PANDORA REPORTパナマ編・その1 「パナマって、あのパナマでしょ? 帽子の産地の」 誰もがみんな、そう言った。           (-_-;) 「パナマ帽は、じつはパナマ産ではなくて、コスタリカで作っているのだよ」 あたしは辛抱強く答える。 天津甘栗が天津で作っていないように、南京玉すだれが南京で生産されてい ないように、パナマ帽はパナマで作っていないのである。 「で、それが、なにかあんたと関係あるの?」 ない。 まったくない。 パナマに帽子が売っていなかろうとも、香港で食った北京ダックが不味かろ うと、フィジー土産のTシャツのタグに「Made in Hong Kong」と印刷されて いようとも、それはあたしの知ったことではない。 しかしだ。    「関係なかったら、行ったらいかんのかぁぁぁぁぁ!」          \\\\\(゚O゚)///// そうだ。 やむをえないビジネスでもあるならいざ知らず、誰がパナマに行きたいと 思うだろう。 メキシコなら山から遺跡から海まで見どころにはことかかないし、 グァテマラやホンジュラスなら、瀟洒なマヤ遺跡があるし、 ペルーやボリビアなら、華麗なインカの遺跡がある。 キューバなら、あの美しいカリブの海と音楽だ。 アルゼンチンには壮麗な自然とブエノスアイレスの夜景がある。 チリだって、豊かな海の幸と涼しい大気がある。 百歩譲って、ニカラグアですら、友人がいる。 なのに、パナマには帽子すらないときてるのだ。 けれど、あたしは、飛行機のチケットを買い、パナマに行ってしまったのだ った。 もちろん今回は、コンサートがあるから、ではなかった。むろん、男を追っ かけて、でもなければ、失恋したから、でもなかった。                                (続く) ----------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その2 もちろん、伊達や酔狂で、パナマに出かけたわけではない。 事の発端は、その数カ月前にさかのぼる。 ある日、このあたしのもとを、某出版社の編集者が訪れ、こう言ったの だった。 「あなたなら、ちょっと努力すれば、きっと小説が書けます」               (^_^;) じつをいうと、はるか昔に、あたしは新興宗教関係の方から、似たよーな ことを言われたことがあった。 「あなたなら、ちょっと修行するだけで、霊が見えるようになります」          \\\\\(゚O゚)///// 信者さんになりませんか、というのではなくて、うちの教団の巫女さんに なってくれませんか、という勧誘だった。 もちろん、丁重にお断りしたのは言うまでもない。ナニが悲しくて、修行 してまで霊を見なきゃいけないのだ。               (-_-;) ところで、その編集者が、あたしのもとを訪れたのにもわけがあった。 その数カ月前に光文社から出版した、『PANDORA REPORT』 をお読みになったというのである。 もちろん、『PANDORA REPORT』というのは、91年頃から、 ニフティサーブのフォーラムの電子会議にとろとろ連載していたものを 活字化したものだ。 (つまり、まさにこのシリーズだ) なんで、これが出版の運びになったかというと、光文社の担当編集者の方 の熱意もさることながら、わざわざ打ち合わせの席にやってこられた某カ ッパブックスのえらいさんの      「ぜったい、ベストセラーになりますよ!」           \\\\(^o^)//// という一言に、心が動いちゃったからであった。 そして、皆さまご存じのように、この活字本『PANDORA REPORT』 は、あたしの数カ月分の生活費は稼ぎ出してくれたものの、(そして、あの沢木 耕太郎さんも、「ぜったい売れますよ!」と言ってくださったにもかかわらず) ベストセラーにはならなかった。               (;_;) 「ですけどね」 と、その編集者は言った。 「本は売り方次第です。もし、PANDORAさんが良い作品を書いてくださった ら、うちの出版社なら、必ずベストセラーにして見せますよ」 おおっ、すごい自信じゃないかよ。 「ただし、条件があります」               (゚o゚;) 「.....あなたにしか書けない、中南米を舞台にした国際謀略サスペンスを 書いていただきたいのです。いいものを書いてください」 ほーら、やっぱり「ただし書き」つきじゃねーかよ、とは思ったが、同時に 頭の中を、『左うちわ』という言葉が舞った。 ここ数年、あたしはHAVATAMPAというバンドとつき合い始めてから、 めっきりびんぼー神と仲良くなってしまっている。 「えー、某国際機関に務めていた友達に聞いた話ですが.....」 思わず、あたしは口をすべらせていた。 「あの89年のパナマ侵攻では、妙なことがあったという噂が.......」 そう。 妙な噂があった。 それなのに、そのあと、あの事件は、誰の注意も引かなくなった。その直後の 湾岸戦争のせいで、記憶から追いやられてしまったのだ。 あの、妙な噂。あれはいったい......。 あれこそ、まさに、謀略という言葉に似つかわしいものではなかったか。 「それは凄い。では、それでいきましょう」 と、この業界では「凄腕」で有名であるらしい、その編集者氏は言った。 あたしははっと我に返ったが、もう遅いようだった。 ほんの数年前、とある方の「あなたなら、ちょっと頑張ればサルサが歌えます よ」とゆー一言で、            【どつぼにはまった】           \\\\\(゚O゚)///// という恐怖の事実は、すでに頭から飛んでいた。                                 (続く) ------------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その3 パナマはじっとりと暑かった。 あつかましいPANDORAは、パナマ在住の魅力的な日本人女性カワヒトさんの豪華 マンションに転がり込んで、あつかましくもソファにひっくり返って、手帳を 開いていた。 89年12月19日。 あの日に、いったいパナマでなにがあったのか。 当時の「腐敗しきっていた」とされるノリエガ将軍と対立を強めていた米国は、 効果のあがらない経済封鎖に業を煮やして、ついに、動いた。 その夜、米軍が一気にパナマ市を襲撃して、制圧し、48時間ほど封鎖する。 ということになっている。 お見事じゃないかよ、ブッシュ君。 しかし、大きな疑問がいくつもあった。 「腐敗しきっている」政権なんぞ、世界にいくらでもある。 「腐敗しきっている政権」にその米国そのものが肩入れしきっているケースも いっぱいある。 もちろん、「腐敗しきっている」うえに、「米国と対立した」っていうのが 最大の問題なんだろうけど、それをいうなら、「米国と対立している政権」な んてのも、べつにパナマには限らない。 とゆーか、米国と対立しちまうと、あることないこと言われるってのも良くあ る話だ。 でも、「侵攻」というのは、どう考えてもただごとじゃない。 だったら、なんで、米国はキューバに侵攻しなかったのだ? だったら、なんで、米国はニカラグアに侵攻しなかったのだ? なんで、サルバドルに直接介入しなかったのだ? 問題を整理してみよう。 なぜ、米軍は、侵攻後のパナマを48時間に渡って、「封鎖」したのか? そして、パナマ侵攻事件の死者数が、なぜ、事件後10年を経たいまも、 「未公表」なのか? えっ、「未公表」だったの? と思われる方は多いだろう。そう、未公表なのだ。 もっとはっきりいうと、そのしばらく後に、すてきなタイミングで起こった チェコやルーマニアの動乱や、湾岸戦争のどさくさの中で、うやむやにされ てしまったのだよ。 そう。 じつに、米軍はうまくやったのだ。 目障りなやつに「腐敗」のレッテルをかぶせて葬り去る。 タイミング良くやれば、すべてはうやむやだ。 パナマで本当になにが起こったのかは、誰も知らない。 あたしは唇を噛んだ。 あの侵攻事件が起こった直後。 世界唯一の超大国になった米国に、すでに歯止めがなくなった以上、次は自 分たちが標的にされるかもしれない..... そう思った人々がいた。 その日から、彼らは、枕の下に銃とナイフを入れて眠った。 自分の遺言を書いた。 そいつらはあたしの友人たちだった。                                 (続く) ------------------------------------------------------------ PANDORA REPORTパナマ編・その4 でもって、あの侵攻事件を「ひっかきまわす」前に、ちょっと整理しておこ う。 パナマは中米、つまり北アメリカ大陸と南アメリカ大陸をつなぐ、ほそーい 中央アメリカ部分にある。 地図で見ると、ごちゃごちゃと小さな国がいっぱいあるとこだ。 この細い中米地帯のうちの、いちばん細い部分。 ここにパナマがある。 細くなっているのを利用して、ここに運河が作られたのが、20世紀はじめだ。 最初に運河を作ろうとしたのはフランスだったが、なんせ、昔のことだ。 黄熱病だとなんだので、労働者がばたばたと死んだり、費用が想像以上にかか ったので、フランスが撤退したその後、アメリカが採掘権を二束三文で買い叩 いた。 当時、ここはコロンビア領だったが、これに怒ったのが、もちろん、コロンビ アだ。自分の国の領土の採掘権を勝手に決めて売買されたんじゃ、そりゃ〜 不愉快だろう。 それで、アメリカがどうしたかというと、コロンビアに戦争を仕掛けたわけだ。 といっても、直接の戦争ではなく、この運河部分だけを「独立戦争」させて、 独立させてしまったのだ。 なかなか、見え透いているが、とってもお利口なやり口である。 こうして、米国のお膳立てで、パナマという国が生まれ、運河が作られた。 