############################################################################  では、FPOPULAR 開店を記念して、すでにネット上の伝説と化したというPANDORA  REPORTです。せっかくなんで、内容は少し改訂していますが、補足説明や註がは  いったということで、ノンフィクションであることには変わりありません。  登場人物は、特記のあるもの以外はすべて実名です。  まず、第一部は、1991年7〜9月のハナシであります。  ご存知のように、すでにベルリンの壁が壊れ、ソ連でクーデター未遂があった  前後のこと。では、はじまり、はじまり。 【註】第二部は1992年1〜2月 第三部は1992年4月のお話 ###########################################################################        ★☆ PANDORA REPORT 第1部 お目見え編 ☆★ =========================================================================== 1)------------------------------------------------------------------------- 其の一、メキシコシティの怪人 メキシコ・シティ。 メキシコというとB級ハリウッド映画に出てくる田舎臭さを連想される方も多いかも しれないが、実際は、人口1800万のこの町は、多くの日本人の持つイメージとは かけ離れた、ニューヨークに継ぐ世界第二の大都会、魔界都市トーキョー以上に混沌 たる巨大都市である。 ここでは、隣接する米国から日々流入する「最新情報」と、古代アステカ時代からの 説明し難い魔的雰囲気が奇怪なコントラストを示している。 それは、冗談ではなく、この巨大都市の中心の風景に集約されているといってもいい。 アメリカンスタイルの近代ビル群と、古代ピラミッド跡、そして中世スペインの教会 建築が、妙に何の矛盾もなく、同じ時間軸の1平方キロの中におさまっているという シュールレアリズム。 そう。メキシコは、定義できない都市なのだ。 そんなメキシコシティ、ある深夜の午前一時。 とあるライブハウスでのショウが最高潮を迎えようとしていた。出演は今、大人気の 美人歌手エウヘニア・レオン。もちろん立ち見のかなり出ている満席状態。 と、ここで、いきなり、明らかに酔っぱらった、黒ずくめの妙な男が、客席からふらり と舞台に上がると、な、なんとエウヘニアにいきなり抱きつき、彼女の胸の開いたドレ スの胸もとを引っ張るや、あ、あろうことか、胸の谷間になにか紙切れのようなものを ゴーインに押し込むではないか!!! (゚O゚)「きゃあーーーーっ」 客席は、もう総立ちである。「うわぁぁぁぁ」 しかし...何なんだ、この拍手喝采は。 で、美人歌手エウヘニアはというと... なんとその怪人にひしと抱きついてキスの雨を降らしているではないか。 (゚_゚;)げっ。 その男こそが、マルシアル・アレハンドロ。 まだ30代半ばだが、当代きっての詩人で知識人、OTIグランプリをはじめ、歌謡曲 から映画音楽まで数々の国内外の賞をモノにした売れっ子作曲家、しかもギターを弾か せればこの国でも5本の指にはいると言われる、伝説的な飲んだくれであった。 一時、音楽をやめて「過激な政治活動」に走っていたのが、どうやら最近復帰したら しい。一時は、彼の名前は、新聞の社会面でしか見かけなかったものだが...。 それから、その男は、ふらりと舞台を降り、バーカウンターに立ち寄ってから、ふら りとこっちにやってきた。両手にグラスを持って。 「よ、PANDORA。ひさしぶりだな。今夜は俺のおごりだよ」 彼はさりげなく、ラムとコーラのカクテル、キューバ・リブレを渡してくれた。なんと 私の好みを覚えていたらしい。そして私もひさびさに彼に逢えてうれしい。まして覚え ていてくれたのなら。 しかし...。 「マルシアル...これ妙に濃くない?」 「いけね。俺が頼んだから、バーテンの野郎、ダブルにしやがったな」 (-_-;)ダブルかなぁ。トリプルまでいってるんじゃないのかなぁ。 「あんたね、女の子にこんなもの飲ませて、足腰立たなくなったらどーしてくれるの」 「心配するなって、その時は俺が責任持ってホテルの部屋まで送ってやるから、うふ ふ」 (PANDORAは悩む。どーしてこんな男に、あの美しい詩が書けるのか? あの美しい旋律 が生み出せるのか? あの愁いのある声で歌えるのか?) 「あんたいっぺん殴られたい?」 「いやいや、安全日でないからといって心配しなくてもいい。ほらこのコ...」 「きゃあ、そんなもん、こんなとこで出すなー!」 ここでPANDORAの鉄拳が飛び、男は酔っぱらいとは思えぬ身軽さで見事にかわす。 昔,別れた女房が空手の師範だったので身をかわすのは慣れているのだそうだ (どーゆー夫婦生活してたんだろう) かくして天才は猫のよーに素早く人混みに紛れ、まだ、ショックから立ち直りきれない PANDORAが目を釣り上げていると店のオーナーのパキートがやってきた。 「あのアホが何かやったのか?」 「おもいっきし、アホな事よ(;_;)」 「うーむ、あれさえなければ、奴の才能は素晴らしいのだが」 「うーむ、あれがあるから天才と紙一重なのかも知れないけど」 (それから数日後、同じ場所での会話) 「PANDORA、君は俺を誤解しているよ。君は俺の事を、ここで女漁りばっかりやってる 節操のかけらもない男だと思ってるんだろうが、それは違うんだ(;_;)」 「ふーん。じゃあ、昨日やってたのは何(-_-)」 「うっ、見てたのか。(゚_゚)誤解だ。俺はあの子とホテルに行ったりしてないぞ」 「(-_-;)今のはカマをかけただけだったのよ」 (続く) 【註】 エウヘニア・レオンは、今年(92年)の夏に環太平洋音楽祭で来日。ビクターだかポリ ドールからCDも出ている。元気いっぱいで色っぽいお姉さんである。 2)-------------------------------------------------------------------------- メキシコ其の二、正しい闘牛の見方について まー、純粋にアーティストとして話をするなら、私はマルシアル・アレハンドロとい う男は好きである。彼の曲はいくつかレパートリーにしているし、それに、本人の声 もちょっとハスキーな低音で、実に雰囲気のある歌い方をする。 いつだったか、TVの特集番組(そんなものができるほど、有名でもあるわけだ)で はマリアッチをバックに歌ったりもしていて、これがミスマッチ感覚ながら妙にハマ っていたりもした。 要するに、かなりソフィスティケートした持ち味ながら、土臭いものも歌いこなせる。 売れっ子作曲家の顔の裏で、彼は、いまではメキシコでも数少ない「十行詩(デシマ)詠 み」でもあるのだ。デシマというのは中世スペインの伝統を嗣ぐメキシコの複雑な詩 型である。先だってエウヘニア・レオンのおっぱいの谷間に差し入れた紙きれという のも、彼の即興のデシマだったわけ。 それにしても....。 その数日後のある夜、PANDORAが日本人の友人(カタギの女の子)と、くだんのライブ ハウス《アルカーノ》で座っていると、またもや、黒服の怪人が出現した。 その日も、ほど良く酔っぱらった怪人は厚かましくも堂々と、日本女性二名のテーブ ルにべたっと座ると、一瞬おびえた我々に向かって 「まあ、気にしなくてもよろしい。君たちは日本語で話していたまえ。私は言語感覚の 鋭い人間だから、未知の言葉の音声学に興味があるのさっ。はっはっは」 とのたまわったのであった。 「いい、こいつのことは無視するのよ」 PANDORAは友人に言ったが、しかし悲しいかな、我々日本人には 《他人につい気を遣ってしまう》(-_-;) という悲しい習性があるのである。しかも我が友は、現在メキシコ国立自治大に留学し ていて、スペイン語が出来るのだ。つい挨拶をしてしまったのは一概に彼女を責められ ないことであった。 「はじめまして。あなたは言語学者ですか?」 (黒ずくめの泥酔した男が、この友人には学者に見えたとでも言うのだろうか。さすが にPANDORAの友人だけあっておもしろい冗談だ) 「まー、言ってみれば、私の専門は言語学と言うより文化一般だねー」と、怪人。 ここで、我が素直な友人は、PANDORAが最も恐れていた言葉を口にしたのである。 「と、いうと、例えば?」 「例えばだね...あんた、誕生日は? ほう、牡牛座か....」 そう、彼女を責めてはならない。彼女は、こいつが星占いに凝っているうえ説教癖が ある(おまえは御手洗潔か)なんてことは知る由はなかったのだ。 折りもおり、闘牛のシーズンであった。 かくして、我々は、メキシコにおける闘牛の美学についてのうんちくをしっかり聞かさ れたのであった。 (しかし、怪人に感謝しないでもない。「天才」マルシアルの雑学は大したもので、 彼が、現代メキシコの知識人の一人であることは確かなのだ) で、次の週、私は世界最大の闘牛場プラサ・メヒコにいた。 マルシアル・アレハンドロ氏によると、「スペインの闘牛は闘牛士を鑑賞するものであ り、メキシコのそれは、牛の死にざまを鑑賞する」ものなのだそうだ。 大観衆の見守る中、牛は、何の罪もないのに引き出され、傷を負わされ、苦痛と怒りの 中で、まったく不条理な死を遂げなければならない。 その「不条理」こそがガルシア=マルケスなどのラテンアメリカ文学を形成するエッセ ンスであり、ラテンアメリカの大衆文化の本質なのであって、闘牛こそこの「不条理の 死」のもっとも端的な形の儀式だというのだ。 さらに、メキシコ文化の根源をなすマヤ・アステカの古代文明の特徴だった血塗れの 生け贄の儀式とも連なる、「血まみれの死」イコール「聖なるもの」であるとする、古 代の価値観の「遺伝」もしくは「残存」。 そう、メキシコの闘牛では主役は牛であり、「血まみれの死そのもの」なのだ。 というより、一瞬の不条理な死の中に生のエッセンスを凝縮すること。 うむむ。 というわけで、PANDORAは、前から三列目の席で(凄い迫力)闘牛を見物し、動物愛護 協会からは罵倒されるだろうが、その美学にハマってしまったのであった。 (続く) 3)-------------------------------------------------------------------------- (メキシコ・其の三)正しい闘牛の見方・その2 なるほど。言われてみれば、闘牛は美学なのであった。PANDORAは前から3列目とい う凄い至近距離で観戦したのだが、こりゃー、もう、迫力である。 5万の観衆の見守る中で、たらたらと流れる血で全身を紅く染めた巨大な猛牛が死に 向かって突進する様は。 それはまさに、死への舞踏なのであった。 そして、6戦・約3時間に及ぶ闘牛が終わったとき、PANDORAはしばし、呆然と佇んで いた。こいつは農耕・草食民族には刺激が強すぎるぜ。 うかつであった。まさに、この時、PANDORAは隙の塊だったのである。 \\\\\(゚O゚)///// 「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」 (いつの間にか出現していた怪人に、唐突に後ろから抱え上げられたPANDORAの悲鳴) 「あんた、人を人さらいみたいに」 「後ろからいきなり抱きつく方が悪いのよっ」 (゚o゚;) 心臓が止まるかと思ったのは本当だ 「(^_^)ふっふっふ、いまからいいところに連れて行ってあげよう」 「(゚。゚)ど、どこへ...」 一瞬、さしものPANDORAも心からおびえたが、怪人の仲間とおぼしき数人に連れて行か れたのは、闘牛場の外の屋台のタコス屋であった。怪人に言わせると、闘牛のあとは、 ひなびた屋台で、あやしげなタコスを食べるのが「闘牛の正しい楽しみ方」なのだそ うだ。 ちなみに、屋台のタコスを食べるのは(特に外国人には)極めて危険なことだ。 衛生状態がかなり悪いから、食中毒を起こす危険性が高いのである。美学を追求する のも命がけである。 ここで、私のとなりに座った爺さん(怪人の仲間)が、ふともらした一言は、PANDORA に新たな衝撃を与えたのであった。 「ふっ、昔、フィデルやラウリートもこうやって闘牛のあと、タコス屋に連れてこら れたものさ」 そう。中南米で、「フィデル」と「ラウリート(ラウルの愛称)」と言えば...。 ま、まさか。 ここで、怪人がにへらにへら笑いながら、耳打ちした。 「そうさ。PANDORA、あんたの隣にいるのは、とんでもない爺サンだぜ」 「お、お爺さん...あなたの正体は何者なの?」 (続く) 4)------------------------------------------------------------------------- (メキシコ・其の四)謎の爺さん 「親父さん、このお嬢ちゃんは、こう見えても合気道の黒帯だぜ」 と、闘牛場の外の屋台のタコス屋で、怪人マルシアルがにへらにへら笑いながら謎の 爺さんに言った。 PANDORAはというと、鼻水をすすり目に涙をためてタコスを頬張っていた。屋台のタコ スというのは、アホのように辛いのだ。 辛いなんてモノではない。 顔の下半分が痺れたような感覚だ。そう、鼻から下が、巨大なタラコクチビルになっ たような感じなのだ。ううう。 「ほぉ、合気道かね」 爺さんの目が輝いた。やはりただ者ではない、この爺サン。剣道柔道空手は世界中で 知られているが、合気道なんてマイナーなモノを知っているとは。 そう思ったが、PANDORAにはとっさに返事は出来なかった。タコスが辛くてハナをたら しそうだったからだ。 以後、ハードボイルドをめざす方は、メキシコの屋台のタコスに注意されたい。 おまけに、これで「モンテスマの復讐(つまり強烈な下痢)」に襲われたら目も当て られない。 「おまけにね、このお嬢ちゃんは『島っ子』だぜ、親父さん」 「ほぉ、『島』と縁のあるお方かい。なら、さぞかしフィデルにかわいがって貰ってる んだろうね。あいつも昔はこの店で泣きながら辛いタコスを食ってたもんさ」 これは必ずしも会話が食い違っているわけではない。 メキシコあたりで『島』というのは、「仲間内用語」でキューバのことなのだ。むろ ん、PANDORAはキューバ人ではないが、「よく『島』に出入りしている」シンパである ことを、マルシアルはさりげなく好意的に表現しているわけだ。(自分だってシンパ のくせに) ちなみに、この反対語(つまり米国を拠点とする右翼系キューバ人やCIAシンパの 人)は『ウジ虫』または『マイアミの方たち』と呼ばれる。 また、最近『ネズミ』という言い方もはやっている。つまり「お船が危なくなってく ると節操のかけらもなく逃げだそうとするクズのよーな奴」のことだ。 中南米では、なんたって、いままで散々米国にひどいことされてきたところだから、 米国が「自由と民主主義の使者」だなんて思っている人はほとんどいないし、本当に 反政府活動やってきた連中というのも、骨が入っている。 (だって、中南米で「反政府」やるってのは、政府軍とCIA相手に、ほとんど勝ち 目のない闘いを挑むってことなのだ) 今の、東欧やソ連で起こっていることは、『ネズミ』の集団ヒステリーとしか見えな いらしくて、一般大衆レベルですら反応がひどく冷たいのだ。 ちなみに、メキシコには大統領政庁にマルクスの壁画があるし、トロツキーのお墓も あるが、参拝人は増えこそすれ減ってはいない。撤去など言い出したりすれば、それ こそ、「民衆」から袋叩きにされるのは請け合いだ。何せ、道ばたでゲバラTシャツ やらキャラクター商品が売っているのだ。 問題は、「ネズミがヒステリーで自滅するのは勝手だが、そのあおりがこっちに来て はたまったもんではない」というところ。つまり、これで米国が図に乗ってしまうの は絶対にまずい、というのが大方の「厭な予感」というやつである。世界は最悪の方 向に進んでいる、と口に出す奴すら多い。 さあ、もうおわかりだろう。ここで話題にされてるのは....。 時代は遡る。 1955年、メキシコ市。 ホテル・インペリアルという名前ばかりは立派な安宿にたむろする、貧乏くさい 若者たちがいた。 そして、ここで、まさに「歴史的な出会い」があった。 アルゼンチンから中南米大陸を放浪してきて、ここで本のセールスマンをして日銭を 稼いでいた27歳の貧乏医師と、女房に逃げられた弁護士崩れの29歳の男とその弟。 その名を、エルネスト・ゲバラとフィデル・カストロ、ラウル・カストロといった。 「チェ」というあだ名で呼ばれていたゲバラ青年は、グアテマラのアルベンス社会主 義政権のもとで大統領のブレーンの一人として働いていたが、CIAの工作によるクー デターでアルベンスが自殺に追い込まれて、からくも脱出し、当時メキシコに潜伏して いたのだったし、一方のカストロ兄弟の方は、バティスタ独裁政権に反旗を翻して、モ ンカダ兵営を襲撃するも失敗し、監獄島ピノスに幽閉されていたのが、恩赦で出獄し、 そのまま亡命してきたところであったのだ。 キューバ、1950年代。 児童の60%が未就学。水道のある家が50%以下。パンが食べられる家庭3%。 産業の6割以上を米国に支配され、アメリカ大使は大統領以上の要人だった。 シカゴ・ギャングの本拠地。売春産業の中枢。別称、カリブの掃き溜め。 しかし、このメキシコ市で彼らは意気投合し、スペイン士官学校出身で、モロッコ での戦闘に従事したゲリラ戦のエキスパート、そして後、スペイン市民戦争で共和国 側についたためフランコに追われてメキシコに亡命していたアルベルト・バーヨ将軍 のもとで、実戦の訓練を受けることになる。 バーヨが彼らに教えたのは、銃器の構造、扱い方、行軍、機動訓練etc、ゲリラ戦の ABCである。 ここで、さらに奇怪な教官が加わった。 「インディオ」ことアルサシオ・バネーガス。 カストロ兄弟やゲバラの情熱に打たれて全面的協力を決意した、この丸顔で浅黒い肌 のメキシコ人青年は、柔剣道をはじめとする護身術のプロフェッショナルである。 そう、彼こそは、当時、現役のプロレスラーだったのだ。 「でも、なんでプロレスなの??? 僕らは革命をやりたいのであって、覆面プロレスラーになるためにメキシコくんだり で合宿やってるんじゃないよ」 と、この時、文句を言ったのは、ゲバラ青年だったが、その彼は 「おまえ、プロレスをなめとるな。そーゆー口答えはワシに勝ってから言うてみい」 と、インディオ・バネーガスから、おもいきしヤキを入れられ、以後、最も真面目な 生徒となったのであった。 後に、ゲバラ青年は、「プロレスラーとしてデビューしても、けっこういいとこまで 行ったのではないか」と言われるまでになったそうだ。合掌。 (ここで想像されたい。 プロレスラーに稽古をつけてもらっているカストロやゲバラの姿を... どうして、カストロが最近、アントニオ猪木と会談したのか、その理由はおわかり になっただろう。彼は、プロレスラーには一目置いているのだ) ちなみに、バネーガスの実家は印刷屋でもあった。そして、ここで、あのキューバ革 命の宣言でもある「7月26日運動」宣言のアジビラが極秘に印刷されたのだ。 ともあれ、「合気道」と「キューバ・シンパ」という二つのキーワードですっかり爺 さんに気にいられたPANDORAは、この時、爺さんの家に招待されるのだ。 「今度、いっぺん遊びに来なさい。あんたにいいモノを見せてあげよう」 (続く) 【註】 このバネーガス爺さんの華麗な生涯の一部については、来年半ばに出る予定の晶文社 の本(拙著)の中で一章をさいて刊行予定。(^_^;)ホントダヨ 5)------------------------------------------------------------------------- (其の五)メキシコからニカラグアへ かくして、バネーガス爺さんの家に招待されたPANDORAだったが、実際に訪れるの は、この一か月先となる。というのも、その翌日、PANDORAは、ニカラグアに旅だっ てしまったからなのだ。 (かつてニカラグアを訪れたときの印象は、拙著「ラテンアメリカ発音楽通信」に詳 しく書いてある。そう、ニカラグアは「なんにもない貧困の都市だが、ただやさしさ だけはたっぷりある」ところだったのだ。そう、3年前(89年)までは) 「PANDORA、放浪癖のある君には悪いが、行動に気をつけてくれ」 と、PANDORAをニカラグアに呼んだ張本人、ルイス・エンリーケ・メヒアのおじさんが 真顔で言ったのが、ニカラグアに到着して翌朝のことであった。 