八木啓代のひとりごと 2007年度 上半期

(6月26日 記)

キューバねた。最後の一発。
キューバで今回覚えた料理技である。

マヨネーズは、ミキサーで簡単に作れる。

えー、かつて私はチリで、マヨネーズを一滴一滴油をたらしながら、ひたすら泡立て器で混ぜて作るという方法を教わって感銘を受けていたのだが、そんなことをしなくても、簡単に作れたのである。もちろん分離もしない。

キューバ式のやり方は、
卵黄、塩胡椒、酢と油。
これをミキサーに入れて、スイッチ入れるだけ.....なんである。
好みで、にんにくとかスパイスを入れるのも可。

なんでも、90年代初頭の「危機的な時代」(ソ連東欧が崩壊して、貿易相手国がなくなったうえ、そこを狙ってアメリカが経済封鎖を強めたので、キューバの経済危機が極悪化した時代)に、バターやマーガリンもなくなったので、子供の学校のお弁当にパンとマヨネーズを持たせるしかなかった(おかずも用意できなかった)という事情で、一気にこの作り方が普及したのだとか。
まあ、そういう事情はさておき、ほんまに簡単にできるんですわ。で、おいしい。特ににんにくちょっと入れるとね。

チリは一滴一滴(で、ちょっと油断すると分離して失敗する)、キューバはミキサーで一気(で失敗なし)というところがまた、なんというか感慨を禁じ得ないものがあったりして。


(6月25日 記)

キューバにて。
ある、キューバの文化人と呼ばれる人たちと話していた。

いかに観光で街が美しくなろうとも、実際には、現在もキューバは、世界最大の国との半戦争状態に置かれているという状態であるという事実ゆえ、そして、観光客であふれかえる今ですら、キューバを標的にしたテロは常時存在し、また、政府転覆のために莫大な資金援助をおこなっている団体がある、というすべての「尋常とはいえない」条件を加味したとしても、それでも、やはり不当であったであろういくつかの事実について。
とりわけ70年代の、キューバにおける表現の自由の抑圧や同性愛者への弾圧など。
レイナルド・アレナス(反体制で同性愛者だった)の亡命は否定できない事実だし、私が知っている中にも、亡命に追い込まれないまでも、活動の制限を受けたり、一時的に職を追われたりした人たちのケースも知っている。
実際、つい先日、70年代に検閲をやっていた担当者がメキシコの「ラ・ホルナーダ」紙のインタビューに答え、謝罪を行っている。音楽の検閲をやっていた極悪な奴は、まだのうのうとしているみたいだが。

で、まあ、話は色々あったのだが、その中で八木が心を動かされた会話があった。
「どんな政権であっても社会であっても、人間が完璧な存在でない以上、おかしな方向に揺れてしまうことはある。問題は、そのとき、『文化人』とか『知識人』がどういう態度を取るかということだ」
「文化人や知識人の役割というのは、そういうふうに政治がおかしな方向に歪んだとき、その持てる知識と文化の力でもって、是正するための最大限の努力をすることだ」

日本の文化人とか知識人で、そういうふうに「文化人や知識人の役割」というものを捉えている人って、どれだけいるのだろうなあ、などとふと。
実際には、日本の場合、こういった人たちの多くは「講演料」で生活している場合が多くて、その「講演料」の額や依頼される講演の数は、どれだけテレビに顔を出しているか、というところでかなり決まってくる.......という単に経済的な問題によって、日本の「文化人や知識人」は、どれだけテレビ受けするかってとこで動いているのが実態なのだからなあ。


(6月13日 記)

さて、このキューバ滞在期間。
テレスール」にけっこうはまってしまった。

テレスールというのは、ベネズエラのチャベスが、CNNなどのアメリカ系国際民間放送局に対抗するものとして、アル・ジャジーラを手本として設立したテレビ放送なので、報道系が充実しているのはもちろんなんですが、教育系番組やバカ番組の混在ぶりもじつに絶妙なのである。

むろん、チャベス大統領の演説も(深夜枠だったけど)きっちり放送したりしていた。
これを思わず見てしまったのだけど、いや、チャベス。ほんまに演説うまいんですよ。カストロに負けないほど長いんだけど、なんつーか、話がうまい。
しかも替え歌うたったり(これがまたかなりうまい。私が見たときは、アカペラで歌っていたが、クアトロ弾き語りすることもあるらしい)、とにかく芸達者。
この人、やはり希代のキャラであることは間違いはない。

こういう陰謀の中でも、圧倒的な支持率で生き抜いているのは伊達じゃないのである。
http://agrotous.seesaa.net/article/42993621.html


(6月11日 記)

奇しくも、クバディスコの裏メニュー的な感じで、カサ・デ・ラス・アメリカス会館で、面白い催しがあるという。

「明日、ビクトル・ハラのドキュメンタリー映画の上映会があるんで、是非行くといいよ」
ほおお。それは興味深い。でも、なんでこの時期に、ビクトル・ハラ?
(ていうか、去年から、この方の出番がすごく多いような気が)

「で、そのあとにヌエバ・カンシオンのライブもあるから。トローバ陣営も出るし、南米からもお客が来て」
「南米からって?」
「ウルグアイのダニエル・ビリエッティとアルゼンチンのセサル・イセージャ」

ダニエル・ビリエッティといえば、「鉄条網を切れ」などの代表作のある、ウルグアイを代表する左派の歌い手だ。ウルグアイ軍政時代に逮捕投獄されて、亡命もしていた人。
セサル・イセージャのほうは、メルセデス・ソーサの演唱で有名な「みんな一緒の歌」などの作者。
ちなみにキューバ側からは、ビセンテ・フェリウ+若手陣営が迎撃だそうで。
あれれれ。そらあ、行かにゃなりませんわな。

で、行ってみると、イベントのタイトルは、「Primer encuentro de la cancion necesaria」。
日本語にすると、「第一回『必要とされる歌』の集い」という感じか。

ビクトルのドキュメンタリーは、チリのビクトル・ハラ財団が1999年に制作したもので、私はすでに見たことのあるものだったが、大きな画面で見ると、やはり感慨がある。いまでも中南米で「必要とされる歌」の象徴がビクトルということだろう。
もちろん、このカサ・デ・ラス・アメリカス会館は、生前のビクトルがキューバ公演をしたときに歌った場所でもある。

そして、ライブ。

というか、その前に楽屋に乱入。
「あれっ、八木じゃん。ハバナにいたのか」
と、ダニエル・ビリエッティ先生。記憶力の良い方だ。
「随分前に、メキシコのモデスト・ロペスの家で宴会やって以来ですよね」(*^_^*)
「いや、違うね。そのあとにルベン・オルティスの家で会っているよ」
にこりともせず、朗々たるバリトンでビリエッティ先生。
ちなみに、ルベン・オルティスは、ビクトル・ハラの歌った「チェのサンバ」の作者である。ぜんぜん忘れてた。......ひょっとすると酔ってたかもしれない。

それにしても、記憶力の良い方である。それって5年ぐらい前のことだよね。
「あのとき、新しいCDが出たから、あとで送ると言ってそれっきりになっている。私は待っていたのだが」
ひぇぇぇぇぇぇ〜。すいません。平にご容赦。送ります。ちゃんと国際宅急便で。今度はほんとに。
キューバまで来て、アッチョンブリケ状態の八木である。

(といいつつ、6月10日現在、まだ送っていない八木。明日送らなくては)

「何かお飲みになりますか?」
とお部屋のケータリング担当のおばあちゃんに言われたので、気を取り直して
「あ、どうも。じゃ、ラム酒を少々」

「ああっ」とおばあちゃんの悲鳴。
「えっ」と八木。

「いまここにあったラムが.....」
そこにあったのはただの空瓶であった。
「いま、ほんとにここにあったのよ。ほんのちょっと前まで、一杯だったのよ」
で、振り返ったら、空になっていた、と。

いや。それは.....。
トロバドールがどっさりいる部屋にラムを置いて、一瞬たりとも目を離したら....だな。(激爆)

「まだライブは始まっていないのよ」と、しょんぼりするおばあちゃん。
「それなのに、用意したラムがみんななくなってしまったわ」

みんな、かよ。こいつらはピラニアよりおそろしいな。

で、清涼飲料水(トロピコーラ)を飲んでいると、他のトロバドールたち(なぜか出演予定でない人たちもわらわらいるのだった。ま、私もそうなんだけど)が声を掛けてきた。
「あれ、コーラ飲んでるの?」
「うん。ケータリングのラムがもうなくなっちゃったんだって」
「おやまあ。じゃあ、そのコーラ、ラムで割る?」
どこからともなくボトルは回ってきて、私のグラスに適量注ぐと、おばあちゃんの見ていないうちに、ボトルは手品のようにどこかに消えるのである。
.......君らなあ。

確かにトローバは不滅である。少なくとも、ラムのある限り。

で、ライブ。
ビセンテ・フェリウが司会進行を兼ねる。
ビセンテが一曲歌っては、出演者を招く、というトロバドールのスタイルである。
最初がセサル・イセージャ。ギター一本で、アルゼンチン風味も一杯に、名曲の数々を歌ってくれた。
続く、ビリエッティは淡々とした歌い口ながら、貫禄でスタンディング・オベイションを誘う。
そして、別の楽屋にいたらしいエクアドルのヌエバ・カンシオンらしき人たちが続き、チリのフランシスコ・ビージャ

「いや、芸名じゃなくて、こいつほんとにそういう名前なんだ」
とビセンテが楽屋で紹介してくれた明るい青年だが、これがですね、意外にといっては悪いですが、かなり良かったですよ。名前がメキシコ革命の英雄と同姓同名ってのは、微妙だけど。

それから、サラ・ゴンサレスのライブでも会った若手のトロバドールたち。
大御所から、若い世代に歌は引き継がれるという感じで、ライブは終わった。
これが第一回だから、二回目もあるのかな。

「このあとトロバドールの宴会だよ。もちろん来るだろ」と言われたが、翌日の飛行機が早朝6時フライト(空港に4時だぜ)なので、辞去して帰宅。
「どうせなら、宴会モードで一晩起きてりゃ良いじゃん」
やだよ。泥酔したやつに空港に送ってもらうのは。

帰宅先は、クラシックの女性指揮者で親友のセナイダ・ロメウのおうちである。
私が呑み歩いてばかりいるので、家に泊まっているのに、ゆっくり話も出来ていないんだもんね。滞在最後の夜は彼女と語り明かすことになってたのさ。


(6月10日 記)

まあ、キューバの繁栄はよいことなのでして、べつに昔は良かったみたいなことを言うつもりはまったくないのだけど、それにしても、前述のごとき「にわかキューバの友」の中には、うんざりするような手合いがいないではない。

「でもさ、そういう連中っていつでもいるじゃん」
と、2世代目トロバドールのホセ・オルダース。
「80年代のヌエバ・トローバの全盛期に、トローバが何かもわかっちゃいないくせに、人気目当てにスタイルを真似て、トローバを名乗るやつがぞろぞろ出たこともあった.........ほら、誰とは言わないけどさ.......ださい詞につまんない曲つけてた、あの人とか」
その発言に、思い切り苦笑しながら、誰も否定しない、その場にいる他のトロバドールたち。
はいはい、いましたね、そういう人たち。お互い実名はあげないけど、明らかに同じ顔を思い浮かべているよな。(大爆)

「で、そういう奴ってさ、旨味がなくなると、すみやかにどっかに消えてくれるから」
まあ、確かにそうなんだけどさ。(笑)

いま、ブエナビスタのヒット以来、流行の中心はオールドスタイルのソンに向かったので、修復されて綺麗な観光スポットに蘇ったハバナ・ビエハのレストランやカフェでのライブも、ほとんどこのタイプ。
かの「フロリディータ」でまで、6人編成のバンドでソンをやっていたぐらいだ。
「ボデギータ・デル・メディオ」や「パティオ」ならわかるが、スノッブな格式を売りにしていた「フロリディータ」でソンは違うだろうに。
ま、一見さんの観光客は喜ぶのだろうし、だから、なんだろうけどね。

で、いま、シルビオやパブロの人気は衰えていないとはいえ、全体としてトローバが、外国で出稼ぎして一番儲かるジャンルではなくなるようになると、そういう人たちは、さっさとラテンポップスやチャングイに鞍替えするわけね。
ただ、ソンはキューバ人ならすぐに歌える(日本人でも練習すれば歌える)が、トローバはそうではない。トローバの本質はリズムでもスタイルでもなく、生き方であり感じ方だからだ。