もちろん、運河は米国のものだった。 米国は、経済的にも戦略的にも重要なポイントであるここに、中南米全域をみ わたす軍事基地を置き、パナマを支配する。 米国側からすれば、あたりまえのことだった。 だって、運河建設にだって、そーとーの投資をつぎ込んでいる。 そもそもパナマは、「そのために」手間をかけて作った国だからだ。 問題は、パナマにはパナマ人が住んでいたということだった。 米国人から見れば、「あたりまえ、どこが悪いの」とゆー話でも、パナマ人 の方から見ると、理不尽きわまりない話となる。 よく、太平洋戦争前の満州で鉄道を作り満州を開発したのは日本だの、東南 アジアから宗主国のオランダを追い出したのは日本だとおっしゃるおじさま 方がいらっしゃるが、それはそのとおりで、それ自体は立派なことだけど、 だけど、だからといって、大東亜共栄圏の名のもとに、日本がアジアを支配 する理由にはならないぜ、というのと同じことだね。 運河の生み出す膨大な利権は、すべて塗れ手に泡で、米国が持っていき、 お膝下のパナマは、びんぼーで苦しむわけだ。 正確には、米国と密着した一部のパナマ人上流階級は富み、大多数の民衆は 貧困の中にある、という発展途上国によくある図式だ。 そんなとき、オマール・トリホスという男が現れる。 一介の軍人だった男は、とんでもねー方法で、パナマを改革しようとした。                             (続く) ---------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その5 それは、軍事クーデターという、世界で一番評判の悪い方法だった。 当然、トリホスは、「よくある独裁者」になるだろうと誰もが考えた。 そして、パナマに限って、その思惑ははずれた。 ほとんど、信じられないことだったが、このオマール・トリホスは、ほんとに 私利私欲のない男だったのだ。 彼は、マジで、政治の腐敗を正し、パナマを何とかしようと、本気で考えてい たらしい。 トリホスのもと、パナマの歴史始まって以来、はじめて、集会や言論の自由が 認められ、拷問がなくなった。 そして、ふつー、そういう政権は、たいてい経済政策で失敗して、右翼に「そ れ見たことか」と言われるのだが、彼に限っては、それもうまくやった。 彼の治世下、パナマの農業生産は飛躍的に向上し、さらに、彼はパナマの経済 的自立のために、国際金融都市にする構想を建て、各国の銀行を誘致し、見事 に成功させる。 パナマのGNPは向上し、トリホスはあっという間に、国民のヒーローとなった。 それだけではない。 それだけの実績と人気をてこに、彼は、ときのアメリカ大統領カーターと交渉 に望み、老練な交渉力を発揮して、ついに7年後、カーターに、運河返還文書 に署名させたのだ。       1999年12月31日、パナマ運河返還。           \\\\(^o^)//// これは世界最高級のニュースだった。 パナマは沸き、トリホスの名は世界史に刻まれた。 なにより、パナマ国民の間で、トリホスは絶対的な英雄となった。 これはうそではない。 パナマでのオマール・トリホスは、長島茂雄と山口百恵と中坊さんを足した ぐらいの人気がある。 人気があるというか、右も左もトリホスの悪口を言うやつはいない、(下手に 言ったら、パナマではやっていけない)というぐらいの人気である。 そして、この人気絶頂の中、1981年、トリホスは飛行機墜落という悲劇的 な死を遂げた。 ああ、どこまでも絵に描いたような英雄的パターンだ。 ジェームズ・ディーンのように、赤木圭一郎のように、カルロス・ガルデル (知ってる人はちょっとオタク)のよーに。 歴史的ヒーローは、絶頂期で非業の最期を遂げるのだ。 こうして、トリホスはお星様になった。 そのトリホスの後を継いだのが、後に米軍パナマ侵攻事件の「原因」となる ノリエガだった。                                (続く) --------------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その6 ノリエガは、トリホスの死後、彼の後継者を名乗って、どさくさまぎれに権力 の座についた。 しかし、その実態は、CIAの協力者だったという説がある。 CIAに協力するふりをしていたのだという説もある。 いずれにしても、CIAと接点があったのは嘘ではないらしい。 このからみで、アメリカのスキャンダルを握っていたとも言われる。 ノリエガは、フリーポートであるパナマの利点を利用して、密貿易、とくに 麻薬の売買に手を染めていたという。 いずれにしても、先代のトリホスがあまりに立派なやつだったので、ノリエ ガはあらゆる点でポイントが低かった。 ちなみにルックスも、トリホス君が、ハリウッド映画の主役になれるぐら いの         「いかにも正義の味方的いい男」           \\\\(^o^)//// だったのに比べると、ノリエガ君は      「いかにも越後屋と結託していそうな悪代官顔」           \\\\(゚O゚)//// だった。 そして、彼が実権を握ってしばらくたってから、ときのアメリカ大統領ブッ シュとの間に悶着が起こった。 ブッシュが言うには、ノリエガは麻薬密売の大本締めなのだそうだった。 もちろん、ノリエガは表向き否定した。 アメリカは経済制裁で対抗した。 しかし、いかんせん、パナマはフリーポートだったので、アメリカが期待し たほど、経済制裁の効果はあがらなかったし、アメリカが期待したように、 市民革命も起こらなかった。 CIAが総力を挙げて仕組んだ(というふれこみの)、軍事クーデター計画 も、あっさりノリエガにバレて失敗した。 そして、米国はパナマに侵攻した。 パナマの民主化を護るという、名目で。 そして、起こったことは、48時間の封鎖と、いまだに公表されていない死 傷者数。 なにより大きな問題は、この死傷者数の大多数は、一般市民だったに違いな いということだ。 そこには、なにか看過できないモノがあるに違いなかった。 そう。 あたしの中に呼びかける何かが。                               (続く) ----------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その7 パナマに着いた翌日。 あたしは、Jの家にいた。 Jは、パナマ在住アルゼンチン人。現在、大学で教鞭をとっている。 といっても、ただの大学教授ではない。 かつてアルゼンチンが、反体制2万人を殺戮したといわれる恐怖の軍政を行って いたころ、政治犯として逮捕され、その政治犯収容所から決死の脱出に成功した 人物だ。 その脱走劇は、《死の記憶》というタイトルの小説として、数カ国で発売されて いる。               (^_^;) えー、それで、PANDORAが、そういう人間とどーして知り合いなのかという突っ込 みは不可ね。「蛇の道は蛇」、あるいは、「友達の友達はみな友達」というのさ。 ただ、ひとつ言えることがある。 そーゆー人間は、経歴や噂だけ聞いていると、いかにも陰のあるコワそうな人を 想像するかもしれないが、じつは、会ってみるととっても陽気で気さくで、ノリ の軽い人であることが多いということだ。 ちなみにあたしも、著書を読まれたり、ステージだけをご覧になったりしている 方と、実際に会って話してみて、「イメージまる潰れ〜!」と言われたことが じつは一度ではない。             (^_^;)ソレハチョットチガウッテ そのJは、まさにパナマ侵攻のとき、パナマにいた。 しかし、彼は言う。 「そう。あれはまさに寝耳に水の出来事だった。しかし、米軍の攻撃は、ある特 定の地域にだけ行われたので、郊外に住む私たちには、何が起こったのかまった くなにも解らなかったのだ。何が起こったのかに気がついたときには、もうすべ てが終わっていたのだよ」 米軍に侵攻されて、そりゃーないだろうと思う人もいるかもしれないが、これは 大阪市内で阪神大震災を経験したあたしにはわかる。 大阪市内中心部は、地震こそあったが、たいした被害はなかった。 うちも、いい加減に積んでいたビデオやカセットテープの山が崩れたぐらいで 被害というほどのものもなく、地震には飛び起きたものの、まさか神戸があのよ うな惨事になっていようとは、まったく思わなかったのだ。 実際、あのときも、ほんとうの被害がわかってきたのは、被災から数日たって からのことだった。 ましてやパナマの場合は、侵攻だ。 はじめから、意図的に情報を隠すように仕組まれている。 攻撃の中心から外れたところにいる人は、なにがあったのかまったく理解できな かったとしても、何の不思議もない。 Jのように、政治に敏感な、修羅場をくぐった経験のある人であったとしても、 だ。 1989年12月19日の夜。 それまで極秘とされていた最新鋭機ステルス戦闘爆撃機までを投入した米軍の攻 撃は、パナマのある特定の地域を狙って行われた。 兵力2万6千人という、ベトナム戦争始まって以来の兵力と、最新鋭兵器で、全人 口たったの232万人の小国パナマを急襲したのだ。 まず、攻撃第一弾はパナマ軍基地。これは当然だ。 これはほとんど一撃で壊滅した。 それから、空港が狙われ、さらに放送局が爆撃された。 国営放送は、いち早く、米軍侵攻を放送しようとしたからだ。そして、民間人であ る放送局員に死傷者多数が出た。 これも、戦略的には間違いではない。国際法と倫理的見地は別にすれば、だが。 同時に、パナマ運河と、その運河両端をつなぐアメリカ橋が封鎖された。 そして、スラムが徹底的に焼き尽くされた。 エル・チョリージョ。 パナマでもっとも貧しいと言われるその地区が、その夜、消滅した。 その理由を米軍側はこう説明する。 