もっとも、既にPANDORAには察するところがあった。前日夕暮れにマナグアに到着して、 そのまま安ホテルに転がり込んで荷物を置き、ホテル周辺をぶらついていて。 だいたい、招待者のPANDORAがホテルにチェックインすることになったのも、空港での 白タク運転手の攻勢で、迎えにきてた人とはぐれてしまったからである。 しかたがないから、とりあえず市街に出て、安ホテルに荷物を置いてからルイスおじさ んに電話して、翌朝迎えにきてもらうように手はずを整えたのだ。 それにしても、ひさびさに見るマナグアは変わっていた。 なにより、人通りが少ないのだ。 そして、街の人々の口数が少ない。 以前なら、みんな人なつこく外人に話しかけては親切にしてくれたものだ。それが、今 は明らかに「警戒されて」いる! それは、夕食をとりに入った安食堂の女の子の言葉ではっきりした。いや、安食堂と いう表現もおかしい。米とキャベツの千切りとトリの炭火焼きの夕食が2ドル半。 粗末なベッドと水シャワーしかないホテルが一泊15ドル。さらに言えば、空港から のタクシー代15ドル。 労働者の賃金が、月額60ドルにみたない国で、である。 「お客さん....気をつけて...外国人狩りをやってるの。ここはもう私たちの ニカラグアじゃないのよ」 以前、サンディニスタ政権下では、おおっぴらに近隣各国の政治亡命者や難民を受け 入れていたし、ヨーロッパやラテンアメリカ諸国からのボランティアも多く来ていた。 それを、現政権は徹底して追い出しを謀っていたのだ。つまり、ビザの更新を拒否し たり、些末な書類不備を理由に国外退去にしたり、逮捕したりしているというのだ。 なるほど、みんな、あんまり外人とかかわり合いになりたがらないはずだ。 しかも、経済の悪化は、(物価状況からみても)半端なモノではない。この異常な物価 高はなんなんだ。サンディニスタ政権が選挙で破れ、新政権は経済回復に取り組んでい るのではなかったのかね。え? しかも、この暗い雰囲気は何だっていうんだ。この物乞いに集まる子供の数は何なんだ。 そして、治安の悪化のため、今やマナグアは7時を過ぎれば死の街となる。 わずか半年前には、女の子の夜中の一人歩きがコワくなかったというのに、だ。 ちなみに、この翌日、「皆既日食」がニカラグア全土を覆ったのだが、悪化する一方の 状況のせいか、市井の人々の間には奇怪な噂さえかなり広く流れていた。 皆既日食の魔の黒い太陽の光に触れた者には祟りがあると。 これでいよいよ世界の終末が近づくのだと。 変な話だが、そういう噂を一概に迷信と笑い飛ばせないような、一種独特の絶望した 空気が下層の人々には流れていた。 そして、日食はやって来る。 7月13日。 正午過ぎの明るい日差しがじわじわと陰り、小鳥達が騒ぎ始め...そして、太陽は 太陽はその中心を月の影に譲ったのだ。 あれは何と表現したらいいのだろう。 まさに、変な話だが、凶まがしい黒真珠の輝きだった。 世にも美しく、目が離せない....しかしこのうえなく不吉な美。 まるで何かの暗示であるような。 「PANDORA、そーゆー世紀末ロマンにひたっている場合ではないのだよ」 「と、いうと? ルイス」 [...今のニカラグアは、CIAの巣なんだ。(現大統領の)チャモロ一派は大した ことはないが、CIAはソフィスティケートされた仕事をするからね。特に君は気をつ けた方がいい」 うむむ。で、ルイス、私にどうしろっていうの? 「今度、こーゆー状況の中で、サンディニスタ革命12周年記念コンサートをやるから 君も歌わないかい?」 そーゆーことを気安く言わないでほしかったな。と、PANDORAは思ったが、もはやあと の祭りのようであった。 (続く) 【註】 ここで出てくるルイス・エンリーケというのは、サルサ・シンガーのルイス・エンリ ーケの実の叔父である。(-_-;)ヤヤコシ...実は、その後、いろいろあって、95年8月 に来日し、東京・姫路・広島でライブをやった。これが、意外に好評で、再来日の噂 もあがっている。 ニカラグアのメヒア=ゴドイ家というのは芸術家を輩出する家系で、長男フランシス コはイラストレーター(しかしパーカッションを叩かせてもやたら上手い)で、その 息子が、マイアミで人気の《サルセーロ》ルイス・エンリーケ。次男カルロスとその 次のルイス・エンリーケが二人とも歌手で1979年のサンディニスタ革命に協力し て、ニカラグア国内では国民的歌手になっている。カルロスはこないだまで国会議員 でもあった。また、下の弟アルトゥロは高名な画家。 PANDORAは、昔、長兄フランシスコにえらい気に入られて「息子のヨメ」にならんか と誘われたもんであったが、今思えば惜しいことをしたモノだった。まあ、ルイス・ エンリーケくんのほうが、遠慮したがるだろうけど。(^_^;) ちなみに、フランシスコは息子がペプシ・コーラと契約したのはたいへん遺憾であった とPANDORAに語った。パパの意見によると、ラムを割るのは絶対コカコーラの方が旨い のだそうだ。私もそう思う。 6)------------------------------------------------------------------------- ニカラグア編/其の二[おちゃめな言い訳] ちなみに、ニカラグアは、ご存知のように、前回の選挙で国民が「サンディニスタ派」 (旧政権)と「反サンディニスタ」(新政権)とに完全に分裂していた。 これは一般に思われているように、「社会主義」VS「資本主義」の対立ではない。 (そう思われたのは、いわゆる「報道操作」というやつだ) つまり、サンディニスタは社会主義政権ではなかったし、社会主義化する気もまった くなかった。強いて言うなら、キリスト教(カトリック)と民族自決を二本立てにし た理念のもと、ニカラグア経済のガンであった極端な大土地所有制を是正しようと、 農地改革を実行したところが、大地主連中から「ここここ、これは共産主義だ」と恐 怖されただけのことだったのだ。 (この論法だと、マッカーサーなんてのは立派な共産主義者なのだがね) ニカラグアの不幸は、それが余りに米国に近いところに位置し、しかもエルサルバド ル、グァテマラといった内戦中の国家を周囲に持ち、しかも革命直後に、米国が、あ の好戦的なレーガン政権となったことだったのだ。 つまり、レーガンにとって、ニカラグアは米国の内政問題を回避するための絶好の生 け贄だったのである。 さらに、これにパナマ運河領有問題が絡む。 パナマの近くの国に「民族自決」なんぞ許しては、パナマ運河だって返還せざるを得 なくなってしまうというわけだ。 と、ゆーわけで、当のサンディニスタたちもしらんうちに、サンディニスタは「共産 主義者」であると決めつけられ、しかも一方的に戦争までしかけられてしまうのだ。 (ここでPANDORAの個人的意見ね) しかし、仮にサンディニスタが「社会主義政権」であったとしても、それのどこが悪 いのか。国民がそれを望んで決めた事なら、よその国がえらそうに「それは良くない」 とかどうとか口出しするべきことではない。 ましてや、「何となく気に入らない」というのだけを理由に、勝手にレッテルを貼り、 喧嘩を仕掛けるなんてのは、下劣以外の何者でもない、唾棄すべきことである。 もっとも、日本あたりでも、事情を知りもしないくせに、訳知り顔で「解説」したが るクズの手先は結構いた。落合信彦なんて人は、ダニエル・オルテガ大統領のことを 調子に乗って「共産主義者でしかもホモだからレーガンに嫌われても仕方がない」な どと、見てきたように書いていたものである。(ところで個人的には私はオルテガが 嫌いである。その理由は、彼が資本主義者で、女に甘いからだ) さて、それはさておいても、10年の言いがかりとしか言い様のない戦争と経済封鎖 のせいで、ニカラグア国民の中に「背に腹は替えられない」空気が広がったのも事実 である。そして、サンディニスタは政権を降りた。この時でサンディニスタ支持率 40%。(自民党を上回っているとこがエラい) 新政権は、この10年、米国を後ろだてに、豊富な資金にものを言わせたUNOこと チャモロ一派である。(なんせ、一票に50ドル払ったという) で、ニカラグアは完全に分裂してしまってるわけだ。 それは新聞にもはっきり現れる。サンディニスタ派の「バリカーダ」紙と反サンディ ニスタ派の「ラ・プレンサ」紙。 これは同じ記事を乗せても、内容が180度違うという笑える編集になって、購読者を楽 しませてくれるのだ。 折りもおり、UNO(反サンディニスタ)の国会議員ダニエル・ブランドン(44歳) が20歳年下の美人妻に浮気の証拠をつかまれたことがきっかけで口論となり、かっと して妻に発砲して、重傷を負わせ、逃亡するという大スキャンダル事件が起こった。 この第一報は、もちろん「バリカーダ」。連日一面トップだ。悲劇の美人妻ミラグロ さんは病院のベッドで涙ながらに夫の女癖の悪さと、人間としてサイテーのやつだと 語り、妻の身内も涙の証言をする。なんせUNO側のスキャンダルだけに,「女性自 身」や「微笑」も真っ青の凄いノリであった. これに対して「プレンサ」は2日間奇怪な沈黙を守った。 そして、3日目、大笑いの記事が出た。 これはすべて「バリカーダ」紙の「陰謀」で、ブランドンは妻に発砲したのではなく 「銃の手入れをしていたら暴発」したのであり、「逃亡」したのではなく、「首都ま でいい医者を呼びに行っていた」のだというのだ。 (女房が死にかけてるのに、3日もかけて首都まで「いい医者を探しにいく」ものら しい) これ以後、しばらくの間、ニカラグアでは「おちゃめな言い訳」をする事を「ブラン ドンする」と言うのがはやるようになった。 (続く) 7)------------------------------------------------------------------------- ニカラグア編/其の三 [おちゃめな言い訳/その2] 1940年、ニカラグアの農村部チナンデガに、ある小さな農園があった。 ニカラグアが米国海兵隊の支配に苦しんでいた時代。 そこを、《解放者》サンディーノの軍隊が通っていった。みんなボロをまとって、肩 に銃をかついで、でも歌を歌いながら。 それを見た農園の娘は、彼らのために大事な牛を一頭殺して、農園で焼き肉パーティ ーを開いた。