Caminoという名前で同じく、Mozilla Foundationから出ています。まだ、バージョン0.8台で、完成品でないためやや不安定ですが、名前がかっこいい(笑)ので、八木はSafariから乗り換えて、最近はこいつを愛用。個人的には、Safariより、使い勝手もいいと思います。

その一方、マイナーながら根強いファンを持つOperaというノルウェー発のブラウザも健在です。もともと速度と軽快さでは実績のあるブラウザ。日本ではなんとあのライブドアが頒布しているうえ、携帯電話(世界的に見るならば、携帯の販売数はパソコンを圧倒的に上回っていますね)にも搭載され始めているというところで、今後、どういう展開があるでしょうか。

いずれにしても、興世を極めたNetscape Comunicatorも、わずか数年で駆逐されたこの世界。一部では、すでにInternet Explorerの使用率は、90%をかなり割り、Firefoxは10%を超えたというデータが出ています。また、Operaに負けずに携帯電話分野への進出も決まりそうだとか。

http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/it/372699

次に勝つのは....まあ、Internet Explorerのバグの多さ(というか、HTML4.0文法への対応度の悪さ)さえどうにかしてくれたら、(この夏に出る、Internet Explorer 7.0は、まっとうな道を目指すようですが)どれでもいいんですが、私としては、当面は、Mozilla - Firefoxを応援かな。


(4月30日 記)

見た目は変わっていないと思いますが、じつは、このサイトのファイルを全面的に作り替えました。
ブラウザにキャッシュが残っていた方は、ページが表示されなかったりすることがあるかもしれません。その場合は、再読込を行ってください。

このサイト自体は、2001年のはじめに、私が初歩のHTMLの勉強をしながら作成したものですが、この4年間で、インターネット状況は飛躍的に変わりました。

ダイヤルアップが普通だったのに、いまは、メキシコでさえブロードバンドが主流になりつつあり、また、OSのバージョンアップにともない、ブラウザも随分進歩を遂げました。

とはいえ、最先端の人だけに見られるサイトというものを作るつもりはありません。
明らかにプロが作っているにもかかわらず、ブロードバンド以外の人を排除しているとしか思えないような、見かけばかり派手な重いサイトを見ると、怒りを覚えることがあります。
まだまだ、世間にはダイヤルアップやISDNで接続している人はいるし(ASDNや光回線にしたくてもできない地域があります)、古いOSを使っている人はいます。少数者を排除するのは、私は好きではありません。

その一方で、また、利便性や将来性の問題ということもあります。
HTML文法は進化を遂げて、いまや、スタイルシート制御が常識となり、多くのタグが消え去ろうとしています。
以前は主流だったフレーム構成で作られたサイトは、作る側からすれば楽なのですが、リンクをする側やGoogleなどで検索する側からはむしろ不便さが目立つものとなってきています。

そんなこんなで、いろいろ時流に合わせたマイナーチェンジをしてはいたのですが、やっぱり、抜本的な外科手術が必要だな、ということになり、とりあえず、Mozilla(FirefoxやCaminoを含みます)、 Netscape Navigator6.0以上、Internet Explorer 5.0以上、Operaに対応するサイトを目標に、HTMLを全面的に書き直しました。

とはいえ、サイト内リンクは複雑になっていますので、手が回っていないところがあるかもしれません。
もし、このページの表示がおかしい、リンクが切れている、というようなことがありましたら、BBSででもご一報ください。
その際、ご使用のOSとブラウザをご記入いただけると幸いです。

それにしても、HTMLを書き直していると、Internet Explorerのバグの多さが気になります。
HTMLの文法というのは、World Wide Web Consortium (W3C)によって決められているので、異なるブラウザであっても、本来なら同じ見え方をするはずなのですが、実際には、Safariでは、太文字(ボールド)が効かないとか、まあ、いろいろと小さな差があります。で、それにしても、Internet Explorerは甘い。甘いというより、おまえ、字ぃ、読まれヘンのかい! 文法どおりに反応せんかい貴様、と言いたくなるようなことが多いですね。
以前は、Netscape Navigator4.Xにひどいバグが多くて、ホームページ作りをしていて泣かされたものですが、いまや、Internet Explorerがどうもいかん。
そんなわけで、Internet Explorer5.0では、メニューボタンのカラーチェンジとメニューリンク上の指さしカーソルが見えなくなりました。もっとも、メニューとしての機能上は問題ありません。クリックしたら、ちゃんと指定ページに行くことができます。Internet Explorer6.0では、固定してあるはずのメニューがスクロールと共に上に消えてしまいます。しかし、メニューとしての機能上は問題ありません。

それにしても、これだけ欠陥のあるソフトが大主流というのは問題です。Mozilla系のFirefoxがぐんぐん伸びているというのが、納得できます。
もしあなたが Internet Explorerでこの文章をお読みなら、すぐにFirefoxをダウンロードしてみましょう。このサイトが(言うまでもなく、他のたくさんのサイトも)、ずっと迅速かつ綺麗に表示されて、驚かれると思います。そして、あなたのセキュリティはより安全です。


(4月26日 記)

さて、前の文章を読んで、ひょっとして誤解する頭の悪い人がいるといけないので、追加。
(前記のような文章を書くと、たいてい、「八木の中国の味方か」とか「中国の行為はなんでも正しいのか」とか言い出す馬鹿がいるので)

べつに私は中国の味方をしているわけではありません。中国の政権を支持すらしていない。おそらく、現中国政権が反日デモをある程度政治的に利用しているというのも、事実でしょう。いまの中国政府の中枢の方が、日本政府よりずっと頭はいいですからね。
しかし、だからといって、それは問題のすり替えの口実にはならないということです。
隣の人が置き引きしたからといって、それをぎゃあぎゃあわめき立てれば、自分が強盗やった罪が消えると思ったら大間違いだということです。

いわゆる馬鹿の論法として典型的なのは、自分が責められると、「スターリンは大粛正をやった」「中国もカンボジアでポルポトを支援していた」というような他人の過ちをことさらに持ち出す、というパターンです。
そうですね。そのとおりですが、しかし、大事なことがすっぽり抜けています。

