1)--------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編1(94年12月) 今年の新年早々、メキシコで先住民ゲリラが武装蜂起した。 んで、そのあと、大統領候補が暗殺されたりして、もう今年のメキシコは、ちょっ とスリリングだったのだが、じつは、この武装蜂起の日本で報道されてない部分とい うのが、じつにじつに面白いので、ちょっと年の瀬を前にREPORTしてみよう。 特に、この話は、ネットワーカーには、ひと事じゃない面白さがあるのだ。 さて、いまから2年前。1992年の夏ごろ。 FSHIMINとかFWORLDに、私が、メキシコ先住民についてUPした文章がある。要す るに、メキシコの田舎で、地方警察が手柄を増やすために、スペイン語がうまく話せ ない貧しい先住民(インディヘナとかインディオと呼ばれている人たちね)の人たち を一方的に逮捕して、犯人に仕立て上げてるらしい....という話だ。 じつは、このネタは、メキシコ南部のど田舎、オアハカ州テワンテペックの教会が 発端だった。 ここの司教さん(カトリックの、その地域で一番えらい神父さん)が、じつにいい 人で、地域の貧しい村民のための無料相談所を開設したところ、なんと、あれよあれ よと、「うちの人はなんにもしてないのに、お巡りに連れて行かれた」(;_;) という相談が、相次いだのである。 (前置きが長いけど、ちょっと我慢して読んでね。このへんのことが伏線になるのさ) 慌てた司教は、近在の他の神父たちや、そういう問題に詳しそうな人々に相談した。 で、ちょっと真面目にこの件を調査すると、なんと、5000人以上の不当逮捕者が いそうだという、メキシコ警察史上に残るスキャンダルに発展しちまったのだ。 さて、この司教さんとPANDORAは、まんざら知らない仲ではなくて、2年前に、この テワンテペック村から、上記の事情を知らせる手紙が届いたわけ。 で、まあ、頼まれた手前、PANDORAは、ボード上で署名運動をやったのだった。 このとき、《ラ・ホルナーダ》という、部数はあまり多くないけど、硬派で知られ る新聞も、紙上キャンペーンをうって協力した。部数が少ないとは言っても、日刊紙 である。とうとう、当時のサリナス大統領に調査を約束させた。 これに呼応して、チアパス州ではチョンタル族やツェルタル族の先住民代表者が、 古代遺跡で有名なパレンケから、首都メキシコ市までの2000kmを徒歩でデモ行 進して、先住民の人権を訴えるという「抗議行動」があり、メキシコでは、いくつか の新聞で報道された。繰り返す。92年夏である。 同年、12月12日。チアパス州サン・クリストバル・デ・ラス・カサス市。 『地球の歩き方』にも出てくるちょっとした観光地のこの街で、この《コロンブス 新大陸到達500年目》の日に、この地域の先住民デモ隊が、市を行進し、街の広場 にあった、スペイン人侵略者ディエゴ・デ・マサリエゴの銅像を引き倒し、その後、 そのデモ参加者の多くが、いずこともなく姿を消した。 そして、1年後。1994年1月1日午前2時半。 サン・クリストバル市が、なんの前触れもなく、謎の武装集団に占拠された。 武装集団は、市庁舎のバルコニーから、声明文を2カ国語(先住民語とスペイン語) で読み上げた。 それは、戦争を規定する国際法ジュネーブ条約に基づいて、この先住民武装集団E ZLN(サパティスタ民族解放軍)は、公式に、メキシコ合州国政府に、「宣戦を布 告する」というものだった。 むろん、声明文は、ジュネーブ条約の規定を完璧に満たしていた。 ....かくして、一夜にして、国際法上、メキシコは内戦に突入したのだった。 (続く) 2)--------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL楽しい武装闘争編2 さて、PANDORAは、いま、自宅のビデオで、その蜂起当日の、なかなか臨場感溢れる ビデオを見ながら、EZLN公式宣戦布告声明文の原稿のコピーを見ている。 (なんで、貴様がそんなもんを持っているのだ、という突っ込み不可。こゆのを蛇の 道はヘビというのさ) 94年1月1日午後6時。 ここで、明け方の光の中で、サン・クリストバル市庁舎のスペイン・コロニアル様式 の白いバルコニーで声明文を朗々と読み上げている、ぢつに絵になる男が、後に有名 になる謎の男、副司令官マルコスである。 そして、昼。 知らせを聞いて、メキシコ政府軍が駆けつけてきたときには、サン・クリストバルか ら、EZLNは撤退したあとだった。 翌日、1月2日。明け方。 同じチアパス州のマルガリータ、アルタミラノ、ランチョ・ヌエボ、チャナル、コミ タン、オコシンゴ、オシュチュクの7つの小さな市町村が、EZLNの急襲を受ける。 とくに、ランチョ・ヌエボとコミタンは、政府軍基地が攻撃された。 典型的なゲリラ戦の手法である。 ことが半端ではないことに気がついたメキシコ政府は、当然ながら驚愕した。 慌てて、この「戦争」は、外国人テロリストに指揮された「暴動」に過ぎないと公式 発表し、翌3日に、ゲリラ本拠地を叩き潰すべく、オコシンゴ一帯に空爆をはじめた。 現場は、半密林のたいへんな田舎である。 それでもメキシコ政府は、この時点で、わりと簡単に考えていたのだ。 空爆をやって、政府が本気だというところを見せたら、連中はビビルだろう。 これが、命取りになった。 翌日には、メキシコ政府が、先住民の住む平和な密林に、残虐非道な無差別空爆を行 っている、というニュースが、メキシコ国内の主要紙はじめ、なぜか世界中に配信さ れていたのである。 そして、1月4日。 イタリアの《ウニタ》紙のトップ記事として、このメキシコ内戦の先住民ゲリラ司令 官マルコスの、サン・クリストバルでの単独独占インタビュー記事が掲載されたので ある。もちろん、写真入り。 (このインタビューの翻訳は、ほぼリアルタイムでFSHIMINにUPされ、1カ月遅れ で《週刊金曜日》にも掲載されている) 《ウニタ》はイタリア共産党の機関誌だが、イタリアは伝統的に共産党が強いので、 《赤旗》とは比較にならない影響力を持っている。ニュースはあっという間に、全ヨ ーロッパの新聞に転載された。 まさに、華麗なるデビューだった。 (続く) 3)--------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編3 しかし、ちょっと考えてみよう。 1月4日の朝に、インタビューがイタリアの新聞に掲載されるためには、記事は3日 深夜にはローマに着いていなければならない。 つまり、インタビューはどんなに遅く見積もっても、3日の午後に行われたことにな る。 さて、もういっぺん、よーく考えてみよう。 EZLN武装蜂起が1月1日早朝。近辺の市町村占拠が2日。空爆が3日。 場所は、メキシコとはいえ、むしろ、隣国グァテマラに近い僻地。 一方、《ウニタ》の特派員がメキシコ市にいるとして、1日早朝の蜂起をニュースで 知るのは1日昼近く。(とはいえ、この時点では、まだ、具体的に何が起こってるの かは不明のはずである)。しかし、現場の最寄り空港であるチアパス州都トゥストラ・ グティエレスまで飛行機で飛ぶとする。メキシコ市からトゥストラ行きの午後の便は 15:30発16:50着というのがある。(これが最終) トゥストラ・グティエレスから、サン・クリストバルまでは、山道を車で3時間だ。 理論的には、この日の夜9時過ぎには、着くことそのものは不可能ではない。しかし、 この時点では、サン・クリストバルからEZLNは撤退しているから、着いたとして も完全な空振りだ。 しかも、この時間には、サン・クリストバルは、政府軍の方に制圧されていて、厳戒 態勢である。外国人が、誰かと接触すればかなり目立つから、情報収集は難しい。 わしは、どこに行けばいいのだ?(;_;).....という状況になったはずなのだ。 だいたい、よほど功を焦っているならともかく、ベテランの新聞記者が、まだなにが どうなっているかもわからないようなところに、「暴動が起こったらしい」という報 道だけで、状況も分からず、当てもないのに3時間後にすぐに飛行機に乗ってしまう だろうか? だとしたら、《ウニタ》記者のとった行動の理由は明らかである。 はじめから、何時にどこに行けば、ゲリラ司令官との独占会見を約束するという連絡 を受け取っていたのだ。 いや、この《ウニタ》の記事をよく読むと、「インタビューはサン・クリストバル」 で行われたことになっている。メキシコあたりの駐在特派員というのは、戦争取材の プロではない。たとえ戦闘状況でないとしても、あのあたりの密林地帯に、装備のな い素人が単独で入るのは事実上不可能なことを思うと、実際に、取材はサンクリで行 われたと考える方が自然だ。 ということは、その蜂起のあった1月1日の朝に、《ウニタ》の特派員は居合わせた としか考えられないのである。 おっさんな、正月休暇で、たまたまそこにいたとは言わせないぜ。 (もしもそうなら、堂々とそう書けたはずだからな) つまりだね。蜂起が起こることを、彼は知っていたのだ。 なぜ?....連絡を受けていたから、だろうね。