その夜、一晩中、サンディーノの軍の若者達は、肉を食べながら歌を歌 っていたという。 月日は流れ、少女は年老いたが、死ぬその日まで、その時に覚えた歌を歌っていた。 そして、その歌を聴いて育った彼女の子供たち、孫たち(それは40数人にものぼっ たが)は、後にすべて、サンディニスタの戦士となる。 それが俺のバアちゃんの話さ。と、笑った元・兵士を私は知っている。 彼は、1973年に戦線に加わった。ソモサ独裁の時代。市場に売っているような 安物の布袋をはいのう代わりにしてわずかな衣類を詰め込んだ。あとは銃だけ一丁 支給されて。でも、後悔はしなかった。山歩きが辛いときにはバアちゃんの歌を歌 えば良かったからだ。 おかしな話かもしれないが、中南米で大きな政治変動があるとき、必ず、そこには 歌がある。だから独裁権力ほど「歌」を監視し、禁じ、封じようとする。その一方 立ち向かう側にとって、最大の武器のひとつは歌だ。 アルゼンチンの軍政打倒も、チリの大衆運動も、いつも歌がある。 それだけ、生活の中に占める「音楽」の比重が大きく、パワーがあるわけで、だか らこそ、音楽家が政治に関わる事もめずらしいことではないのだ。日本にもいるタレ ント議員なんてなまやさしいものではない。サルサ・シンガーのルベン・ブレイズは 次期パナマ大統領選にマジで出馬を噂されているし、ブラジルのロッカー、ジルベル ト・ジルは史上初の黒人市長をめざしている(現在市会議員)。ニカラグアのルイス おじさんの兄カルロス(この人も歌手)は、国会議員だった。 そこまで直接的に関わらなくても、ラテンアメリカでは音楽家が政治発言をするのは めずらしい事ではない。というより、音楽家は影響力を持つオピニオン・リーダー的 存在でもあるのだ。 だから、政治がらみで暗殺されたり、逮捕投獄される音楽家も決して少なくないし、 それは特別なことでもない。 したがって、一般的にも音楽家と呼ばれる人々は、政治的に非常に微妙な位置を占め ることにもなる。 どちらの側につくのか? それが当然のように問われる。 音楽が政治と関わることに関して、もちろん異論はあるだろうと思う。 しかし、中南米では、好き嫌いに関わりなく、それが現実なのだ。そう、ここでは 「私は政治には興味ないから」ということは「無条件体制支持派」であることを意 味する。 キューバに2度以上足を踏み入れたら「アカ」であると見なされて、国によっては それだけで入国拒否されたり尾行がついてもしょうがない、というのは悲しいが事 実だ。 で、話を戻すと、キューバ革命はチャチャチャとトローバのリズムに乗ってやって きた。 ニカラグア革命はカルロスとルイスの兄弟の歌うテーマ曲と一緒に、いや、もしか したらあのバアちゃんの聴いた古い歌も一緒にやってきたのだ。 で、PANDORAがニカラグアくんだりまで来たのは、そのニカラグア革命12周年記念 コンサートというわけだ。 しかし。 「安全面はだいじょうぶなの?」と、腰抜けPANDORAは思わず尋ねる。 わたしみたいな平和的な人間ですら(どこがだ)、前にいっぺんチリで狙撃されたし、 警察には2回ぐらい逮捕されそうになったし、軟禁されたこともあるときてるのだ。 韓国に行ったときなんか、空港に着くなり、鉄格子つきの特別室に案内してくださっ て、トイレまで送迎付きという大歓迎をして下さったものだ。 別にわたしが危険人物なんじゃなくて、その都度、つきあっている友人が悪いせいな んだけど。(-_-;) ト、 ヒトノ セイニ スル (キューバのパブロ・ミラネスなんかは、そのへんはっきりしていて、私が韓国での 楽しい思い出話をしてあげると、自分と仲良くしてる以上、CIAのリストに前横後 の写真が載ってることぐらいは覚悟するのがあたりまえだと言ってくれたものだった。 そりゃ、そうなんだろうが、そういうことは親しくなる前に教えてほしかったと思う) で、コンサートの安全。 「サンディニスタ支持者が大量に集まるわけだから、爆弾投げられたりはしないと思 うけどねえ」と、ルイスおじさん。 (゚O゚;) そんなもん、投げられたら困るわよ。 「今年のびっくり目玉商品は君だからね。いや、期待してるよ」と、おじさん。 (-_-;) そーゆー期待はしてほしくなかったな。本当言うと。 もっとも、おじさんとはいえ、ルイス・エンリーケ・メヒア46歳。 さすがに、ふだん鍛えているだけあって、すらりとした脚はなかなか渋い。シンガ ーソングライターで映画俳優でもあり、ジャクソン・ブラウンらとつき合いが深く、 ヨーロッパや米国には毎年ツアーで出かけるほどの人物ではある。 ライオンのたてがみのようなグレーの髪を振り乱して歌う姿はけっこうなものだ。 あの売れっ子のルイス・エンリーケくんの叔父だけあって、アフロ系の曲のノリも ハマっている。 しかし、だからといって一緒に心中してもいいと思えるほどの相手ではない。 (-_-;) オジサン ゴメン ま、しかし、こういうのを腐れ縁と言うのだ。 さらに、ニカラグアみたいに暑いとこにいると、なんか、大概のことはどーでもよ くなってしまうのだ。庭ではバナナがそよそよと風に揺れてたりするしなぁ。 で、適度にアルコールも入った状態で、まーいいかー、と承諾してしまった自分が、 今、日本でよく考えたら普通じゃない。(よく考えなくても普通じゃないって?) かくして、当日の出演者、メインにルイス・エンリーケ・メヒア、女性シンガーの ノルマ・エレーナ、エルサルバドルからバンダ・テペウアニ、チリからアレハンド ラ、で、何故か日本から私。 おかげ様で爆弾も手榴弾も火炎瓶も迫撃砲も機関銃もなかったのはめでたい事でし た。警察(サンディニスタ系)がけっこうパトカーとかを配備してくれてたしね。 もっとも、そのあと、打ち上げを兼ねたパーティーでルイスおじさんが呑んだくれて しまい、PANDORAはえらい恐怖にかられる羽目になった。 泥酔したおじさんの車で深夜の急カーブの山道を帰るなんて恐怖は、あれっきりにし たいものである。(PANDORAは車の運転ができないの)。 やっぱりおじさんとは心中したくないのだ。 と、ゆーよりは。 サンディニスタの看板男のおじさんが、深夜、「日本人女性」を乗せてドライブ中、 崖から転落死なんてことになったら、例の敵方「ラ・プレンサ」紙に何と書かれる かと思うと...それに、いったいサンディニスタ側の[バリカーダ]紙は、どう いうおちゃめな言い訳を考えてくれるというのだろうか? (実は、車の中で震えながら、PANDORAは事故の見出しを考えていたのである。 ラ・プレンサならきっと 「ルイス・メヒア,20歳年下日本人愛人を乗せた車で深夜,泥酔の挙げ句の無理心中」 とくるだろうな。 で,バリカーダなら... 「ルイス・メヒア、日本人インターナショナリストの女性が謎の自動車事故,CIAの陰謀か??!」 あたりかなぁ。どっちにしても、親に合わせる顔がない /(;_;)\) (続く) 【註】 前回書き忘れたが、カルロス・メヒア=ゴドイのことはNHK出版から出てる竹村淳氏 の著書にくわしい。 このカルロスとルイス・エンリーケ・メヒアのそれぞれの新作CDは(株)TAKE-OFFから発売され ている。どっちも甥っこの人気便乗ではないだろうが、バイラブレが主体になって いる。 8)------------------------------------------------------------------------- ニカラグア編・その3/ エイズとコレラとCIA と、ゆーわけで、「政治」っぽい話が続いてしまって、うーんざりされた方もおら れるかもしれないが、まあ、SFを読む場合でも、スパイ小説やファンタジーを読む 場合でも、「最低の事情説明」と言うのがないと、笑える話も笑えなくなってしまう ので、まあ、我慢頂きたい。 で,今のニカラグアというとこは,すべてが「サンディニスタ」か「UNO(反サ ンディニスタ)」かのどっちかに、しっかり別れているのである。しかも、その割合 が、半々であると言うところが徹底している。 どれぐらい徹底しているかと言うと、 テレビのニュース番組やら新聞は言うに及ばず スーパーマーケットも旅行代理店も 魚屋さんも肉屋さんも雑貨屋さんも病院、薬局も 近所のおっさんおばはんも すべてが「どっちか」に別れているのだ。 もっとも、「どっちか」に別れていないものもある。 ある日、PANDORAがのんきに道を歩いていると、大きな看板があるのに気がついた。 巨大な、それは巨大な看板である。 そこには巨大な字で 「人生を楽しむために エイズに気をつけよう」 と書いてあって、その下には巨大な、何故か、マラソン選手の格好をして、にっこり Vサインをしているコ***ムの絵が描いてあった。 (なんでマラソン選手の格好なんだろう? それがいまだに、どうしてもPANDORAには 納得ができない。おまけに鉢巻までしていた) まあ、病気は政治信条を選ばないからね、と言いたいところだったが、サンディニ スタに言わせると、「UNOにはマイアミと行き来のある人が多いし、ヤク中も多い から、ニカラグアにエイズが増えた」と言うし、UNOに言わせると「サンディニス タには女たらしの節操なしが多いからエイズが蔓延する」のだそうだ。 はっきり言って、どっちも当たっている、ような気がする。 そのニカラグアには、しかし、ペルー渡来のコレラも入ってきていて、やっぱり貧 困層を直撃しつつあったのだ。 それから10日後、PANDORAはキューバに行った。 キューバはある事情があって、伝染病に対して非常警戒をしていたので、ここの空 港でニカラグアからの乗客は、みんなカードを渡された。 そのカードの表には 「私はコレラの疑いがあります。大至急、医者に連れて行って下さい」 と書いてあって、裏には 「この人は、コレラ汚染地帯に滞在していました。大至急、国立防疫センターにご連 絡下さい(電話番号)」 と書いてある。 万一、ホテルでも道ばたでも、気分が悪くなったら、これを手近な人に渡せという わけだ。 人間と言うのはなさけないもんで、PANDORAなんか、このカードを見つめているだけ で、お腹の調子が悪くなってきたりした(爆笑)もんだけど、果たして、道で、こんな カードを外人からいきなり渡されたら、フツーの人なら、びびって逃げるのじゃないか しら。 さて、で、ニカラグアからキューバに向かう空港でのこと。 