で、そのトローバは下火になったのか?
かつての古きトローバは30年代から40年代に全盛期を迎え、その後、ペドロ・イバニェスは、1960年にこう歌った。
「トローバが死んだなんて、嘘をつくなよ。トローバは死ぬことはない。トローバとは歌う人と聴く人の魂にあるものだから。ちゃんと私の歌を聴いてごらん。トロバドールたちは生まれてくる。そしてトローバは不滅だ」

その数年後、当時の若い世代から、ヌエバ・トローバが生まれたのだ。それがキューバという国の土壌なのだ。


(6月8日 記)

さて、じつはとっくに日本に帰ってきているのだけど、キューバネタが終わらない八木なのです。
にもかかわらず、なんか忙しくて、じっくり日記が書けなかったのですが、あんまり放っておくとネタが腐るので、そろそろ頑張ります。

さて、この期間中、クバディスコだった。
要するに、キューバのレコード見本市。
とはいえ、はっきり言って、この数年間で、クオリティはかなり下がっている。

もちろん、キューバ音楽のクオリティが下がったわけではない。
問題はシンプルで、この見本市が、キューバで発売されたキューバのレーベルだけを扱っていること。
キューバ音楽が国際的に注目されているこの時代、いわゆる「売れている」ミュージシャンは、海外の大手のレーベルから出しているから、このクバディスコには引っかからないわけ。
だから、若手やマイナー系で面白いもの、あるいは、クラシックという視点で探すと、面白いものはまだまだあるし、その手のもののレベルはもちろん高いのだが、サルサ系やラテンジャズ系などでは、大物が出るわけではもはやない。

ついでに、キューバのミュージシャンたちからも、陰でかなりの批判が出ていたのは、クバディスコの「政治利用」だ。
政治利用、といっても、べつにいまさら社会主義の宣伝というわけではなくて。

要するに、キューバでライブをやっても、外国人アーティストにギャラは出ない。
キューバには金がない、というのが名目だから、渡航費も出ない。
だから、キューバで公演する外国人というのは、渡航費を自費(自腹か、どっかから助成金をもらってくる)でノーギャラで来るわけ。

で、以前の、キューバが叩かれていた時代というのは、そのことにも意義はあった。
キューバが大変なのは事実だったし、外国からそれでも演奏にくるというのは、そのこと自体が、バッシングの中でのキューバ支持を表明することであり、キューバを応援することでもあったからだ。そして、キューバ人音楽家や観客もそれを理解していた。
一方では、参加アーティストにも、キューバ人のレベルの高い演奏家や聴衆と熱い交流ができた。
HAVATAMPAがキューバでライブをやっていたのはそういう時代のことだ。
キューバ側も、滞在費ぐらいは負担していた。

しかし、もう時代は違う。
今やキューバはバッシングされる国ではなくて、「注目の国」であり、日本ですらゴールデンタイムの番組でお笑いタレントが訪れて「すご〜い! 素敵〜! サイコー!」と騒ぐトレンドスポットなのだ。
となると、「キューバで公演した」は勲章になってしまうわけで、そうなると、自腹を切ってもやりたくて仕方ない人はどっと出てくるわけ。滞在費も自己負担、ギャラどころか自分が参加料を払ってでも、行きたい、というわけ。

その結果、外国人参加者のクオリティは、明らかに「?」なものが増えた。
苦笑を誘うぐらいならまだいいが、具体名は敢えて挙げないが、フローレンス・フォスター・ジェンキンスの再来かと思った((C)キューバのある有名音楽家)ようなコンサートをやった自称クラシック系の方もいらっしゃったそうだ。

今回も、あるガラで、その人物の名前が次の出演であるとアナウンスされたとたんに、観客がどっさり(半分以上)帰ってしまったというようなコンサートがあった。

そういう出演者はたいてい、お金がらみ、あるいは政治家や外交筋のコネがらみ、らしいのだが....とても残念なことである。もちろん、外国の出演者が全部とんでもねえ、ということはけっしてないのだが。
(もっと言いたいことはあるが、この件はこの辺で)


(6月3日 記)

さて、話少し戻る。
キューバでも少しライブを見に行った。

それなりにけっこうメンが割れているので、かなりのライブは顔パスで入れるのだが、「少し」というには訳がある。

最近、キューバに観光客がどっと増えて、不良キューバ人もまた増えている。
こういう連中はもちろん昔からいたのだが、最近、日本人も大量に来ていて、しかも日本人は無防備な傾向があるので、日本人女性に狙いを定めている連中も増えたということだ。
つっても、しょせんは、治安のいいキューバ、べつにレイプされたり強盗に遭う訳じゃなくて、口説かれてタカられる程度なんだけどね。ま、そういうわけでは、日本人て、海外では気前がいいというわけ。

で、こういう連中はミュージシャンではないので、私の顔を知らない。ゆえに、私が会場にいるとうだうだ話しかけてくるので、ウザいわけ。
とくにサルサ系のライブに行くと、追い払うはじから若い男がやってくるので、まるで私はティーンエージャーに若返ったような錯覚に陥ってしまうという問題があるのである。(違うって)

なもんで、エスコートしてくれるキューバ人がいないときは、あんまり最近はライブに行かないようになったわけ。もうおばさんですな。

といいつつも、今回は、いきなりトローバ系の人たちと出会ったせいもあって、半強制的にいくつかのライブに連れて行かれてしまった。
幸い、トローバはまだキューバ人のもので、観光客はほとんどいないので、ここにはうざい連中もいない。

若手のトロバドールたち、メキシコでもCDデビューしたばかりのペペ・オルダス、ヘイディ・イグアラダ、アリエル&アマンダ、エドゥアルド・ソーサ等。
ヌエバ・トローバ第一世代が、もはや若くも何ともなく、「ヌエバ(新しい)」というよりは、「ソシアル・クラブ」年齢に近づいてきちゃっていて、第2世代たるカルロス・バレーラ(久々に会ってご飯食べたら、K-1デビューできそうな体型になっていてびっくりしたよ)も、おっさんになっちゃって(そういう私もおばさんだ)いるが、若手が順調に育ってきているのは頼もしい。
特に、個人的には、エドゥアルド・ソーサは特に注目株だな。
で、結局、ゲストで歌わされている八木なのだった。

と。
「うわぁっ! 久しぶりっ!」
とドスの利いた声で叫ぶ、強烈なおばさん一名。サラ・ゴンサレスであった。
「やっと捕まえたぁ! ねえ、ちょっとみんな、聞いてよ聞いてよ、聞・き・な・さ〜〜〜〜い!」

この人は女性としては唯一のヌエバ・トローバ第一世代である。
すごい迫力で歌う人である。
で、その人に、腕をぐいっと捕まれて放してもらえない。大岡越前の前に引き出された鼠小僧二郎吉みたいである(違うって)

「忘れもしない、あれは、1990年のことだったわ」と、ライブ終了後、むりやりみんなを集めて(というか、怖くて誰も逆らえない)語り始めるサラ。
「シルビオ(・ロドリゲス)がうちに電話してきて、日本人なのにトローバを歌う子がいて、今ハバナにいるから、ぜひ紹介したいって言ってきたの」
(そんな話は初耳だ)
「でも、そのとき私はすでに彼女に会ったことがあったから、こう言ったの『その子なら、もう知り合いよ。それに私、明日、サルバドール・アジェンデのお葬式に出席するからチリに行かなきゃいけないの』.....それで、チリに言ってみたら、びっくり、なんと彼女がいたのよ〜! ドッペルゲンガーかと思ったわ」

そのときは、いったんキューバに行ってから、拙著『禁じられた歌』を書き上げるためにチリに行ったんだよ。
で、サラのライブがあったので、顔を出したのは本当だ。
ここからは本にも書いてある。

「で、ライブに誘って、一緒にステージに立ったら、右翼が乱入してきて、発砲されたのよ」
そうそうそうそう。そういうことあったよね。てか、なぜか去年の秋ぐらいから、やたらにこの話題が蒸し返されてるなあ。

「彼女もその場にいたわけ。証人。だからこれは作ってるンでも、大袈裟に話してるンでもないのっ!」
うんそう。それはそう、確かにそう。で、あのときのサラはかっこよかったぜぇ〜!

というわけで、ひさびさにトローバにどっぶり引き戻されている八木なのであった。


(5月31日 記)

キューバはキューバで、待ちかまえている連中がいた。
なんといっても、ひさびさの訪問だったからね......といっても、待ちかまえていた人々の半分は、「酔っぱらい軍団」((C)サラ・ゴンサレス)、こと、トロバドールの人々だった。
今回の八木の仕事の一部は、この「酔っぱらい軍団」と彼らの音楽にまつわる歴史を取材したいという日本のジャーナリストの方のおつきあいだったが、このインタビューからして、当たり前のように、その場にはギターとラムがあったのは言うまでもない。

シルビオ・ロドリゲスやパブロ・ミラネスの成功で、今、ラテンアメリカでは「トローバ」というと、「シルビオ・ロドリゲスやパブロ・ミラネスみたいなスタイルの弾き語り」、良くても「キューバ革命後に起こった文化ムーブメントであるヌエバ・トローバ」のことだと思っている人が多いが、実際は、「トローバ」は19世紀末に起源をもつ、キューバ人がキューバ的と感じる歌のことだ。
そういう意味では、ジャンルですらない。
だから、歌曲もあれば、ミゲル・マタモロスなどの多くのソンもすべてそこに含まれるし、革命後は、ジャズやロックやブルースの影響を受けたものも含まれる。音楽的にはかなり広大だし、だからこそ、ある意味、キューバ音楽史上、最も重要なものである一方、外国人にはその概念がわかりにくい。

まあ、こういう音楽史的な部分を抜きにして、八木的に説明すると、トローバとは、「キューバやメキシコに分布する、ギターを弾いて自作の美しい歌を歌う人たちのつくるもの。ロマンスと酒を愛し、ときどき過激」という感じ。
順番に注意されたし。一が美しい歌、二がロマンス、三が酒で、四が政治である。
この順番が違っていると、似て非なるものであったりするので、厳重な管理が必要である。

ついでに、シルビオ・ロドリゲスの「アブダラ・スタジオ」を見せてもらう。
これは今、キューバで最大にして最新鋭のスタジオで、まあ、自慢するだけあって、さすがにそれなりのものである。キューバで最高といわれるだけのことはある。

......とちょっと感心していると、大御所フランク・フェルナンデスから電話があった。
この方は、ええ、誰もが認めるキューバ最高のピアニストである。それも、クラシックからジャズからトローバからサルサから、すべてのジャンルにおいて。
本業(?)のクラシックでは、チャイコフスキー・コンクールの審査員であり、「プラハの春音楽祭」など世界の名だたる音楽祭やホールで演奏しているし、ジャズではチュチョ・バルデスとピアノ対決をし、サルサやトローバでも大活躍という、かなり特異な方でもある。
で、その特異さは、その性格にも....現れているのであった。

「シルビオのスタジオを見たんだってね」
「は.......一応」
「では、君は私のスタジオを見に来なければならない。どちらが『キューバで最高のスタジオ』か君はその目で確かめるのだ」

いや、私が録音しようってわけじゃないんだから、スタジオ見たってさ.....という言い訳は通用しない。なんせ、大先生なんである。私ごときに断る勇気があるわけがない。しかも勝手にその日のアッシーくんやらメッシーくんの手配までしてしまうのである。
で見せていただいたそのスタジオは......確かに凄かった。

なんでも、かのバレンボイムが(バレンボイムだよ!)、
「こんなスタジオを持てるのは、音楽家の最大の夢だ」
と言ったのだそうだから。

スタジオそのものの大きさはもちろん「アブダラ」にはかなわないのだが、考え抜かれた音響と最高の機材。そして、もちろん最高のスタインウェイのピアノ。

それだけではない。このスタジオは、細部にまで美しくてアーティスティックなのだ。
レコーディング中の音楽家が疲れると、スタジオからすぐ美しい中庭に出られ、中庭には美しい(世界中から写真を撮りに来る見事なステンドグラスの窓のある)バーカウンターやら、アルゼンチン風炭火焼き肉パーティーのできる設備もある。
壁には品のいい絵画や写真で美術館のように飾られ、カフェテリアのドアもステンドグラス。
.....というすごいスタジオだったんである。