(^_^;)ソレシカナイ (続く) ------------------------------------------------------------ さて、この《ウニタ》の記事に、マルコスのそばに「日本人のような」覆面の女性 がいたという記述があって、あれがまさかワタシではと、国際電話で確認してきた 阿呆がいた。冗談にしても面白くないぞ。んなわけないでしょうが。あたしゃ、い まは歌手なんだってば、歌手。 先住民のひとは、東洋系の顔している人が多いんだから、ウニタも誤解を招くよう なことを書くなよな、ほんまに。 4)--------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編4 話を整理しよう。 EZLNゲリラ軍は、94年正月の早朝、サン・クリストバルを占拠した。 なんで、簡単に占拠できたかというと、それが奇襲だったからだ。 まさに奇襲であったために、メキシコ政府は仰天した。 そして、それが、とくにニュースのない正月という日だったために、この記事は 全世界の午後のニュースで報道され、夕刊に載った。 にもかかわらず、その占拠の瞬間の生々しい記録ビデオが存在している。 そして、明らかに、呼びつけられたイタリアの新聞記者がいて、独占インタビュ ーの大特ダネをモノにし、この記事が各国の新聞や雑誌に転載された。 さらに、政府の空爆開始直後、極秘のはずの空爆は、その日のうちにメキシコ中 の新聞のネタになって、メキシコ政府は一気に国際世論の集中砲火を浴び、『悪 役』イメージを貼りつけられてしまった。 その数日後に出た、『タイム』『ニューズウィーク』『シュピーゲル』『プロセ ソ』といった世界のメジャー誌は、こぞって、このメキシコで起こった先住民反 乱を「特集記事」で取りあげた。 なぜ、メジャー誌が、こんなマイナーな武装蜂起の特集記事が組めたのか? 編集者が特集記事を組みたくなるような、世紀の特ダネ写真が存在したからだった。 そう。なんと、サン・クリストバル占拠の、蜂起当日の歴史的写真までが存在する のである。それも、たまたま居合わせた人がポケットカメラで撮影したようなもの ではない。プロの手になる完璧な報道写真だった。 ここに一冊の写真集がある。 棺を囲む群衆。綿を摘みながら微笑む女。銃を握る少女。血塗れの死体。 弾を込める兵士。廃虚で遊ぶ子供たち。 タイトル《ニカラグアの光景》*。 70年代後半から、中米の内戦をテーマに撮り続けた硬派のカメラマン、アントニ オ・トゥロックの写真集だ。 そのアントニオは戦場から手を引き、数年前から、サン・クリストバルで小さなカ フェを開業して、のんびり暮らしていた。 そして、まさに、そのサンクリが占拠されたとき、アントニオは本能を取り戻した。 血が逆流し、カメラを持って市庁舎に走った。 身の危険は感じなかったか? 感じたわけがない。 ゲリラ軍の名前はEZLN(サパティスタ民族解放軍)。 ニカラグアのFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)や、サルバドルのFMLN (ファラブンド・マルティ民族解放戦線)と同系列の名前を持つ、ジュネーブ条約 宣言をした革命軍ならば、驚いてとがめることはあるかもしれないが、民間人を無 差別に攻撃することはぜったいにあり得ない。 中米を知っている人間なら、当然、そう思うはずだ。。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ アントニオはなんの恐怖もなく、絶妙のアングルで、ゲリラ兵士たちにシャッター を切り続けた。末端の兵士ひとりひとりに至るまで、誰も彼をとがめなかった。 そして、彼は、当然のように通信社に連絡を入れた。 (続く) -------------------------------------------------------------------- * IMAGEN DE NICARAGUA, Antonio Turok, 1988, Casa de las Imagenes, Mexico 5)--------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編5 さて、最初の攻撃地として、なぜ、サン・クリストバルが選ばれたのだろうか? あの街に行ったことがある人なら、すぐに気がつくことがある。 サン・クリストバルは、山の中の静かな、スペイン植民地風の街だ。 近くに、民族衣装の美しい先住民の村がいくつかある。 したがって、観光地。 もちろん、パックツアーの客が行くというよりは、ややマニアックな旅人の志向を 掻き立てる街だ。しかも、隣国グァテマラへ抜けるルートにも当たっていて、グァ テマラから来る旅行者でここを通る人も多い。 だから、当然、ホテルやペンションも多いし、田舎には珍しくオシャレなカフェテ リアやレストランやギャラリーもいくつかある。 つまり、大観光地ではないが、逆にそれだから、バックパッカー系旅行者に人気の ある街であり、メキシコのヒッピーの拠点。また、この街の適度に洗練されていて、 静かな雰囲気を愛して、都会から移り住む人もいる。 それだからこそ、カメラマンのアントニオ・トゥロックもここに住んでいた。 また、蜂起の瞬間を、メキシコでは、まだそう出回っていないハンディカムのビデ オで撮影することができるような観光客もいた。 政府が空爆を開始したとき、「これが重大な人権問題である」という意識を持って、 メキシコ市中央の人権団体やマスコミに、事態を知らせるFAXを送り、知人に電 話をかけまくるような、「市民運動家上がり」の住民がひとりならずいた。 これは、偶然の効果だったのだろうか? EZLNが、ただの武装集団だったら、単に「幸運が味方した」と言うべきかもし れない。 しかし、私たちは、もう、イタリアの《ウニタ》の記者が、現場に「ご招待」され てきていることを知ってるのだ。 偶然ではない。ゲリラ軍司令部は、はじめから、そこがサンクリストバルという特 殊な性格を持つ街であることを考慮し、そこを一時占拠することのメリットを考え て、1月1日の蜂起の場所に選んだのだ。 だからこそ、誰しもがひどく緊張しているはずの蜂起のその瞬間に、末端のゲリラ 兵ひとりひとりが、いきなりカメラマンが飛び出してきても驚きもせず、黙って撮 らせていたに違いないのである。 (続く) 6)--------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編6 さて、一方、イタリアの《ウニタ》に特ダネを奪われたメキシコの新聞はどうした か? こともあろうに、自分の国の大事件を、外国人記者にすっぱ抜かれたのである。 だから、もちろん、切れた。 \\\\\(^O^)///// そら、そうでっせ。 各社のデスクが怒りに震えて、記者に檄を飛ばすのが見えるようだ。で、各社共に、 本腰入れて、キャリアのある腕利きの記者グループを特派員として、チアパスに送り 込んだ。 さて、日本では『菊タブー』というのがあるけど、外国にもこゆものがあって、メキ シコの場合は『教会』ネタと『軍隊』ネタはおおっぴらに書けないというのがある。 しかし、この事件で、そのタブーもぶっとんだ。 とりあえずサンクリに行った記者たちは、サンクリを完全に鎮圧してるものものしい 政府軍を見、行く先を訪ねられ、身体検査をされた。腹を立てた。 《ウニタ》の記事のせいで、政府軍もナーバスになっていたのだ。 実際、政府軍が人権弾圧まがいの取り調べや強制連行などをかなりおこなっているし、 記者の乗っている『PRESS』マークのついた車に発砲するようなこともあった。で、 これは記者たちの絶好のネタにされた。 空爆に加えて、軍のイメージはボロボロになった。ま、自業自得だけど。 そうこうしていると、《ラ・ホルナーダ》紙の送り込んだブランチ・ペトリッチ記者 が、ゲリラ軍との接触に成功し、ついにメキシコ人としての初会見に成功する。とい っても、この場合もブランチが山を歩いてマルコスを発見したのではない。彼らから、 ブランチに極秘に接触してきたのだ。 ブランチ記者はマルコスに応じて、単身、密林に分け入り、次々に特ダネをものにし た。そして、マルコスの上司にあたる、6人の先住民の最高司令官との独占インタビ ューにまで成功する。 ブランチはもともと、ニカラグアやサルバドルの内戦取材でキャリアを積んだ人物で、 プロの戦場記者だが、それにしても大手柄だった。 とにかく、この一連の記事でブランチ・ペトリッチの名は知れわたり、《ラ・ホルナ ーダ》の部数は大躍進を遂げた。 では、なぜ、《ラ・ホルナーダ》が選ばれたのか? おそらく最大の理由は、92年の先住民不当逮捕事件のとき、もっとも積極的にこの 問題を取りあげたのが、この新聞だったからだ。以前より先住民問題や人権問題に関 心があり、しかも論調は、つねに先住民に同情的である。 そうして、そうこうしているうちに、衛星放送TVムルティビシオンが、マルコスの 映像インタビューに成功した。 