「だから、なんなの?」

スターリンの大粛正。歴史的に調査され、語りつがれるべき悲劇です。たとえ、ナチスの侵攻を阻止したのがスターリンであったとしても、それで誤りが許されるわけではありません。
しかし、だからといって、スターリンと戦ったナチスが美化されるわけでもないのです。

かつて、中国はカンボジアでポルポトを支援して、結果的に大虐殺に荷担しました。(もっともポルポト政権を台頭させたのはアメリカですが) しかし、その罪はあるとして、だからといって、太平洋戦争中の南京大虐殺や従軍慰安婦問題がなかったことになるわけではないのです。

中国の歴史教科書はたぶん偏向しているでしょう。しかし、だからといって日本の教科書が都合の悪いことを書かなくてよいという免罪符にはならない。
ポルポト支援問題に関するなら、それはカンボジアと中国の問題であって、日本がぎゃあぎゃあ偉そうに言うことではない。

むしろ、日本が「先進国」ぶりたいのなら、大人の態度として、自らの過ちもさらけ出した歴史観に基づいた教育を行い、反省するべきは反省したうえで、もし、カンボジアが中国に教科書の問題を持ち出したときに、「あなたたちも歴史を認めるべきではないでしょうか」と言うべきでしょう。それは強制ではありません。(当事者ではないのですからね)
でも、そこで中国がどう対応するかで、第三者は中国を判断するのです。

今回だって、「中国政府は反日デモを政治的に利用している」「中国の国民のストレスの捌け口としての爆発という構造もある」というようなことは、「判定側」の第三者の国がコメントすることであって、当事者が(明らかに、一方的に悪い)自分の過ちは認めないままで、他人の非ばかりぎゃあぎゃあわめくと、恥の上塗りでしかないのです。みっともないこと、このうえない。

目の前のことしか見えず、なにかというと幼児的にヒステリックに騒ぎ立てるのではなく、常に第三者の視点を意識できるのが大人です。
日本も大人になりたければ、そうするべきだし、それができないなら、馬鹿にされても仕方がない。
そして、同じく馬鹿にされる同士であれば、第三者は、落ち目の日本より、上り調子の「若い」中国と仲良くすることを選ぶだろうということです。

そのあたり、同じく、斜陽と化したスペインやポルトガル、フランス、イギリスなどヨーロッパ諸国の旧植民地諸国との付き合い方は見事といえます。
植民地でやってきたことのえげつなさから言えば、彼らの方が(期間が長いだけに)はるかに酷いんだけど、いま現在、政治的にも文化的にも旧植民地といい関係を保っている国は多い。
過去を消すことはできませんが、積極的な意志があれば、しこりを(日常、それほど目立たないぐらいまでに)減らすことはできることを、あれらの国々はすでに実証しているのです。

つまり、そういう老練な第三者が見ている前で、日本はばかなことをしているというわけです。


(4月23日 記)

中国での反日デモ。

そのこと自体、決してどうでもよい問題ではないのですが、それよりも、それを報じる日本のマスコミの論調には、背筋が寒くなる感じがします。
中国国内の統制がとれないようでは、オリンピック開催が危ぶまれるという論法、中国国内の経済問題、つまり自由化に伴う貧富の差の拡大や失業の問題ゆえに、中国国民にストレスが溜まっており、そのはけ口にされた、と問題をすり替える論調。
極右雑誌ならいざ知らず、TVの一般放送で、このような発言や解説が出るあたり、この国は、本当にかなりおかしくなっている感じがします。

反日デモが起こるというそのこと自体で、日本はそれだけ、アジア国民に嫌悪感を持たれているのだという事実からなぜ、目を背けるのでしょうね。

そもそもの問題は、小泉首相の靖国参拝という挑発行為にあります。
靖国神社というところ、いかに美化したところで、公式ホームページにはっきりとこう書いてあります。

戦争は本当に悲しい出来事ですが、日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかったのです。こういう事変や戦争に尊い生命をささげられた、たくさんの方々が靖国神社の神さまとして祀られています。

また、大東亜戦争が終わった時、戦争の責任を一身に背負って自ら命をたった方々もいます。さらに戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の、形ばかりの裁判によって一方的に“戦争犯罪人”という、ぬれぎぬを着せられ、無惨にも生命をたたれた1068人の方々…靖国神社ではこれらの方々を「昭和殉難者」とお呼びしていますが、すべて神さまとしてお祀りされています

出典:http://www.yasukuni.or.jp/annai/qanda.html

つまり、宗教法人靖国神社は、太平洋戦争に日本が参加したことを「必要」と認め、戦争責任を起こした戦犯を「ぬれぎぬを着せられた」とはっきり公式に表明しているわけですね。
そうなると、「ぬれぎぬではない戦争責任者」はいったい誰だと言いたいのでしょう。A級戦犯が祀られるようになって以来、靖国神社に参拝していない昭和天皇でしょうか。

もしもドイツにナチス幹部を祀り称える宗教法人があって、その教会が公式見解として、こういう発言があったなら、いかなる批判を受けるかを考えてみたらいいでしょう。そして、その教会に現役の国家閣僚が参拝したら、それはどういうことを意味するか.....。

その挙げ句に、歴史的事実である南京大虐殺や従軍慰安婦についての記述を教科書から削減・削除し、太平洋戦争を美化するような教科書を作っているのでは、アジアの国々が怒るのは当たり前でしょう。

自分に悪意がなかったからといっても、他人を酷い目に遭わせれば、それは犯罪ですし、恨みを買うのは当たり前です。
悪意がなかったけれど、なんか相手がマジで怒っているようだから、とりあえず謝っておいた。で、謝ったんだからもういいだろう、なんべん謝らせたら済むんだよ、というのは、「自分がなぜ、怒られているのかさえ理解できない」とてつもなく頭の悪い子供の対応というものです。

その程度の想像力も持たずして、マスターベーションに似た被害者意識に凝り固まり、自分に悪意はないんだから、自分を虐めるやつは悪いやつだ、と駄々をこねて、国際社会で通用すると本気で思っているなら、情けないとしか言いようがありません。