まあ、見ただけだけど。(大爆)
ただし、基本的に商業ベースで運用してるシルビオのスタジオと違い、こちらはもちろんレンタルもやるが「フランクが気に入った音楽(または音楽家)」にしか貸さないのだそうだ。贅沢な話である。
自分の音楽のクオリティに自信がある方にはお勧めである。
ただし相手は、チャイコフスキー・コンクールの審査員で、シルビオ・ロドリゲスやオマーラ・ポルトゥオンドやアダルベルト・アルバレスを発掘した親父である。

最新のこのスタジオでの録音は、このフランクのピアノで、プエルトリコの大歌手ダニー・リベラのアルバム。客演は、パーカスにタタ・グィネス、トレスにパンチョ・アマット、チェケレにパンチョ・テリー、ラウーにバルバリート・トーレス、パイラにチャンギイートなんだもんな。(といっても、フランク御大に「来い」と言われて断る勇気のある音楽家は、キューバにはいないだろうけど)


(5月18日 記)

入り口に「警官と軍人立ち入り禁止」と書いてあるサロン・マルテルは、カンティナといわれるメキシコの伝統的な飲み屋のひとつであって、観光客の行くところではない。
というか、メキシコ人でも、一見さんはたぶんちょっと入りにくいところだ。
実際、おしゃれとはいえない飲み屋なので、わざわざ行っても見るべきものはない。

ただ、ここは、音楽家や作家、ジャーナリスト、文化人、演劇人、時には政治家がたむろしている場として知られている。日本にもある(出版社が作家を接待する場としての)文壇バーみたいなスノッブなものではなく、ましてや綺麗なホステスさんがいるわけでもなく、普通にそういう人たちが、自腹で酒を飲みながら、馬鹿話に興じたり、政治論議をやっているようなところというわけ。
本日も、作曲家数名、演劇演出家など数名が、昼間っから杯を重ねていたものだ。

で、こういう飲み屋の料理がけっこう馬鹿にできなかったりするわけで、本日の八木の昼飯は、特製にんにくスープ(激旨)、ツナとポテトとコリアンダーのコロッケ(これもなんでもなさそうなんだけど、コリアンダーがいい感じで効いていて、なんかえらい旨い)、挽肉トマト煮のタコス、ついでにウオツカのサングリア、キューバリブレ2杯(おい!)

そのあと、メキシコ在住カナダ人の女性画家の個展のオープニングに流れる。メスカル(さぼてん焼酎)レモン割り数杯(おいおいおいおい!)

このままメキシコにいるとアル中になりそうなので、キューバに向かう。.....もっと危険か....?


(5月16日 記)

メキシコに来ています。
で、来て早々、宴会モードに突入。

国立芸術院での大成功以来、メキシコを代表する歌い手の一人となったサルバドル・ネグロ・オヘーダの家で、オスカル・チャベス、マルシアル・アレハンドロ他。至近距離で彼ら3人の歌を聴ける贅沢。(ただし、酒が入っているが)

作曲者本人の伴奏で歌うトローバ・バージョン「そんな風に人は生きる(Se Vive Asi)」とか「この女(Esta Mujer)」も、気持ちがいいなあ(という八木も酒が入っているが)

オスカル・チャベスは今年で芸能生活50年。8月にメキシコ最大の劇場であるアウディトリオ・ナシオナルで大コンサートをやるらしい。
前にも書いたかと思うが、オスカルは俳優でもあって、佐野碩の弟子である。
その敬愛する師の佐野碩が、かの「インターナショナル」の日本語訳をやっていたと知って、かなり感激。
じつは「インターナショナル」は、スペイン語訳ではバージョンがいろいろあって定訳がないこともあり、スペイン語の曲としてはあまりポピュラーではないのだが、なんかすごくスイッチが入った模様。
ひょっとすると、大スター、オスカル・チャベス改訳&歌唱による「インターナショナル・スペイン語バージョン決定版」が出るかもしれない。

途中から、ピアニストのレオナルド・サンドバルも乱入。できたばかりのCDをもらう。濃い夜である。


(5月13日 記)

さて、しばらく前に書いて大反響があったネタで、手作り化粧品というのがあった。
もちろん、まだ続けているわけだけれど、しごく快調である。
というか、驚いたことに、そばかすやホクロまで薄くなってしまった。そばかすはともかく、ホクロって.....。
いったい、いままで使っていた美白化粧品ってのはなんだったんだ、と声を大にして言いたくなるような話である。

まあ、きれいな容器に入って、いろいろな成分を謳い上げた高価な化粧品は、もちろん、100円ショップで売っている容器に入れた手作りより効きそうな気がするのが、人間の心理ってことなんでしょうけどね。

で、ここで当然の疑問を発する方もおられるだろう。

では、なぜそうまでして、女性は化粧をするのか。
その答えは、下をクリック。
http://abcdane.net/blog/archives/200703/sharon_on3rd_ikari.html
http://abcdane.net/misc/nomake/nomake.htm

そして、とどめにこのビデオだ!


(5月8日 記)

じつは、5月の後半を仕事がらみで、キューバとメキシコに行くことになって、ちょいとばたばた。
でも、そういうときに限って、「げっ、行けないじゃん」という逃すのが惜しい講演会とか映画があったりする。痛恨である。

とはいえ、だからといって私が情報を隠匿していてもしょうがないので、お知らせ。

●講演会「メキシコの佐野碩」

佐野碩というと、左翼演劇人として、戦中に日本軍の弾圧を受けて、ソ連に逃げるのですが、しかし、そこでもスターリンの粛正を受けそうになって、アメリカに脱出。
最終的にはメキシコに亡命して、メキシコで多くの演劇人を育て、メキシコ近代演劇の父とまで言われた人です。日本には希有な、真の国際人として生きた人であるとともに、「インターナショナル」の日本語訳をやった人としても知られています。
この人についての講演。絶対行きたかったのだが.....激涙....
http://www.nichi-boku.com/event.html

●映画「低開発の記憶ーメモリアスー」

菊池凛子ばっかりが話題になっていますが、「バベル」メキシコ編で講演しているガエル・ガルシア=ベルナル。例の「モーターサイクル・ダイアリー」ではチェ・ゲバラの青年時代を演じていたあのいい男です。
そのガエルが「もっとも影響を受けた映画」と語るのがこれ。

などと言わなくても、「苺とチョコレート」の監督でもあったトマス・グティエレス=アレアの初期の傑作にして、キューバ映画史上に輝く1974年の名作です。

タイトルがなんかいまいちなのがつらいところですが.........

豪華マンションに住んで「キューバ」を田舎と見下すその一方で、革命と社会主義化の中、アメリカに慌てふためいて亡命する家族や友人のことも軽蔑している、38歳の小説家志望のブルジョア青年。
彼はまったく政治的ではないし、興味もない。革命すらヒトゴト。
そういう人が主人公。物語は徹頭徹尾、そういう人の日常の視点で描かれる。そういう視点で描かれるキューバの革命やキューバ危機。

激動の中でも、そこに入る気がなければ、すべては「なんとなく気がついたらそうなってしまっている」ことにしか過ぎない。それは彼に限らず、情報化と言われて情報が満ちあふれる中でなんとなく過ごしている私たちも、ある意味そうなのだろう。思えば、私たちは、バブルだって体験したし、ベルリンの壁崩壊も、イラク戦争さえ同時代のものとして体験しているわけなんだよなあ。

渋谷ユーロスペースにて、5月26日(土)から
http://www.action-inc.co.jp/memorias/

じつは一足先にこれはもう見ちゃいました。
八木としても、5つ星でお勧めです。

が、いわゆる「エンタテインメント作品」ではないので、その手じゃないと駄目な方には「なに?あの結末?意味不明!」状態になる可能性はあります。


(5月1日 記)

人は見かけによらないことは、よくある。

先日、どちらかというと地味な事務系の方だと思っていた女性が、つい数年前まで、ばりばりに世界中を飛び回っている筋金入りキャリアウーマンだと知った。
海外赴任歴も長く、彼女が今のオフィスにいるのは、たまたま、海外部門が大幅縮小になって、特に彼女の担当していた地域が事実上撤退となったからだった。
とはいえ、数年経って、会社はやはり海外部門を一気に縮小したことに反省が出てきたらしく、再び、部門の一部を元に戻そうという動きもあるらしい。(と語りながら、私は彼女の目が爛々と輝いているのに気づいた)

まあ、そういうのは、特にありがちとして。

喫茶店でごく近くに座った人たちの間で、「チェチェン」「グルジア」「外交ルート」という言葉が飛び交っていて、どうも国際ジャーナリストらしいその人が、どうもそれっぽく見えない違和感について、知人が日記を書いていらした。
いや、その人、本物ですって。

私だって80年代には、中米のゲリラの人とかとお付き合いがあったし、そもそもキューバに頻繁に行っていたのでCIAには明らかにリストに載せられていて、よくアメリカでは「特別扱い」してもらったし、韓国では拘束されたし、チリでは撃たれたし....... でも、そのころはべつにそれがごく普通だったので、日本で喫茶店で喋っているようなときに、全身、殺気をみなぎらせたりしませんて(爆)
(ただ、そのころを知る友達によると、ときどき目つきは鋭かったらしい)

で、ふと思うわけ。
ほんもののスナイパーというのは、たぶん「ゴルゴ13」みたいな人ではなくて、ゴルフセットを持って歩いていても違和感のないような、ごくどこにでもいるような平凡なオッサンなんだろうなあ、と。


(4月18日 記)

私が銃で撃たれそうになったときのことをネタにしたからといって、そのタイミングで、これはないだろう。米国の銃乱射事件と長崎市長銃撃事件。心から、死者を悼む。

米国の銃乱射事件といえば、マイケル・ムーアが作った映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」を思い浮かべた人は当然たくさんいただろう。
で、昨夜のニュースステーションでもきっちりその映像が引用されていたが、そのマイケル・ムーアは、次回作でアメリカの医療問題を取り上げるそうだ。医療の荒廃に苦しむ哀れなアメリカ人をキューバに連れて行って、キューバ政府がキューバ人に無償で提供している医療を受けてもらうというネタもあるのだそうだ。
http://www.nypost.com/seven/04152007/news/worldnews/moores_sicko_stunt_worldnews_janon_fisher.htm

そういえば、私が15年前にキューバで無償で手術を受けた目は、いたって快調である。
去年だったか、ものもらいができて日本の目医者に行ったとき、そこの医者に「ちょっと観察していいですか、いや、これはすごい技術ですよ。このレベルで手術できる人は世界でもそうたくさんはいませんよ」とまで言ってくれたので、ちょっと驚いた。
確かに、医療水準を問題にするなら、キューバは世界でもかなり上位にいるだろう。あの国の今の問題は、そのトップレベルの医者の収入が、観光業従事者の足元にも及ばないという点なのだが。


(4月14日 記)

自分のライブが終わって、人のライブの話。

今年、「東京の夏音楽祭」というイベントで、キューバからビセンテ・フェリウ、ラサロ・ガルシア、アウグスト・ブランカの3人のヌエバ・トローバを歌うおじさんたちが来日する。
というか、19世紀の古きトローバから、革命後の新しいトローバまでを(変遷も含めて)網羅したステージになる予定。

http://www.arion-edo.org/tsf/2007/program/m09/

ヌエバ・トローバというと、シルビオ・ロドリゲスとパブロ・ミラネスが有名なのだけれど、ビセンテはその次点ぐらいの人。
他の二人も、ヌエバ・トローバのムーブメントに最初から関わっていた、それぞれ個性のあるおじさんたちなので、けっこう渋くて面白いステージになるのは、八木が太鼓判。

この人たち(本人たちはあまり話題にしたがらないが)、ボリビアで一緒に逮捕されて、行方不明になり、政治犯として尋問・拷問された経験もあるという人たちでもある。(彼らの行方不明のニュースで国際的にキャンペーンが盛り上がって、数日後に無事、釈放された)

といっても、確かに、80年代から90年代は、中南米はすごい時代だったから、そこで、私たちのような路線の音楽家って、会場に爆弾を仕掛けられたり、脅迫とかは、べつに自慢するようなことでもなかったのは確か。

などと思っていたら.......である。
同じく90年のチリで、私と一緒に狙撃されたキューバのパーカス奏者も、一緒に来日することが今朝わかった。
間違いなく、本人からのメールである。
「90年のチリ、サンティアゴを覚えてる? あの死ぬほど寒い日、コンサート会場でアホどもに発砲されたときに、パーカス叩いていたのが俺だよ。17年ぶりの再開だなあ!」

ひやぁ〜、懐かしかぁ〜!
あのときにお礼にもらったワイン、私なんてこないだやっと空けたんだよ〜!