このときも、EZLN側は、メキシコ最大のマスコミである《テレビサ》を、バカ番 組ばかり流す「政府の御用マスコミ」とコメントし、《テレビサ》には金を積まれて も出てやらないと宣言してみせた。 この件で、《テレビサ》は、赤っ恥をかかされたわけだが、実際、テレビサ系のバラ エティー番組が「バカ番組」なのは事実だし(だから視聴率も高いんだけど(^_^;))、 1月1日にEZLNが蜂起したときに、政府発表そのままに、「外国人テロリストに 唆された農民の暴動」で「すぐに鎮圧された」と、報じた「実績」があるもんだから、 まあ、これも自業自得である。 で、このTVムルティヴィシオンの特別番組のコーディネーターが、ふたたびブラン チ・ペトリッチ。(正確には、ブランチがコーディネータとして出演することを条件 に、マルコス自身がTV出演を承諾したのだ)かくして、ついにマルコスはTVにま で登場することになる。 そして、2夜にわたって特別ドキュメンタリーが放映された、その日。 あまりにも意外な事実に、メキシコの大衆はTVの前でまたもや度肝を抜かれた。 マルコスの横でカメラに写っていた、いまやメキシコでもっとも有名な炎の凄腕ジャ ーナリスト、ブランチ・ペトリッチの正体は....なんと、小柄でまだ若い、まさに可 憐な美女だったのである。しかも、華奢な躯には松葉杖をついていた。 (続く) 7)--------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編7 かくして、ゲリラ勢力EZLNが、完全にマスコミにもてはやされる中、事態を憂 慮したサリーナス大統領は、ゲリラ側に和平会談を提案した。 これに関して、「武器を捨てるなら、ゲリラ兵に恩赦を与え、罪を問わない」とも 演説した。 この、呼びかけの演説全文が新聞に掲載された数日後。 メキシコ国民は、再び、度肝を抜かれることになる。 《ラ・ホルナーダ》紙一面トップに、FAXで届いたという、EZLNのスポーク スマンとしてのマルコス副司令官の長文の手紙が、これまた全文掲載されていたのだ。 この手紙は、『赦免の意味を問う』と題され、メキシコ中に波紋を呼んだ。 ######################################################################### 何ゆえに我らは赦しを乞うのか? 何ゆえに我らが赦されるのか? 餓死しないがために? 貧困の中で口を閉ざさないために? こんなにも軽んじられ見捨てられてきたという歴史的で巨大な荷に甘んじ なかったために? 他のすべての道が閉ざされていることに気づいて武器を取ったために? (中略) 誰が赦しを乞い、誰が赦すのか? 我らが、あまりにも日常的な死のゆえに、死ぬことすら恐れなくなってし まったその同じ日に、飽食していた人々がか? 我らに協力し、支援してくれる人たちがか? それとも、治療可能な病気でむなしく死んでいった貧しい死者たちがか? (中略) 誰が赦しを乞い、誰が赦すのか? 大統領か? 大臣か? 代議士たちか? 市長たちか? 警察か? 軍か? 政党か? 知識人か? マスコミか? 学生か? 労働者か? 農民か? インディヘナか? 無駄な死に方しかできなかった死者たちか? 誰が赦しを乞い、誰が赦すのか? いまはただ、それだけを言いたい。 反乱軍副司令官マルコス (1994年1月21日《ラ・ホルナーダ》) ##################################################################### けだし、名文である。 もともと情にもろいメキシコ人は感動した。 右翼ぎみで、いわゆる左翼系市民運動にはなにかと批判的なノーベル賞作家オク タビオ・パスですら、(日本で言うなら、曾野綾子みたいな人だと思っていただ きたい)どえらく感動して、マルコスによせる一文を新聞に書いたほどであった。 この予期しない一撃に、あわててサリーナス大統領は、別の演説で答えた。 この全文が、ふたたび、新聞に掲載される。 その翌日、また、マルコスからの長文のFAXメールが《ラ・ホルナーダ》に.....。 さて。ネットワーカー諸君。 このパターンはどこかで見たような気がしないだろうか? 《ラ・ホルナーダ》という日刊の新聞を舞台に、対立する両者が交互に長文を載せる。 そう。 まさに、あのネットバトルのパターンである。 ネットでバトルが起これば、そのフォーラムに出入りしていなかった人も、どんどん 覗きにくる。ROMも発言を始める。 それと、まったく同じ現象が起こった。 かくして、それまでは大きなスタンドにも少部数しか置いてなかった《ラ・ホルナー ダ》は、街のあらゆる新聞スタンドに平積みされるほど部数を伸ばした。 《ラ・ホルナーダ》紙投書欄には、投書が殺到した。 ブランチ・ペトリッチ記者宛には、右翼団体からの暗殺予告状まで舞い込み、ブラン チは地下に潜る羽目にはなったが、さらに「ヒロイン度」を高めた。 このやりとりの間で、いつのまにか、EZLNは田舎の小さな組織ではなく、大統領 と対等にやり合う存在になっていった......ように見えるようになった。 軍事力や経済力が、ではない。存在感が、だ。 彼らは、人権問題を盾にした。そして、政府の約束が信頼できないということを理由 に、武装解除を拒否し、一歩も譲らず、要求貫徹を主張した。 先住民の生活条件の向上、教育、食料、水道....それから、自治権、というような、 誰が見ても当然で、なおかつ、政府がその気になればすぐに取り組める要求から、憲 法改正という重いものまで。 冷静に考えれば、田舎のごく小さな組織相手に、いまや先進国の仲間入りを果たした はずの、大メキシコ政府はじりじりと追いつめられていった。 そして、譲歩が始まった。 8)--------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編8 「マルコスを個人的にどう思う?」 ある日、PANDORAは、炎の敏腕記者ブランチ・ペトリッチに、一緒に呑みながら尋ね てみた。 (PANDORAと、このブランチ・ペトリッチとがどういう関係かというと、以前のPANDORA REPORTでもちょっと書いたが、ブランチが歌手のPANDORAのファン(^_^;)なのだった。 で、PANDORAがジャーナリストのブランチのファンなのは言うまでもない) 「マルコスね。ホント言うと、あんまり好きじゃないわ」と、意外な言葉。 「まっ(*゚_゚*)、メキシコ中の女の子が夢中になってる天下のいい男に一番近いとこ にいる人が、随分ともったいないこと言うのね」 「PANDORA(-_-;)、あなた、ああいう何考えてるのかわからないような男が趣味?」 (^_^;)←いつもそれで失敗する つまり、ブランチ本人は、かなり冷静にこの状況を分析していた。 「うまくやられちゃったのよ。マルコスははじめから、マスコミを手玉にとるつも りで、実際にそれを完璧にやったわけ。で、私を含め何人かが途中からそれに気 がついたわ。でも、その時にはもうどうしようもなかったの。だいたい、餌の投 げ方が見事だったわよね。あたしですら、《ウニタ》の独占記事には逆上したわ よ......それに、写真、FAX.....あの名前からして.....」 そうなのだ。誰が最初に気づいたかは、もう定かではないが、あの1月1日と2日 の実際の戦闘があった日々に、EZLNが占拠した市町村の名前を列記する。 Margarita Altamirano Rancho Nuevo Chanal,Comitan Ococingo,Oxchuc San Cristobal De Las Casas 頭文字をつなげると、MARCOS=マルコス君の名前が出てくるという仕掛け である。おまえの正体は泡坂妻夫か? それとも、あくまで偶然と言い張るか? いずれにしても、記者心理を掻き立てる。ネタに事欠かない。 いや、記者だけではない。読者や視聴者の心理のつかみ方も見事だ。 待てよ....読者に視聴者の心理といえば...。 「ちょっと待って、ブランチ。何か引っかかってるんだけどな....そう....私、あ のアントニオ・トゥロックの写真集を持ってるんだけど、自分で買った記憶がな いの....ずっと前に、誰かにプレゼントされたんだわ....でも、誰が私にあれを くれたんだったかしら」 「トゥロック本人じゃない?」 「いいえ。私はトゥロックとは面識はないの。でも、共通の知り合いがいるんじゃ ないかしら」 「だったら、私よ。私、トゥロックから何冊かもらってたから、あなたのレコード 会社にも送ったの」 そうだ。思い出したぞ。レコード会社の社長のモデスト・ロペスが、私が好きそう なものが届いたと言ってくれたのだ。と、いうことは....。 (*゚_゚*) 「ブランチ、あなた、アントニオ・トゥロックとはかなり親しいの?」 「ええ、もちろん....ニカラグアでは一緒に組んで取材してたのよ」 「ということは、もしもマルコスがアントニオ・トゥロックの仕事や性格のことを よく知っていたとするなら、あなたのこともよく知っていた可能性があるという ことよね」 「それ、どういう意味?」 