すでに、このことは、ドイツでもフランスでもイギリスでも、そして、言うまでもなく中南米でも、「日本のおかしさ」が報じられています。

小泉首相が一応、謝罪し、援助を発表したところで、(そして頭の悪い人は、「謝罪したじゃないか、金も払った。どうせあいつらは金目当てだったんだ」と言い出すのでしょう)、本質的に問題が解決しない限りは、口先で謝り続けても、謝罪にも何もなっていないことに彼らはいつ気づくのでしょう。
そして、自分のやった過ちを過小に言い繕えば済むという態度は、第三者の嘲笑を買っているだけだということに、いったいいつ気がつくのでしょうか。

そして、もうひとつ、多くの日本人の気がついてない(そして、新聞もあえて書かない)問題があります。

田舎の村に住んでいるひとにとって、自分の村は世界の中心でしょうが、世界の大多数のひとにとって、残念ながら、その村は世界の中心でも何でもなく、地震で壊滅したところで、ニュースのひとつにしかならないものであったりするという現実があります。
その現実の中では、日本は、日本人が思っているほど(そして、そう思い続けたいほど)、「大国」でも「重要な国」でもなく、むしろ、世界からみると、21世紀における大国は中国であるということです。

日本の新聞が、いくら「反日デモは中国の評判を落とす」と書いたところで、そんなことはありえません。
イラク戦争に対する大規模反米デモが、イタリアやスペインやメキシコであったとして、イタリアやスペインやメキシコの評判が落ちたでしょうか? な、わけないですね。評判を落としたのは、アメリカの方です。
もっとも、アメリカには(残念なことに)現実的に圧倒的な武力と政治力がありますから、あれだけの国際批判を受けても、まだ、ばかなことを続けることができます。
しかし、いまの日本に、そのアメリカの真似ができると思ったら大間違いですね。
もし、決定的に中国と日本が対立した場合、アメリカだって、どちらにつくでしょうか。

いつまでも子供気分で、幼児的な駄々をこねている老人ほど見苦しいものはないものですが、それ以上に、いい年をして、現実的になれない(現実から目を背ける)というのは、もっと困ったものです。


(4月20日 記)

近所の八百屋が新装開店で、いろいろなセールをやっています。
なんと、先日はハラペーニョを売っているのを見つけました。ハラペーニョというのは、メキシコの小降りだけれど辛い、緑色の唐辛子です。
つい衝動買い。ちょうど立派なカリフラワーもあったので、メキシコ風のピクルスを作ることにしました。以前にも作り方を書いたかもしれませんが、ひたひたより少し少なめのサラダオイル(オリーブオイルである必要はありません)で、適当な大きさに切った野菜を茹で煮にし、野菜が柔らかくなったら、塩と酢と好みのハーブを入れて、一晩置くだけです。
酸が強いので、アルミの鍋は絶対にやめた方がいいでしょうね。私はホーローの鍋で作ります。
皮をむいたにんにく、櫛形切りのたまねぎ、カリフラワーとハラペーニョ、彩りにパブリカとピーマン。これで、きれいでおいしいピクルスです。ハラペーニョの辛みは油に溶けて、ほんのりピリ辛風味が残る程度。これが、酒のつまみにも合うし、パンや卵料理にも合うのです。
メキシコの市場では、このピクルスが瓶詰めにされて、よく売られています。消毒した瓶に入れて、煮沸すれば、自分の家でも瓶詰めは造れますし、このピクルスは棚に飾っても彩りがとても綺麗です。

次の日には、マッシュルームの大安売り。じつは、私はマッシュルームが大好きで、一度、思う存分マッシュルームを食べてみたかったので、大盛りひと皿を購入。数日間、生のマッシュルームのサラダを楽しめました。
マッシュルームを生で食べるというのは、日本ではあまり見かけませんが、おいしいですよ!
縦に2〜3ミリの厚さに切って、他の野菜と和えるのです。メキシコで私がよくレストランで注文するのが、ほうれん草とマッシュルームのサラダ。ほうれん草はサラダ用のあくの少ない品種のもので、上に刻んでかりかりに焼いたベーコンを散らせてあります。
野菜は別にほうれん草でなくてはならないわけではないので、今回は水菜と和えてみました。市販のイタリアンドレッシングをかけただけですが、マッシュルームの香りが広がってとってもおいしい。
あと、ミートソースにたっぷり入れたり、ホワイトソースで和えたり、オリーブオイルと塩で軽く煮て、ワインのおつまみ。いろいろ楽しめます。


(4月4日 記)

どうやら、花粉症になったみたいです。
3月に入ってから、どうも鼻水が出て喉がいがらっぽかったのですが、てっきり寒さのぶり返しのせいで、軽い風邪がなかなか直らないのだとばかり。ところが、先日、仕事で沖縄に出かけたら、症状が治まったではありませんが。
べつに沖縄が暖かかったからではなく、なんと、沖縄は異常気象で寒かった、にもかかわらず。しかも薄手の衣類しかなかったのと、風が強かったのと、あの島には暖房というものがないから、体感気温は東京より寒いぐらいだったというのに、鼻水は出なかったのでした。
そして、東京に戻ると、春らしいさんさんとした太陽が照っているのに.....また、鼻水が.....。
となると、アホでもわかる三段論法ですね。発症したようです。
もっとも、生活に支障があるほどではありません。

それよりも、ライブの準備ですね。ええと、今月13日は、黒田京子さん&渡辺亮さんとのライブ、来月13日は、銀座に新しくできた小ホールでのライブです。こちらは、ギタリストの小林智詠さんとの初顔合わせ。
まぎらわしいですが、13は私のラッキーナンバーなので、お許しください。
夏には久しぶりに大阪でのソロ・ライブも決まりそうです。


(3月25日 記)

フジは、公正中立なメディアだったそうです。皆さん、ご存じでしたか。
そんなに公共のためにつくしておられるのなら、クルド人問題などもっともっと報道していただきたかったものです。そうそう、不当逮捕事件とかも。それとも報道されてたことに私が気づかなかっただけでしょうか。