.....てなわけで、なんかとめどなくテンションの下がらない八木なのでありました。


(4月12日 記)

一昨日、リシャール・ガリアーノのライブに行ってまいりました。
ピアソラに捧ぐコンサート、Piazzolla Foreverというタイトル。

実を言うと、ピアソラが大ブームになって以来、「ピアソラもの」というのは、またかよという感じもなきにしもあらずなんですが、それでも、雨後の竹の子状態を通り過ぎて、敢えて今、ピアソラというからには、それなりの何かがあるのだろうなと、期待もあり。

これがいいライブでしたね。
ガリアーノはアルゼンチン人ではなくて、イタリア系フランス人。
そのせいもあって、タンゴ独特の「ねっとり感」を感じない演奏で、最初はちょっと「音が軽くて物足りないかな」とも思ったのですが、逆にそれが彼の持ち味でもあるのです。そして、だんだん体が温まってくると、軽快で粋なジャズセンス溢れる彼の音が爆走する感じ。
紀尾井ホールというクラシック専用ホールで、PAなしだったのですが、迫力ありましたねえ。
あんなに自然なスタンディング・オベイションは日本では珍しいのではないでしょうか。アンコールもたっぷり3曲。

このガリアーノ、じつは当日到着だったそうです。
朝の7時にフランスから成田に着いて、その日に公演。まじ?
国内の乗り打ちでもキツいのに、フランスから乗り打ちするか? やるなあ....。


(4月9日 記)

ああ、嫌な予感というのは当たるものとしかいいようのない一日だった。>石原再選

気を取り直して(というか、やや現実逃避モードで)、昨日の築地ネタ続き。
さて、マグロ屋さんで、お刺身以外に「マグロのアゴ」というのを見つける。
見つける、というより、そのへんになにげに転がっていたのを「これ何ですか?」と尋ねただけなんだけど。
「ああ、塩焼きにするとおいしいですよ」

これをですね。
翌日塩焼きにしたのですが。

驚いたのが、築地のお店で見たときは小さく見えたんですが、家で塩焼きにしようと思うと、ガスレンジについている家庭用の魚焼き機に入らない。よくある「家具屋の家具は小さく見えるのに、家に入れるとデカい」というやつですね。
で、オーブンレンジで、じっくり焼くことに。カマよりは小さいので、220度15分ぐらい。

これがですね。いやなんといいますか。
新しい世界の発見......とまで言いますと、ちと大袈裟ですが。

そもそもマグロのアゴとは、大トロの始まっているあたりなのだそうで、見た目がいまいちですが、脂が乗ったコクのある身がたっぷり付いています。そして、身の下には、コラーゲンたっぷりのゼラチン質が。いやあ、マグロって奥が深いわ。

今日は少し時間あったので、ほうれん草のお浸し、南瓜の煮物(干し海老と昨日の帆立の汁で出しをとる)、味噌汁。
12月に仕込んだ味噌がようやく食卓に乗るまでに。
まだ、ちょっと若いけど、これから暖かくなってくるとカビが出てくるので、冷蔵庫でゆっくり熟成させていきます。


(4月8日 記)

先週からやたらに忙しかったのだが、その中でかけ込みで家で打ち合わせをやることになり、わざわざ東京の西端から足を運んでくださる相手さんに、では、打ち合わせ後は夕食もご一緒に.....ということになった。
誘ってから気づいたが、相手の方も、食にはちょっとこだわりのある人。
といっても、別の仕事に追われていて、仕込みをやっている時間もなかったので、荒技を使う。

いや、なんてことはない。「築地に仕込み」である。
忙しいのに.......というのはかえって逆で、築地に行けば、刺身の新鮮な食材がまとめて簡単に手に入るのだ。
家に食材が全部あって献立もほぼ決まっているならともかく、どうせ買い出しに行って、旬の食材を見て、よいものを選び、もてなし料理の献立を考え............ということを考えると、「築地の刺身」は頭を使わない。
しかも、朝早くに開いているから、ぱっと行って、ぱっと買って、ぱっと帰ってきてしまえるのだ。

もちろん、後処理に手のかかるようなものは今回は避けて、マグロ、帆立、ウニあたり。切って並べるだけ。(爆) 街の料理屋で注文すれば、相当とられるようなものを、きわめてリーズナブルに食べられるというわけ。
なかでもマグロ屋さんがポイントである。
マグロは、「今日食べる分」(といっても築地のマグロは鮮度が高いので、余ったら翌日でも大丈夫)のほか、「冷凍室に保管して2週間ぐらいのうちに食べる業務用冷凍品のお刺身」、「翌日以後のおかずになる、刺身以外のカマや頬肉など」を一気に買えてしまうからだ。カマはでかいの二つで1000円だよ。
翌日、翌々日のおかずも仕入れられるから、結果的にはかなり格安。
あちこちまわるわけでもないから、所要時間も意外に短い。

結局、その日は、そのあとも出かけたりしていたら時間ぎりぎりになって、そのあと家を必死で片づけて(爆)、何とか格好がついたところで、来客到着。資料を広げて打ち合わせしていたら、もう8時過ぎ。
せめてこれぐらいは作ろうと思っていたお浸しとか簡単な煮物も作っている時間がなかった。
もちろん大根切ってツマを作る暇もなく、サラダ菜を敷いて並べただけで、あとは一応ワインぐらいしかなかったのだが.......。

が、日本人にとって、新鮮な刺身の威力は絶大である。
しかもこの一言がとどめを刺す。
「今朝、築地に行って仕入れてきたんですよ」


(4月3日 記)

さて、大阪から帰ってすぐ、ある資料をプレゼンのためにまとめなくてはならないという話になった。
それも、PowerPoint系スライドショーというオーダーである。

実を言うと、私は、PowerPoint系プレゼンというのは、手間対効果の点でどんなものかという危惧をいつも持っているので、いっそ、高橋メソッドでやってみようか、という誘惑にかられてしまったが、笑いをとってもしょうがないので.....というか、笑いを取っていいようなプレゼンではないし、説明つきの普通のプレゼンというよりは、プロモーションムービー的なものが求められているらしいとわかり、あきらめることにした。
(でも、そのうちつかうぞ、高橋メソッド)

で、プロモーションムービーとなると、美しくなくてはいけないよね。ビジュアル的に。
しかし、素材が、美しいというよりは愛嬌のあるオッサンだったりするので.....これが困ってしまった。
でも、笑いをとる方向に行っちゃいけないんだよねえ。

どんな○○で△△な人でも美しく撮る、と言い切る某写真家に訊いてみたが、このオッサンの写真はまだ撮っていないという。

文字だけというわけにもいかないので、たいへん困る。
が、気を取り直して、家中ひっくり返して関連づけられそうな写真を探し、ネットでも検索。
なんとかネタを集めて、とりかかった。

さて、PowerPointといったが、もちろん、私はマイクロソフト社の製品は嫌いである。
たんにMacユーザーだからとか、そういう問題ではなく、Microsoft Officeは使い勝手が最悪だからだ。
Wordは、細かい設定もできないくせに、勝手に文章を箇条書きにして、それを元に戻すのに一苦労する始末。あれしか使ったことのない人は、そういうものだと思ってるのかもしれないが、80年代からパソコンを使ってきた人間としては、あのソフトはとても使い物にならないと思ってしまうのだ。

なので、私は文書はかならずエディタで作り、プリントアウトしたいときだけ、コピーペーストして iWorkのPagesを使うか、もっと見た目をきれいにしたいときはAdobe Illustratorで作って、pdf書類にすることにしている。

で、PowerPointも、それより数段きれいにできるデジタル紙芝居ソフトがあるとわかっていて使わない手はない。
というわけで、ひさびさに、iWorkのKeyNoteをいうのを開いた。
なんたって、友達が持っているのを試しに使って見て、どうしても欲しくなったぐらいの代物である。あのスティーブ・ジョブズの基調講演で使うために作ったというのも納得できる。
で、構成に手間取ったものの、しゃかしゃか作る。

で、ここで、先方からPowerPoint書類(ppt)で納品してほしいとの追加連絡。
で、できたものをPowerPoint書類に書き出す。このKeynoteくんは、PowerPoint書類もflashムービーも書き出せるのだ。
で、PowerPointを開けて仕上がりを確認して、OK。
ついでに、BGMも作る。

これは、Audacityというマルチプラットフォーム(Mac、Win、Linux)のオープンソースの無料ソフトなんだけど、かなり高機能で使えるやつなんである。というわけで、音源をちょきちょき編集して、画像に当てはめ、BGM。
これでもうちょっとしたプロモーションビデオである。

で、完成したのを先方に送ると、どうも反応がおかしい。
まさかと思って、同じPowerPoint書類(ちゃんと拡張子ppt) が、Windows機で見ると.......むちゃくちゃなのであった。

繰り返す。
MacのPowerPointでちゃんと見えている書類が、WindowsのPowerPointでぐしゃぐしゃなのである。

それって、互換性とかいう以前の問題だよね。何のためのMacバージョンなんだ???
(ちなみに、Microsoft Office for Macはタダではない。はっきりいって機能のわりにはバカ高いソフトである)

で、Windows機の前に座り直して、この書類を訂正しようにも、えっ、WindowsのPowerPointって、あんまり細かい設定ってできないの?

八木、切れそうになって、先方に問い合わせ、真の納品先の業者さんと連絡を取る。

おそらく先方の会社は、パソコンに強い人がいないので、変な形式で書き出したり保存したりしないように、「ppt書類」といっただけで、実際に、これを上映用のミニムービーに変換するという会社が、ppt書類しか扱えないわけがないのだ。
結論から言うと、八木の思ったとおりで、無事納品。胸をなで下ろす。

しかし、それにしても、恐るべしマイクロソフトである。

いまどきたいていの主要ソフトは、Mac版とWin版の両方が出ているのが普通で、同じ会社でMac版とWin版を作っている以上、Mac版でつくったものがWin機で全然違うものになる、なんてことは通常考えられない、
しかし、それがあるのね、マイクロソフトは。
ほんっとに使えないものを作る連中である。


(4月2日 記)

さて、久しぶりに東京の家に戻ると、冷蔵庫がほとんど空だった。
ので、とりあえず、近所の八百屋さんと魚屋さんに買い出し。
かますの一夜干しに、鰆。どっちも旬ですねえ。おいしそうだったので両方買ってしまった。
ところが、そういう日に限って、急用ができて、晩ご飯をうちで食べられない羽目に。

激悲しかったので、夜帰ってから、鰆を西京漬けにする。
正月のお雑煮の残りの西京白味噌と味醂、酒、思いついて、酒粕の残りも少し混ぜる。ディップ状のを魚に塗って、ジップロックに入れて、空気を抜く。これで数日後が楽しみというわけです。

今年は、エイプリルフールのお遊びしている暇もありませんでした。残念。


(3月31日 記)

しばらく間が空いてしまいましたが、べつに寝込んでいたわけではありません。
大阪ツアーです。

大阪では年に一度ぐらいライブに呼んでいただけるのですが、ツアーというのは初めてなので、けっこうどきどきしていました。
しかも、今回は、共演が豪華だったり、お料理が凄かったり。
もうどれをとってもはずれなし。

共演といえば、ゴンサロ・ルバルカーバのトリオを経て、いまや世界の売れっ子ドラマーになったフリオ・バレット、そのゴンサロの人気をいまやキューバ国内ではしのぐというピアノのエルナン・ロペス=ヌッサ、伝説の女帝エレーナ・ブルケの腹心ギタリストだったフェリーペ・バルデス、マンサネーロの秘蔵っ子ピアニスト、レオン・サンドバル.......