「マルコスは、あなたが単に珍しい女性の戦場記者というだけではなく、なまじの 女優よりも美人でTVうつりがいいに違いないってことを、はじめから知ってた かもしれないってことよ....そして、そういうことが大衆にウケるだろうってこ ともね」 そのとおりだ。屈強の男ですらためらう戦場の取材のエキスパートが、女性だとい うなら。それも、今回の場合は、夜は零度以下に冷え込む密林に乗り込んでの過酷 な取材だ。それをやったのが、華奢な美形ならなおのこと。 そして、脚。生まれながらに萎えた彼女の右足。松葉杖で、彼女は戦地を駈け、ジ ャングルに分け入るのだ。これだけでもドラマではないか。 「PANDORA....あなた、マルコスが語ってる『経歴』がでっち上げだと言うの?」 「でっち上げとは言わないわ。でも、数年間の出来事で、特に言う必要がないと、 彼が自分で判断したことには敢えて口を閉ざしてるんじゃないかと言ってるだけ よ。ブランチ、あなたも本当は気がついてるんでしょ?」 ^^^^^^^^^^^^^^^^ ブランチがにやりと笑った。 「素人がちょっと訓練して武装蜂起はできないわ。経験者の指導がなくてはね。今 回の蜂起は、実際の戦闘は小規模だったけど、それは撤退のやり方が見事だった からよ。つまり指揮官が熟練してたわけ。そして、あの時代に、中米で、実戦に 身を投じた外国人ボランティアの中にはメキシコ人も、少なくはなかったわ。あ なたも知ってるようにね」 ^^ ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ PANDORAが苦く笑った。 「で、過去に『苦い経験』を持ってれば、それを活かすこともできるわけよ、今回 のマスコミ対策のように....中米では、戦闘には勝っても、そこのとこで痛い目 に遭ったからね」 ブランチは、新しいボトルを開けた。 「つまり....私たちはみんな、あの時代の生き残りってわけね。乾杯」 ^^^^^^^^^^^^^^ (続く) 9)--------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編9 チアパスは、メキシコのもっとも貧しい地域である。 先住民人口の比率が高く、主な産業は農業。 ここで、メキシコの主食であるトウモロコシの9割を生産している。 (しかし、その生産はほとんど、昔ながらの手作業による) サンクリストバルの市場のそばから出るミニバスに乗れば、比較的簡単に、この 周辺の先住民の村々に行ける。 観光客から見れば、美しい民族衣装を身にまとった人々が住む、桃源郷のような のどかで鄙びた平和そうな村々がいくつもある。 グレーの毛織りに細かな刺繍のチャムーラ、鮮やかなピンクのポンチョのシナカ ンタン、白地に凹凸のある赤と緑の華麗な刺繍のテネハパ、白地に繊細な深紅の 刺繍のサン・アンドレス....。 そんな村の教会に行ってみよう。 小さな教会には、褐色に塗られ、村の民族衣装を身にまとったマリア像がある。 松葉やクチナシの花びらが敷き詰められ、異教的な雰囲気が漂う。 写真は厳禁。 このあたりの人々は、写真を撮られると魂が抜かれると信じているのだ。だから、 それを知らずに教会の内部を撮影して、殺された観光客もいる。 彼らは、昔ながらの伝統的な暮らし方を護っている....。 これぐらいのことは、『地球の歩き方』にも書いてある。 そして、蜂起したのは、まさしく、彼らだったのだ。 電気や水道の設置率最低。乳幼児死亡率最高。 いや、乳幼児に限らず、医師そのものが少なく、公立病院での診療拒否などのため、 現代の医学で確実に助かる病気で人が死ぬ。 子供が学校に行こうとしても、授業がスペイン語だけで行われるため、先住民語で 育った子供は、いきなり授業についていけない。脱落する。やっぱり先住民だから だと言われる。先住民として生まれたゆえに、可能性さえ奪われる。 もっとも保守的な土地柄であり、選挙のたびに、与党PRIが確実に9割以上の 得票率を得る、「保守の牙城」。 しかし、《白い軍隊》と呼ばれる、地主たちの私設軍隊の存在が公然の秘密。 1994年1月1日からNAFTA(北米自由貿易協定)が発効すれば、北米産の 安価なトウモロコシがメキシコ市場を席巻し、そうなれば、先住民たちが得るわず かな現金収入が致命的な打撃を受けるのは、当然のように予測できた。 この92年の春にあった、先住民の人権擁護キャンペーンでは、カトリックの神父 たちを中心にしたグループが、コロンブス記念日の12月10日が来る前に、問題 の解決を「平和的に」政府に要求した。 そして、大統領は、「前向きの検討」を約束し、約束しただけだったのは言うまで もない。 その12月10日。 サンクリストバルで、自然発生的に彼ら先住民のデモが起こり、デモ参加者の多く が、しばらくして姿を消した。これらの人々が、EZLNのメンバーに加わってい るという情報がある。 ###################################################################### この国の本来の正当な所有者として、我々は、いまこそ、もうたくさんだ と口にする。この売国的な人々の利益の代表でしかなく70年間の独裁を 敷く政府のもとで、餓死することを拒否するために集まる。我々は、憲法 39条に記された権利を主張し、以下を宣言する。 我々はメキシコ連邦軍並びにその頂点にいるカルロス・サリーナス=デ=ゴ ルタリに対して、宣戦を布告する。 以上の宣言に付帯して、各国政府機関、国際機関並びに国際赤十字に対し、 我々への承認を求めるとともに、戦闘の監視を求める。民間人は攻撃され ることはない。すなわち、我々は ジュネーブ条約を遵守するものである。 EZLNは民族解放戦をおこなう軍事組織であり、構成員はメキシコ人で あり、我々は国旗に敬意を表するものである。我々の軍服には赤と黒の章 をつけ、軍旗にはEZLNの文字をつけるものとする。 EZLNの目的は以下のものである。 1)公正で自由選挙をおこなうためなら、首都進撃も辞さないものである 2)捕虜を尊重し、負傷者は国際赤十字に引き渡す....(以下略) (1月1日、サンクリストバルでの戦争宣言草稿より) ################################################################### だから、サン・クリストバル蜂起の直後、この市の教会のゴンサロ神父とその上の サミュエル・ルイス司教は、はっきりと、この蜂起を「起こるべきして起こった事 件だ」と語った。 この時点では、まだ、政府側が、この事件を「外国人の扇動による、一時的な暴動」 で片づけようとしていた頃だから、完全に先住民側にたった発言である。 やがて、このサミュエル・ルイス司教は、政府とEZLNの対話の調停者に選ばれ る。 そして、和平交渉が始まった。 政府側特使として、マヌエル・カマーチョが選ばれた。与党PRI(革命制度党) の中で、次期大統領候補の座をドナルド・コロシオと最後まで争って、破れた男だ った。 (続く) 10)-------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編10 もしも、あなただったらどうするか? 追いつめられ、武器を取る決意をする。 しかし、少々の訓練をしたところで、所詮は素人集団である。 少々の訓練をしたところで、正規軍相手にどこまで通用するか? 密林という地の利はあっても、すぐに討伐軍は数万にふくれあがる。 近隣の村々は虱潰しに捜索されるだろう。 長期戦になれば、すぐに、食料や武器弾薬の補給の問題が起こるのは火を見るより 明らかだ。 そして、消耗戦になればなるほど不利になる。 いや、たとえ、最後の一人まで闘う覚悟はできているなら、それなりにゲリラ戦で 政府軍を悩ませることはできるだろう。 しかし、次々に起こる世界の大ニュースの前では、誰もメキシコの田舎のことにな ど関心は持たない。かくして、ゲリラたちは死んでいき、そして、問題は解決され もしない。 ...かつて、同じメキシコのゲレーロ州で蜂起した農民たちがたどった運命だ。 サルバドルですらそうだった。 あの恐るべき『死の部隊』の暗躍する国で、国土の3分の1を解放区にまでしなが ら、サルバドルのゲリラたちは、米国にテロリスト呼ばわりされた。 民間人を殺していたのは政府軍の方だったが、(そしてそれは、あのころ、あの辺 にいた人間ならみんな知っていたが)、米国はその政府軍に軍事援助をやめなかっ た。ゲリラたちは、政府軍とではなく、最新装備のグリーンベレーと闘うはめにな り、それでも負けなかったが、しかし、戦局は膠着状態となって、10年後、和平 調停案を呑まされた。 ニカラグアだってそうだ。 革命は成功した。しかし、独裁者を追い出して、国づくりをしようとした矢先、旧 独裁者の国家治安部隊が、米国の資金援助を受けて攻撃を開始してきた。 国際法を無視した暴挙だったが、しかし、貧しい小さな国の悲鳴は、超大国の国際 世論操作には勝てなかった。 