でもって、ニッポン放送に敵対的買収を仕掛けたとして、ライブドアを叩いている間に、何の議論もなくすみやかに予算案が通ってしまいました。それ以外にも、いろいろなことが、ばたばたと決まっているようです。
なんとも不気味な今日この頃.....。


(3月5日 記)

ええと、アップロードしていたつもりのファイルがなぜか更新されていませんでした。
というわけで、帰ってきて、日本の寒さに死にそうになりながらも、更新作業です。それにしても、ひな祭りだってのに、なんで大雪なの???
あんまり寒いので、ちらし寿司を作る根性も失せ、キムチ鍋にしてしまいましたがな。(笑)

と思っていたら、大阪で環境系NGOの人が、公安に詐欺容疑で別件逮捕。
この詐欺容疑というのが凄い。

この人が賃貸マンションを5年前に契約した際に、「母、妹と一緒に住む」という条件で契約したのに、その条件を守らずに友人と一緒に暮らしていたことで不法の利益を得た、それが「詐欺」に該当する

......のだそうです。
これが詐欺なら、恋人ができちゃって一緒に暮らし始めた人はみんな詐欺師ですね。あ、子供ができても、大家に断って許可を得ないといけないわけですね。
ああ、骨の髄からぞっとしますね。日本がもっと寒い!


(2月25日 記)

ただいま、メキシコでもっとも話題を集めているのが、「アムロ」。

といっても、沖縄出身で若くして結婚したアイドル歌手のことではなく、ましてや、某カルトアニメの主人公のことでもなく、AMLOとは、アンドレス・マヌエル・ロペス=オブラドールのこと。

彼は、左派政党PRD(革命民主党)出身のメキシコシティ知事。(厳密には、連邦首都長官)
メキシコシティは、いわゆる市ではなく、ワシントンDCと同じく特別行政区になっており、正確には、Mexico D.F.、つまり、メキシコ連邦区というのが正式名称。言うまでもなく、人口1800万を擁する世界第二の都市だから、そのメキシコシティ知事の実権は東京都知事をはるかに上回る。

で、現在、メキシコ合州国そのものの大統領は、右派政党のPAN(国民行動党)出身、元コカコーラのラテンアメリカ地区社長だったフォックスだから、政府と首都が犬猿の仲なのである。

とくに、親分肌でやり手のロペス=オブラドールの大衆の人気は高く、一部では支持率80%とまでいわれ、2006年の次期大統領選の最有力候補とみなされている。
だから、コカコーラの社長時代にメキシコを世界一のコカコーラ消費国にまでしたという(気持ち悪いとしか言いようのない)実績を買われ、経済再建を期待されて当選したものの、いまひとつ経済効果を上げられず、支持率下降気味のフォックスの方は、穏やかならず、ありとあらゆる方法で、ロペス=オブラドール潰しをはかっているというわけ。

まず、去年、PRD系の市職員が賄賂を受け取ってラスベガスで散財していたというビデオ暴露事件に端を発し、さらに、ロペス=オブラドールの側近に有力事業家が賄賂を渡しているかのように見えるビデオが、公表。
これが、罠であるか事実であるかの論争に発展したあげく、この事業家がキューバで逮捕され、キューバ側が、例のビデオは罠であるらしいことを事業家が告白した尋問ビデオを(おそらく、ロペス=オブラドールを応援するつもりで)公開したところ、今度は、くだんの事業家が、メキシコに戻って、そのキューバ政府の公表した尋問ビデオは、当局に強要されたものだと言い出したことで、これが、メキシコとキューバの断交にまで発展してしまった。

これだけでも、魑魅魍魎満載的なお話なのだけど、このスキャンダルでも、人気にかげりを見せなかった(というか、陰謀があまりにも見え透いていたので、国民が白けただけだった)AMLOに対して、今度仕掛けられたのが、彼が法律違反をおかしたという罪で、逮捕しようとする動き。
これで、ロペス=オブラドールが逮捕されれば、時期大統領選に立候補する権限を失うわけで、フォックスは「合法的に」最大のライバルを葬ることができるというわけだ。
ただ、これが、どう考えてもでっち上げというか、因縁としかいいようのない罪状ときている。
要するに、病院に通じる道路建設に関しての、裁判所の中止命令に従わなかったというのだが、ロペス=オブラドール側はもちろん、すぐに従ったと主張。

いずれにしても、常識で考えても、知事の逮捕に発展するほどの問題ではないのは確かなのだが、それをこじつけてくるところが、逆に、ロペス=オブラドールの人気の高さと清廉潔白さ、そして、フォックスの恐怖心があらわに見えるようだ。

とはいえ、これまた、この件を裁判所ではなく、国会の多数決で決めようという動きも非常識。残念ながら、国会で、右派与党のPANと中道右派で旧与党のPRIが手を組めば、いかに非常識で不条理であっても、多数決は成立してしまう。

というわけで、目下、シティの路上や広場は、ロペス=オブラドール支持派が、「NO AL DESAFUERO」(ロペス=オブラドールの権利剥奪にNOを!)というスローガンで、いっぱいというわけ。
わがコヨアカンの広場も、週末は署名運動のためのテントやイベントで、いつもより激しい喧噪。

見るところ、シティ住民は圧倒的にAMLO支持なのでして、支持率80%はそれほど実態とかけ離れた数値ではないようです。
そして、このロペス=オブラドール逮捕が成立するのかどうか。

成立しなければ、ロペス=オブラドールはおそらく次期大統領に当選し、ブラジル、ベネズエラ、ウルグアイに続いて、メキシコも、意図のはっきりした(つまり、新キューバ・反米路線の)左派政権となるわけです。