「ノリエガ一派が隠れていたから」 とってもおもしろい説明だ。 一国の最高指導者であり、麻薬を大規模に密輸し、スイスに大量の財産を隠匿して いるという容疑の、カネで肥え太り、民衆に憎悪されているはず(以上、アメリカ側 のご説明)の人間が、とっさにスラムに潜伏ねぇ。 あたしは、唇をかすかに歪めた。 じつに、おもしろい説明だよ。ミスター・ブッシュ。 そして、あたしはふたたび手帳を繰った。                                   (続く) ---------------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その8 パナマのダウンタウン、セントラルは蒸し暑く、雑多な店がどっさり並んで いた。 特に目立つのが、衣料品店と電化製品店だ。 そして、ファストフード店。 パナマのもうひとつの繁華街ヴィア・エスパーニャ界隈が、高級なブランド 衣料のブティック、瀟洒なデパートやこぎれいなカフェなどが並んでいるの と比べ、こちらは、もっと猥雑な活気に満ちている。 あたしは、バニラのマックシェイクのストローを口にくわえて、ぶらぶら通 りを歩き、ちょっと腕時計を眺めた。 ホワイトハウスの、あるいはペンタゴンのお偉いさんたちは、スラムという ものをご存じないらしい。 スラムほど、危険で、温かいところはない。 余所者にとっては危険。仲間にとっては人情厚い。 つまり、スラムの人間というのは、そこを歩いている人間が、何処の誰である かを知っているし、もちろん、余所者がいれば、それが余所者であることを知 っているということだ。 だから、ゲリラたちはスラムに潜伏する。 チリのマヌエル・ロドリゲス愛国戦線の連中、アルゼンチンのモントネーロス。 ニカラグアのサンディニスタ。サルバドルのFMLN。 しかし、スラムに潜伏するには、決定的な必要条件がある。 潜伏する人間自身がスラムの人間であるか、または、そいつらが、スラムの人 間すべてを味方につけていることができるということだ。 そして、そうでないなら、その人間にとって、スラムは、むしろもっとも危険 なところとなる。 あたしは、ちょうどこちらに向けて曲がってきたタクシーを停めた。 その公園の名前を言うと、チューインガムを噛みながら鼻歌を歌っていた、黒 光りするタクシーの運ちゃんはぎくりとして振り返った。 「あんた、自分の行こうとしているところが、どこかわかってるの?」 あたしは微笑んで頷いた。 「あんた、正気?」 もういちど、微笑んで、頷く。 運ちゃんは、もうなにも言わずに、アクセルを踏んだ。 タクシーは、安っぽくごみごみした繁華街、セントラルからぐいっと方向を北 にとる。 しばらくすると、空気が色を変えた。 「ここだよ」 車が停まった。 「気をつけな」 短く言って、運ちゃんは手早くカネを受け取り、車を発進させる。 あたしは、顔を上げ、深く息を吸い、ゆっくりまわりを見渡した。 その公園のベンチの前で、痩せた老人が、あたしを見つけて、にやりと笑うの が、こちらからも見えた。                                (続く) -------------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その9 ドン・ウンベルトがこちらを見て微笑んだ。ミルクコーヒー色の肌には深い 皺が刻まれている。 「おいで、エル・チョリージョを案内しよう」 そして、先に立って歩き始めた。 エル・チョリージョは「水のせせらぎ」を意味する。 この地区の北にあるアンコンの丘の泉から流れる水が、パナマ市を潤す..... それが由来だ。 この地区には、運河建設のために集められた黒人たちが住んでいた。 だから、住民人口の圧倒的多数は黒人だ。 実際、すれ違う人々の肌はみな黒い。 そして、みな微笑んで温かい会釈をかえしてくれる。 むろん、それは、あたしがドン・ウンベルトと一緒にいるからだ。 しかし、蒸し暑いそこは、美しい名前とも、もちろん想像していたところと は違っていた。 あの夜。 侵攻で焼け出された人々は、必死の思いで、学校と教会に逃げたという。 そして、そこから、米軍によってアンコンの丘の反対側に簡易的に作られた 居留地に収容された。 それから数年後、丸焼けのエル・チョリージョ跡地はすべて更地となり、そ のあとに政府が被災者のための分譲団地を建てたのだ。 それだけ聞くなら、さほど悪い話でもないように思える。 それにしても、この違和感はなんだろう。 しばらく歩いていて気がついた。 むき出しの地面の上に安っぽい団地が並んでいる。 ただただ、コンクリートの塊が、蒸し暑さをいっそう強調するように。 そして、埃っぽい地面には、ごみくずが散らばっている。 かすかに糞尿の臭いも漂っていた。 その団地の窓には窓ガラスがなかった。 「中に入るがいい、これがすべてを失った俺たちへの政府の補償さ」 ドン・ウンベルトが団地の一棟の中に入った。 暗い。 日光が中に入る構造になっていないうえ、団地の共有部分には明かりがない ので、昼日中だというのに、建物の中は闇だった。 住民がぶら下げている裸電球が、わずかな光を放っていた。 その住民はみな知り合いだ。 なんのためらいもなく、皆が戸を開けて、自分の部屋を見せてくれた。 ここに何人で住めというのだろうか。 おそろしく狭い部屋には、上部に小さな窓らしき穴があるだけ。 ガラスは入っていない。 ひとかけらの思いやりもない、高温多湿のパナマの気候風土をまったく無視 した作りだ。 いくらなんでもこの設計はないだろう。 それとも、これがスラムの住人には似合いと言いたいのだろうか。 「ここ、暑いだろ。あんた汗びっしょりだよ」 そこにいたおばさんが、小さな冷蔵庫を開けて、自家製のレモネードを出し て安物のプラスチックのコップに注ぎ、バナナ一房といっしょにあたしに渡 してくれた。 「ありがとう」 あたしは受け取った。 渇いた咽喉に感動的にしみわたるレモネードだった。 それから、地域の医院と学校を訪れた。 エル・チョリージョの高い失業率をどうにかするため、地域の教会と住民で 運営しているという学校は、職業訓練校だった。 手に職がないから、仕事に就けない。そして、犯罪に走る。 その輪を絶つため、ここで自動車修理や旋盤などの技術を教えているのだと いう。 政府の援助はない。 「ここからエル・カスコに行こう」 ドン・ウンベルトが言う。 エル・カスコは、チョリージョの南にある地区だ。 パナマの植民地時代の中心で、ほんものの鷺の住む大統領宮殿や、華麗なオ ペラハウス形式の劇場、大教会などがある。 観光ガイドブックに載っている観光スポットである。 じつは、このエル・チョリージョからは徒歩で20分ほど。隣接していると いってもいい。 黙って頷いた。きっと見せたいものがあるのだ。 醜いコンクリートの塊と埃とゴミ屑の散らばる区域を横切っていくと、シン プルな木造のアパートや商店の立ち並ぶ通りに出た。 シンプルといっても、貧乏たらしいという意味ではない。 風通しのいい、百葉箱のようなデザインの2階建ての木造アパートは、それ ぞれオレンジやグリーンや空色に綺麗に塗られ、熱帯の空と調和して、ひと ことで言うと、美しい。 カメラを持ってこなかったのが悔やまれた。 おそらく所得からいえば、中流以下の人々が住んでいるのは想像できるが、 ここには豊かな伝統的な暮らしと生活の知恵がある。 路地も綺麗に掃き清められている。 「ここは? もうエル・カスコのはずれなの?」 ドン・ウンベルトは、悲しげに首を振った。 「むかしは、ここも《エル・チョリージョ》と呼ばれていた」              (゚_゚;) 「どういう意味?」 「つまり、さっきあんたがいた、あの《エル・チョリージョ》は、10年前 までは、ここと同じだったのだ。ここと同じように、こんな綺麗な木のアパ ートが並んでいて、豊かではないが、みんな楽しく暮らしていた。カーニバ ルの頃には、一棟みんなで協力して、アパートを新しい色に塗り直したから、 いつだって綺麗な色だった........ここから、あの団地までがすべて、美し い《エル・チョリージョ》.......《カスコ・ビエホ》の並びにある伝統的 な地区だったんだ」             (゚_゚;) 「そして、あの一帯が焼き払われた。アパートも生活も消えた。あとにでき たのは、あんな薄汚い建物だ。だが俺たちにはどうすることもできなかった。 地域の伝統は消え、若い子たちはすさんでいった。気がついたら、『エル・ チョリージョは汚くてこわいところ』ということになっていた。焼け残った チョリージョのはずれの、この地域の連中は、いつのまにか、この地区をエ ル・チョリージョと名乗らなくなっていた。一緒にされたくないと思ったん だ」 あたしは、答えられなかった。 ずっと微笑んでいたドン・ウンベルトの顔が、はじめて悲しげに歪んだ。 「エル・チョリージョは貧しい地区だった。それは本当だ。スラムと言われ ても仕方なかったかもしれない。犯罪もなかったとは言わない。でも、侵攻 前はああではなかった。誇りを持って楽しく暮らせるところだったんだよ」                                (続く) ----------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その10 「侵攻を予期していたかって?」 ヴィア・アルヘンティナの瀟洒なカフェ、《マノロ》のテーブルに、鷹のよ うな鋭い目の紳士がいた。 ペドロ・リベラ。 パナマきってのジャーナリストにして作家。 彼が、あの事件から10年を待って出版したドキュメンタリ《侵攻の記録》 はメキシコで話題になっていた。 あたしが会った誰もが言う。侵攻を予期していなかった。米国との関係が悪 化しているのは知っていた。でも、実際に侵攻があるなんて、誰も考えては いなかった。 