ちょうどその時、マナグア(ニカラグア)から、ほぼ同時刻に2便の飛行機があっ た。なんと、マイアミ行きとハバナ行きだ。 間違えると、えらい違いである。 で、緊張しながら、アナウンスを待つPANDORAの隣に、えらいかっこいい兄さんが 座った。 「おおおおおお、カッコいい\(゚O゚)/」 しかし、PANDORAは、カッコよさに騙される人間ではない。 以前、飛行機で隣になったかっこいい兄さんに思わずへらへらしていたら、そいつが 立派なKCIAで、しっかり鉄格子つきのお部屋にエスコートして頂いたという苦い 過去をPANDORAは持っていたのだ。 しかも、ニカラグアみたいな、世界のど田舎(あ、ニカラグアの人、ゴメン)での「カ ッコいい兄さん」には特に気をつけなければならない。 すると、そのカッコいい兄さんは、なんと、PANDORAに、美しい英語で話しかけてく るではないか! 「お嬢さん、どちらまでですか?」 「つ、次の便で...あなたは?」←(自分の行き先を告げない) 「私も次の便なんです」 き、奇っ怪な...こやつも自分の行き先をハズしおった。(゚_゚;) 「英語がお上手ですね。こちらへは観光で?」 (いまどき、ニカラグアみたいなとこに観光に来る人がいるとでも言うのだろうか。 カッコいいだけではなく、なかなかおちゃめな男だ) 「そういうあなたこそ、見事な英語ですね。お仕事ですか?」 「いえ、それほどでも...ちょっと依頼を受けまして」 (依頼? 何なんだ。こいつの正体は) その時、ちらりと、男の胸ポケットから、「あるもの」が見えた。 (そ、そうか、やはりこいつは....(-_-;)) 空港アナウンスが響いたのは、その瞬間だった。 「マイアミ行きのお客様、一番ゲートへ...ハバナ行きのお客様は二番ゲートへ どうぞ」 その瞬間、待合い室のお客たちは、真剣に走りだした。 国際便のくせに、マナグアからの便は指定席ではないのだ。つまり、早い者がち なので、みんなけっこうマジで走るのだ。 いかん、私もマイアミ行きのいい男に見とれて席にあぶれたらアホではないか。 「では、ご機嫌よう」 相手も、同じ気持ちのようであった。 「では、お嬢さん、ご縁があったら、また世界のどこかで」 (-_-)クサイ セリフダ なんぼカッコいい兄さんでも、CIAなんかとそうそう会ってたまるかよ、と思い ながらPANDORAは走った。 で、通路を通って、機内に。ラッキー。いい席を確保である。 と、「う、うわぁああああ...おまえは」と、PANDORAを指さす男。 「きゃああああ、あ、あんたは」 と、男を指さすPANDORA。 しまった。飛行機を間違えた。 と、一瞬、PANDORAは思った。わ、私はマイアミに行ってしまうのだろうか??? 何と、さっき別れた兄さんが通路を通って私の隣に来たのである。PANDORAも慌てた が、兄さんはもっと慌てたようであった。 し、しかし、これは間違いなくキューバ航空...ハバナ行き。 「あんたー、キューバに行くんやったんかね」 いきなり、ドスの効いたキューバ弁スペイン語で兄さんが言う。 「兄さん...あんたこそマイアミに行くんやなかったんかね」(←キューバ弁になっ ているPANDORA) 「いやあー、一瞬、間違ぉてマイアミ行きの飛行機のったかと、びびったがな」 「いやあー、うちこそ...」 ここで、ついPANDORAは、素朴な疑問を口に出した。 「兄さん、胸ポケットの手帳は何やのん?」 そう、さっきちらりとPANDORAが見たのは.... すると兄さん、胸から手帳を出した。まごうことなき、ハーバード大学の校章つき 革手帳である。 「これか?ワシの母校のやがな」 「ハーバードが?」 「そや、ハーバードには博士課程に長いこと留学しとってな。今は、本職は外交官やけ ど、今回は社会心理学者として中米大学に特別講義に行ってたんや」 道理で、見事な英語を話すはずだ。ついでに、わざわざ校章入り書類ケース、ファイ ル、タイピンなどのハーバード・グッズも見せてくれた。本当は優秀な人なのだろうが なかなかのミーハーである。 「ワシがインテリに見えへんか?」 キューバ弁しゃべる奴はインテリには見えないわ、悪いけど。しかし、たしかにキュ ーバ外交官なら、間違えてマイアミ行きの飛行機に乗ったりしたら大笑いだ。 「じゃあ、なんで私のこと警戒してたの?」 「いやー、ワシ、あんたの顔写真見た記憶があってな...どこかで顔写真見た東洋人 がニカラグアでマイアミ行きの飛行機を待ってたら、これはCIAかと」 「CIAだったらどうするつもりだったの」 「どうもせえへん。どうせ飛行場のことやし、あとで記念になるかなーと。ほら、よぉ 映画にあるやろ」 (たしかに、あの時の英語での会話の彼は、スパイ映画の主人公のようにカッコ良かっ た。そうか、あのクサイ科白も読めたぞ) 「そやけど、どこであんたの顔見たんかな」 たぶん、メキシコかキューバの芸能情報誌だと思うな。ニカラグアのTVの可能性もあ るけど。 こうして、PANDORAは、ミーハー外交官サンティアゴ・ペレス(サンティーと呼んで、 と彼は言った)氏と、緊迫のハバナ空港に降り立ったのである。 (続く) 9)------------------------------------------------------------------------- 「そうこうしているうちに、のキューバ編」 と、いうわけで、私はキューバに着いた。 ハバナ、というとスパイ小説好きの人にはミョーなインパクトがあるかもしれない が、実はキューバに行くのはぜんぜん難しいことではない。なんたってビザも要らな いのだ。メキシコあたりなら旅行代理店でツーリスト・カードというのをいくらでも 発行してくれる。ホテルも全部予約する必要はないし、移動は完全に自由だ。 社会主義国のくせに、かってに民間人の家に長期居候していてもいいときてるのだ。 そのあたりの事情については、メキシコの「キューバ政府観光事務所」に行くと、ノ ーブラでタンクトップの色っぽいねえちゃんが出てきて、 (^_-)* 「あーら、だって、キューバ人の恋人ができるかもしれないじゃない、うふ」 と、簡潔明瞭に説明してくれる。 もっともPANDORAは仕事での旅だから、一応、招待ビザだし、ホテルも先方が 用意していて、空港には迎えがきているはず.....だった。 \\\\\\\(;_;)/////// 迎えがいない! PANDORAは思わず、連れになったミーハー外交官サンティアゴ・ペレス氏に言った。 P「迎えがこないなんて、なにかあったんじゃない」 S「うーん、たしかに何かあったんやろな」 P「クーデターが起こったのではないだろうか」 (註:これはソ連のクーデターの前の事だ。したがって、PANDORAが言ってるのは、単 なる悪質なブラック・ジョークである) S「いやいや、きっとセルフサービスで自転車を用意してくれているに違いないよ」 (註:これも単なる悪質なブラック・ジョークである。今、キューバは大変なガソリン 不足なのだ) とにかく、サンティアゴ氏は車があるので、それでホテルまで送ってもらうことになっ た。なかなか迫力のあるおんぼろである。しかし、熱帯の気候の中、車が走り出すと、 これは実に爽快だ。ヤシ林が後ろに飛んでいく。 空港の出口には 「社会主義の国においでやす」 という、いまどき過激な標語が丸文字で書いてあって、しっかり花まで散らしてある。 その下には、なぜかタスキをかけたヒヨコがVサインをしている。 おちゃめ度を比べるなら、ニカラグア「人生を楽しむためにエイズに気をつけよう」 のマラソンするコ***ムの勝ちだな、と私は思ったが、しかし、ノリの軽さと言い 訳の突飛さでは、キューバもニカラグアといい勝負の国ではある。 どうでもいいが、「改革前の暗い東欧」なんて表現は適切なのだろうか?と、PANDORA は疑問に思う。まるで、「改革後」が明るいみたいではないか。 あの人たちは、どっちに転んでもクラいのではないかと思う。そう、「共産主義」が クラいのではなくて、ロシア人やルーマニア人やドイツ人がクラいのだ、きっと。 論理的に考えるなら、「もし、共産主義がクラい」のなら、亡命した人たちは、当然、 みんな明るくなるはずだが、明るいロシア人亡命者って、あんまり聞いた事はない。 エリツィンやワレサだって、あんまり明るそうな感じしないもんな。 顔を問題にするのはルール違反かもしれないが、エリツィンなんて、時代劇に出てくる 「ご禁制の抜け荷をやってる越後屋」の人相ではないか。 それはともかく、時代は変わった。 かつては、よく「改革前」の東欧やソ連の人がキューバにきて、 「こんなふざけた連中に正しいマルクス・レーニン主義がわかってたまるかあぁぁぁ」 と、必死で「批判」していたが、なんと、今やキューバが「最後の社会主義国家」と して残っちまったのだ。 それに関して、街角の道路工事のおっさんに、どう思うかインタビューしたら 「ざまーみろ、うわーははは」 と自慢していたが、はっきり言って、笑ってる場合ではない(と、PANDORAは思う) ちなみに、キューバは、俗に「歌って踊れる社会主義」というやつで、ラスベガスも 真っ青のキャバレーはあるは、ディスコはあるは、従って、旧東欧圏の人がよくパニ ックを起こすようなところだったのだ。 ちなみに、米国からのラジオは全部はいるので、キューバ人はビルボードの最新ヒッ トにも、うっかりすると日本人より詳しい。 そもそも、キューバ人から「歌」と「踊り」と「冗談」と「政治批判」と「すけべぇ 心」をとっぱらったら、それはすでにキューバ人ではないではないか。 翌日、文化省から 「ゴメンねー、いやー悪い悪い、えへへへー」 と言いながら、担当のお兄さんが迎えにきてくれた。貴様ら、なんでも笑ってごまか すな。 ここでの仕事は、ガルシア・ロルカ劇場というオペラハウス(!)で歌うことだ。そ れから、カール・マルクス劇場という、いまどき希少価値のある名前の劇場の付属ラ イブハウスでのコンサート。 ロルカ劇場の方は、クラシック・ピアニストと組んでの仕事。ライブの方は「ブラ ンコ・イ・ネグロ」というフュージョンぽいロックバンドと組んで、という、何の脈 絡もない取り合わせだ。 まあ、いいけどね。勉強にはなるから。(と、これまた安直に順応するPANDORAの頭 のなかは、とっくに熱帯になっていた) キューバというのはジャンル間の垣根があんまりないのがいいところのひとつである。 