誰が見ても不利な状態で、体力的に勝ち目のない相手に喧嘩を売る羽目になったら、 わたしならどうするだろうか? (冷静に見て、こちらを庇って、自分が怪我をする危険を敢えておかしてくれるよ うな友人は期待できないし、敵方への反感から自分の味方をしてくれるような反対 勢力もいまどきいないのだ) となれば、なんとかする方法はひとつだ。 喧嘩は売る。 しかし、本格的な殴り合いになる前に、回りの通行人たちに、喧嘩を仲裁してもら うのだ。 相手は陰険で、汚い手を使いかねない連中ではあるが、しかし、対面を気にしなけ ればならない立場にある。これが、最大の弱点だ。 可能性があるとすれば、この方法だけだろう。 ただし、このやり方には、条件があった。 喧嘩を、人目につくところで、はじめなくてはならない。 喧嘩が始まったら、できるだけたくさんの人に集まってきてもらわなくてはならな い。喧嘩を暴力による喧嘩ではなく、口喧嘩に転化できれば、勝ち目すら出てくる かもしれない。 いや、そうするしかなかったのだ。 ただ、そのためには、作戦はよく練らねばならない。 できるだけ犠牲の少ない「小さなドンパチ」で、メキシコの今年最大の事件にしな ければならない。いや、世界ニュースに仕立て上げねばならない。 彼らは、一世一代の賭けに出た。 シナリオは存在していた。 そう、これは、メキシコ版《熱海殺人事件》だった。 ただし、民族の運命を賭けたシナリオで。 (続く) 11)-------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編11 和平交渉は、引き続き、ネットバトル感覚で行われた。 人々は固唾を呑んで、政府代表カマーチョと副司令官マルコスとの対決を見守った。 こうなってしまった以上、政府軍は滅多なことはできない。 さらに、もうひとつの問題が起こってきた。 新聞は(依然としてバトルの中心は《ラ・ホルナーダ》だったが、あらゆる新聞はも ちろん、無視できないので)毎日、関連記事や分析で紙面を埋める。 マルコスは....云々。カマーチョは....云々。 大統領候補としての戦いに敗れ、失意にあったカマーチョはいきなり有名人になった。 皮肉にも、PRI(政府)といえば、カマーチョ、というイメージができてしまった のだ。 その結果、PRI与党の政党の大統領候補であったコロシオは、すでに選挙キャンペ ーン期間中に入っていたにもかかわらず、かき消された。とにかく、世間の注目は、 ゲリラとの和平交渉にいってしまっている。 実際、和平交渉の成りゆきで、いろいろな政策も変わってきかねないから、コロシオ としても、身のあることを言うことはできない。だいたい、コロシオ自身、カリスマ 性のあるタイプでは、まったくなかった。 次期大統領としての最短距離にいる候補であるにもかかわらず、そして、本来なら選 挙キャンペーンが最大に盛り上がっているはずの時期に 「コロシオって、誰だっけ」(-_-?) という雰囲気になってしまったのだ。 これを利用したのが、対立候補の第一野党PRD(革命民主党)候補クアウテモック ・カルデナスだった。彼は、積極的にマスコミに出て、EZLN支持を語った。 はっきり言うと、このカルデナスは、ばりばりのPRD党員ではない。 むしろ、たいへんなブルジョアで名門の出身である。(さらに言うと、もともとはP RI党員だったのを、どうやらPRI主流派になれそうにないので、野党に転向した 人物だった)しかし、PRD大統領候補になってからは、その血統の知名度と清潔ム ードで健闘していた。 メキシコ中央を南北に走る大通りにラサロ・カルデナス通りというのがあるが、この、 メキシコ市場もっとも有名な大統領の一人であるラサロ・カルデナスが彼の直系の祖 父である。 祖父ラサロは、PRIだったが、メキシコの石油の国有化を断行した大統領だった。 労働者の権利を保護し、メキシコの誇りを訴えた人物でもある。いまでも名大統領と して評価も人気も高い。 この祖父のイメージが、なんといってもメキシコ大衆にアピールするものがあった。 さらに、名前が良い。 クアウテモックというのは、アステカ王国最後の皇帝として、スペイン人と勇敢に戦 い、破れて、過酷な拷問を受けても、最後までアステカの財宝の在処を喋らなかった 英雄の名である。先住民蜂起の年のイメージにぴったりくる。 実際、前回の選挙でも、その清潔イメージで、カルデナスは首都圏集計ではPRI候 補をわずかにリードしていたぐらいなのだ。 この野党PRD候補クアウテモック・カルデナスに比べて、与党PRIの候補の方は 「コロシオって誰だっけ?」と言われる始末だ。 一方、EZLNの方も、和平交渉を続けながらも、サリーナス大統領の政策顧問を、 堂々と、メキシコ市でもっとも治安のいいはずのコヨアカン(PANDORAの家の近所)で 誘拐してみせるというオシャレな手口で、EZLNメンバー(または協力者)が首都 にもいるとこを、ちょこっとアピールしてみせて、政府を圧迫してみたりと、細かい 芸を見せてくれる。 和平交渉はEZLNペースに進み、ついに、メキシコ上院も、選挙法改正案を可決し た。選挙法までが改正されたのだ! そして、PRDが確実に支持率を伸ばしていく中、誰の目にも明らかなことがあった ....コロシオでは、PRIは選挙に勝てない。(-_-;) コロシオがそもそも、大統領候補になれたのは、93年の末までは、誰の目にも、P RI体制の基盤が揺るぎないものだと思われていたからだった。 まして、94年正月からは、NAFTA(北米自由貿易協定圏)も発効する。 PRIの王座は揺るぐはずがなかった。 だから、大統領選挙といっても所詮は、形式程度のモノ、どうせエスカレーター式に 大統領になれるはずの役割だからこそ、カリスマ的指導者タイプではなく、現大統領 サリーナス路線をそのまま継承する実務家肌の地味なコロシオが候補に選ばれただけ の話だったのだ。 しかし、チアパスでEZLNが蜂起した。 状況が180度変わったわけだ。 しかし、いまさら、大統領候補を別の人間に変えることはできない。 PRIの護り続けていた、70年間の一党独裁体制は、足元から揺れ始めていた。 ....よりにもよって、インディオ!...あの薄汚い、文盲の、スペイン語さえ 満足に喋れないはずの、バカにしきっていた連中のせいで! けれどそれが「現実」だった。 コロシオではPRIは選挙に勝てない。 それは、もう誰の目にも明らかだった。 (続く) 12)-------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編12 3月初旬。 チアパスで行われていた政府とEZLNの和平交渉第一ラウンド終了。 もちろん、EZLN代表たちは、武装解除なんかしたりせずに「ほかの仲間と相談 するために」、マルコスも含め、密林の中に戻っていった。 そして、その暫くあと。コロシオが暗殺された。 \\\\\(゚O゚;)///// EZLNは、即座に、非犯行声明を出した。 出さなくても、EZLNがやったのではないことぐらい、誰でも分かっていた。 だって、コロシオが生きてるほうが、選挙でPRIが負けることを願っているEZ LNには都合が良かったのだからね。 はい、では、犯人は誰でしょう。 たぶん、コロシオが死んで得をする、いや、コロシオが生きていれば邪魔だった人 たちでしょうねえ。はい、では、それは誰でしょう。 (^_^;) で、いま、あなたが考えついたのと同じことを、少なからぬ人も考えたわけ。 さすがに、PRIは、かわいそうなコロシオの死後、EZLNとの和平交渉の政府 側代表として、一躍マスコミに顔の売れたカマーチョを次期候補にはしない、と言 明した。 そら、そこまでやったら、アレですもんですもんなあ...まるで、コロシオ暗殺 をコレ幸いと思ってるみたいだもんなあ...と、ひょっとしたら多くの人が考え るかもしれないからねえ。 (どうだ、歯切れの悪い日本語だろう(*^_^*)。あたしは、メキシコ居住外国人なの で、政治問題にあまり突っ込んだ発言をすると、ビザを取り消されるかもしれない のだ) で、次期大統領候補に、若くていい男のセディージョが指名された。 どうでもいいが、ワタシはセディージョのルックスは好みであった。 これでやっとキャストが揃った。 PRDの一押し、クアウテモック・カルデナス。 PRIのピンチヒッター、セディージョ。 さらに、右より政党のPANの候補者で弁舌巧みなディエゴ。 あとは、泡沫候補と見られていた。 こうして、PRIは米国の広告代理店に頼んで、派手な選挙戦を展開し始める。 「安定したメキシコ」がそのテーマ。 PRDのカルデナスは、追い風に乗って「民主主義の到来!」路線。 PANのディエゴは「さらに強いメキシコ」を呼びかける。 状況としては、事実上、PRIとPRDの一騎打ちのようだった。 が、ここに、もう一人、奇怪な人物が乱入する。 セシリア・ソト。左翼系の労働党党首にして、同党からの女性大統領候補。 貧乏なはずの労働党が、突然、同じ米国の広告代理店の手伝いで、ぢつにメジャー 路線の華麗な選挙戦を展開し始めたのだ。 いうまでもなく、労働党に、そんなカネがあるはずはなかった。 セシリアちゃんに、大金持ちの親戚の莫大な遺産が転がり込んできたというなら話 はべつだけど、そうでないなら、明らかに誰かが資金援助したのだ。 