では、パナマきってのジャーナリストならどうだったのか。 「思っていたかどうかなんて後になれば、なんとでも言えるさ。これをごら ん」 紳士は、鞄から一冊の本を出した。 「これは、私が、当時新聞に書いた記事をまとめたものだ。この侵攻直前の 日付で、私はこう書いている」 それは、米国の動きがただならぬ事を警告した社説だった。 論調は、侵攻を暗示していた。 「なぜかって? 私はいい知れない不安を感じていたのだ。パナマ国民の危 機感の無さ、パナマでのマスコミの危機感のない論調......それにくらべて、 パナマ国外のマスコミのパナマ・バッシングの論調とのあまりのギャップの 大きさにね。だから警告した......このギャップの大きさが不気味だったの だ。何かがある、なにかが起こるかもしれない、とね」 まさに、ジャーナリストの天才的直感というやつだ。 そして、それは、別の意味で他の人の意見を裏打ちしている。 侵攻まで、よその国での報道はいざ知らず、パナマの中には危機感はなかっ たのだ。逆に言えば、パナマ国内においては、反ノリエガ運動などたかが知 れたもので、大きな政変が起こりうるとは、誰も考えていなかったというこ とだ。 つまり、パナマ国外での報道だけが、パナマには実際に存在していなかった 危機感をセンセーショナルに煽っていたということになる。 「米軍が襲ったのはスラムだったんですよね」 「そのとおりだ。ひどい話だよ」 ペドロは顔をしかめた。彼の著書、《侵攻の記録》はまさに、被害にあった スラム地区の住民に丹念に聞き込み調査を行った大作だ。 「でも、スラムは、パナマのごく一部と言えば一部にしか過ぎない。だから、 侵攻後、安直に米軍を歓迎する人々も多かったと聞くわ......一般のパナマ 人にとって、侵攻とは、結局、何だったのかしら?」 ペドロ・リベラは苦い顔をした。 「倫理の崩壊だよ」 あたしはメロンシェイクをひとくち啜って、彼の口元を見つめた。 彼は深い溜息をついた。 「侵攻直後のことだ。あらゆるデマが飛び交った。そして、人々はどうした か。商店の略奪に走ったのだよ」 その話はすでに聞いている。 侵攻後、このヴィア・エスパーニャ、ヴィア・アルヘンティナあたりの商店 は軒並み略奪の被害にあった。 生活に必要な食料や水ではない。電気製品や衣服などが略奪にあったのだ。 「略奪をしたのは、貧困層だということになっているが、それは出鱈目だ。 パナマが無政府状態になったまさにそのときに、略奪を行ったのは、中流以 上の連中だった。信じられない事態に直面して、あっけなく倫理が崩壊した のだ。ひとがやっているから、という理由でね」 あたしは黙った。 そういうものなのだろうかと思う。しかし、「思う」べきではない。それは 実際に起こったのだ。 「でも、それは一時的なものでしょう?」 「一時的ですむと思うかね?」 ペドロはあたしの質問に質問で返した。 「一度、踏み外した人間は、どこかのネジが緩んでしまうものだ。制圧する ものが機能しなければ、犯罪を犯してもかまわないのかと考えてしまうよう になる。見つからなければ、かまわないと。これは理屈ではないよ。実際に そうなのだ。侵攻事件以後、パナマの治安は格段に悪化した。それは、単な る失業の増加だのなんだのという問題ではない。あのとき、確かに、なにか が崩れてしまったのだ」 ペドロの鷹のような目が、あたしをじっと見つめていた。 耐えきれなくて、あたしが先に目をそらせた。 そう。それはたしかに、起こったことに違いなかった。 目に見える形ではないけれど。                                  (続く) ------------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その11 まだ、最大の問題は残っている。 パナマ侵攻事件の死者数。 少ない見積もりで37人。多い見積もりで8000人。 このとてつもねえ数字の間にあるものを捜さなきゃならない。 数字と言えば、ほかにも知りたいことがある。 あたしは、さらに手帳を繰って、ある男を訪ねた。 国際金融都市パナマシティのソナ・バンカリア。 世界各国の銀行の支店ビルが立ち並ぶ一角のビルに、その男のオフィスがあ った。 経済学者で金融コンサルタント。 それが、その男の肩書きだった。 住居兼オフィスの瀟洒なマンションの一室の呼び鈴を押し、ドアを開けたと たんに、犬が飛びかかってきた。 猛犬ではない。ただの室内用小型犬だ。 ただ、あたしは、前に同じパターンで愛玩犬をばかにしていて、おもいきし 手を噛まれたことがあった。 小型だろうが、犬には牙とゆーものがある。 一瞬、ひるんで、犬を避けようとして、入り口のそばにあった書棚にぶつか ってしまった。 「失礼。その犬は噛みません」 同時に声が追いかけてきた。 「ちょうど奥に閉じこめようとしていたら、手をすり抜けてしまったので す。失礼」 いかなる訛りも特徴もない完璧なアクセントのスペイン語だった。 その声のあとから、中肉中背のなんの特徴もない顔がついてきた。 「こちらこそ、失礼」 あたしは、慌てて、ぶつかった反動で細く空いた書棚のガラス扉を閉めて、 会釈した。 「では、どうぞこちらに」 丁重な言葉で、その人物は、あたしを奥の部屋に招き入れた。 テーブルに向かい合って腰掛ける。 「もちろん、投資のご相談ではないですね」 「パナマの経済について、お勉強していますの」 あたしは微笑んだ。 この男は、英語を喋るときも、完璧に訛りのない英語を話すのだろうか。 「トリホス将軍の時代に、本当にパナマは奇跡の経済発展を遂げたにもかか わらず、跡を継いだノリエガは国をめちゃめちゃにしてしまったのか」 「デリケートな質問ですね」 投資コンサルタントは意味ありげに微笑み、それから、奥の部屋のテーブル のそばにある書棚から数冊のパンフレットを取り出した。 「これが、トリホス時代の農業生産のデータです。見てご覧なさい」 あたしの苦手な数字の山だ。 でも、苦手とも言っていられないから、じっくり睨む。 しばらくたって、目を上げた。 「このデータだと、農業生産がすごく上がっているようにも思えないんです が」(^_^;) 「そのとおり」 彼はにっこり笑って頷いた。 「これは、べつに農業生産に限ったことではないのです」              (゚_゚;)ト、イイマスト...... 「工業もサービス業、金融業もすべて、べつにトリホスの時代に、彼の手腕 で画期的に状況が改善したわけではない」                (^_^;) 「それはつまり、トリホスの『業績』は否定できないにしても、かなりの伝 説も加わっているということですか?」 男は黙って、肩をすくめた。 「.......というと、たいていのパナマ人はむっとするらしいんですがね」              (^_^;) 「それが、業績の捏造ではないのは確かです。そして、たしかに、トリホス は、露骨な私利私欲に走る男ではなかった。それは、スイスに莫大な隠し口 座を作ったり、大土地所有者に成り上がる、ということはなかったというこ とです。そして、トリホスの時代、ある種の民主主義がパナマに存在したの も確かです。共産党員が弾圧されることもなくなった。なにより、パナマ運 河返還交渉をモノにした.......その店では評価すべき人物です。しかし、彼 のお陰で、すべての産業までがパワーアップしたとまで言うと、それは、必 ずしも事実ではない」 「それが、『伝説』というわけね」 「というか、パナマ人の弱さであり、優しさでしょうね」              (^_^?) 「中南米世界を渡り歩いてきたあなたから見て、パナマ、いや、パナマ人を どう思います?」 彼は突然、質問をしてきた。 「一般論として、パナマ人には強いナショナリズムがないように思えるわ」 と、あたしは答えた。 「たとえば、キューバ人やアルゼンチン人は、なにかというとお国自慢をす るわよね......傲慢と思えるほどに。そして、良くも悪くも自慢話を聞かさ れる。メキシコ人やチリ人は彼らほどではないけど、でも、あのナショナリ ズムは大したものよ。もし、彼らの国で侵攻があったら.....」 言いかけて、あたしは言葉を止めた。 そうだ。 もしも、メキシコで侵攻があったら。それとも、キューバやアルゼンチンで、 はたまた、チリでニカラグアで........ 侵攻から10年経つのに、死傷者数がこれほどまでにはっきりしないなんて ことがあるだろうか? 「そこなのですよ、マダム」 金融コンサルタントは言った。 「我々パナマ人には自信がない。強いアイデンティティが欠けているのです」 キューバ人ならラムと音楽と革命を自慢する。アルゼンチン人ならタンゴと 洗練とワインを自慢する。メキシコ人ならアステカとチレとテキーラを自慢 する。ペルー人ならインカとピスコとケーナを自慢する。チリ人なら...... でもパナマ人はそうではない。 優しくて、礼儀正しくて、「余所者」であるあたしに気をつかってくれる。 パナマに「なにもない」ことをすまなさそうに口にする。 カスコ・ビエホのコロニアル建築や華やかな電気製品街やルベン・ブラデス のことを、鬼の首でもとったように自慢したりはしない。 世の中には、もっとくだらないことを自慢する人間はいくらでもいるという のに。 ひとことでいうなら、謙虚。 私の会ったパナマ人は皆そうだった。 「おそらく、その国民性のせいでしょう」 パナマ人は弱く優しい、と彼は言った。トリホスという神の伝説を作ってし まうほどに。たしかに、そう言われてみれば、思い当たるふしはあった。 激しいナショナリズム、民族としてのプライド、反骨心。 それがないとは言わないが、弱い。というより、それを備えている人間の割 合が低いというべきだろうか。 「そして、だからこそ、パナマ人は『歴史の暗部』をほじくり返そうとしな いのです。なんでも、神話にしてしまう。問題は、同じカードの裏表なので すよ」 そうだ。 