さあ、地図で見てみましょう。
キューバとブラジルとベネズエラとウルグアイ(発表されたばかりの閣僚名簿には元左派ゲリラの方も入っているほどの根性を見せています)を赤く塗って、チリもそこまで強硬でないとしても左派政権なので、ピンクで塗りましょうか。なんたって、ピノチェトを本気で裁判にかけようとしています。
アルゼンチンは、正義党(ペロニスト党)系のキルチネル大統領で、ペロニスト党は大衆迎合的右派政党ですが、アメリカのイヌではありません。
これで、メキシコが赤くなったら......中南米がどういう状況か、わかりますよね。

とすると、今回の騒動も、フォックスひとりの知恵ではなく、うしろに別の国の入れ知恵と工作が.....。


(2月21日 記)

さて、せっかくなので、同居人の話を少し。

同居人チリ人夫妻の夫君は、日本でもフォルクローレ・ファンの間では(たぶん)有名なバンドである『イリャプ』(ケチュア語で稲妻の意味)のリーダーです。
チリのフォルクローレバンドといえば、キラパジュンやインティ・イリマニが有名なのですが、それと比べると、イリャプはかなり異質。
このバンドは、いわゆるボリビアの、ケーナやサンポーニャやチャランゴの力強いフォルクローレに、チリ的統制を採り入れたスタイルなのでして、派手で華やかな音作りが特徴です。そして、イリャプ・サウンドとしかいいようのない、独特のハーモニーのコーラスをやってくれる。
http://www.illapu.com

彼らの本格的な活躍は、じつは、アジェンデ政権が軍事クーデターに倒れてからのこと。
ピノチェト政権がケーナやチャランゴなどの民族楽器を禁止する(などというアホなことを本当にやった)と、すかさず、バッハのトッカータとフーガをケーナとチャランゴで演奏して、禁止令を反古同然にするというような小癪なことをさんざんやった挙げ句、アンデス音楽のバンドでありながら、『ホセへのカンドンベ』という大ヒット曲を飛ばして、チリ中を、ケーナとチャランゴの音だらけにしたというわけのわからない罪(?)で国外追放。

この『ホセへのカンドンベ』、いまだに、政治はまったく抜きに、フォルクローレのスタンダードとして、ストリートライブのフォルクローレ・バンドの重要レパートリーとなっていますから、そのヒットのほどが忍ばれます。

その後、フランスに亡命したあとも、チリの反政府運動に資金提供するなんてのは序の口、追放令が解除されると、すぐさまチリに戻って反ピノチェト運動を盛り上げ、その後、民主政権下で勲章をもらうときにも、しっかりメキシコのサパティスタ革命軍のマルコス副司令官のTシャツを着て、賞を受け取るような連中です。

「どうして音楽家なのにマッキントッシュを使わないの」
「だって、PC(スペイン語でPCはPartido Comunista=共産党)支持者だから」
などと返された日には、こちらの腰が砕けてしまいそうです。
(冗談としてはヒットだが、ビル・ゲイツを儲けさせてどうする)

で、そのイリャプ。真面目です。
毎日リハーサル。
ほんとです。

クリスマスおよび正月期間中以外、毎日リハーサル。
イリャプに入団というのは、ほとんどサラリーマンになるようなものですね。
当然、「すべて暗譜」です。(というか、譜面そのものも使っていない)
けっこう編曲は複雑なんだけど、その完璧なコーラスと編曲に、間違いは許されません。
間違えたりしたら、追放か百叩きの刑なんじゃないかと思うぐらいの完璧さです。

いやあ、多くのフォルクローレバンドも、某ラテンジャズのバンドも見習わなくてはいけませんねえ。

また、人前に立つ仕事なので、体型の維持なども重要な要素なのだそうです。
リーダーのロベルト君、思えば、20年近く前からの知り合いなので、もう50歳超えているはずなんだけど、じつにスリムな体のうえ、長い巻き毛には白髪もなく、腹など微塵も出ていません。一回りは若く見えます。
そして、粗食です。(;_;) まあ、体によいのはわかるが。

八木なんて、「そーゆーふうに、欲求のままに食べたり飲んだりしてると、そのうちブタになるよ」とはっきりいわれてしまいましたがな。

んで、なんでそういう有名な人が、八木の家に住んでいるかというと、それはもちろん八木の家が豪邸だから、ではなく、彼らが「質素な暮らし」(悪かったね) を好むからなのでした。

そのイリャプ。3月終わりからメキシコ全国公演をやって、その後、ヨーロッパ公演、そしてチリのグループとして初めてのイスラエル公演が続き、しかも、それに合わせてDVD発売とかで、リハーサルもかなりハードな模様。
それにしても、これだけ「左派」であり、パレスチナ支持であることを隠してもいないバンドがイスラエル公演というのも、「雪解け」のひとつの現れなのかもしれません。


(2月16日 記)

さて、メキシコから、ちょっと悲しいニュース。

かの世界的ヒット『ベサメ・ムーチョ』の作者というだけで十分に、メキシコ音楽史上の消えることのない星のひとつである、コンスエロ・ベラスケス女史が昨年末に亡くなったのは、日本の新聞でも報道されていましたが、同じ頃に、私の友人のアルゼンチン人歌手カイート・ディアスも、亡くなっていました。彼の場合は急死だったようです。
カイートは、80年代初めに、軍事政権を嫌ってメキシコに逃れてきたアルゼンチン人の一人で、同じく亡命してきたウルグアイの国民的作曲家にして歌手のアルフレッド・シタローサの伴奏を一時したあと、メキシコ人とアルゼンチンの混声グループ『サナンパイ』を創設。このグループで、のちに有名になるエウヘニア・レオン、グァダルーペ・ピネーダなど、多くの歌手や音楽家が育ったのでした。
その後、グループ解散後も、自分自身の音楽活動のほか、多くの歌手や音楽家のプロデュースを手がけてきた人物です。