思えば、私は共演歴だけは、なんかすごいのであります。
つか、すごい人たちにサポートしてもらった経験だけはあったりするのでした。
まあ、それを言うなら、日本の某体育会系バンドもそうなんだけど。あとスパコネの伊藤さんや黒田京子さん、大熊ワタルさん、みんなきら星のようだなあ...(しみじみ)
で、おかげさまのステージ、というのが、だから、私の場合、たいへん多いですね。(爆)

で、歌手にとって、サポートしてくださる方に恵まれる運というのは、ある意味、声の質とか、歌の実力と同じか、場合によってはそれ以上に重要かもしれないとか思うことも多々。

幸い、その運というのはまだまだ使い果たしてはいないようです。
東京でいつもお世話になっている(フラメンコ〜フォルクローレ系)小林智詠さんと大阪で今回もお世話になっている(足下にエフェクタ並べるロック系)西本諭史さん、まったく対照的なギターを弾くお二人なんですが、どっちも凄いんですわ、これが。
二人とも、大変なテクニシャンなんですが、その一方でもう気持ちよく歌わしていただけるったらありゃしない。

八木の持ち歌にありがちの、いやらしく変態的なコード進行、やたらに多い転調など、ものともしない方たちなのであります。
(M入っているだけという噂も......そういえばあの体育会系バンドも.....)

で、初日の高槻・南風楽天のライブ。
急遽ゲストで来ていただけることになった村治進さんのスティールパン。じつに繊細かつ華麗な音色でありました。
スティールパンは、もちろん私は舞台で演奏しているのを見た(聴いた)ことはありましたが、共演は初めてです。
まさかあんなにギターとボーカルに合うとはねえ。こういうとき、音楽をやっていて本当に良かったと思います。

そして翌日の玉造ライブ、趙博さんがパーカッションで参加という濃ゆさです。
風まかせは初めてのお店、というより、玉造で降りたの自体が初めてだったのですが、とっても心地よい空間なのでした。

で、西本さんとの連続ライブの最終日は、伊丹のイタリア料理レストラン、アントンさんです。このお店は、じつは私は一番長いおつきあい。最初に行ったのは学生時代だったのじゃないかな。
そのころ、できたばかりのお店だったのですが、本格的なイタリアンのランチがすばらしくおいしくて、はまってしまったのです。

それから........そこそこの年月が立ちまして(突っ込み不可)、私はとっくに学生ではなくなり、住むところも大阪からメキシコや中南米を経て、東京まで流れてしまいましたが、アントンさんは健在、どころか、いまや伊丹の名店としてすっかり根付いていらっしゃいます。
で、先日、すごく久しぶりに(というかmixi上でAntonさんのご主人と再会、大阪に仕事があったときにまた、ランチをさせていただいたのがきっかけで、ライブの運びとなったのです)
というわけで、当日。
本番前に、イタリア料理をコースで頂いてしまいました。いや、当たり前ですが、これがとっても美味しいの。
でも、ここでワインを飲んでしまったら出来上がってしまうので、ぐっと我慢して、本番です。
三連荘とあって、西本さんのギターは乗りまくり。すばらしいライブになりました。
玉造も伊丹も、西本さんお目当てのお客さんが目立ったのも道理、なのであります。

そして、数日おいて27日。
今度は顔ぶれを変えて、ブラジル系ベーシストの岩田晶さんとピアノの宮川真由美さんとのセッションです。

最近大阪では、中崎町が話題の話題にスポットになっていて、大阪大空襲でも焼け残った下町の廃屋や古い町屋を改造したカフェや雑貨屋さんが次々にできていて、なかなかの活気があるのですが、会場の創徳庵、その中崎町改造ブームの火付け役になったところです。
完全に廃屋だったという古い木造家屋を、これに目をつけた一級建築士の方が改装して、黒光りする古い床材や柱を生かしつつ、グランドピアノと囲炉裏風のテーブルのある、ものすごくシックなカフェに。
そりゃもう、いい雰囲気なのです。

で、宮川さんとは初顔合わせ。(あとでわかったのですが、同じ大阪在住でありながら、宮川さんと岩田晶さんも初顔合わせ)
しかも宮川さん、キューバ旅行から帰ったばかりで、まだ時差ボケもとれてないとか。
もともと、見た目が八木よりほっそりしていて、非力そうな印象なので、体調大丈夫かなあという感じでしたが、本番一発。
「天然ハイですね」
ベータエンドルフィン出まくり、というピアノを弾いてくださいました。
いやあ、人は見かけによらんわあ....(って、いっつも自分も同じこと言われるんですが)

でなわけで、濃ゆい大阪ツアーだったのでした。カメラマン同行でなかったのが残念。


(3月15日 記)

私は20代の頃から30代にかけて、かなり旅をした。
あのころ、不可能と思われていたキューバの個人旅行による横断もやったし、中米の縦断もやった。
まあ、それなりに危険な目にも遭ったことがある。

というと、「勇気がありますね」とかよく言われるし、私が向こう見ずで大胆不敵で勇猛果敢な人間だと思っている人もいたりする。

でも、それははっきりいってだいぶ違う。
私がいま生きているのも、元気なのも、私が向こう見ずで大胆だからではなく、むしろ臆病で慎重だからだ。
というか、そのときはさほどそう思わなかったが、いまとてもそう思う。

日本の旅行代理店の支店があるとか、クレジットカードの海外オフィスがあるようなところは、あんまりその必要はないけれど、そうでないなら、どこに行くにしても、情報収集なんてのは基本中の基本である。
それはどこでも簡単に手に入るものでちょっと調べて、というものではない。というか、そのレベルのものは、私は情報収集とは呼ばない。

当時はインターネットはなかったから、「どこでも簡単に手に入るものでちょっと調べて」といっても、家でのパソコンでの簡単検索よりははるかに手間がかかった。
もちろん、「地球の歩き方」もなかった。

だから、少なくとも、図書館に行って目的地に関する関連図書(旅行記の類よりはむしろ、宗教や政治経済など)を入手して、理解できるできないにかかわらず読むのは手始め。つてをたどって、現地を知っている人に話が聞けるなら聞きに行く。実際に頼るかどうかは別として、現地の人を紹介してもらえるならば紹介してもらう。
これが手はじめ。(全部ではない)

政情不安な国に行く場合は、(というか、中南米の場合たいていそうなのだが)、もっと徹底的にやる。ゲリラや主要な政治家のことまで調べ上げてから行く。
政情不安な国であればあるだけ、たとえば現地の人も「どの社会階層に属していて、誰を支持しているのか」によって、実際にその国がどのような状態なのかについての発言内容がまったく変わってくるからだ。政情不安定な国の場合、たまたま知り合った人が、極右だったり極左であったりすることはけっこうありうるわけで、自分でそれを理解できてつきあえなければ、命取りにもなりかねない。

どこかにいくときは、常に複数のルートは確保する。
あるルートでいけないとわかったら、すぐに別ルートに切り替えることができるようにだ。
現地でも情報収集は怠りなく、やばいと思ったら、すぐに引き返す。
現地の人が危険というようなところには、のこのこ行かない。
行く場合は、ボディガード付きで行くか、その危険地帯に顔の効く人を紹介してもらったうえで行く。(最後のが一番安全)まあ、最終的には自分がそこで顔が利くようになっちゃえば、かなり安心なんだけど。(大爆)

日本人で女、というのはかなり目立つから、基本的には自分のことを「ネギをしょったカモ」なのだと考えているわけ。
だから、金がないぶん、手間暇は惜しまない。

それでも、一度や二度(ではきかないか....)は「かなりやばい」目に遭ったことはあるし、「ありゃあ、まいったなあ」はけっこう頻繁......というのが、発展途上国と言われるところを旅をするということ。

もちろん、いま私がいるのは、それらを切り抜けてこられたからなのだが、切り抜けてこられたのも、その前の下調べや「別ルート」をあらかじめ調べ抜いてきたうえで、選ぶにせよ選ばないにせよ撤退するにせよ、その場で判断する、という部分は大きいと思う。

とくになにも考えず、とくになにも準備もせず、それでいて、いきなり奇跡的な解決策が頭にひらめき、またそれがうまくいくというのは、小説や映画では面白いと思うし、実際にもあり得ないとは言わないが、私は自分がそんな天才だと思わないし、また、命を掛けてまでそんなに確率の低いギャンブルはやらない。

特にもっとも大事なのは、撤退する勇気だと思っている。

自分が行きたいと思っているところ、やりたいと思っていること。達成したいと思っていること。
それを目前にして引き返すというのは、かなり葛藤がある。
たぶん「あえてやめる」ほうが、「しゃにむに突き進む」よりはるかに決断力と勇気が要る。
ひとつの目的から撤退することは、自分のやってきたことの否定ではない、ということを自分に言い聞かせるのは、端から思うより、たぶんずっと難しい。

あとで知ったが、戦争においても、本当に優秀な司令官というのは、撤退のうまい司令官なのだそうだ。
それは自分でよくわかる。
無傷(またはすりむき傷程度)で撤退してくると、「なにもやめなくても」「大したことじゃなかったんじゃないの」なんて言われることもあるけど、外野席が自分の人生に責任を取ってくれるわけではない。ぼろぼろになってたくさんのものを失い、どうやっても物理的に続けられない状態になって撤退というのは、たいていの場合、もう遅いわけで。(まあ、それでも自分が生きてるだけましという考え方もあるけど)

撤退すると言うにはふたつの理由があって、ひとつは、たんに、実際やってみたら、自分の事前調査や状況判断に問題があった場合。
これは自分で自分のミスをすみやかに認めるということ。
もうひとつは、そうではなくても不可抗力の場合。事前調査にもかかわらず不測の事態が起こることはいくらでも世の中にある。
それはそれで、運が悪いとしか言いようがないのだけど、これも世の中にはそういうことがあるとして、それも選択肢に加えておくしかない。

逆に言えば、撤退のできない人というのは、他人の忠告は聞かないし(ヨイショしてくれる意見だけは求めようとしたりするけど)、そもそも下調べもあまりやらない。自分の運(というより、まわりのお膳立てだったりすることもあるわけだけど)だけを信じている。そして、多大な被害を出しても、撤退の決断ができない。
これは旅行に限らず、たぶん企業経営でも同じなのだろうけど。

私が失言大臣などに厳しいのは、なにも些末な揚げ足取りをしているのではなく、また、失言の一部を大々的に報道するマスコミに迎合しているわけでもなくて、その政権が、閣僚の失言というトラブルにどう対処するかを見ているからだ。
ああ、こいつらは撤退のできないやつだなと思うと、かなり注意するようにしている。

旅の場合は、集団行動でない限り、他人までも被害の巻き添えにすることはあまりないけれど、実際の政治や戦争というのは、国民が巻き込まれてしまうので、ね。


(3月7日 記)

従軍慰安婦に関する安倍発言に世界中で「恥知らず」バッシングがはじまっている。といっても、彼は応えないのだろうな。

さて、怒ってばかりではストレスが溜まるので、このへんでお笑いを一発。
このお笑いは八木的にはけっこうレベルが高いと思いますぜ。なんのレベルかは見てのお楽しみ。

Rachmaninov had big Hands

Riverdance

I will survive


(3月5日 記)

安倍内閣はおそらく長くないだろうというのは、たぶんみんな思っているのだろうが、後世にはなんと記憶されるのだろう。「失言内閣」? 「学級崩壊内閣」?
どっちも当たっているところが何とも。
うっかり知らなかったが、伊吹文明文部科学大臣も失言で、アムネスティ・インターナショナルから正式に抗議文書を出されていた。

http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=265

こうなってくると、しかし、また失言かよ、と思わされてしまうところが怖い。とっても怖い。


(3月4日 記)

昨日は、ひな祭り。

子供の頃の素朴な疑問で、なぜ、男の子の日である端午の節句は国民の祝日なのに、女の子の日であるひな祭りは国民の祝日ではないのか、これは女性差別ではないのか、というのがあった。
思えば、小学校低学年の頃からそういうことを考えるガキだったのだな、私は(笑)、いやたんに、子供だから、祝日が一日でも多いほうがよかったというのが、最大の理由かもしんないけど。

でも、天皇誕生日なんてものがいとも簡単に国民の祝日になってしまって、(しかも、年末のうっとおしい時期にだ)、一方で、すでにこの世にいなくなった天皇の誕生日まで昭和の日などと存続させている(激動の昭和を振り帰りって、制定の意味もわからない。幕末や明治や大正は激動はなかったとでもいうのだろうか)実情を見ていると、「ひな祭り」を国民の祝日にしたくない理由というのは、やはり女性蔑視の一例なのではあるとしみじみ思う。

だいたい、祝日といえば、婦人参政権獲得の日は、なぜ、国民の祝日にならないのだろうか。
1880年(明治13年)に、日本では、世界でも当時稀な婦人参政権が認められている。
高知県の楠瀬喜多という一人の女性が起こした運動がそれだ。
戸主として納税している女性という限定付ではあり、地方自治レベルではあり、また、4年後にはこの制度は撤回されてしまったとはいえ、世界中のほとんどすべての国での女性参政権は20世紀になってからのものであったということを考えると、これはもう、世界に誇ってよいぐらいのじつはすごいことなのである。