あたしは、パナマに来てからの、ある種の心地よさと違和感の理由がわかっ たような気がした。 やさしい彼らは、日本人にどこか似ている。だからこそ、    《彼ラハ、『歴史ノ暗部』ヲホジクリ返ソウトシナイノデス》 同じ部分で共通しているのかもしれなかった。 そして、パナマ侵攻とは、日本の終戦直後に起こったことと、じつはとても よく似ているのかもしれないということに。 モラルの変転.....起こったことの隠蔽.......。 そして、あたしは言った。 「それで、本題に入りたいのですけど。そのパナマで、一番数字に強い人は あなたなんでしょ。いったい、パナマ侵攻で死んだ人は何人いるのかしら」                                 (続く) ----------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その12 「さて、あなたは何人だと思いますか?」 経済学者は、にったり笑って、こっちを見た。 「報告によって、30数人から数千人といわれていますね」 あたしはしゃあしゃあと答える。 「それであなた自身の個人的意見は?」 と、彼。 あたしは、ここ数日考えていたことを口にした。 「30数人というのは、まったく馬鹿げているわ。米軍ですら20数人の死 者を出した攻撃なのよ。ましてや民間人を攻撃されているというのに、パナ マ側の死者がそんなに少ないわけがない。かといって、数千人であるわけも ない。だって、パナマの人口230万人、パナマシティでせいぜい30万人 でしょ。さらに集中攻撃を受けたエル・チョリージョの人口が1万2千 人........7千人も死んだとすれば、いくらなんでも隠し通せるわけがない わ」 「右でも左でもない、なかなか冷静な視点ですね」 と、経済学者。 「調査報告があると聞きましたわ」と、あたし。 男は肩をすくめてにやりと笑い、後ろの棚からファイルを取り出した。 「侵攻後、国際赤十字が死者の調査をしようと、パナマのNGO人権団体と コンタクトしました。ところが、彼らは右派も左派も、調査に二の足を踏ん だのです.......自国の問題なのにね」 「こわかったのですね」 「米軍に睨まれるのがね」彼は鼻で笑った。 「しかし、これがアルゼンチンやメキシコなら、睨まれようとなんだろう と、調査をする人間は出てくる。告発しようとする人間がね。しかし、ここ はパナマだ」 「では、存在するという調査報告は?」 「パナマに在住する外国人が調査したものです。アルゼンチン人とチリ人と いうことです」 彼は、ファイルから少し黄ばんだ新聞紙を取り出した。 そこには、私が考えていた、データ的文章ではないものがあった。 人名の列........列。 新聞紙まる1ページをぎっしり埋める人の名。........大変な労作だ。 「調査を決意した人物は、被害地域に出かけ、丹念な聞き取り調査をやった のです。あの侵攻後、明らかに死んだり行方不明になった家族や知り合いの 名前を具体的に挙げてもらってね........ここにあるだけで、360名ちょ っとあります」 「これがどうして新聞に?」 「この調査報告が、後に、パナマの人権団体に渡ったのです。人権団体は裏 をとり、これが本物であることに気づき、そして協議のうえ、自分たちの労 作として新聞に公表した.......身元の確認がとれたものだけで、これだけで すから、死者の実数はおそらく.....」 「プラスいくらか。400から500のあいだというところね」 「私もそう思います。しかし、問題は死者がそれだけの数だったということ ではない。民間人がこれだけ死に、そして、そのことが覆い隠されようとし ていたことです」 「つまり、あなたが調査したのですね」 記事を見ながら、あたしは言った。 「外国人、だと言いましたよ」 「だから、それはあなたでしょ。そして、調査グループには、アルゼンチン 人やチリ人以外にもメンバーがいた」 「どうして私がパナマ人でないと?」 顔が微笑んでいたが、目が笑っていなかった。 「本来、生国の訛りの強い人ほど、出身地を隠そうとすれば、特徴のない標 準語を喋ることになるものです」 あたしはしゃあしゃあと言った。 「アルゼンチン人だって訛りは強い」 「なら、入り口の近くの書棚の陰には、マテ茶の茶器でもお入れになってい た方がいいわ。子犬が飛んでくると、臆病な客がぶつかって、扉が開くこと があるんですもの」 くっくっくっ.......と彼は笑った。 「隠していたつもりはありませんよ。ただ、私の出身国など、あなたがいま お知りになりたいことにも、今の私の仕事----経済学者&金融コンサルタン ト----には何の関わりもないから、敢えて言わなかっただけです」 「というか、あたしへの情報提供にも、顧客獲得にも、あなたの本当の出身 地など、デメリットにしかならないということでしょ」 あたしは、にったり笑っていった。 「面白い方ですね。でも、あなたのおっしゃるとおりですね」 彼は笑った。 「それで、あなたの本来のご職業は? 情報を扱うお仕事?」 あたしは言った。 「本来もなにも、たしかに情報を扱う仕事です。だって私は、金融コンサル タントですから」 男は面白そうに微笑んでいる。微塵の動揺もない。 「そうでしたわね、失言いたしましたわ」 あたしは、上品ぶって微笑んだ。 「いずれにしても、ご忠告ありがとう。以後、気をつけましょう」 男は、にったり笑って片目をつぶった。                                   (続く) --------------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その13 話少し戻って、かの《英雄トリホス》の時代。 チュチュ・マルティネスという男がいた。 作家で詩人で哲学者で数学者で飛行家だった。 ニカラグアで生まれ、パナマで育ち、あまりの優秀な頭脳ゆえに、奨学金を 得てマドリッドとパリで学び、数学と哲学で学位を取った。さらに、飛行機 の操縦を学び、祖国パナマに戻って、パナマ大学の教授となった。 彼は、育った国、パナマを愛していたのだ。 しかし、そのパナマは運河のゆえに、ずっと米国の干渉に苦しんできていた。 厳密に言うなら、米国領である運河防衛という名目で、米国が巨大な米軍基 地をパナマに置いていたわけだ。 そこで、優秀な学者だった彼は、次に国際政治学と軍事に興味を持った。 それもただの興味の持ち方ではない。 彼は教授の職を捨て、パナマ軍に入ったのだ。新卒の兵隊と混じって。 当時。 パナマは伝説のトリホス将軍の時代だった。 しばらくして、パナマきっての頭脳が、こともあろーに、一兵卒として軍に 入ったと知ったトリホスは驚き、チュチュを捜して頼んだという。 どうか、自分の補佐官に、大統領顧問になってもらいたい。 大臣でもなんでも望みの地位を与えよう。 チュチュは断った。 別に偉くなりたいわけではない。私に興味があるのは、ただ、軍隊というも のを研究することです。 トリホスも伝説の男だけに負けてはいない。どうしても、チュチュの頭脳が 欲しかったのだ。何度もしつこく口説かれて、やっとチュチュは根負けし た。 「しかし、大統領補佐官なんていう地位も、大臣もまっぴらごめん。あなた の個人用飛行機の専属パイロットなら引き受けてあげよう」 こうして、チュチュは一兵卒から軍曹になり、(トリホスはせめて大佐にし たかったらしいが、チュチュは断固として断ったのだという)、大統領専用 小型機のパイロットになった。 そして、トリホスの右腕となる。 二人の男は個人的にも固い友情で結ばれ、二人は共に伝説となった。                                (続く) ------------------------------------------------------------ PANDORA REPORTパナマ編・その14 ある日。 伝説のトリホス将軍は、誰よりも信頼できる親友であり、補佐官でもあるチ ュチュ・マルティネスにこう言ったという。 「チュチュ。パナマ運河を、パナマに取り戻すためにはどうしたらいいのだ ろう」 聡明なチュチュは肩をすくめる。 「それは簡単なことではないね」 米国の莫大な利権がからんでいるのだ。 「俺は、あの運河地帯の米軍基地に突入したいぐらいの気分だよ」 飲んでいたせいもあってトリホスは言った。 「やらないのは、そんなことをしても無駄だということがわかっているから にすぎない。しかし、俺は口惜しくてならないんだ。運河返還はパナマ国民 の悲願だ」 「悲願など、ヤンキーには通用せんよ。交渉しかないだろう。綿密で老獪な 交渉だよ」と、チュチュ。 今度はトリホスが黙って肩をすくめる。 「並みの交渉では無理だ。この吹けば飛ぶような小国が、米国と対等に渡り 合うというのだからな」 チュチュはしばらく考え込んで、やがて、ゆっくり息を吐き出した。 「知恵を借りられる男は世界にひとりだけいる。会ってみるかね。その男な ら、もしかしたら、交渉に当たっての、いいアドバイスをくれるかもしれな い。なんといっても、米国のことは知り抜いているからな」 「そんな人間がいるなら、むろん会いたいさ」 「そいつに会うのは簡単なことではない。まして、パナマ大統領の君が会う とするなら、事はきわめて極秘に運ばなくてはならない。下手に米国側にば れればただではすまない。君の命はなくなるだろう。その覚悟はあるかね」 「その覚悟がなくて、こんなことを話題にしたりはせんさ」 「では、できるだけのことをしてみよう」 「それは有り難いが、その相手とはいったい誰だね?」 「小国であるにもかかわらず、後に引かずに米国と渡り合っている男だよ」 言葉は嘘でもはったりでもなかった、という。 チュチュは、それから、パナマシティにいる、ひとりの男と密かに連絡を取 った。 長い間非合法とされていた地下組織の活動家。 