私も、田舎の民謡ハウス《カサ・デ・ラ・トローバ》のおっさんから、キャバレーで フィーリン(ムード歌謡)を歌ってるおばさん、ロック兄ちゃんにジャズ坊や、ばり ばりフュージョン軍団から、クラシックの大御所、わけのわからない歌を歌うあぶな っぽい兄さん...と、知り合いには節操がない。 べつに、顔が広いのを自慢してるわけではなく、キューバにいたら、ジャンル分けが むなしいので、自然にそうなってしまうのだ。日本みたいに「この道一筋ン十年」と いうのはあんまり尊敬もされない。 そのへんの懐の広さというか、ごった煮感覚がキューバ音楽の本質である。 実際、音楽学的にも、キューバ音楽は「民謡」と「ポピュラー」と「クラシック」と 「ラテン・ジャズ」の境界はつけることはできない。 さて、それまで、街を歩く。 自転車が多い。サンティーの冗談ではないが,これは明らかにガソリン不足のせいだ。 それから友人たちの家を訪ねた。 「なんか、相当に大変みたいね」 「いや、あんたに隠しごとしてもしょうがないわよね。実はそーなの」 食料事情がかなり切迫しているのだ。 ううむ。私も配給に行くのを手伝おう。配給手帳貸して。む、品目が減っている。 ちなみに、キューバという国は食料の自給が出来ない。これにはむろん訳がある。 もともとコロンブスがこの国を「発見」したとき、ここは緑豊かな、ジパングと見誤 る「豊かで美しき島」だった。 それが、スペイン人の植民が始まって、事情は一変する。 おさだまりのインディオ虐殺が続いた挙げ句、原住民は完全に死滅するのだ。 そのキューバ島を、スペインは森林を徹底して破壊し、巨大な「砂糖タバコ工場」に 作り替えたのだった。まさしくそのために、大量の黒人奴隷も輸入される。 (この過程の中で、本来キューバに存在した植生は変化させられ、また食料生産は規 制された。なぜなら、「植民地」に自活能力を持たせれば、独立のきっかけとなるか らだ) やがて、スペイン帝国が衰退すると、その利権は、米西戦争によって、米国のものと なる。いや、もっとはっきり言うと、シカゴのギャングである。 ハバナは(映画でもあったよね)、当時のシカゴのマフィアの本拠地だったのだ。 ここで、キューバ国民の悲惨な状況はエスカレートした。そして、革命が起こった。 ところが、この革命は真っ向から米国の利権と対立する。なんたって、売春窟を廃止 し、黒人立入禁止区域を廃止し、砂糖産業を国営化したのだ。 かくして、革命後、せっかくワシントンまで挨拶詣りに行ったフィデル・カストロ一 行は「共産主義者」と決めつけられ、ホテルまで追い出されるという、険もほろろな 扱いを受ける。 それだけではない。 米国は、一方的にキューバとの断交と貿易封鎖を発表し、しかも他の資本主義陣営の 国々に「キューバと一切の貿易を行わないよう」通告し、CIAに計画させてなんと キューバ攻撃までやってしまうのだ。これは、海路による、当時、防衛的に手薄だった ヒロン湾への上陸攻撃と、首都ハバナの爆撃である。 アイゼンハワーの計画では、この攻撃によってハバナを麻痺状態にし、その間に、C IAの援護でヒロンに上陸した反革命グループが、「臨時政府」を樹立する。 それを受けて、米軍が「正式に」出動するという、もう、恥も外聞もない卑怯な計画 である。 しかし、これは、さすがのアイゼンハワーもまったく予期しなかった理由で失敗した。 なんと、CIAのプロに訓練を受けた最新装備のヒロン上陸組が、 「あっさり負けた」のだ。 これは情けない。それも、ヒロン湾の上陸地点の村の、素朴なジイサン・バアサン集 団に抵抗された挙げ句、一網打尽にされてしまったのだ。 これにも、むろんわけがあった。 このあたりは黒人が多い。 そして、革命前の、米国の威を借りて、やりたい放題やっていたバティスタの暴政に 苦しみ抜いてきた人々が多かった。 彼らには、理屈などどうでもいい。 ただ、黒人が入れなかった公園や水のみ場の柵をぶちこわし、子供に文字を教え、 薬を分けてくれた「革命」のためなら、命なんか惜しくはないと、ジイサン・バアサ ン達が機関銃相手に、猟銃やら砂糖キビ刈りの山刀やら包丁やらで立ち向かい、なん と、町から「援護部隊」が来るまでの数時間を持ちこたえたのだ。 (現在なら、完全にありえない美談だが、1961年というのは、まだ、のどかな時 代だったのだな、きっと) アイゼンハワーのショックは察するにあまりある。 (しかしかわいそうだとは思わないぞ) さらに、空爆を続行するはずの空軍機(当時ニカラグアから来ていた)が、時差の計算 違いのため、一時間遅れて到着するという、歴史的大ボケをやったりして、この攻撃は 失敗するのだ。 逆上したケネディは、キューバを機雷封鎖した。 あくまで逆らうならば飢え死にしろというわけだ。 この時、事態を見守っていたメキシコで、自然発生的に数万人の大デモが起こる。 「隣人を見殺しにするな」 このデモの迫力に負けて、事態の静観を決め込んでいたメキシコ政府は、食料船をキュ ーバに向けた。 時を同じくして、やはり事態を静観していたソ連のフルシチョフは、キューバへの食料 援助を決定する。 そして、カストロは演説をした。 「我々が独立を求めることそのものが『共産主義』だとゆーのなら、ええい、共産主 義者とは我々のことじゃい」 これが、キューバが「共産主義」となったいきさつである。 まあ、事情が事情なので、だからキューバ人の言う「社会主義」なり「共産主義」の 概念や実態は、ソ連や東欧や、日本のそれとはだいぶ違っているのだ。むしろ、民族 独立の悲願のようなニュアンスが強い。 さしずめ、「くそ真面目ドイツ人」なら 「我々は立派にマルクス・レーニンの指導に基づく共産主義を信奉する者である」 と、いうところだろうが、キューバの場合なら、 「よーわからんが、わいら共産主義者らしいぞー、文句あっかー、ほっといてくれ やー」 という感じだ。(たしかにドイツ人にバカにされてもしょうがないかもしれない) ちなみに、機雷こそは撤回されたが、米軍のキューバ封鎖というのは、以来32年、 今まで続いているのだ。 (続く) 【註】 この経済封鎖は、米国からはビニール袋一枚、アスピリン一錠入らないという徹底し たものだった。それまで、米国の植民地として、工場や車や建築の部品全てを米国に 頼っていたキューバには、並みの経済制裁ではない痛手であった。 10)------------------------------------------------------------------------ キューバ編2・いまどきの共産主義者 と、ゆーわけで、キューバでは「共産主義」という言葉は、実際問題として、ほとん ど「米国支配からの独立」という意味で使われている。 ここを良く理解しておかないと、とんでもない誤解が起こってしまうのだ。 逆に言えば、キューバという小さな国は,米国にとって,「目ざわり」そのものとい うことだ。したがって、米国ではキューバ音楽は厳しく規制されているし、キューバ に行くにもかなりの覚悟がいる。うっかりキューバ礼賛(と取れるような)発言をし たために、オスカル・デ・レオンなんて音楽業界を追放されそうになったぐらいのひ どさだ。 これは、日本では報道されない、米国の一つの顔である。 ちなみにキューバでは、ジャズやロックをはじめ米国の音楽が禁止されたことはない。 アルトゥーロ・サンドバルとかいう亡命したクソ野郎がそういうことを抜かしている が、サンドバルは亡命するまで共産党員でブリッコしてた野郎である。私の家には、 そのサンドバルが軍事大臣(*)と握手して愛想ふりまいてる写真があるときている。 ちなみに、外国公演中に、『亡命してちょっとしたインタビューに応じること』を条 件に、一流レコード会社から破格の契約金での華麗なる世界デビュー、と持ちかける 「その筋の人」からのお電話をもらったことのある大物演奏家は私の知っている限り でも、何人かいる。で、そういうオイシイ話に応じる人と応じない人がいる。つまり、 そういうことだ。 その米国側の緊張感の凄さは,実際に体験してみないと,ちょっとわからないものが ある。とにかく「キューバ」と言うだけで、ヒステリックなまでの反応だ。 だから、わりと最近公開された米映画「ハバナ」も、キューバ側は問題なく撮影許可 ビザを出したのに、米国政府側が、撮影隊のキューバロケを許可しなかったので、あ れは、ドミニカで撮影されたのだ。 で、つい2ヶ月前、キューバ人音楽家である、(世界数十ヶ国で20枚以上のLPを 出していて、日本でもCD1枚が出ている)シルビオ・ロドリゲスというシンガーソ ングライターが、スペインで記者会見に答えて、 「(東欧・ソ連の変動の中で)今後のキューバはどうなると思いますか?」 「私にただ一つ言えることは、我々には二つの選択肢しかないということです。 つまり、あくまで独立を護り続けるか、それとも米国に屈服して、いままでのことは 申し訳ございませんとお赦しを乞うか、そのどちらかです。 そして、我々は、独立を捨てる事はないでしょう。少なくとも、私は、指導部がど うあろうと、独立を阻むあらゆる事態には最後まで抵抗する覚悟です」 という、めったやたら迫力あるセリフを吐いたものだったが、それはまさしく「そうい うこと」を指している。 実際、彼らは30年間、独立を護り通してきたのだ。その根性は並大抵のものではな い。いま、やたらな悲壮感がないのも、それに起因している。 ざっと、主なところだけでも、たとえば、61年のヒロン湾攻撃事件を発端に、世界 各国でのキューバ利益代表部や大使館爆破事件、領空侵犯事件、機雷封鎖、キューバ 機の乗っ取り、挙げ句の果ては「細菌ばらまき事件」 これは、キューバに限って、(しかも米軍機の領空侵犯のあとに)新種ビールスに よる農作物・家畜の被害が多く、しかも新型のインフルエンザなどが発生して、子供 などに死者を出す事例が多いので、さすがの国際赤十字が「原因は米国の細菌兵器で ある以外考えられない」という報告書を出した代物である。 (皮肉な事に、そのおかげで、キューバの医療と生化学のレベルは世界屈指である。 いまも、インターフェロンや遺伝子工学の専門家が阪大の招待で、こっちで共同研究 しているぐらいだ) まー、それはどうでもいいのだけど、(よくはないか)で、キューバ公演。 おかげさんでの盛会。