理由は、左翼の分裂を図り、カルデナスの足を引っ張るためだろうね。 誰が? 米国の広告代理店にハナシつけてくれたんだから、米国関係の人でしょうね。 で、カルデナスが大統領になってほしくなくて、政治にかまうのが大好きな大金持 ちで、わりと浅はかな人。 さて、それは誰でしょうねえ。(*^_^*) いや、べつに、ロ*・ペ**さんがあやしいなんて、ワタシは言ってませんよ。 (続く) 13)-------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編13 さて、そゆ状況の中。 メキシコの奇人変人が宴会に集まることで知られるレコード会社ペンタグラマでは、 カフェテリアに黒板を出していた。 ------------------------------------------------------------------ セディージョ クアウテモック ディエゴ その他 (PRI) (PDR) (PAN) ホルヘ 46% 28% 21% 5% モデスト 36% 34% 26% 4% アントニオ 28% 46% 18% 8% アルベルト 28% 42% 21% 9% PANDORA 34% 32% 28% 6% (以下略) ------------------------------------------------------------------ (註・数字はうろ覚えなので、やや適当(^_^;)) 「これはなんですか?」 と、ちょうどメキシコ旅行の途中で、CDを買うためにペンタグラマに立ち寄った FBEATマンボ軍団のKONG!くんが、PANDORAに尋ねた。 「あー、これはねー、はずした人全員が当たった人にウイスキーまたはラム1本 なの」(*^_^*) 「それって....ひょっとして、選挙賭博ですか?」(-_-;) お金賭けてんじゃないから、賭博じゃないわよん。 ペンタグラマの場合、PRD派が多かったが、「ぜったい不正選挙になるから」と か、「内戦になるかもしれないと、土壇場で国民がビビるから」という理由で、P RIの勝利を予想した人も多かった。 「PANDORA、なんで君は、PRIに賭けたんだ?」とPRD支持者のロック歌手のア ルベルト。 「セディージョの顔が好きだから」(*^_^*) 「マルコスの顔は好きじゃなかったのか?」(-_-;) 「マルコスの苦渋に満ちた顔が好きなの」(^_^;) (ほんとは、大穴を狙ってたPANDORAだった) さらにもうひとつ、賭けが存在していた。「メキシコは内戦化するか?」 そう。これが賭けの対象になるほど、コロシオ暗殺以来、メキシコは騒然としてい た。選挙の結果いかんで内戦はありうると、多くの人が感じはじめていた。 そんなある日のオフィスタイムが終わった時間。 ペンタグラマでは、オフィスタイムが終わる頃に、アーチストたちが集まり始める。 もちろん、宴会のためだ。 で、PANDORAもそこにいた。 そこに電話が鳴った。受け付けのアンヘリカちゃんはもちろん、もう帰ってしまって いたので、電話の前にいたPANDORAが受話器を取った。 「はい、もしもし、ペンタグラマです」(*^_^*) 笑いが消えた。 それから、PANDORAは深呼吸して、振り返った。 「モデスト社長。サパティスタ民族解放軍からお電話です」 (続く) 14)-------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編14 受話器が置かれた。 社長はふっとため息をついた。 それを、PANDORAをはじめ、数人のアーチストが冷たい目で眺めた。 「社長、よくも、しゃあしゃあと騙してくれてたわね」(-_-) 「な、なんのことだ?」(^_^;) 「さあっ、吐くのよっ。一体、いつからゲリラ蜂起にかかわってたの?!」 「ち、違うっ、それは誤解だ」(゚_゚;) 「なにが誤解よっ、電話がかかるほど仲良しのくせにっ....はじめからグルだった のね。ああっ、口惜しいっ」 「ほ、本当だ。ワシはほんとに何も知らんのだっ」 「じゃあ、なんでEZLNから電話がかかるのよっ」 「そ....それは....」(^_^;) \\\\\(゚O゚;)///// 同じような会話が、その夜、メキシコ各地で交わされていたに相違なかった。 政府とEZLNとの第二次和平交渉を目の前に、EZLNは、またもやとんでもね え作戦を考えついたのだった。 おそらく、コロシオ大統領候補の暗殺事件で、PRI内の強硬派は、追いつめられ たらなにをするかわからないという危惧だろう。 和平交渉の席上で暗殺されてはたまらない。 そこで、EZLNが考えついた策は、じつに彼ららしいものだった。 和平交渉を、どっか〜〜〜んと公開しちゃおうというのだ。 チアパスの田舎で行われる和平交渉に、ギャラリーをどっさりご招待である。 それも、ニュース性豊かな、作家・音楽家・文化人・ジャーナリスト、組合関係者。 で、ペンタグラマからは所属アーチストのオスカル・チャベス、ギジェルモ・ベラ スケスら数名が「ご招待」を受けたわけだ。 むろん電話だけではなく、その数時間後には、FAXで正式の招待状が届いた。 翌日の新聞は、もう大騒ぎだった。 その一方で、和平交渉会場に指定されたアグアスカリエンテスの村では、ど田舎の 村だってのに、マルコスの指示のもと、ロックコンサートでもできるんじゃないか という集会場と音響・照明が着々と準備されていたのである。 というわけで、8月初旬。 チアパスの山の中の村、アグアスカリエンテスで、第2次和平交渉が行われた。 なんと、招待された見物人は6千人に及んだ。 この6千人は、最寄りのチアパス州都トゥストラ・グティエレスの空港から、ある いは、メキシコ・シティ中心の憲法広場(ソカロ)にずらりと並んだの臨時バスで 会場に向かったのだ。 先程述べたような、ジャーナリスト、文化人、芸術家のほか、労働組合や市民グル ープも、それぞれ代表を送り込んだのだ。 そして、司令官たちとマルコスの演説で始まった開会式のあと、政府とEZLNの 交渉の間、これらの人たちは、6つの会場に分散して、それぞれ、メキシコの将来 について討論会(円卓会議と名づけられた)をおこなったのであった。 言うまでもなく、チアパスの遥か山の中まで、やってきたこれらの人たちは、99 %以上の確率で、EZLNに親近感を抱いている人たちだった。 そう。 直接、和平交渉に参加していなくても、6000人の、首都から来た民間人のEZ LN支持者がそこにいるという事実が、政府側にどれぐらいの心理的圧力を与えた ことか。 見事なシナリオだった。ただ、ある誤算を除いて。 (続く) 15)-------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編15 「けっきょく『円卓会議』では、次の選挙では、反政府統一候補として、PRD のクアウテモック・カルデナスを推すことになった」 と、円卓会議に参加した、ある労働組合の代表者が言った。 PANDORAは、キューバリブレを飲みながら、黙って、集まっていた顔ぶれをさっと 見渡した。 やむを得ない、という顔で頷く者。 露骨に不愉快そうな顔を見せる者。 どちらとも言えぬ顔で、小刻みに躯を揺する者。 「反対だ」ついに一人が言った。 「いくら、PRI政権を倒すためといっても、あの連中に権力を与えたくない。ま して、血の犠牲を払ったのはEZLNだ。これでは、PRDは棚ボタではないか」 「しかし、他に選択肢はない。それ以外に対抗馬はいないのだからな」と別の一人。 「君は、あの連中がどういう奴らかわかっていないからだ」 「この際、そういう問題ではない」 「そういう問題だ。いままで、PRDに他の市民グループや政党がどれだけ厭な目 に遭わされてきたか、覚えていないとは言わせないぞ。だいたい、カルデナスは 権力志向の男だ。政権の座に就けば、平気で改憲だって正当化しかねない。信頼 できないね」 「しかし、他にどの政党がPRIに対抗できる? 棄権すればPRIを利するだけ じゃないか」 ここに、他の連中も議論に加わってきた。 収拾がつかない。 簡単に言うと、日本でも「左翼」が一枚板ではぜんぜんなくて、やれ共産党系だの 社会党系だの中核派だの革マルだのブントだの毛沢東路線だの非政党非セクト系市 民団体だのと、けっこう対立があるのと同様、メキシコも、そういう対立があるの だった。 それだけに、裏を返せば、EZLNのやり方は利口だったのである。 つまり、最初に蜂起したとき、どこの政党もセクトとも市民団体とも連絡を取った り、支援を求めたりしなかった。 マスコミとのインタビューでは、いかなる政党組織とも関係がないことを、ことあ るごとに強調している。 そして、散々書いてきたように、マルコスは、徹底的にマスコミ戦略をうまくやっ て、問題を大きくした。 そのうえで、このマスコミとの付き合いで、イデオロギーをいっさい前に出さない。 「帝国主義」とか「打倒」とかいう、いわゆる『左翼用語』をいっさい使わないか らこそ、ノンポリの大衆の共感を得られたのだし、あくまで「人権」をテーマに絞 ったからこそ、右翼ですら(極右は別として)、EZLNを誹謗しづらい雰囲気が できちゃったわけなのだ。 