その筋に強力なコネクションを持つ男。 さらに数カ月後、トリホスはカーター大統領と運河返還交渉に入った。 そして、交渉の末、カーターは、返還に同意した。 ここに、知っている人なら知っていた、不思議な事実がある。 ある時期から、米国によって完全に貿易封鎖されているはずのキューバに、 限定的ながら西側の物資(機械部品や医薬品など)が流れはじめる。 つまり、どこかの国が封鎖破りをやったのだ。 やがて、それはパナマであることが明らかになった。 フリーゾーンを利用して、国際金融都市であることを利用して、そこで、明 らかに「米国の仇敵であるキューバの有利になること」が行われていた。 むろん、トリホスは共産主義者ではなかった。にもかかわらず、である。                                  (続く) --------------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その15 わかりにくいメモを頼りに、やっとたどりついたその家の入り口には、何故 か、ドアの横に一漕のボートがぶら下げられていた。 ちぎれたメモ用紙の所番地を何度も確認する。 ここに間違いはない。 呼び鈴を何度か押して、やっと出てきたメイドの婆さんに通された部屋で、 あたしは居心地悪げに周囲をそっと見まわしてみる。 古びた壁に、この家を訪れた人々の寄せ書きやら記念品やら贈り物が、とこ ろ狭しと貼りつけてあった。 その中の名前のいくつかは、あたしだって知っていた。 ガブリエル・ガルシア=マルケス、セサル・バジェーホ。ミゲル・アンヘ ル・アストゥリアス.....以上、ノーベル文学賞受賞者。 そして、ホーチミン.....チェ・ゲバラ。                  (゚_゚;) 世界の超有名人たち。 ......それも、ひじょーに政治的な.......。 「ちょうどいいところにきた」 手を拭いながら現れた、そのおっさんは、あたしの顔を見るなり、そう言っ た。 見事な銀髪の初老の中国系パナマ人である。 「とにかく、こっちに来なさい。ワシはいま、たーいへん忙しいのだ」 そう言いながら、すたすたと、また奥に入っていく。 なんだか事情はぜんぜんわからないが、たしかに、この親父、タダ者じゃね ぇ。 あたしは、慌ててあとを追った。 追っかけて着いたところは、台所だった。 大きなバケツのような鍋に湯が煮えている6卓のガスコンロのほか、手前に は、           中華料理用の強火のコンロ           \\\\\(゚O゚)///// もきっちり据え付けてある。 さらにその向こうには、プロ用としか思えない、巨大な鍋や中華鍋の列。 左手の流しのところには、巨大なまな板があって、まな板と隣のこれまた巨 大なボウルには、ざく切りのユカ芋が積み上げられている。 「ワシは、料理が趣味なのだ」 じろりとこちらを振り返って、親父は言った。 「今夜、この国の文化人や政治家の集まるパーティーがあって、ワシが料理 を持っていくことになっているのだ」 「はあ」 「あんたは、とりあえず、ここのにんにくを刻んでくれ。全部だ」 「はあ」 なんなんだ、この展開は。 事情が、ぜんぜんわからない。 にもかかわらず、でっかいにんにくをぽんと2個渡され、包丁とまな板を指 さされた。                 (゚_゚) ひょっとして、お手伝いのバイトの「女の子」かなにかと取り違えられてい るのだろうか?                 (-_-?)                  ↑         自分がすでにもうオバサンであるという自覚がない あたしの迷いをそとに、親父は、なかなかてきぱきと、メイドの婆さんにユ カ芋を順に茹でるように命じ、自分はミキサーを取り出した。 あたしは、いまだ事情が飲み込めないまま、ただただ、おっさんの迫力に負 けて、黙って、にんにくの皮を剥きはじめたのだった。                                  (続く) -------------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その16 あたしが淡々とにんにくのみじん切りをやっていると、親父は、 「ふん。手つきは悪くないな。では、これから、パナマ風のドレッシングの 作り方を教えてあげよう。焼き肉に良く合うのだ」(^_^) と言って、おもむろにミキサーを取り出した。 油と酢、にんにくのみじん切り、ざく切りのパブリカ、玉ねぎ、塩・胡椒、 オレガノ、トマトピューレ、香菜、そして何故か「味の素」などを入れて、 ミキサーにかける。 どうせミキサーにかけるんだったら、あんなに一生懸命に微塵切りにするん じゃなかったぜ.....と、PANDORAがややぶーたれながら見ていると、そこに 鋭く親父の、一言が飛んだ。 「ところで日本の連立政権の行方はどうなりそうだね」           \\\\\(゚O゚)///// おおっと。 見事に隙を見て、きびしー突きが入ってきたじゃーないか。 ......やっぱり、この親父ただ者じゃねぇ。(-_-;) とりあえず、答える。 すると、親父は聞いているのか聞いてないのかわかんねー調子で、鍋の中を かき回していた。 ......単なる、買いかぶりかも......(^_^;) そうこうしているうちに、でっかいオーブンの中から、そりゃーすばらしい 香りが立ちこめてきた。 親父はうれしそーな顔で、オーブンを開け、中から、三段にぎっしり入って いたチキンを取り出し始めた。 ちょっと形の悪いもも肉を、でかい中華包丁で、どんどんどんと4つほどに 叩き切って、ひとつを自分の口に放り込み、もうひとつをあたしに放ってく る。 スパイシーで、なかなか.......旨いじゃん.......。(*^.^*) 「この味つけがわかるかね」 うーん、わからん。わからんがあてずっぽで言ってみる。 「えーと、中華醤油、紹興酒、それから、レモンと牡蛎油少々に八角、桂 皮、味の素」 最後の味の素はハッタリね。さっき、ドレッシングに混ぜてるの見たもん ね。 親父の目がきらりと光った。 「うーむ。近いな。ただし、レモンではなくて、少量の酢、それと、桂皮・ 八角ではなくて、五香粉を使っている」 五香粉というのは、中華スパイスで、桂皮・八角・小茴香、花椒・陳皮を混 ぜたものだから、かなりというか、そーとー近かったことになる。     さすが〜、PANDORA! だてに料理の本を書いてないぞ。        \\\\(^o^)////ホントハ マグレダケド すると親父は言った。 「パナマ侵攻事件を調べていると聞いたが」 調味料あてて、喜んでいる場合ではない。 あたしは慌てて、背筋を伸ばした。 「はい、そうです」 「それは、侵攻事件と日本との関係を探っているのかね」             (゚_゚;) あたしはフリーズした。             (゚_゚;) 1989年に米軍がパナマに侵攻した事件と、「日本」がかかわりがある? .....愚かにも、あたしの頭には、そーゆー視点は露もなかった。                                (続く) ---------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その17 親父は、ふっと鼻で笑った。 「勉強不足だな」 返す言葉がない。 が、科白が口をついて出た。 「パナマに来てはじめてわかったことだけど、日本ではパナマのことなどほ とんど報じられないし、ほとんど知られていないと言っていいわ。でも、実 際にここに来てみると、意外に《日本》の存在が目につくの....といっても、 移民人口が多いとか、滞在者が多いということじゃなくて......」 そうだ。 日本人学校の存在をはじめとして、パナマ人は日本のことをよく知っている。 中南米では一般的に、親日的な傾向のある国が多いのは確かで、また、戦後、 敗戦国でありながら、驚異的なまでの経済成長を遂げた日本という国への関 心が案外と高いことに驚かされたるすることもあるが、そういう一般的傾向 と比べてみても、パナマ人の日本への関心は高いように感じた。 それは、なんとなく、フリーポートを抱える国柄かと思っていたのだが.....。 「パナマ運河が閉鎖になれば、いちばん打撃を受けるのが、ほんとうは、ど この国だか考えてみるがいいさ」 親父はほくそえんだ。 「そりゃ、アメリカ合州国でしょ」 「ほんとにそう思うかね」 慌てて、あたしは頭の中で世界地図を思い浮かべてみた。 パナマ運河を所有し、最大の権益を持っているのは米国だ。侵攻を起こした のも米国。 だから、米国とパナマの関係にばかり興味がいっていたのだが、考えてみれ ば、パナマ運河が閉鎖になったところで、米国は、製品の輸送がコスト高に なるとはいえ、貿易が不可能になるわけではない。 なぜなら、米国自体が、太平洋と大西洋に出口を持っているからだ。 しかし、そうでない国にとっては、パナマ運河が通航不可になれば、それは 貿易上、死活問題になる。 米国より、はるかに、打撃は大きいはずだ。 そうでない国.......すなわち、太平洋間〜大西洋間での輸送をもっとも必要 とする国.....アジアとヨーロッパ・アフリカ地域の交易を必要とする国。 いや、貿易上の死活問題などというものではない。 生命線を止められるようなものではないか........。 「調べてみるがいい。パナマ運河全体の通航量。そして、その各国の比率。 資料なら、その気になれば手に入れられるだろう」 いわれるまでもなかった。なぜ、いままで、そこに気づかなかったのか。 ....それはたんに、あたしが間抜けだったからだ。 でも、そのことが、侵攻自体とからんでくるというのか。                               (続く) --------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その18 「あれは、1989年のことだった」 親父が遠くを見る目で言った。 そう。あれは、現在のことではない。 89年のことだった。 21世紀を目の前に、いまの日本は、不況に喘いでいる。 倒産、リストラ、ゼロ金利。 いいニュースはない。 それに引き替え、米国は史上最高と言っていい好景気に踊っている。 でも、それは、1999年のことだ。 1989年の日本はどうだったのか。 状況はむしろ逆だった。 不況に喘ぐ米国。そして、バブル経済絶頂の飽食の日本。 数十億の美術品が次々に落札され、日本企業がハリウッドに進出し、土地長 者が続出した。 米国の時代はもう終わり。 JAPAN AS NO.1などと、日本人が本気で考えていた時代。 「第2パナマ運河計画というのを知っているかね」 親父はさらに微笑んだ。                (゚_゚) あたしは黙って頷いた。 そうだった。 話はそう繋がってくるのだ。 いまのパナマ運河の通航量は限界に達しつつある。 それを見越して、第2パナマ運河を建設するという計画のことは耳にしたこ とがあった。 「ノリエガと、米国と.......そして、日本がプロジェクトに加わろうとして いた」 いまなら、夢のような話だが、あの当時の日本なら、たしかに、それだけの 資金力はあっただろう。それだけの投資価値が第2パナマ運河には存在する。 そして、一方、日本が第2運河建設に積極的だったのだとすれば、その交渉 相手はほかならぬノリエガだったはずだ。 そして、そのノリエガは、侵攻事件できれいに消えてくれたわけだ。 つまり、侵攻には、この第2パナマ運河の建設プロジェクト潰しという目的 もあったとでもいうのか? でも、バブルの崩壊したいまの日本には、いずれにしても、第2パナマ運河 計画に参入するような力はないではないか。             (^_^;)チョットマテヨ.....エート でも。 それはバブルが崩壊したからだ。.......それも、ある日、突然。              ある日              突然?         \\\\\(゚O゚)///// あたしは、ぼーぜんとして、親父の顔を眺めた。 パブル崩壊。1990年1月。 これって、まさしく、パナマ侵攻事件の【直後】なのだった。 偶然か? いや。 米国がパナマ運河を押さえるという、この強烈なパフォーマンスを見て、各 国の投資家はどう反応したか。 バブルぼけしていた日本人には、ただの外国の事件としてしかうつっていな かった侵攻。 けれど、パナマが米軍下に落ちたという点に、まさしく、ヘッジファンドは、 日本の貿易黒字の脆さを見たのでなかったか。                               (続く) --------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その19 「今夜のパーティーに顔を出したいだろう」 親父は、にったり笑ってそう言った。 「この国の政治家や文化人が集まる......すでに知り合いもいるだろうが、 新たに知り合える人間も多いだろうよ」 あたしは、黙って首を振った。 「かまわんよ。儂の招待だ。あんたは儂の料理の助手だからな。なにより、 この家で儂の料理を味わった」 親父は鼻で笑う。 「あなたはいったいどういう立場の方なの?」 あたしは、訊きたかったことを言葉にした。 親父はほくそえんだ。 「儂は料理人だよ.........そして、料理をいろいろなところに運び、気に入 った人間にはご馳走する」 私が紹介状をもらったときの話では、この国の地下運動の大物だと聞いてい た。非合法パナマ共産党の長年の指導者。これはあくまで噂で聞いた情報だ。 「あなたは、もしや、チュチュ・マルティネスとも親しかったのでは?」 あの伝説の男。哲学者で小説家で詩人で数学者で飛行家で......あのオマー ル・トリホスの腹心だったチュチュ。 だとしたら、あんたこそが.......あたしが噂で聞いた.....。 親父は薄く笑った。答えはなかった。 「お嬢ちゃん。ひとつ、いいことを教えてあげよう」 親父は、チキンの油がついた手を拭って、コップに氷とハバナクラブをぶち 込み、あたしに手渡すと、自分にも同じものを作り、あたしに目で合図し て、居間に向かった。 「儂はただの世話好きで、他人に自分の料理を食べさせるのが大好きな老人 だよ。そして、この《青の館》には、いろいろな友人たちがやってきて、 皆、儂の料理を喜んで食った」 親父は目で、壁の落書きの数々をなぞった。 ガブリエル・ガルシア=マルケス、セサル・バジェーホ。ミゲル・アンヘ ル・アストゥリアス.....ホーチミン.....チェ・ゲバラ。 「ここにあるのは、ほんの一部の友人たちだ。あんたと同じ音楽家なら、ビ クトル・ハラ......それに、あのキューバのガキも滞在していたことがあ る.....そうあんたも良く知っているシルビオ・ロドリゲス」 あたしは黙って頷く。やはりそうだ......この家は。 「この家に足を踏み入れる人間には、ある共通点があるんだよ、お嬢ちゃ ん」 親父はあたしを振り返って、笑った。 「......この家で儂の料理を味わった人間は、すべて2種類の運命を辿ると いうことだ」              (゚_゚) あたしは、黙って、親父の顔を見つめた。 親父の目が楽しそうに笑っている。 「歴史に名を残すか、そうでなければ.....長生きできないのさ」              (゚_゚) あたしはちょっと強張った顔で微笑んでみせた。 「あたしは、たぶんそのどちらでもないわ」 「さて、どうだろうね」 親父は、くすくす笑った。 「では、今夜7時。パーティーに連れていってあげよう。美しく装って来る がいいよ」                               (続く) --------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その20 パナマ侵攻事件の取材は、すでに、あたしの予想を越えた結論を導き出そう としはじめていた。 なぜ、米軍はパナマに侵攻しなければならなかったのか。 その推理は、嫌な形であたしの前に立ち現れてきていた。 パナマ運河返還交渉に先立って、トリホス−カストロの密談が行われてい た。それゆえに、パナマは、トリホス時代以来から、キューバへの貿易封鎖 破りを行っていた。 バブル景気の資金を元に、日本が資金を出して第二パナマ運河計画を建設す るプロジェクトが存在していて、商工会議所がノリエガと会談に入ってい た。 そして、ここで米軍がパナマを潰し、政権と運河を事実上の支配下に置けば、 一石二鳥のメリットがあったということになる。 つまり。 キューバとニカラグアに対する貿易封鎖を強化することができること。 さらに、封鎖破りをしようとする国への、強力な牽制となること。 そして、そのことで、キューバのカストロ政権、ニカラグアのサンディニス タ政権という、ふたつの左翼政権を揺さぶること。 そして、日本主導の第二パナマ運河計画を潰し、さらに強力になりすぎた日 本経済を揺さぶること。 では、本来の米国の「口実」だった「麻薬問題」の真実はどうだったのか? で、その次の日、あたしは、別の人物と会っていた。 パナマ共和国のヴェテラン麻薬捜査官、その名をCという。 安物のクーラーがでかい音を立てているCのオフィスを尋ねると、彼は、値 踏するようにしばらくあたしの顔を眺め、それから微笑んで、小型冷蔵庫か らコカコーラの瓶を出して、すすめてくれた。 ありがたく受け取る。 現在、麻薬捜査官の彼は、10年前、パナマ軍にいた。 そして、まさに侵攻のあの日、彼は、エリート候補生として、米軍の攻撃を 受けたもうひとつの場所、リオ・アトパナマ国軍基地の士官学校にいたのだ。 その時代の事を尋ねてみた。あの事件のことは思い出したくないといってい たのを、説得して、取材に応じてもらったのだ。 「正直に言うと」 彼は、しばらくためらってから、口を開いた。 「侵攻に関しては、本当に思い出したくないんだ......つまり、裏切られた という気持ちが強くて」 ちょっと意外な言葉だった。 「裏切られた?」 彼は、苦々しい顔をして頷いた。 「そう。俺たちは裏切られたんだ。もっとはっきり言うと、はめられたのさ」                                  (続く) --------------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その21 「はめられた?」 あたしは尋ねた。 彼は、苦々しげな顔をして、うつむいた。 しばらく黙っていたあと、ゆっくり言葉が滲むように出てきた。 彼は当時、エリート士官候補生だった。 そして、まさにあの侵攻の夜、米軍の攻撃を受けたもうひとつの場所、 士官学校のあったリオ・アト空軍基地にいた。 彼らは準備できていたのだと、彼は言った。 実際に米軍の侵攻があると思っていたわけではない。 ただ、そうはいっても軍である。その可能性がある以上、警戒体制はと られていた。むろん、いざという場合の迎撃体制もしかれていた。 「言うまでもないが、俺たちはそれだけの訓練を受けていたんだ」 だから、米軍の攻撃を察知した瞬間、彼と仲間の候補生たちは走った。 訓練どおり、武器庫へ。 驚いていなかったといえば嘘になるが、慌てふためく者はいなかった。 みな、自分の役割を自覚していた。 ところが。 「武器庫が閉鎖されていたんだ」                (゚_゚;)ハテ..... 彼は半ばうつむき、半ばどこかを見つめていた。思い出しているのがわかった。 思い出しているのだ。あの夜のことを。まるで昨日のように。 「俺たちが走った武器庫には、鍵が降ろされていた。