立ち見が出るほどではないが、一応、ガルシア・ロルカ劇場の レクオーナ・ホールは満席という状態。 こういう国だから、つまらないコンサートをやったら 「引っ込め、ボケー」 と罵声がとぶところだが、おかげさんでそれもなかった。なんと、『グランマ』紙の 音楽評論家も来ていて、歌ったあとインタビューに来た。 そのあとは、クラシック・ピアニストの(いちばん前の中央の席でサクラをやってく れていた)お師匠(*)フランク・フェルナンデスの友人宅で打ち上げパーティー。 「凄い好評だから来年もやりましょね」(と、文化省のひょうきんな兄さん) 「それはいいけど、来年もキューバは存在してるんでしょうね」(と、PANDORA) 「あんたもきつい冗談を言う人やね」 「だって、空港に迎えもきてなかったじゃない。あたしゃてっきり政変でもあったか と」 「だから、それは悪かったって謝ってますがな」 (真相:いま、ガソリンの割当量が切迫しているので、文化省のどの部署が迎えを出 すかでなすりあいしているうちに、書類をなくしてしまっていたらしい。つまり、ババ 抜きをやっていて、ババをなくした状態が起こったわけだ。バカヤロー) しかし、切迫はしているが、まだ、何というか、凄いたくましいものがある。 悲壮感がない。明るい。さっきのよーなキワドイ冗談が言える。 そのあとの、カール・マルクス劇場のサラ・アトリルというライブハウスでのライブも 盛り上がったし、アブナイ歌を歌っているやつもいる。ディスコには男装の美少女とか ニューハーフみたいな奴もいる。 (それはいいが、もうちょっと悲壮感だって持つべきじゃないだろうか) しかし、確実に、配給の列は長くなり、品目は減った。 「良くなる」見通しは、限りなくゼロに近い。 日本なら、おそらく、とっくにパニックになっていてもおかしくない状態だ。 主なオフィスには、さりげなく「防戦当番」の表が貼ってある。 毎日、午前、午後、夜間の防戦責任者の名前がサインペンで書き込まれ、それとは 別に、万一の場合のサイレンのリストと、その対処法・避難場所の表がある。 一般的な空襲の場合、化学兵器が使用された場合、細菌兵器の場合、上陸攻撃の場 合...。 パナマ侵攻事件の時も、湾岸戦争の時も、(もちろん日本では報道されないが) 米海軍はキューバを包囲し、いつでも機雷封鎖か上陸攻撃できる体勢を作った。 ハバナ市民は、黙って、夜眠るときに、避難袋と武器になりそうなものを枕元に置 いて寝たという。 一見、脳天気にさえ見える明るさの下に、極端な緊張状態が存在してるのは確かな のだ。 それは、「最悪の事態」が起こったときに、自分はどうするかという、ひとりひと りの選択の問題でもある。 大体、スペインで、えらい悲壮な記者会見やったシルビオ・ロドリゲスも,まったく 共産党員ではないし、むしろ、普段の言動からは、キューバ国内では「反体制派」と 見なされがちな人物(政府批判なんぞお手のものだ)だ。 こういうことは、日本の雑誌の記事なんかでは書けないのだが、シルビオは絶大な人 気を持っている一方、始終、(いまでも)舌禍事件を起こしては新聞で叩かれてもい る。今でこそ、大スターだから、少々のことはどうってことないのだが、昔の新聞な んか見ると、そりゃボロクソだし、TVやラジオをシャットアウトされたこともあれ ば、逮捕歴まであるという経歴だ。 要するに、根っから「体制」やら「権力」やら「押しつけ」が大嫌いときている。例 えが極端だが、スターリン下のソ連なら、まず間違いなく粛正されているだろうし、 米国にいたら、「事故死」しているところだろう。 キューバでは、圧倒的多数の若者から熱狂的に支持され、一部の老人からはいたって 嫌われている。 その彼が、一歩キューバの外へ出ると、祖国を護る愛国者として発言する。 なんで、PANDORAがそういうことを知っているかと言えば、むかし、ある偶然がきっか けで、彼とは個人的に知り合って、それ以来、「腐れ縁」といえるようなつき合いを しているからだ。 で、そういう連中も含めて、でも決して「米国にだけは屈服したくない」というのが、 「表向きは妙に明るい」みんなの本音のようだ。 もっとも、「飢え死にしてでも」我慢できるかっていうのは、確実に、みんなの胸に 暗くのしかかっているに違いないのだが。 そのせいもあってか、キューバと縁のある人々も(たぶん心配で)訪ねてきているよ うだった。南アフリカの黒人指導者ネルソン・マンデラ、ノーベル賞作家のガルシア =マルケス、ETC。 (この時点では、ソ連のクーデターも起こってはいなかったが、しかし、いまや、米 国にとっては、キューバ人を餓死させるまであと、一歩というわけだ。 米軍基地は残したままで、(その米軍基地を包囲していた)ソ連軍が撤退する以上 おそらく、機雷封鎖が始まるのは時間の問題だろう。 私はこの国に友人が多い。個人的には、キューバ人が、あの誇りと独立を奪われる のをけっして見たくはないが、しかし、愛する人たちにむざむざ飢え死にしろとは, とても言えないし、現実問題として多くの人びとにそれが不可能であることはわかっ ている) 結局、キューバにとっての革命は、民族独立と自治の壮大な実験なのだった。 (続く) ############################################################################ 【註】 この軍事大臣というのは、カストロとともにゲリラ戦をやった片腕のファン・アルメ イダである。黒人で、人望も厚い人だ。 ところで、キューバで歌謡曲のレコードを買うと、「JUAN ALMEIDA作」というのによ くぶつかるが、これは同姓同名の別人、ではなくて、なんとこの人のアルバイトであ る。 ゲリラ戦をやってるときから、彼の趣味はギターを弾いて歌うことで、革命博物館に 行けば、当時、山中で使っていたギターとか、アルメイダが歌って、カストロやゲバ ラが聴いてる、といった写真が展示されている。 もちろん、革命歌ではなくて、この人が作るのは、徹底的あまくかなしいハーレクイ ン・ロマンスのようなクサ〜い「とことん歌謡曲」路線。で、こっちの才能も大した もので、よくヒットを飛ばし、キューバ版レコード大賞のエグレム賞とかももらって いる。(ちなみに表彰式には軍服で出ていた) ロシアは改革してもクラいのに、やっぱ、キューバは軍事大臣でも明るいのだ。 *フランク・フェルナンデスは、92年11月の後半に来日公演し、東京でリサイタル、 大阪で大フィルとコンチェルトをやった。かのチャイコフスキー・コンクールの審査 員でもあらせられる方で、弟子たちもロン・ティボーやチャイコフスキなどに入賞さ せている一方、アダルベルト・アルバレスのプロデュースを手がけたりもしている、 多才な人である。 で、お師匠はクラシックの大家だが、技術より感性を重視する人で、PANDORAにはピア ノを弾くこと以外のいろんなことを教えてくださったのだ。バ*に喧嘩も売られない ような人畜無害な人間になるなとか、バ*と喧嘩するときには手加減するなとか、ま あそういうことも含めて、PANDORAの人格形成に影響を及ぼした人である。 キューバというとこは、クラシックの大御所も、やっぱり明るいのだ。 11)------------------------------------------------------------------------ キューバ編3・いまどきの共産主義者 日本の音楽評論家と呼ばれる人たちの大きな誤りがひとつある。 一時、(80年代のはじめ)、革命後のキューバでは政治プロパガンダばかりがさか んになって、キューバ音楽は廃れた、という説を大真面目に唱えた人たちがいた。 カルロス・プエブラのような伝統的なソンの歌い手までが、ソンのリズムで 》反対する奴がいようがいまいが 農地改革は進むのサ だの 》さあさ、みんなで野原に出かけ 識字運動やろうじゃないか、ヘイ プロパガンダ なんて、「目を覆うような説教臭い」詞を歌ったりし、イラケレのような「愚劣きわ まりない小手先だけのフュージョン」がハバをきかせ、シルビオ・ロドリゲスなんて いう実力のかけらもない白人のガキがもてはやされ...というようなことだ。 この人たちは、ある決定的なことを見ていなかったのだ。 カルロス・プエブラのような農民音楽を歌うおっさんが、「農地改革」だの「文盲撲 滅運動」の歌をつくってウレシそうに歌うほどに、革命は彼らにとって明るく楽しい モノだったのだということ。 だいたい、キューバに「正しくて純正」な音楽など存在しない。 黒人音楽と白人音楽(それもスペイン民謡と18世紀の宮廷音楽)が、やがては支配国 USAのジャズが、なんのタブーもなく混じり、混血して生まれ、それぞれ枝分かれ して生まれたのがキューバ音楽であって、かの有名なチャチャチャだって、たかだか 40年ぐらいの歴史しかない。 タブーを持たず、何でも貪欲にとりいれることが、キューバ音楽の本質なのだ。 そして、もう一つの(とりわけトローバとよばれる伝統)は、「日常生活を詞にする」 ことだ。だから、民謡うたいのカルロス・プエブラは、まさしく伝統どおりに「革命 の時代の日常」を歌に詠んだのだったし、シルビオ・ロドリゲスやパブロ・ミラネス は、それからの、周囲の無理解に囲まれた「孤高」の時代の混迷や、マイアミの人々 のすさまじい憎悪を背に感じながらの模索や、その誇りある、けれど質素であること を強いられる日常を見事に詩にすることに成功したからこそ、世代を超えた熱狂的な 支持を受けたのだ。 それは、無償の医療や教育やUSA支配からの「自由」と引き換えの、ソ連製のTV や車や、「キューバ人であるというだけで、悪人の一味であるかのような」悪意のデ マと反宣伝のなかで、生きていくということだったのだ。 》キューバでは、子供が10歳になると母親から引き離されて、ソ連に連れて いかれるんですって...怖いわね。それで、そういう共産主義の侵略から わが国を護るのが私たちの義務なのよ。 (マリオ・ベネデッティの短編から、主人公の独白) 》いくらなんでもキューバで自由旅行なんて、できるわけがないでしょう。第一 入国だって難しいんじゃないですか? 怖そうな国だしね。 (日本のある旅行雑誌の編集者、80年代前半) 》それできみは、ぼくらが君を騙して、取って食っちゃうとおもってたの?(笑) たしかに...キューバは怖いところさ。