また、その一方で、特定の組織とつながりがなかったからこそ、個々の団体が、E ZLN支持のデモをしたり行動を起こすのは、その団体の自由ということになる。 ふだん対立している色々な政党や組織が競って、EZLN支持を打ち出すようにな ったのだ。こうなっちゃった以上、みんな有名人とはお友達になりたいのだ。 でも、もし、最初の段階で特定の組織や政党とのつながりが明るみになっていれば、 何らかの形でレッテルを貼られただろうし、レッテルを貼られれば、こうは上手く いかなかったのは確かだったのだ。 (ちなみにEZLN蜂起のあとに、メキシコ・シティで、PRUMという毛沢東路 線の政党がEZLN支持表明を出したということだけを理由に、よく調査もせずに EZLNを毛沢東路線と関係あるらしいとレッテル貼って、得意満面に報道した情 けない新聞が、ある日本の日刊紙であった。そう、あの新聞である。まったく困っ たものだ) それに、こう言っちゃ悪いが、いままでは、どうせ選挙ではPRIが勝つに決まっ ていたから、左翼と称する人たちは、それぞれ、自分のお好みの政党に投票してた って、どうせ勝てないという点では大した違いはなかったわけ。 しかし、いよいよ選挙が近づいて、PRIが危なくなってきて事態が変わったのだ。 野党統一候補を立てれば、政治がひっくりかえるかもしれない、という状況が現実 になったのである。 そして、一番勝てる可能性の高い候補が、PRDのクアウテモック・カルデナスだ としたら....。 そこには、傍目から見てるとどうでもよさそうなことであっても、彼らなりには苦 しい選択を迫られる人たちもいたのである。 (続く) 16)-------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編16 「君はどう思う?」議論していたひとりがこっちを見て言った。 「大きな政党から、政権を奪おうとするなら、少々のことは我慢しなきゃならない でしょうねえ」と、しょうがないから、PANDORA。 「ひと事だと思って何を言うか」さっきから強硬にPRD非支持を主張していた兄 さん。 だぁって、ひと事だもの。だったら、聞くなよな。あたしゃ、外国人なんだからね。 でも、ちょっとむっとしたので、PANDORAは続けた。 「ひと事だからこそ、客観的にクリアに見えるってこともあると思うんだけど」 みんな、一瞬黙った。 何か、興味深い話が出てくるのだろうと期待して、視線がこっちに集まった。 (-_-;)シマッタ まずい。 ほんとは何も考えてなかったのだが、こうなってしまったら、なにか面白い話をし ないわけにはいかなくなってしまった。 あああ、どうしてワタシってこうなのかしら。(-_-;) でもワタシは大阪の人間なので、期待されたらやっぱりウケを狙ってしまうのだっ た。 「ええと、チリの民主化の教訓というのがあります」 《テクニック1》 議論で困ったら、話を自分の得意分野に持っていって、 むりやり似てる点をこじつけること。 \\\\\(^O^)///// みんな、何も言わず、こっちを注目している。やばい。 「ピノチェト軍事独裁を選挙で倒すために、チリでは89年に反軍政連合を作った わ。それまで対立してた共産党、社会党、キリスト教民主党、MIRがすべて大 同団結して....過去のことを水に流して、中道右派のキリスト教民主党から大統 領候補を出した。社会党左派の人なんかは身を切られる思いだったでしょうけど ....おかげで選挙に勝った」 間髪入れず、例の兄さんが口を挟んだ。 「しかし、それでできた政権は、右寄りの弱腰で、結局軍部に押し切られて、軍事 政権時代の虐殺や人権弾圧を、ほとんどうやむやにしたんじゃなかったのか」 うっ、貴様、やるな。(-_-;) 「でも、あのとき大同団結してなきゃ、依然としてピノチェトが権力の座にあって、 民主化運動は潰されていったでしょうね。それに比べりゃ、大きな進歩だわ」 「修正主義的な考え方だな」 「奇跡はお空から降ってくると思ってるほど信心深いわけ? 変化は人間が努力し て、少しずつ積み上げていくものよ。たとえ、腹の底が煮えくり返るとしてもね、 理性で感情をコントロールできないような人間に政治ができるとは思えないわ」 「君の言っているのは、机上の理想論だよ。それで物事が片づくなら、世界に戦争 は存在しない」 「理想論がくだらないって言うの? じゃあ聞くけど、それじゃ、あなたは、理想 のために武装蜂起した、サパティスタの戦士たちを見殺しにするって言うのね?」 《テクニック2》 議論で負けそうになったら、話の論点をすり替えること。 \\\\\(^O^)///// 相手は引っかかった。 兄さんは、一瞬、黙った。へへへ。痛いとこを突かれたのだ。よし、痛いとこは徹 底して突かせてもらうぜ。悪いけど、勝負の世界は非情なのさっ。 「あの先住民の兵士たちは、メキシコの左翼が互いにああのこうのとイデオロギー の議論している間に、追いつめられて武器を取って、自らの血を流して生きる権 利を訴えたのだわ。それを、この期に及んで、メキシコシティの『民主的な』運 動家の方々は、何年前に誰が誰に足を踏まれたみたいなことで頭が一杯だなんて、 それじゃあ、あの人たちがあんまり気の毒じゃない」 みんな何も言わなかった。 が、かなりむっとした表情が、そこに居合わせた全員の顔をよぎった。 しまった。これはちょっと、言い過ぎね。フォロー、フォロー。(^_^;) 「こんなことを言うのも、ワタシはね、メキシコってなんて凄いところだと思ってる からなんです」 真面目な顔で、PANDORAは続けた。 《テクニック3》 反感を買いそうになったら、とりあえず、相手を褒める。 \\\\\(^O^)///// 「この冷戦構造が崩壊して、ゲリラ戦なんてもんが、時代遅れに思われるような時 代に、その手垢がついたような武装蜂起という手段を、完璧に情報戦略を駆使し て、最小の犠牲で最大の効果をあげさせた。実に偉大です。さすがに、かつてロ シア革命に先立って、革命を企てた国だけのことはある。ワタシは感服している のです」 PANDORAは言葉を切って、意味ありげに、ゆっくり部屋を見回した。みんな、しんと してこっちを凝視していた。いけるぞ。このままクライマックスだあっ。 (↑何か勘違いしてる(-_-;)) メキシコで、1910年に、ロシア革命に先立って、社会主義的革命が起こったの は事実である。中心となったのが、北部の労働者を指揮したパンチョ・ビージャ、 南部の貧農を指揮したエミリアノ・サパタ。 けれどこの革命は、この2人の英雄が、米国の暗躍で暗殺されたために、不発に終 わった。今回のEZLN(サパティスタ民族解放軍)の名前は、このサパタに由来 している。 「まだ、この事件の真の重要性に気づいている人は少なくても、世界史上、実にユ ニークなこの反乱の当事者たち、そして、それを生み出したこのメキシコに、ワ タシは心からの敬意を表しているのです」 そして、PANDORAはにっこり笑った。ほほほ。これで拍手はあたしのもの。 (↑だいぶ勘違いしてる(-_-;)) 「ですから、ここで、世界の抑圧されている人々のためにも、我々、都市住民は、 彼らの想いを無駄にしてはならないと、ワタシは思うのであります。過去の軋轢 がなんでありましょう。大切なのは未来ではないでしょうか。それで、その選択 は皆様の理性にかかっているのです」 ひと呼吸。 ありがとーございます。 (*-_-*)フカブカ 拍手。いや、どーもどーも。 われながら、プロだわ。(←なんのプロやねん(-_-;)アブナイナー) そのあと、みんながPANDORAのコップにテキーラを注ぎにきた。 その夜、ワタシは泥酔状態で帰宅した。(;_;)ナンカ チガウゾ 17)-------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編17 しかし、適度にアルコールがまわっている人間相手には、一見、説得力のあるアジ 演説も、冷静な大衆の皆様の前では影が薄くなる....のは当然だった。 これほどまでに風向きが味方してくれているにもかかわらず、PRDは選挙戦後半 になって、いまいち伸び悩んでいた。 それは、実際に、小さなホコロビとなって現れていた。 アグアスカリエンテス村での和平交渉は、圧倒的にEZLNペースで進み、数千人 のギャラリーによる円卓会議は、大統領選挙でのPRD支持が決まりはした..... のだが、この会場で、その当のPRDの党員が、クアウテモック・カルデナス候補 の選挙ポスターを掲示しようとして(いるんだよな、こういうやつ)、もろにブー イングにあっている。 まあ、あくまで、先住民ゲリラと政府との和平交渉の席上で、選挙ポスター貼ろう という方が、たしかに無神経なんだけど、(何考えてるんや(-_-;))、それにして も、これは、この和平交渉にギャラリーとして参加しているような、いわゆる「進 歩的文化人」とか、市民運動家とか労働組合関係者のような人たち(明らかに、反 PRIの人たち)にすら、クアウテモック・カルデナスくんは、毎日顔写真を見て いたいと思うほど好かれてなかったということだ。 