そんなわけで、先日、2月12日と14日に、カイートの追悼コンサートがありました。
前述のサナンパイ出身のエウヘニアやグアダルーペ、デルフォル・ソンブラといった人たちはもちろん、カイートが最後にプロデュースを手がけた女性歌手アドリアナ・ランデーロス、タニア・リベルタ、カチョ・デュヴァンセ、男性デュエットのメヒカント、タンゴ歌手のエンソ・ペイレ、キューバ人コメディアンのビルーロなど、たくさんの歌手やグループが参加した盛大なものになりました。司会は、政治風刺で有名なコメディ劇作家のヘルマン・デエサ。
完璧なスーツとネクタイ姿で、にこりともせず故人の思い出を語りながら、満座を(出演者まで)笑い転げさせ、なおかつ、最後は感動的に締めくくるという技は、さすがにヘルマンです。

音楽界の人ではありませんが、かつてチリ史上最年少の女性議員となり、後に共産党の女性指導者として、地下活動をしながら軍事政権を戦い抜いた女性闘士グラディス・マリンも、いま、癌のため危篤状態。今日明日が山のとのこと。


(2月10日 記)

さて、二日がかりでメキシコ到着。
何で二日がかりかというと、デルタ航空の飛行機が延着に延着を重ね、アメリカに一泊する羽目になってしまったからであります。よりにもよって、ヒューストンはジョージ・ブッシュ空港。縁起が悪いったらありゃしない。(笑)。これが厄落としだといいのですが。

もちろん、メキシコでの居所は、いつものコヨアカンの家ですが、今回は、チリ人夫妻との同居。
ラテンアメリカというと、すべて一緒くたにしてしまいがちですが、チリ人とメキシコ人の差異は、はっきりいって、東京人と大阪人より大きいです。

チリ人は、とにかく真面目。
時間に几帳面で、なにかときちんとメモをとり、どんなに貧しい家庭の質素な食卓にでもテーブルクロスがかかっていないと気が済まないとかで、肉料理や揚げ物をあまり食べず、腹八分目に野菜や魚やチキンを食べる。ワインは必ず適温で出し、5時には紅茶でティータイム。
(チリが美人国と言われるのは、中南米にありがちな太った人があまりおらず、女性の肌がきれいだからなのですが、これは食生活と大いに関係ありますね。)
部屋の壁は純白に塗り直され、電気系統の配線はすっかり新しくなり、食器は白と紺の揃いの上品なものに替えられ、カーテンも冷蔵庫も替えられ、床も家具もぴかぴか。寝室ひとつにぶっ込んであった八木の持ち物も、完璧に綺麗に整理整頓されております。近々、新しい棚を作り、床もソファも張り替えていただけるのだそうで。
聞くところによると、チリでは、部屋を借りたら、それが古家であればあるほど(悪かったね)、借りた方がきれいにリフォームするのが常識なのだそうで。

それだけではありません。
管理費は何に使われているのかという彼らの鋭い追求によって、アパートメントの管理人のカルメンおばさんは震え上がり(べつに使い込んでいたとかいうわけではなく、たんにいい加減だっただけ)、わがアパートメントは、いまや共有部分の掃除まで完璧に行き届き、来月からはアパートメント全体の外装の塗替に、中庭のフロアの工事なども始まるようです。
凄い。凄すぎる。おそるべしチリ人。
まるでイギリス人とドイツ人を足して二で割ったようであります。

アジェンデ政権が成立したのも、30年の時を経て、ピノチェトや軍事政権の犯罪を追求できるのも、この国民性だからでしょう、と思わざるを得ません。いや、ほんとに。

そして、きまじめだから、メキシコ人の好む、ボケと突っ込みがめまぐるしく入れ替わるブラックな冗談や、昼間っからテキーラを食前酒に始まる脳天気なバカ食いに、なかなか努力してもついてこられないようではありますが、それもまた良し。怠慢大家としては、あまりメキシコ化してもらっても困るのでありました。(笑)


(2月5日 記)

1月の締めくくりはHAVATAMPAのNHKライブでした。
ご来場いただいた皆さま、どうもありがとうございました。寒い中をけっこう長い時間並ばせてしまったようで申し訳なかったです。
さて、HAVATAMPAは、またまたメンバーちょっと変更。ご来場の方はもうご存じなのですが、おそろしくノリのいい関西系のピアニストの方が入って、以前にも増して濃ゆくなってしまいました。

そして、岡部氏の個展。
最終日には、某有名ロック歌手の方と若手美形浄瑠璃演奏家の方と仏教美術研究家の方と天体物理学者の方とが、赤ワインとピスコ(チリの焼酎)で杯を酌み交わすという、おそらくギャラリー始まって以来のシュールな展開でしたね。

そして、八木は、寒い日本を脱出です。


(1月25日 記)

昨日は、岡部好さんの個展の初日。
この並木通りのアトリエスズキ。一軒おいて隣がカルチェ、ご近所がディオールとシャネルという超スノッブな立地にあるビルの4階なんですが、「絵は投資対象ではない」と言いきるご主人の経営で、いわゆる中堅の画家の作品を丁重に紹介しておられるところです。
「たとえば、ドライブ用のちょっと贅沢な車を購入し、数年間乗って楽しんで、その後売るとしても、新車で買ったときの値段より高く売ろうとする人は、普通いませんよね」と、鈴木氏。
「それは、着物でも宝石でも洋服でも同じです。むしろ、こういったものこそ、たとえ本物でも、中古で売るとなれば二束三文がふつう。それなのに、絵画だけは、なぜだか、購入した値段より安くなると、ソンをしたと考える人がいる。困ったものです」
基本的に、『生活を豊かにするもの』と投資を一緒にするのは間違っている、と、ご主人はおっしゃるのです。
絵はあくまで飾って楽しむべきもの。だから、10万円の絵を買ったとして、10年間壁に飾って豊かな気持ちになることができれば、一ヶ月にして、800円と少し。日に直せば30円にもなりません。たったそれだけのお金で、好きな絵を飾って感性を養い、豊かな気持ちになれたら、安いものではありませんか。
つまり、絵とはそういうものです。もしも、絵を買いたいなら、そういう計算をしたうえで、自分の収入で無理のない範囲で、好みのものを買えばいいし、そうでないなら買わなければいい。
なるほど、5万円の版画なら、日に14円ね。せこい計算ではあるが、飾っておくなら高くない。逆に、日に150円払うつもりがあるなら、50万円の作品だって買えるわけですな。(バーゲンの卵を買いに行くわたしでは、やめた方がいい選択だ)