しかも、鍵を持っている 筈の上官は、予備の鍵ごと行方をくらましていた」                (゚_゚;)..... 「どうしようもなかった。武器も何もなくては。そして、軍というのは、上官 の指揮で動くように訓練されている。その上官たちが消えていた。俺たちには どうすることもできなかった........そして、制圧後、何食わぬ顔で、そいつ らはエンダラ政権のもとで、軍の主要ポストに登った」                (゚_゚;)..... エンダラ政権。 まさしく、そのパナマ侵攻の夜に、ほかならぬ米軍基地で、自ら、パナマ大統 領就任を宣言し、その権限でもって、米軍に介入を要請した男である。 むろん、これがどれほど茶番であるかは、まっとうな常識があればおわかりだ ろう。自分で大統領就任を宣言して、それが通るものなら、世界中、誰でも大 統領にでも王様にでもなれる。 侵攻後のエンダラ政権の承認を多くの国が拒否したのは、それが原因である。 その、エンダラ政権の軍部の主要ポストに、そのとき「消えた上官たち」が、 登用されていた。 それはまさしく、軍の内部に内通者がいたということだ。 「それであなたは、侵攻後に軍を辞めたのでしょ」 彼は苦しげに頷いた。 「慰留の誘いはあった。これでも士官候補生で、しかも若かったからね。でも、 信頼の出来ない上官に仕えることはできない」 そして、麻薬捜査官になった。 彼は、パナマシティのある区域のチーフをしている。 「麻薬取り締まりの現場は?」 あたしは尋ねた。むしろそちらの方が訊きたかった。 彼は、黙って、デスクの引き出しから、小さなビニールの小袋をいくつか取り 出した。精製されたコカイン。それから、結晶状のクラック。 「押収したばかりのものだ」 たしか、米軍侵攻のお題目は、パナマが麻薬汚染されていることを憂えていた はずである。麻薬密売の大本締めだったノリエガが「逮捕」されたなら、パナ マはきれいになっていなくてはならない。 たとえ隣国のコロンビアが、麻薬の大生産地であるとしても、だ。 そうでないなら、米軍侵攻は、その大義名分を失っていることになる。 「ノリエガ亡きあとのパナマにも、麻薬の売買がはびこっているってわけね」 彼は、薄笑いを浮かべた。 「増えている。統計資料を調べてみれば一目瞭然だ。パナマ侵攻後になって、 パナマの麻薬売買の量は格段に増加した。そして、なにより悪いのは、市民の 中に、麻薬中毒患者が激増していることだ」                                (続く) ----------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その22 パナマ軍の中枢にすでに、米軍側に寝返っていた者たちがいた.....べつだん 不思議でないといえば不思議ではないが、改めて聞くと衝撃的だった。 しかし。 そうなると改めて、疑問が湧く。 米軍の侵攻には、ノリエガの麻薬密輸なんてことは些細なことに過ぎない、 むしろ、政治的にパナマに侵攻したい理由があった。 これはべつにノリエガを庇っているわけではない。 米国が後押しして、ノリエガの後がまにすえたエンダラだって、裏で麻薬密輸 をやっているというもっぱらの噂なのだ。 そして、麻薬捜査官の話のあと、実際に統計に当たってみると、、間違いなく、 パナマ侵攻後の方が、パナマでの麻薬流入量が増加している。 だいたい、本気で米国への麻薬密輸をブロックしたいなら、中継地のパナマを 叩くより、コロンビアの密林の中にある麻薬マフィアの精製基地を徹底して叩 くほうが効率的なのに決まっているのだ。 だとすれば。 キューバとニカラグアへの貿易封鎖破りへの攻撃......つまり、キューバへの 封鎖強化。日本の第二パナマ運河プロジェクト潰し。 そのために、米軍は万全を期した。 新型兵器のステルス戦闘機まで投入している。 だいたい、たかが人口230万人の、ましてや、軍事国家というほどのもので もないパナマに、2万もの兵員を送り込んで攻撃をかけたのだ。 そのパナマ軍の上層部をしっかり内通者で固めていたうえに、だ。 大袈裟すぎる。 だいいち、それゆえに矛盾が生まれる。 なぜ、スラムのエル・チョリージョが破壊されなくてはならなかったのか。 その答えはまだ見つけられない。 いや、正確には、その答えになりうる『噂』をあたしは聞いたことがあった。 まさに、最初に、編集者にふと漏らしてしまった、ある噂のことだ。 それは国際赤十字のスタッフをしていたスウェーデン人から聞いたことだった。 「米軍はパナマ侵攻後、数十時間にわたって、国際赤十字や『国境なき医師団』 の立ち入りを拒否したんだ......」 ジュネーブ条約に基づき、国際赤十字は、いかなる場合でも、戦場にはいるこ とが認められているというのに、だ。 そういう事態は、あたしの知る限り、過去に一度しか起こっていない。 広島と長崎に原爆が投下されたとき。 そして......まさしく、パナマ侵攻の一部始終を証言によるドキュメンタリー で綴ったジャーナリスト、ペドロ・リベラの書『侵攻の記録』にも、わずかに 被災者の証言の中で触れられていたことだった。 奇妙な現象を見た.....と。 そして、また、侵攻直後、エル・チョリージョ方向から米軍基地方向に走って きた民間のバスもまた、米軍の攻撃を受けた.....と。                                  (続く) -------------------------------------------------------------- PANDORA REPORTパナマ編・その23 あたしの頭の中で、いろんな像が結ばれてきていた。 小説を書くのははじめてだ。 あたしはずっと、ノンフィクションしかやったことはなかったから、物語を つくるなんてことは考えたことはなかった。小説を読むのは好きだったけど、 自分が書こうなんて、ほんとに思ってもみなかったのだ。 でも、これは潮時なのかもしれない。 そんな気がしていた。 ノンフィクションでは、かならず、すべて裏がとれていなければならない。 でも、小説なら、自分の推測を書くことができる。 .......パナマで何が起こったのか。 もうひとつ重要なことがある。 この豊かな、不況だなんだといったところで、所詮は豊かな日本で、どれだ けのパナマのことになんて興味があるだろう。 いや、パナマに限らない。 ニカラグアやサルサルバドルやチリやアルゼンチンや......そんな地球の反 対側の国の問題に興味があるだろう。 もともと南米に興味のある人。一部の旅行マニア。 最近ブームになったピアソラやブエナビスタ・ソシアル・クラブが、いいな という人。 日本の中では、マイナーな存在であるそんな人たちですら、パナマのスラム で人が死んだなんてことに関心なんてないだろう。 仮に私が、パナマ侵攻のことを調べ尽くして、あらゆる裏をとって、ドキュ メンタリを書いたとしたって、そんなもの誰も読まないのだ。 そう。いまこれを読んでいるあなただって、過去のPANDORA REPORTがおもし ろかったから、その「続編」を読んでいるだけであって、パナマそのものに 関心があったわけじゃないはずだ。 だとしたら......。       【面白い小説を書いてやろうじゃないのさ】            \\\\(^o^)//// ラテンジャズにもサルサにも興味なかったけど、PANDORA REPORT読んで、 六本木ピットインのHAVATAMPAのライブの常連になった人がいる。 遠くハバナ公演まで追っかけてくれた人がいる。 料理がずっと苦痛だったけど、あたしのエッセイ読んで、いまでは料理には まりまくっている....というメールをくれた人がいる。 『ラテン女』を読んで、どつぼの失恋から、心機一転できたといってくれた 人もいたっけ。 だいたい、処女作の『禁じられた歌』は、出版からもう10年たっているの に、いまでも、「あれ読んで感動して、ビクトル・ハラのCD買いました」 なんていうメールが届くのだ。 パナマに興味も関心もなくっても、書くことで形にされれば、そういう人た ちは出てきてくれる。たとえ、10人でも20人でもね。 いや、パナマだけの問題じゃない。 キューバの問題も、ニカラグアの問題も、サルバドルの問題も、根はみんな 同じなのだ。 そのためには.......。     【めちゃめちゃ面白い小説を書いてやろうじゃないのさ】             \\\\(^o^)//// それから、音楽だ。音楽! あたしは、CDボックスをひっくり返す。 まず、はじめにオペラを流そう。ワーグナーは好きじゃない。プッチーニ だ! ところにより、フォルクローレも、ビバップ・ジャズも流すことにしよう。 それから、なんたって、サルサとクンビア! 「それでこそ、PANDORAさんです」 と、例の編集者は、にたっと笑った。 「このプロット、すごいですよね。これだけのスケールの作品は、いままで に日本では、ちょっとなかったかもしれない」 またぁ〜! おだてるのがうまいんだからぁ〜! 「ところでね。僕の個人的経験ですけど、一流の小説家って、だいたい、酒 にめちゃめちゃ強いんですよね。だから、PANDORAさんのような人は、すでに 第一関門はクリアーしている」 またぁ〜! ほんとに上手なんだからさぁ〜! そう思いつつ、あたしはすでに、ばりばりにスイッチが入っていた。 横では、アシスタントの青年が、とっくに酔いつぶれて寝込んでいた。                              (終わり) ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★  PANDORAこと八木啓代による、処女長編にしてハードボイルドサスペンス  《MARI》は、幻冬舎より、発売中です。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★