この「民権ばあさん」喜多が婦人参政権を獲得した日、9月20日は、敬老の日よりもはるかに意義のある祝日になるだろう。
あるいは、いったん撤回された婦人参政権が戦後ふたたび復活した12月17日。その前の女性の結社権が認められた11月21日を「女性の日」にするってのも悪くはないぞ。

起源もあやしい建国記念日やわけのわからない海の日よりよほど「国民が自分の権利や義務について考える良い機会」であろうに、やはりそういうことは考えてほしくないのだろうな。

なんたって安倍首相が、従軍慰安婦の強要を否定してみせて、世界中ででかく報道された挙げ句に、中山成彬衆院議員の暴言だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070301-00000217-jij-pol
http://www.iht.com/articles/2007/03/02/asia/web-0302japan.php

どんなに証言者がいても、自分に都合の悪いことは認めない、あるいはすぐ忘れる、証拠があっても捏造だと主張するという人はどこにでもいるが、それが首相や議員であることは情けないだけではなく、外交感覚の無さを露呈するものだし、国益に反していることはいうまでもない。

と怒りつつも、今日の献立は関西風のちらし寿司とはまぐりの潮汁です。
お寿司屋さんで売っているような豪華な刺身やイクラを上に飾るものではなくて、大阪の伝統的なスタイル。
しいたけの甘煮、人参の甘煮、高野豆腐、酢蓮根、穴子の照り焼きを細かく刻んで、ちりめんじゃこと酢飯で和えて、錦糸卵たっぷり。
もちろん甘酒も作りました。


(2月28日 記)

リハやライブが続いたので、外食も続いた。
っても、今回は2回とも美味しいもんに恵まれていたのですけどね。
そういうときはそれなりに大変。

というのが、なんかロクでもないものを食べた翌日ってのは、ぱぱっとつくったあり合わせでも、それなりにおいしかったりするんだけど、なまじっか外食で、しかも美味しいものを食べたりすると、家で作るものも気合いが入ってしまうわけ、私の場合。

にもかかわらず、その直後、ちょっとやっつけ仕事が入って忙しかったりしたもんだから、「美味しいものを作って食べたい」「でも時間ない」に挟まれると、なぜか中華になってしまうのでした。

ある日:肉団子と松の実と白菜のクリーム煮
翌日:海老と茸と大蒜の芽のXO醤炒め+豆腐と金針菜とセロリの葉のスープ

結局、中華って、一品でもおかずになるし、手早くできるからなのね。

さらにその翌日は、前日の海老が残っていて、でもなにかぜんぜん違う方向性(ってほどのものか?)のものを食べたいと、パエジャ。

余らせてしまった分は、ホワイトソースを混ぜて、次の日のお昼はサフランライスのドリア。
これはなんか苦し紛れに作ったのだけど、パエジャのお焦げのちょっとぱりっとしたのが、なぜか、ホワイトソースと絶妙に合うのを発見。かなり上機嫌。


(2月24日 記)
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さて、22日、濃ゆいライブでした。
チリのクーデターで虐殺されたビクトル・ハラというと、非常に政治的な側面で(まるで聖人君子みたいに)語られがちなのですが、この人、ほんとにシンガーソングライターとして、美しい曲を書き、ほんとに味わいのある歌を歌った人です。(あまり知られていませんが、艶歌集のアルバムも出すぐらいお茶目なところもあった人です)

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もちろん、時代が呼ぶ、ということもありますが、この機会に、ソングライター、メロディメーカーとしてのビクトルの良さも知ってもらいたいと、代表曲でありつつ美しい曲を集めてみました。

と、改めて準備してわかったこと。
ビクトル・ハラって、むちゃくちゃ音域が広いのです。本人さらっと歌っているので、オリジナルの録音を聴いていると、あまりそう思わないのですが。(そこがすごい)
カバーバージョンに「?」なのが多いのもわかります。
こういうの、キューバのシルビオ・ロドリゲスなどもそうですね。本人があっさり歌っているので、気楽にカバーしようとすると、「おおっと....なんだいこれは」。
(他の歌手にカバーされる曲が極端に偏るのも、たぶんそれが理由です)

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自分でいうのもなんですが、私はかなり音域が広いほうなのですが、声が届けばよいというものでもなくて、音域の広い曲を「さらっと」歌うってのは、なかなか神経を使います。

しかも、ビクトルは音楽の勉強をしなかった人なので、西洋の音楽理論を離れたところに歌があります。そこが彼の大きな魅力のひとつなのですが、弾き語り以外の形で、譜面を作って演奏しようとすると、これまたミュージシャンの方たちには「なんでこうなるの?」の嵐だったりするのでした。

でも、そこは皆さん、百戦錬磨のベテランの方たちです。前日は「これで明日やるの? まじ?」みたいなシーンもありましたが、当日本番は、すばらしい演奏を披露していただきました。なかでも、大熊ワタルさん、毎度ながらかっこよかったですね。

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それとなんといっても趙博さんの歌 ! いや、まだ耳についていますぜ。

ビクトル・ハラは日本ではピート・シーガー経由で紹介されたということもあって、うたごえ運動などで彼の作品がいくつか取り上げられたのを除いて、彼の音楽やチリの音楽が広がるということはなかったのですが、韓国では、チリと同じく長い軍事政権の時代があったということもあって、ビクトル・ハラは、かなり(地下で)熱烈に聴かれていたのです。
そのことは、私が何年か前に、韓国は光州のフェスティバルに行ったとき(ちなみにこのときの他のラテンアメリカのメンバーは、メキシコのガビーノ・パロマレス、ペルーのカルミナ・カンナビーノ、アルゼンチンのナウエルなど)に、
実行委員の人たちから、中南米の「新しい歌運動」への熱い想いを聞いて、そしてまた彼らの知識にも驚いたものでしたが、まさに、そのとおり。
趙博さんとのコラボというのは、べつにこじつけでもなんでもなくて、韓国での新しい歌の運動といえる歌の数々の骨の太さも美しさも、ほんとにビクトルの歌と合わせてなんの違和感もないのです。

というわけで、おいでになれなかった方に、ミニ写真展です。(写真:岡部好)


(2月17日 記)

先住民出身で、グアテマラの人権侵害を世界に告発したリゴベルタ・メンチュウは、1992年のノーベル平和賞受賞者として日本でも知られるようになったが、今年のグァテマラの大統領選挙に立候補することを表明したそうだ。
中南米は動いている。

そんな、ちょっといいニュースが届いて間もなく、例の柳沢大臣が15日の参院厚生労働委員会で、生産現場で働く従業員について「工場労働者というぁ、そのぉ、ベルトコンベヤーの仕事。労働時間だけを売り物です、というようなところですね」と発言した
ある意味、「産む機械」よりも問題発言だな、これは。
ところで、柳沢氏の奥方は「有名な版画家」であったりする。
版画というのは、だいたい、大量複製のポスターまがいのものを高額で売り付ける版画商法のせいで、すっかりイメージが悪くなっているが、この柳沢紀子氏の場合は、ご夫君が代議士になってから急に版画が高額取引されるという限りなくグレーなお話。
もっとも、こういう例は彼女が始めてではなくて、某元経済企画庁長官の夫人も、夫君が大臣の時代は作品展を百貨店で開いて、ソールドアウトになっていたのは有名な話。
で、世界各国で開かれている個展というのは、主催が外国政府ではなくオイスカだったり、国際交流基金だったりする。そう、あの「日本会議」構成団体のオイスカである。
まあ、そんなようなことで、どの世界、どの分野でも、ドロドロした人たちというのはいるものだが、それにしても、柳沢氏の場合は、かなり腐蝕度も高いようで。

その一方で、日本政府は国民の税金で雇ったロビイストを使って、従軍慰安婦への謝罪を日本政府に求めるアメリカでの公聴会決議案を潰そうとして躍起になっている。

そして、アメリカはといえばいうまでもなく、イラクにさらに増兵が行われ、一方沖縄では、米兵が住民に銃口を向ける

こんな気持ちの悪い時代だから、改めて思い出す歌がある。
私が自分で歌うことはないだろうと思っていた歌が、いま、歌いたい。

来週、門前天井ホールで、八木、ビクトル・ハラを歌いまくります。濃ゆい人たちも一緒です。乞うご期待。


(2月8日 記)

さて、数日前から風邪をひいてしまいました。
私は滅多に風邪をひかないし、ひいてもすぐ直ることが多いのだけれど、今回はやや長びいている。
お、やばいなと思ったのが30日。
31日にはけっこう本格的にぐしゅぐしゅいっていたのだが、この日は忙しくて、昼間は昼間で用を片づけ、夜ライブ。
じつは不思議なもので、ライブとなると、不思議とたいていの体調不良は一時的に回復する。
これは昔からで、けっこうやばいと思っていた蕁麻疹、下痢などでも、ほんとに一時的に直ってしまうのだ。
人間の精神力というのはつくづく不思議なものだとしか言いようがない。

なわけで、今回も、ライブになると鼻水も軽い咳も止まり、問題なくライブを終えたのだが.......もちろん、それは本当に回復しているわけではないわけで、その分、翌日以後に来る。
けっこう強力な鼻水、鼻づまり、痰、咳、あたりがその症状。
仕事柄、喉に痛みがくる系統の風邪対策はいろいろ知っているのだけど、今回、鼻水鼻づまり対策をあまり知らないことにも気づく。

と、ここで絶妙のタイミングで、酒粕を入手。
それも蔵元さんの大吟醸ものときた。
酒粕は、良質のものであれば、そのまま炙って砂糖つけて食べても美味しいし、もちろん粕漬けの材料にもなるのだけど、なんたって風邪ひいていますからね。こりゃ、甘酒だわね。

ということで、甘酒をつくることに。
ついでにちょっと調べると、甘酒の栄養分はかなりのもので、点滴の成分とも似ているほどらしい。ブドウ糖各種のほか、ビタミンや有用な酵素も多く含むとか。
栄養があって、おいしい。しかも、簡単。
となればぁ〜、それは作らないわけにはいかないじゃありませんか。

酒粕をしばらく水に漬けて柔らかくし、温める。ポイントはぐつぐつ煮ないこと。砂糖を入れて、仕上げに生姜汁または塩を少々。
いや、これがもう。
笑みが止まりませんわ。


(2月3日 記)

さて、銀座というところは、なにもブランドショップが並んでいるというだけの場所ではない。
ここは、たぶん日本で一番画廊の多い町だ。一説には300ぐらいはあるという。

通行人の多い1階に面しているところは最近減っているけれど、地下1階、あるいはビルの3階や4階といったあたりに、随分たくさんの画廊がある。
もちろん、こういった画廊は入場無料だし、作家さんご本人が詰めておられることも多いので、すごく気に入った作品を作った方とお話ができちゃったりする、こともある。

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で、昨日銀座で見た作品展。

●島田紘一呂(しまだこういちろう)彫刻展
 〜2/8まで、ギャラリー・olive eye
 http://www.ichimainoe.co.jp/oliveeye/

すべて木彫なのですが、もうリラックスした猫たちオンパレードです。もう和む和む。
これ、猫好きの人は絶対お勧め。

●杉山勇人 書展
 〜2/5まで、ギャラリーボヤージュ

オリーブアイの斜向かいのビル。
書といっても、かなりブッ飛んでいて、キレています。好き嫌いはあると思いますが、私は好きだな。


(2月1日 記)
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「音が聴こえてきます」
とたくさんの人たちから言われたという。

音楽写真家の岡部好さんの写真だ。

舞台写真家を職業とする人は他にもいるが、音楽写真家を名乗る人は世界的にも他にはいない。

シャッターはカシャカシャ切らない。
アーティストの最高の一瞬を狙いに狙う、と言いきる人の写真展である。

瞬間を切り取ること自体は、人並みはずれた運動神経と動体視力のなせる技ではあるのかもしれないけれど、それ以上に、たしかに、映像だけではなく、音楽や被写体の心までをも封じ込めているようななにかがそこにはある。