いずれにせよ、これは宝石などでもそうですが、投資価値のあるほどのダイヤモンドは、そのへんの宝石屋に売っている庶民の手が届くような値段のものではありません。絵も同様で、資産価値を期待できるほどの絵は、常識的には庶民が買えるような価格帯ではない。

『何でも鑑定団』なんて見ていると、たまたまリサイクルショップで入手した古い油絵が、じつは何百万円、なんてのがありますが、まさに、宝くじに当たる確率。(だから番組になる)
古い作品の値の上がる作家など、まず1000人にひとりと考えるべきで、いまをときめく売れっ子でも、お亡くなりになって数年で価格が下がる方が多いらしい。しかし、それはべつに作品が悪いということではなくて、ふつうは、下がるのが当たり前。むしろ、上がるというのは、いろいろな条件が重なることによって、特殊な需要が増加したと考える方が、理にかなっています。いずれにしても、評価など所詮、他人のおこなうもの。自分は自分の好きな絵を飾ればよい。

そういう話でいうなら、ヒロ・ヤマガタやラッセンのシルクスクリーンなんて、ブームから数年で、暴落状態のようです。アンディ・ウォーホールでさえ、数分の一みたいですね。純粋にああいう絵が好きで、純粋に壁に飾って楽しむためだけに数百万円を払ったお金持ちな方はべつにいいでしょうが、そうでない下心があった人は、皆、泣いているようです。
下心で絵を買うな、とはそういうことらしい。

もちろん、これは減価償却という考え方をした場合のことで、直射日光に当てたりせずに、ふつうに壁に掛けていれば、絵は10年で駄目になったりはしませんから、それ以上は、トクをしたと考えればよい。
さらに時間が経って、いよいよ修復したほうがよい時期が来たときに、修復にかかる費用と、自分にとっての絵の価値を天秤にかけて、修復を選ぶなり、別の絵を買うなりすればよい。ひょっとして宝籤に当たって、絵の価格が上昇していれば、選択肢が一つ増えるということになるだけです。

なるほど、当たり前と言えば当たり前。もともとわたしは絵が好きで、べつに特別な知識はないのだけれど、壁に余裕のあるメキシコの家には、なんとなく自分の好きなキューバやメキシコの若い無名の作家のリトグラフをいくつも飾っていて、とっても悦に入っているのだけど、そういうやり方で間違っていなかったというわけ。でも、どの版画も、壁に掛けて10年以上経っていますけれど、あと数十年、修復の必要などなさそうですから、考えたら、安いよなあ。
(いまふと思いついて、私が作品を持っているある作家をインターネット検索すると、最近、ヨーロッパで評価されているらしい。ひょっとすると、これってちょっとだけ当たり籤になるかも.........とか思うわたしはやっぱり、心がけがいやしいのか?!)

そういうことに限らず、ここのご主人の蘊蓄は豊かです。だもんで、絵を買うわけでもないお客さんも一緒にお茶を飲んでいること屡々。
私も、銀座に行くと、なんとなく立ち寄って、お茶飲んでいますね。おいおい。いつもじゃ悪いので、ごくたまにお茶菓子など持っていきますが。(笑)

あ、それで、岡部さんの個展、昨日が初日で、5時半頃からパーティーが始まりました。
写真家仲間の方はもとより、画家や彫刻家の方たちから、楽器製作家の方、音楽ライターの方、プレイヤーは西洋古典系の方、純邦楽系の方、ニューエイジ系の方、ラテン系の方(それは私だ)、(一目でわかる)濃ゆいロック系の方まで、なかなか(ちょっとない)バラエティ豊かな顔ぶれで、盛り上がっていましたね。
写真も、モノクロームからカラーまで、違和感なく融け合っている感じ。会期中、しばしばお邪魔することになりそうです。


(1月19日 記)

津波で気をそらされているうちに、クルド人家族の強制送還が起こりました。

昨年の夏、トルコから逃れてきて、日本で政治難民の認定を求めて、国連大学前で座り込みをしていたクルド人2家族のうち、カザンキラン家の父親と息子さん、カザンキラン・アハメットさんとラマザン君のふたりが、17日、品川入管に収容されました。

通常、申請中、あるいは裁判で争っている間は、仮放免という措置におかれますが、月に1回、入管に出頭して、それを延長する手続を行なわなければなりません。
彼らはその手続をしにでかけたわけですが、即刻、その場で「延長は認められない」と収容されてしまったということです。

そして、異例の速さで昨日、14時25分の飛行機で強制送還されました。
収容執行停止を求める申請が出されているにもかかわらず、その審査中に強制送還されるのは異例とのことです。

また、難民認定が受理されていない難民には、国連がその人の難民性を認定する「マンデート」制度がありますが、今回送還された二人はその認定を受けていました。
マンデート認定者が強制送還されるのは恐らく今回が初、にもかかわらず、法務省は残りの家族に対しても、同じ手続きを取っているとのことです。

その一方で、朝日新聞によると、日本政府は、トルコのボスポラス海峡の海底トンネル建設に総額約987億円の円借款を供与する方針を固めて、3月にもトルコ政府と合意文書を交わすらしい。
単独の政府のODAでは異例の巨額援助で、米国が主導する「対テロ戦争」への協調路線をとるトルコ政府を経済面から支援する狙いがあるとのこと。
http://www.asahi.com/politics/update/0119/001.html

さすがに、ブッシュのポチは、骨の髄までイヌ根性というわけですね。

ボランティアや報道のために戦場に出かけて、人質になった人たちを、共産党がらみだの自作自演だのという真っ赤なデマを流して誹謗中傷し、反戦ビラをポストに入れただけの人たちを逮捕拘留し、議会便りを配っただけの共産党員を逮捕・起訴し、日本の過去の戦争犯罪を扱ったTV番組を国会議員が圧力をかけて改ざんさせ、命の危険があるゆえに難民認定を求めて、日本に逃れてきた人たちの個人情報を、逃れてきた国におめおめ渡すだけではなく、その国に強制送還する。