そう。 クアウテモックくんには、致命的な欠陥があった。 もともと、クアウテモックくんが大統領候補になれたのは、最大野党PRDの妥協 のせいだった。要するに、冷戦構造も崩壊し世界が右傾化するなかでは、従来の 「社会主義」硬派路線では、とても票がとれない。 だもんで、中道色が強くて、ソフトなイメージで、名門出身のお坊っちゃんのクア ウテモックくんが選ばれたのだ。彼なら、「左翼PRD」というイメージではなく て、中道の「大きな変革はありませんよ」ソフト路線で、中流階級の得票を伸ばせ ると踏んだわけ。(要するに、日本社会党と似たようなことを考えたのだ) ところが、だ。 EZLNとマルコス君の大活躍のおかげで、メキシコの風向きは一気に変わり、 《いま、キョーレツに主張する革命家がカッコいい》 \\\\\(^O^)///// というムードができちゃったのである。どっひゃあ。 【教訓】 ダサい人が下手に流行を意識して真似すると すでにトレンドは変わってることがある ほら、オジサンがティラミスを注文すると、すでに時代はナタデココだったという あのパターンである。 (-_-;)チョット チガウカナ で、あわてて、クアウテモック君はイメージ修正して、EZLN支持を表明したり デモの先頭に立ったりしたが、いかんせん、一時的にそれで支持率は上がっても、 やがて露出度が高まるほど、逆に「おぼっちゃん」的な品の良さが出て、なんとな 〜く浮いちゃうわけ。 要するに、ソフトムードはあるんだけど、強烈なカリスマ性がないのだ。 しかも、世情は騒然としていた。 チアパスだけではない。メキシコ各地で、緊張が高まっていた。 いままではマルコスと政府のやりとりを、TVや新聞で「視聴者」していられたの が、大統領選が近づくにつれ、EZLNに触発されて、地方での小さな暴動や警官 襲撃などのニュースが、毎日のように、新聞に載るようになってくると、人々は、 本気で、ゲリラと政府との交渉いかんによっては、メキシコ内戦化はありうると感 じはじめてきたのだ。そう。問題はひとごとではない! で、こうなってくると、国民というのは、ついつい、 「ワシにまかせろっ」(-_-)キッパリ とゆー指導者を求めてしまうものなのだ。 ワタシだって、今月の収入がどうなるかわからなくてビビってるときって、やっぱ りカネのない美少年より、確実にオゴってくれそうなオジサンと一緒に食事に行き たいと思うもんね。 (-_-;)ソレハ チガウッテ それから初めてサルサを歌って不安だったときは、やっぱり、PANDORAみたいな繊細 (爆笑)な歌手は、ついついバンマスのヨシダさんに身も心も頼っちゃったしぃ。 (-_-;)ソレモ チガウッテ いや、これって、ほんとは、アブないパターンなんだけどさ。 でも、国民が真剣に将来の不安を感じているときに、よく言えば紳士的だけど、い かにも指導力なさそうな人が大統領になるのって、不安だよねえ。 もちろん、与党PRIの新大統領候補セディージョくんも、「リーダーシップとっ てやるぜぃ」タイプじゃないけど、でも、いままでPRIが70年も政権の座にあ ったぶん、安定政治のノウハウはありそうじゃない。 と、ゆーよーなことを、おそらく、多くのメキシコ人も感じたんじゃないかなぁ、 と、PANDORAは思ったのであった。(*^_^*) 18)-------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編18 そして、選挙が来た。 多くの人が意外に思ったように、クアウテモック・カルデナスが負けた。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ そうなのだ。けっこう多くの人が、クアウテモック君が勝つと思っていた。 で、多くの人が、セディージョ君に投票した。 たしかに、地方ではかなりのPRI派による選挙妨害や、投票箱のすり替えなどが あったのは事実だが、しかしそれだけではない。 明らかに都市に住む多くの人が、クアウテモック君が勝つかもしれないと思ったう えで、セディージョ君に投票したのだ。 そうなのだよ。マルコス君。 君はやり過ぎたのだ。 君があまりにもカッコ良かったために、クアウテモック君が「たよりなく」見えち ゃったのだ。それで、大衆は、同じたよりないお坊っちゃんから選ぶなら、革命家 気取りのお坊っちゃんよりも、まだしも地に足がついてそうな実家を持ってるお坊 っちゃんを選んじゃったんだよ。 ふたたび、PRIは選挙に勝った。 セディージョに投票したくせに、多くのメキシコ国民はがっかりした。 空気は一気に保守化したようだった。 そしてそれと共に、EZLNとマルコスは、マスコミの表舞台から姿を消した。 2カ月もたつ頃には、多くの人たちは、あれは長い夢だったのではないかと思いは じめていた。あれはなんだったんだろうか? そして、マルコスの名前は、一部の「政治に関心のある人たち」を除いては、巷の 話題から聞かれなくなっていた。 PANDORAは日本に戻り、まじめな(笑)歌手をやっていた。 そして11月。ある奇特な大学が、学園祭にPANDORAを招いて、メキシコのゲリラ騒 動について語ってくれと言ってきてくれた。(PANDORAがジャーナリストとして書い た記事に注目してくれたのだった) いまどき、外国の政治問題に注目するなんて、えらいじゃん。(*^_^*) PANDORAはうれしかったので、つい、打ち上げで、口を滑らせてしまった。 「このままEZLNが黙ってはいないでしょうねえ。そのうち、マルコスはもうイッ パツかましてくれますよ....そう、たぶん今年中に。」 ^^^^^^^^^^^^ 根拠? まず、ワタシがマルコスなら、新大統領のセディージョが就任してちょっとお手並み を見るだろうということ。 かといって、時期を空けすぎると、またすべてが一からやり直しになる。少しは余熱 が残ってる時期をはずしてはならない。 それに、湾岸戦争みたいな世界的な大事件でも起こっちゃうと、マスコミの興味はそ っちに行っちゃうから、情勢も適当に把握しておかなければならない。 で、日程からいうと、94年は正月を選んだけど、同じ手を使うのは芸がないよね。 あくまでマスコミの注目をひくという点にかけては。またか、と思われてはならない。 そして、いちばん大事なことだが、「最小の犠牲」で、セディージョくんを心底から ビビらせなければならない。セディージョが勝てたのが、PRIへの政治経済的信頼 感のおかげだというなら、その信用をぶち壊してやるしかないわけだ。 お坊っちゃん大統領に、きれいごとを言いながら土壇場で裏切った中流階級よ、地べ たで苦しんでる貧乏人を甘く見るなよ。貧乏人の絶対的な強みというのは、失う財産 がないってことなんだぜ。 そう、EZLNの最高司令官たちとマルコスが、話し合っていたかどうかというのは PANDORAは知らない。 知らないが、マルコスがこのまま引っ込んでいるような男でないことだけは、わかっ ていた。 チアパスのどこかで。 新聞の政治経済面と国際面を丹念にチェックしながら、次の一手を考えている男自身 にあまり持ち時間がないことも。 19)-------------------------------------------------------------------------- PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編19 ええ、PANDORAの予言というのは、目の前にいい男がいると、なんとなく気を引く ために適当に喋っちゃったりするもんだから、たいした根拠があるわけではないん だけど(^_^;)、いやあ、やってくれましたね。 マルコス君とPANDORAってじつは、赤い糸で結ばれてるのかも。 (-_-;)ヲイヲイ クリスマス休暇に為替相場暴落、だもんね。 ここ数年、メキシコの通貨は、事実上の固定相場制だったのが、新大統領のセディ ージョくんが、仕事の手始めに、為替レートをちょっといじろうとした、まさにそ の瞬間を狙って、再度の蜂起である。 いやあ、想像以上に鮮やかな手口でござんした。 と、喜んでる場合ではないわい。 ひさびさに日本で正月を過ごしてる間に、ワタシのささやかな銀行預金も、一瞬に して、はんぶん紙屑になっちゃったんだぜぇ。(;_;) (なんでドル預金にしてなかったのか? と聞く人がいるが、メキシコじゃドル預 金てのはできないのです。 では、なんでメキシコに口座なんか作ってたのか? と聞く人がいるが、それは 電話代や電気代を、口座自動引き落としにしてるからよ) でも、マルコスがかっこよかったのは事実なので(;_;)、ワタシは、彼に貢いだと 思って泣く泣く諦めるのだった。えーん。 とにかく、こうなれば物価も上がるだろうし、ちょっと銀行の口座を覗いてこない と、下手して電気や電話を止められちゃうとまずいので、ちょっくらメキシコに行 ってきま〜す。 続きは、いつかまた(^_-)* (PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編・完)