ここ2年ほど、ポルトガルやイギリスやチェコでも個展をおこなって、好評だったというワールドミュージックの写真が並べられた作品展。

会期:2007年2月1日(木)〜2月10日(土)
会期中無休 11:00 - 6:30
会場:アトリエスズキ
〒104-0061東京都中央区銀座5-5-13並木通り坂口ビル4F
TEL: 03-3571-4877
入場無料

それから、同じくちょうど今、現代美術作家の平原辰夫さんの個展も開催中。
こちらは、紙にアクリル絵の具で、独特の色遣いと質感をもつ額入りの小品集と、新作の透明樹脂を組み合わせて使った立体など。
http://homepage3.nifty.com/hirahara/

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(1月31日 記)

「女性は機械発言」
もうこれだけで致命的だと思ったのだが、さすが日本では、この程度は言葉のアヤであって、そう怒らんでもという意見の人や、「本音と建て前はあって当然で、その本音がつい出たからと言って政治家としての資質までを問うのは」という人が実際にいて、ちょっと驚いてしまった。
このわかっていなさはすごい。

本音と建て前はあって当然だが、公の場で差別表現を使って「つい本音」を言ってしまうような人は、それだけで政治家としての資質に欠けているとしか思えないという話をしていたのだ。
たとえ話であっても、言っていいことと悪いことの区別がつかない幼稚さというのは言うまでもなく。
さらにこの件の場合、笑ってしまったのは、「機械」が悪かったと思って、「女性は産む役目」に訂正した、というところ。冒頭の意見の人なんかも、たぶん、同じ感覚なのだろうな。

少子化というのは、社会問題であって、女が個人的にがんばるとかがんばらないという問題ではない、ということがまったくわかっていないところを見せつけてくれたわけで、ここまで問題の表面しか見ることのできない人間というのは、やっぱり政治家としての資質に欠けているとしか思えないわけ。いずれにしても辞めていただくしかないと思うのだが。

ところで、大前研一氏が面白いことを書いていた。

そもそも安倍首相は「美しい国」と言いつつ、何が美しいかについて言及していない。景色が美しい国にしたいのか、人が美しい国にしたいのか、街が美しい国にしたいのか、美しいマスゲームがしたいのか、わたしにはさっぱり分からない。首相本人は何が美しいのか分かって言っているのだろうか。一度彼の頭の中をのぞいてみたい衝動に駆られる。

「美しいマスゲームがしたいのか」で大爆笑。
でも、案外、そうなんだったりして。なんたって、統一協会のイベントに祝辞を送る人なんだからなあ。
美しい集団結婚式とか、美しいドイッチャーグルスグースステップとか。


(1月29日 記)

私の中学校時代の同級生に皇室ファンがいる。いた、といった方が正解か。

なんで皇室ファンなのか、そこのところが私にはまったくわからないのだが、どうやら、皇室に「幸せな、あるべき家族の姿のひとつのモデル」みたいなものを見ていたらしい。
太平洋戦争に国民を追い込む一翼を担っておいてそれはないだろうとか、いまどき英国王室でも着用しない、まして日本人には似合わない、あのローブデコルテになんで国民の税金が使われるのか、とか、まあ、そこのところのツッコミはおいといて。

マンションの最小必要限な家具だけを置いた広々としたモデルルームは、しょせん作り物のモデルルームであり、そこに生活感を求める方がどうかしているという観点から言えば、皇室がモデルファミリーであっても、それはそれで、そういう見方もあることは否定しない。
その友達が、皇室の話をぷっつり一切しなくなったのは、雅子皇太子妃の「お世継ぎ問題」が話題に上がり始めたころからだろうか。

いかに言葉を言い換えようと、結局、皇太子妃の価値とは、知性でも教養でもなく、「お世継ぎを産めるかどうか」に集約されること、つまり、しょせん、「日本のモデルファミリー」の嫁とは「子供を産めるかどうかがすべて」であるという価値観をまざまざと見せつけたのが、この問題だったからだ。
要するに、天皇制が「象徴」として存在する限り、日本の象徴とは「そういうこと」だったというわけ。

いかに政治に興味のない女性でも、婉曲のオブラートに包まれてはいても、ここまであからさまな「女性は子供を産む道具」と言わんばかりの雅子皇太子妃への扱いを見れば、そこにある抜きがたい女性感は誰にでもわかる。
三笠宮家の寬仁親王の「側室」発言も、それが悪意がないだけ、救いがない発言でもあった。

ついでに言うと、かつて、カナダのバンクーバー日本総領事が夫人を殴って怪我を負わせ、病院からの通報で、カナダ警察に逮捕されたという事件もあった。当時、この総領事は妻を殴ったのは日本の文化の問題だと反論したと国際的に報道されて、さらに「日本のイメージ」が傷ついたという一件である。
ちなみに、この総領事は一端解任されてたものの、これだけの問題を起こしていても、いまは別の国に特命全権大使として赴任となっており、もちろん外務省を解雇になったりしていないし、本人も辞職していない。
このことは、日本では報道されていないので、国民はほとんど誰も知らないが、もちろん外国のメディアにとっては調べればすぐわかることだ。日本の外務省が、女性に対する家庭内暴力をどのように考えているかがあからさまによくわかる一例である。

で、そういう土壌の中での柳沢発言である。
すでに、AP発で世界配信され、ヘラルド・トリビューンワシントン・ポストにも大々的に報じられている。

彼はほんとに悪気はなかったのだろう。その悪意の無さが、余計に救いがない。
そして、海外のマスメディアが、この発言を大々的に報じているのは、べつにたまたまほかにニュースネタがなかったからでも、日本バッシングのためでもない。

すでに「日本でもっとも有名である女性が、21世紀においても、子供を産む道具として扱われてきた」のを、みんな知っているのである。「日本を代表して外国に赴任している外交官が、奥さんを警察に通報されるほどぶん殴っても、たいした問題にはならない」土壌なのである。そういうことを踏まえて、この柳沢発言は受け取られるのだ。


(1月28日 記)

さて、昨日のご飯。
簡単で安くて旨いものシリーズ第二弾です。タンドーリチキン。

たまたまスーパーで鶏の腿肉激安売りしていたので。
スーパーの特売の腿肉って、ブロイラーですから、普通に食べて、たいしておいしいものではないのですが、このタンドーリにすると見違える料理になるのです。

つけダレは、ヨーグルトとカレーペースト(なければカレー粉)、塩。それだけです。これをガラスのサラダボールかお椀でよく混ぜて(簡単に混ざります)、ビニール袋に適当な大きさに切った鶏肉を入れ、このつけダレを入れて、もにゃもにゃと外から揉んで、全体に行き渡らせ、そのあと半日ぐらいおく。一晩置いてもいいし、この状態のまま冷凍してもいい。
で、食べる段になったら、180度のオーブンで20分ぐらい焼くだけ。

おそらくはヨーグルトの作用だと思うのだけど、肉はやわらかく、カレーの作用で薫り高く風味のあるタンドーリチキンとなります。
魚とか海老でも可。簡単で冷凍できるので、余った食材を漬け込んで、冷凍しておくのもあり。
そして、驚くべき安い値段で、客に出しても喜ばれるぐらいの料理ができてしまうのです。

つけあわせは、夏場だときゅうりのヨーグルト和え(軽く塩を振ってしんなりさせた胡瓜の輪切りと、ヨーグルトと塩で和える)。いまだとキャベツのヨーグルト和えのコールスロー。
レンズ豆のスープ。おいしかった。


(1月25日 記)

パナマのノリエガ元将軍が、釈放される見通しという。
これを報道したマイアミ・ヘラルド紙はトンデモ情報も多い新聞だが、右派系情報というか右派系リークには強いので、たぶんデマではないだろう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070125-00000021-jij-int

ノリエガの罪状は人権弾圧と麻薬取引だが、人権弾圧についてはかなりでっち上げの部分があるし、麻薬取引にいたっては、それを問題にするなら、このパナマ侵攻後にアメリカの後ろ盾でパナマの大統領になったエンダラは懲役100年ぐらいを言い渡されるべきだろう。
それを言うなら、フジモリだってそうなんだが。

ノリエガはパナマでの裁きを望んでいるという。すでに、ノリエガが前任者のトリホス大統領を暗殺したという疑惑も事実上晴れている
(というか、トリホス暗殺はCIAによるものともう明らかになっている。この殺人罪はどう裁かれるのか。パナマ警察はレーガンを逮捕して、殺人罪で裁くべきなんだろうね。もう死んでいるのが残念だ)


(1月24日 記)

先日の続き。

で、JajahみたいなVoIP電話が出てくると、Skypeはどうなっていくのか。
たぶん、別の方向に進化していくのだろうね。
ということで、進化の方向性としては、

1) すでにSkype利用の「どこでもTV」とか「いつでもTV」というのがあるけれど、それがもっと発展する。
(すでに「いつでもTV II」はビデオ録画対応になっている)
 と思っていたら、Skype本社でもTV放送に進出するという発表があった。
 たぶん近い将来、ごく安い料金で、世界中どこのTV放送も見られる、とかいうサービスになってくるのではないかな。

2) 昨日紹介した「fon」に肩入れしてることからわかるように、Wifi化の加速とともに、Skypeでどこからでも電話ができるSkype携帯化。いや、これだってもうあるんだけど、実際にはWifiができるところは限られているから、家やオフィスでの無線LANで使うにはいいとして、外で使える携帯としてまだ実用のレベルになっていない。これが、でも、大半の場所で使えるとなると、事情は変わってくる。

たぶん、3年後ぐらいにはそれら全部を組み合わせて、iPhoneぐらいの端末で、大半の場所ではWifiでSkypeまたはJajahを利用した趙低額または無料通話をおこない、同時に、低額(または無料)インターネットを行い、たいていのソフトはインストールせずにGoogleが提供しているものをブラウザで使い、外国のTVも見ることができる。で、WifiやJajah携帯不可能な場所でのみ、通常の携帯として電話やインターネットを使う。しかもそれと同じことが、同じ端末で、世界中どこでもできる.....というようなことが「ふつう」になるのだろうね。
昔だったら、バットマンか007ぐらいにしかできなかったことに思えるけど。(笑)


(1月21日 記)

Jajahを導入して数日。たまたまスペインの携帯に何度か電話する用事があって、けっこう頻繁に使っている。有料モードの場合も、相手国によっては、Jajahのほうが Skype Out より安かったりするのだ。ちなみに、スペインの携帯までだと、一分27円。日本で携帯にかけるより安い。こちら側は固定電話を使うだけに、音質もかなりいい。
もちろん、Skypeと併用が続くのだろうと思うけど、特定の相手によくかける人(で、しかも相手がパソコンをあまり使わない)人だと、かなり実用的。

なんて言ってると、知り合いからまた、おもしろい新サービスを教えてもらった。
口コミでご存じの方もおられると思うが、「fon」である。
1980円で専用の無線LANルータを購入し、自分の家の無線LANの帯域を会員同士で開放することで、世界中、どこでも、無料あるいはとても安い値段で無線LAN接続できてしまうようになる、というサービスだ。このルータは、サイトのショップから通信販売で買えるし、九十九電機でも売っている。

で、相互で助け合う、という意味合いが大きいせいか、サイトのロゴでも「movimiento」とでかく書いてある。これは、スペイン語で「ムーブメント=運動」ね。なんでスペイン語かというと、マドリッド発であるかららしい。
だもんで、専用ルータの名前も「La Fonera(ラ・フォネーラ)」、参加者はFonero(フォネーロ).....なんかぐっとくるなあ。

ただ、理屈はわかるけど、実際にそんなに参加者が出るものか、と思って検索してみたら、案外近所にもありました。北千住でも数カ所。メキシコのコヨアカンにも一カ所だけとはいえあったから驚いた。
このサービスがまだ産声を上げたばかり(日本は先月から)ということを考えると、これはけっこう先行き有望かもしれない。

単に相互利用するだけではなく、家で無線LANを考えているけど、無線LANルータってけっこう高いんだよね、と思っている人とか、ごく近所に住んでいる友人知人など(たとえば、同じアパート内)が一契約でインターネットしたいって場合にも、ものすごくいいかもしれない。
ふつうのパスワードかけていない無線LANの電波漏れ(それはそれで、けっこうあったりするんだけど)と違って、提供しているユーザーの家庭用使用と一般向けが分けられていて、セキュリティが守られているというのは、かなりいいかも。

夏頃には、有料(一日200円の課金で、半分が提供者の懐にはいり、上納金などもない)サービスも始まるというので、そうなると、大手チェーンでない喫茶店・飲食店、小規模ビジネスホテルなどでもこのシステムを導入するところが一気に増える可能性も出てくる。
ワンルームマンションなどでも、このfonを売りにしてくるところが出てくるだろうね。