これが、私たちがいま住んでいる国です。
そのことを、かなしいけれど、けして目をそらさずに私たちは、わかっておかなくてはなりません。


(1月17日 記)

津波の被害は、15万人に超えたようです。TSUNAMIという言葉は、世界的に有名になりました。
さて、ここで気づかれたでしょう。TSUNAMIは日本語です。
この言葉がここで使われるということは、いままで、TSUNAMIを一語でに正確に表現することができる単語が、英語やフランス語などはおろか、被害地であるインドネシアでもタイでも存在しなかったということを意味します。それは、それだけ、過去に津波による大災害が発生したことがなかったということでしょう。
もちろん、津波に関するニュース群の中で、「ある村の古くからの言い伝えで、『海が異常に引き始めたら逃げろという伝承があり、それを信じて避難した村はほとんどが助かった』というような報道もありましたが、明らかに、それは、稀な例外だったのは明らかです。そして、それが稀な例外であったということそのものが、TSUNAMIに該当する単語をあえて生み出す必要があるほど、その災厄がしばしば起こりうる現象でなかったということです。

津波が起こったとき、日本では、「地震があったら、津波警報を出すのが(日本の)常識ですよ」と、暗に、かの国の防災体制の脆弱さを非難する声が、マスコミで聞かれました。
しかし、それはおそらく、TSUNAMIという災害多発地帯である(というよりも、歴史的に、TSUNAMIという現象で大きな被害を受けた経験が多い)日本のみでの『常識』だったということです。

阪神淡路大震災で、神戸地区が信じられないほどの大被害を受けたのは、大地震がないといわれていた神戸地区の防災対策が、対地震という点で弱いものだったからです。頻繁に地震が起きる地域なら、おそらくあそこまでの被害にはならなかったでしょう。
インドネシアもタイも、津波という言葉が存在していなかったのです。
それは、発展途上国だから、貧しい国だからという問題ではなく、文化の問題だった。

とはいえ、多大な人命とインフラストラクチャを失い、TSUNAMIの直撃で深手を負った彼らを、これからさらに苦しめるのは、国家としての貧しさでしょう。いったい、私たちに何ができるのか。
ほんのわずかなことですが、やらないよりやったほうがいいでしょうね。
http://www.shaplaneer.org/campaign/tsunami04.htm


(1月16日)

ちょうど、岡部好さんの写真展と同時期に、同じく仲良しの現代美術作家・平原辰夫さんの個展も、日本橋で開催されるようです。(詳しい情報は、NEWSページの、1月17日の日記の下にあります)
日本橋と銀座って、地下鉄で駅ふたつ。歩いていける距離ですね。

現代美術って、なにって思っている方、多いのではありませんか。かなり幅が広いジャンル(?)なので、ひとつ見て、ああこういうものかって思われても困るのですが、いただいた案内状で見る限りでは、今度は、オブジェ中心みたいです。しかも、サイトで見る限りでは、平原氏、グループ展まで同時開催だとか。タフだなあ....。
アート鑑賞というと、秋とか春の季候の良いときがシーズンかとも思いますが、この時期にふたつというのも、おもしろい。とっても楽しみです。

ところで、今日は、これから味噌の仕込み。
去年試しに作ってみたら、これが、手前味噌とはよく言ったもので、激ウマ。なので、今年も、トライすることにしました。大豆を軟らかく煮てつぶし、麹と塩を混ぜて、冷暗所で寝かしておくだけ。わたしは、出汁昆布も一緒に漬け込みます。
半年後には、無添加でコクのある美味しいお味噌ができているというわけです。


(1月13日 記)

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

今年は、帰省もせず、新居で迎えたお正月。そのかわりに、大阪から母親がおせち料理を持って上京して参りました。
そんなわけで、ついつい食べること食べること。いけませんな。
お正月が終わって、母親が帰ってしまってからも、新年会だの、誕生日だのと、理由をつけては食べております。いけませんな。
さて、その新居ですが、多少の不具合も発見。
どうも、電圧が不安定らしい。大丈夫なときはまったく大丈夫なのですが、不安定なときは、暖房と電子レンジとパソコンで、ブレーカーが落ちたりする。
こういうことが続いたので、UPS(無停電電源装置)を購入することに。

もうひとつの不具合は、こたつ。
私の仕事部屋が、ダイニングキッチンの隣の7畳間になったのは、煮物などを作りながら仕事ができるのでとっても便利になったのですが、せっかく和室だからと、空いているスペースにこたつを購入したのが間違いでしたね。寒い日はこたつでiBook、のはずが、うたた寝三昧の日々。(爆)
また、年末に、みかんを一箱送ってくれる人がいたりするんだよな、これが。

しかし、買ったばかりのこたつを撤去するのもなんなので、強い意志を鍛えるしかないですな。

まあ、そんなわけで、ここのところ、電気屋さんのサイトを検索する機会が多かったのですが、今度、miniMacというのが出るようです。縦横15cmほど、高さ5cmほどの超小型パソコン。それが、なまいきに、速度1.25GHzに、CD-RWもDVD-ROMもついて、5万円台!
iPodで大当てしたアップル社、強気に勝負に出ていますな。こちらは、古いG4をHDD換装したり、メモリ足したり、マザーボード修理して、騙しだまし使っているってのに.....その改造・修理費用で、miniMac買って、お釣りがきたよ!
拡張性は低そうだけど、とにかく、この大きさは便利。
また、バカ売れしそうだなあ。これからは、iPod & miniMacならぬ、HDレコーダー & 超ミニパソコン時代に突入か。

さて、そういうところに、このサイトの写真とか八木のCDジャケットの写真を撮ってくださっている写真家の岡部好さんの個展のお知らせ。
意外でしたが、ひさびさの個展なのだそうです。それも、銀座の並木通りの画廊で、アーティスト写真だけではなく、アート色の強い自然写真を中心にした展示だそうで。
ただ、岡部さんにとっては、すべてが音楽なのだそうです。ちょっと楽しみ。


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