ビジネスとして成り立つということで、こちらには、GoogleやSkypeなどがかなり出資もしているよう日本では、九十九電機やエキサイトが手を組んだとか。

ま、現状、とりあえず一番便利なのは、Yahoo ! プレミアムの公衆無線接続(月額210円。5月末まで無料)なんですが、このfonの「世界どこでも」にはちょっとぐっときている今日この頃。


(1月16日 記)

さて、ネット電話というとSkypeがとっても有名になった。
私はこのサービスをかなり前から知っていて、Mac対応になったとたんに導入して、けっこう利用させてもらってきた。

キューバへの通話がさほど安くないのが難点だけど、メキシコへの通話も1分数円。ついでに言うと、メキシコの携帯にも同じ料金なので、メキシコシティにいるときは、携帯にかけるときはいつもSkypeからにしている。(メキシコでは固定電話から携帯への通話料金がすごく高いのだ)
あと、アルゼンチンでもペルーでも、いうまでもなくヨーロッパにも激安だし、相手がSkypeユーザーで常時接続ならなんたって無料である。そうなると、メキシコからSkypeでFAX機の操作方法を聞いてくるアホ友もいれば、スペインからSkypeでMacintoshのターゲットモードでの起動のさせ方を聴いてきたりするバカ友も出てくるが、しかし、いいのよ。無料なんだものね。

かつて国際電話代で万単位のお金を払っていた時代もあったのだから、隔世の感である。
ま、それを言うなら、ネット料金もパソコン通信時代はチャット代で国内通話料月10000円をザラに越していたのだから、それも隔世。あの頃はどこにそんなお金があったのだろう。(しみじみ)

で、それはいいとして、そうなるとさらなる凄いサービスが出てきた。
Skypeの唯一の難点は、相手が古い機種のパソコンしか持っていなかったり、ダイヤル回線だったり、以前の iBook や MacMini パソコン自体に音声出入力がないと、ヘッドセットなりUSB接続のSkypeフォンを別途購入しないと使えないということだった。それをクリアする新サービスである。

http://www.jajah.com

このサービスは、ソフトをインストールするのではなくて、使うのはブラウザだけなのだ。
だから、インターネットに接続できる環境でさえあれば、パソコンや回線の要件は必要としない。おそるべし。

で、IDとして自分の電話番号を登録する。ついでにオフィスの番号も登録できる。これは訂正もできるので、余所にいるときはそこの番号も登録できる。
そして、相手先がやはりJAJAHに自分の電話番号を登録していれば、あとはワンクリック。

すると、まず自分ちの電話が鳴る。その電話を取ると、「ただいま電話をおつなぎします」というアナウンスがあって、呼び出し音が鳴り、相手につながるというシステムだ。で、相手がJAJAHに登録していれば、大半の国で通話無料。
登録していない場合は、通話料はかかるが、それも安いというわけ(ただしSkypeよりはちょっと高い)

電話で話せるというのは、けっこう通話品質もいいし、便利である。
まだ始まったばかりのサービスなので、番号を登録している人がほとんどいない(これはちゃんとわかるようになっている)のが難だけれど、知り合いなどに連絡して会員登録してもらえばいいだけの話なので、とても簡単。
(電話をかけるときに、相手のパソコンがネット接続している必要はない)

だから、パソコンが常時起動&接続でない(あるいはSkypeを常時起動させていない)相手とか、メキシコあたりに多いアンティークパソコン所有者、それと、どうしてもパソコンで通話するのに抵抗のある人相手にはとっても便利だ。
Skypeと併用すれば、かなり使えそうなのである。

それにしても、便利さは止めどない.....。
なのに、なぜか国際電話になると、用件を簡潔に述べようとしてしまう私って、貧乏性が染みついているなあ。


(1月14日 記)

さて、私は冬場、たいていメキシコで暮らすことにしている。
寒いのが嫌いだからだ。
じゃりン子チエのおバアちゃんも言っている。人間の不幸は「ひもじい、さむい、はよ死にたい」の順で来るのだ。

ところが、ネットでエアチケットを検索していて驚愕の事実が判明した。
飛行機代が......凄い値上がり。

いや、一見すると「去年の今頃より少し高い」」程度なのだが、通常の航空運賃や出入国税・空港税などの他に、燃料費調整費が、片道17000〜19000円ぐらいかかるのである。片道で。
早い話が、ガソリン代。石油価格の世界的高騰のせいなのである。

もっとも、いま、アメリカがベネズエラ潰しのために死にものぐるいで備蓄を出し、原油を増産して価格を下げにかかっているので、ここ数週間で原油価格は一時の1バーレル63ドルから50ドルすれすれにまでなっている。
にもかかわらず、航空会社汚いぞ。

どっひゃあ〜!
往復だと去年より相当高いじゃないかよ。

ベネズエラのチャベス大統領が強気で出まくっていられるのは、もちろん、その後ろ盾としての石油資源とその価格上昇のおかげ。
石油価格の高騰はいうまでもなく、ひとえに、中東情勢の混迷化のせいだが、もちろん、チャベスくんが反米で突っ張っているせいもある。

ひぇぇぇぇ。

かつて、マルコス君の武装蜂起のおかげで、メキシコ・ペソが暴落し、私のささやかな銀行貯金がとっても悲しいことになってしまったことがあった。
このときは、マルコス君に貢いだと思って、泣く泣くあきらめたのだったが、今度も、チャベス君に貢いだと思って、高い飛行機代(もとい燃料調整費)を払えというのか....?

う〜むむむむ。

これはチャベスくんに貢いだと思ってあきらめるべきか。

しかも、大統領選がらみの例の問題で、メキシコ各地、どこも予算案が出ない状態。てことは、ライブハウスはともかく、自治体がらみの仕事もないということだ。

う〜むむむむむ。

これは、AMLOに協賛したと思ってあきらめるべきか......と目下悩んでいる八木である。


(1月12日 記)

3期目突入のベネズエラのチャベス大統領から、ニカラグアのオルテガ大統領への就任記念のプレゼントは、ニカラグアでの石油精製工場の建設だった。うーん、太っ腹。
こうなると、コロンビアなども尻尾を振り始めて、「ベネズエラの(チャベスの提唱する)21世紀の社会主義を応援する」などを言い出すのだよね。勢いに乗るというのはおそろしい。

逆に勢いに乗れていないのは、就任早々支持率低迷の安部晋はいわずもがな、イラク問題で支持率が落ちた挙げ句に、中間選挙でも敗北したのに、まだ、イラク増兵をやろうとして共和党からまで反発をくらい始めているブッシュ大統領というところだろうか。この泥船に乗ってしまっているメキシコの今後がとても不安だ。

で、例のごとく、米国のマスコミは、ベネズエラのことはとりあえず叩くことにしているので、チャベスのことを大衆迎合的と批判し、言論弾圧の危険性があると報じている。支持率が高いと大衆迎合的、なにもなくても「危険性はある」といえば、どんな政権でも会社でも批判できるのだから、とりあえずアラの見つからない人間を意地でも批判したいときには、とても便利な用法であるので、皆さんよく覚えておきましょう。

そのよその国の言論弾圧の危険性を声高らかに騒ぎ立てるその米国では、郵政改革法も可決で、盗聴も郵便の秘密もなくなった。そういう、あんたらに言われたくないよなあ、という感じであります。


(1月11日 記)

ちと失敗談。

夕食の時間が近づくも、なぜか、「ゴハンヲツクロウ」という気が湧かない。
たまにあるんだよね。
それならそれで、お総菜でも買いに行けばいいんだけど、それもおっくう。

というわけで、そういうときはだいたい、冷凍しているものを解凍して温めたり、簡単なものを作ることになる。

本日は、冷蔵庫に豆腐1パックがあったので、ごくごく簡単で旨い「豆腐と帆立の中華風卵とじ」を作ることにした。

豆腐は麻婆豆腐ぐらいに適当に切って、よく水を切っておく。(急いでいるときはレンジで2分)。
中華鍋に少し胡麻油を入れて、豆腐を入れ、あればネギを切って入れ、酒と水と帆立缶詰ひとつ入れて軽く煮て、薄口醤油で味を整え、片栗粉でとろみをつけ、溶き卵をさっと流す。
それだけ。

帆立の缶詰から出汁が出ているので、これだけでとてもおいしい。
簡単だし、帆立缶さえ常備しておけば、あとは豆腐だけ。風邪をひいたり胃腸の調子が悪いときにもよい料理だ

で、簡単で美味しいものをさっと作るはずだったのだが....。
魔が差してしまった。

そう。魔。

なんかこう、これに春雨を入れたらどうなるかな、とか思っちゃったんだよね。
で、思うだけにすればいいのに、入れてしまいました。

結果。

いや、味付けが変わるわけではないので、まずくはない。
まずくはないのだけど、豆腐と帆立と卵で成り立っていた良いバランスがなんか崩れて、春雨の自己主張が強すぎ。春雨よ、おまえって透明でおとなしいやつかと思っていたのに、そういうやつだったの。
しかも、春雨が汁をどんどん吸ってしまってたので、見た目も悪くなってしまった。

ううん。調子がいまいちの時に、思いつきを実行に移すべきではないな、と思ってしまいました。
(でも、思いつきで作ったものが激美味しくて、調子までリセットになることもあるんだけどなあ)

でも、最初に挙げた「豆腐と帆立の卵とじ」はとてもおいしいので、良かったら試してみてくださいね。


(1月10日 記)

まったく偶然なんですが...

つい先日、ある大学の先生と佐野碩の話題で盛り上がってしまった。
近く、講演会を手伝うことになるかもしれない。

佐野碩というのは、東大時代左翼演劇活動で逮捕、かの網走刑務所で服役ののちソ連に渡ったものの、スターリン粛正のターゲットになったことに気づいてソ連を脱出。アメリカ経由で、1939年メキシコに亡命したという、波瀾万丈な方である。

むろん、彼の経歴がそれで終わったわけではなく、そのメキシコで、演出家として、演劇教育者として、「メキシコ演劇の父」として、いまもメキシコで深く敬愛されている人物だ。現在のメキシコ演劇界の重鎮で、佐野碩さんの弟子というのは珍しくないのだ。

メキシコ時代、メキシコに深く溶け込み、日系人や日本人在住者との付き合いには一線を引いていたということもあり、そのドラマチックな半生のわりに、日本ではポピュラーとは言い難いが、「あの時代」の「すごい人」なのである。

ついでに言うと、この人、かの革命歌「インターナショナル」の訳詞者でもある。

で、その矢先、これまた偶然知り合った方が(というか前から面識はあったのだが、お話をしたことはなかった)、かの治安維持法最初の適用逮捕者の方の娘さんであることを知り、ちょっと驚く。

共謀罪元年になりそうな今年にふさわしい幕開けといいますか...
なんといいますか。


(1月9日 記)

正月休み。
普段一人暮らしの実家の母親がお節料理の重箱持って上京してきて(といっても、彼女には「上京」ではなくて「東下り」の感覚が抜きがたいのだが)、7日まで我が家に鎮座ましましていた。
といっても我が家は大邸宅ではないので、客間があるわけではなく、滞在期間中は私の仕事部屋(いちお独立している)が彼女の部屋となる。てなわけで、ほとんど仕事にならなかった。
まあ、これも親孝行と思うしかない。

その代わり、家中はぴかぴかである。
いや、大掃除もちゃんとやったんだけど、居候している母親も暇なものだから、ずぼら娘の大掃除のアラを捜して、磨くのだわ。これが姑だったら、善意であっても相当にイヤミな行為ではあると思うが、そこは実の親だから、「おお、このオーブントースターがこんなぴかぴかになるなんてぇ!」で済んじゃうわけで。

で、休み明けに魚河岸の寿司屋に行く。江戸前寿司と蕎麦はやっぱり東京の方が美味しいことを彼女はよく知っているのである。てか、それを楽しみにしているのだから、これは仕方がない。
築地はやや観光地化されているせいもあって、築地のお寿司屋さんは長蛇の列だけれど、千住の卸売市場はあまり知られていないおかげで、1時を過ぎるとゆっくりおいしいお寿司が食べられる。いまの季節、シマアジやブリ、白子などがおいしいです。

てなわけで、今年は縁起の良い年になるといいな。


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