だって、君の心を奪ってしまったか らねえ(爆笑) ママは、いつか、ぼくが大スターになることを夢見てた。大邸宅に住んで、運 転手付きのリムジンに乗るような人間になることをね...だから、革命が起 こって、そういう暮らしそのものが存在しなくなったときに、すごくショック を受けてた。でも、ぼくは構わなかったんだ。リムジンの代わりに、民衆がぼ くを愛してくれてることに。そしてぼく自身が、時代に関われるということだ ったんだから。それって、幸せなことじゃない? ところで、君はいま、幸せ? (パブロ・ミラネス) 》ハバナ 》群衆に驚く思春期のガキ 》疑問符をつけた天使と横になったままの夢 》大陸からの怨嗟と呪いと...ほんの少しの死の匂い (シルビオ・ロドリゲス) キューバの「伝統」が、異種の混血・混合であるなら、フュージョンを実験に取り入 れるのが、どうしていけないのか? 実験音楽こそが、キューバの真の伝統なのだ。 うまくいかなければ根付かないし、大衆が支持すれば根付いて、それがまた伝統にな るという、ただそれだけのことだ。淘汰は、時代が行うのである。 もし、キューバ人音楽家が(それはパナマでもメキシコでもペルーでも同じことだ)、 キューバの「いわゆる伝統音楽」を歌わなければいけないなら、日本人音楽家は「民 謡」以外を演奏するのはすべて「間違っていて、邪道で、クダラナイ」ということに なる。 (゚o゚;) そうなれば、日本人でありながら、「ラテン音楽」を聞いて愛好するのもオカシイ話 だということになってくるし、ましてや、その「正しい伝統音楽」というのが、本質 論ではなくて、「ニッポンの音楽評論家や愛好家が伝統的だと思っているような音楽」 を演奏することだ、などということになってくると、これは、はっきりいって、本末 転倒もいいとこではないか。 大体、USAやヨーロッパのミュージシャンにむかって「伝統音楽をやらないのは邪 道だ」などという批評家がいるのだろうか? ようするに、この考え方には(むろんその意図はないにしても)、明確な、アジアや アフリカやラテンアメリカ(つまり、いわゆる発展途上国)への抜き難い蔑視がある のだ。 自分達はキモノや伝統建築を捨てて、セントラル・ヒーティングの部屋でCDを聴き ながら、第3世界には伝統を守れというのは、いやらしいエゴである。 まして、十分な現地調査をやらずに、「社会主義政権だから音楽が弾圧されてるに決 まっている」というような思いこみだけで、なにかコメントが発表されるようなこと がもしあるとするなら、さらに救いがないといえるだろう。 もちろん、その折々で護らなければならない伝統があるのも事実だ。 けれどその意味でも、革命後になってはじめて、キューバでは「伝統音楽」そのもの も見直されてきた。商業ベースで「USA市場に売れそうな」音楽だけでなく、地方 の民謡ハウス、カサ・デ・トローバに補助金が出され、学術研究がなされた。 革命時、1950年代というのは、USA市場向けの「キューバ音楽」は存在したが、 キューバの若者はソン(マンボ)やフィーリンに見向きもせず、エルヴィス・プレス リーに夢中だった。 トローバなどは「ど田舎の爺さんが音程の狂ったギターで声張り上げて歌うダサいも の」としか思われてはいなかった。それが、革命後の民族意識の高まりの中から、若 者の中に、ソンを現代的な(といっても60年代の話ね)感覚で取り入れる人たちが 出てきて、やがて、それが、ロス・バンバンやソン14を生み出していったのだ。 そして、キューバの若者達の間で、ソンが「ダンス・ミュージック」として復活する。 ############################################################################ 【註】 前回登場のクラシックの大御所、フランク・フェルナンデスの説によると 「評論家の95%はクズ」 だそうだ。(強調しておくが、私の意見ではない。フランクの意見だ) で、その理由は 「才能のある奴なら、評論家なんかにはなるわけないじゃないか」 ここでいう評論家とは、もちろん「研究家」とは別にしての話であるが、これに関し ては、PANDORAはコメントを差し控える (-_-;) 註2 〉SYSOP殿 引用した文章はすべて、UP者本人の翻訳によるものなので、著作権の問題は生じ ないと思います。 *この一節に文句がある人がいるなら、いつでも受けて立つぞ。ただし、バトルになっ  たら、手加減はしないからね。 12)------------------------------------------------------------------------ キューバ編4・いまどきの共産主義者 さて、そうこうしているうち、パンアメリカン選手権が始まった。 ある意味では、革命後はじめて、キューバに大量の米国人が入ってきたのだ。 米国人だけではない。もちろん、カナダ、メキシコからアルゼンチンまでの、すべ てのアメリカ大陸の国々だ。 ここでも、この選手権を中止にするべく、ブッシュはあらゆる圧力をかけた。で、 どうしてもハバナ開催が動かせないとわかると、放映権を獲得したABCに対し、 キューバ側に放映権料を1セントでも払うなら制裁処置を講ずると脅迫までした。 さすがに自由の国アメリカ。恐喝の自由。 もっとも、それを黙殺してキューバに来たABCは偉い。こいつらも米国人だから 米国にも救いがあるってもんである。この連中は、高級ホテル「ハバナ・リブレ」 に陣取って、街の様子も含め、じゃんじゃんフィルムを回していた。 とにかく、もともとお祭り大好きキューバ人。この選手権はお祭り気分でえらく盛 り上がった。まるで、大きな打ち上げ花火のように。 とくに、何故か、この期間中、マスコットのヒヨコ人形もさることながら、お土産 グッズで抜群の売れ行きだったのが、そう、あの革命家の中の革命家、 「チェ・ゲバラ」グッズである。 ゲバラ・ポスターは当然として、ゲバラ壁掛け、ゲバラTシャツ、ゲバラ・ハンカチ ゲバラ置物、ゲバラ生写真、ゲバラしおり、ゲバラ灰皿、ゲバラ・バッジ さすがにゲバラ筆箱とかゲバラ便せんセットはなかったが, 「おまえは『ちびまる子』かい」(-_-;) と言いたくなるノリである。それにしても、死んでからも、ここまでお国に貢献する ゲバラが不憫じゃ。(と、いいつつPANDORAもグッズを買ったのであった) でも、灰皿にするのはかわいそうだと思う。顔に火を押しつけて消すなんて、失礼よ ね、ぜったい。 で、この選手権では、野球の決勝が、キューバ VS 米国。宿命の対決。 もう会場中「行け行け、キューバ」コールの渦。 そして、2−3で、キューバ逆転優勝!!!!! もう、泣いてた人いたもんな。 (バルセロナ・オロンピックのときに気づかれた方も多いだろうが、キューバ選手と いうのは、対米国戦になると、異常にハッスルするのだ) で、音楽も、例のカール・マルクス劇場大ホールで、特別ガラコンサートがあった。 三日連続で、初日は選手団と報道陣だけの特別公演。これに私も(もちろん客として) 招待された。 来日したこともある超絶技巧フュージョンのイラケレをホスト役に、チャチャチャの オルケスタ・アラゴン、ソン(サルサ)のムニェキートス・デ・マタンサス、人気女 の子バンドのアナカオーマ、etc...売れっ子総出演の豪華顔合わせだ。 で、メインがスペイン語圏で、目下人気絶頂の、例のシルビオ・ロドリゲス。 さすがに、人気絶頂というのはえらいもので、今日は一般客はいないはずだってのに、 引っ込んでも拍手が終わらない。 まあ、ヒット曲2曲を歌っただけだからお客が納得しなかったのは判るんだけど、 メドレー風のガラだというのに、彼は舞台に戻ってきて異例のアンコールとなった。 そのアンコール曲は、しかし、意外にも、知られていない歌だった。 イラケレのリーダーのチュチョ・バルデスがじきじきに弾くピアノに乗って、やさしい メロディが流れた。   あちこちにマリコの手紙がある   服のポケットに,書類挟みに,     鞄を引っかき回すと 上着を持ち上げると   ぼくは彼女の視線を想い     マリコの手紙がどこにでもあって   ぼくの生活の一部になっている...   それなのに,昨日から夏になった   ぼくを待っていてはくれなかった   炉の中でぼくを染め上げ...そして   ぼくの息を止める どうしようもなく,けれど必然のように   昨日から,不意に夏が来て,     待っていてはくれなかった... 場内が薄気味悪いほど静まり返った。 さも悲しげな歌ではない。むしろ淡々とした、童謡のような印象すら与える歌。 たしかに美しい歌だ。でも、なぜ、こんな歌を、わざわざアンコールにしたのだろ うか? 誰かの咳払いが妙に大きく響いた。 昨日から,不意に夏が来て ぼくを待っていてはくれなかった... それから割れるような拍手。ざわめき。 「なに、いまの歌?」「マリコって、日本人のこと?」 それをかき消すように、シルビオが消えたあとの舞台でファイナルのダンス。熱狂。 何十人ものダンサーが出てくる。 色鮮やかな、群舞。手拍子。サルサ。 その中で、私はただ、呆然としていた。《マリコ》の手紙、日本からの手紙。 「いつも君からの手紙は大切に読んでる。たとえ返事が書けなくても、必ず読んでいる から...それを忘れないで...」  ベルリンの壁が崩れた日、新聞を見つめて彼が私に言った言葉が蘇った。 「ごらんよ、世界が変わっていく...」 「あなたはどうするの?」 「僕は、変わらないよ...決して」  もしも、うぬぼれでないとしたら、今夜のこの歌は、もしかしたら大観衆の中のた ったひとりの人間のために歌われた歌ではないか...。 昨日から灼熱と渇きの夏が来て、[春は終わった]のだと。  もしもそうだとしたら、それはなんて贅沢で、なんて残酷な歌。 凄い盛り上がりのうちにコンサートが終わると、いつのまにか外は土砂降りだっ た。 私は楽屋口の方に続く金網の方に目を凝らした。 むろん私を待ってくれている人などいるはずもない。おそらく彼は、自分の出番が 終わると、ショウの終了を待たずに、一足先に劇場を出たのだ。 私は劇場の前でハイヒールを脱いで、バッグに入れ、雨の中を裸足で帰った。 夜中11時30分。 ある意味では雨は好都合だった。そしてガソリン不足のハバナには、私を追い越す 車もなかった。それもまた、こんな気分の時には好都合だった。 その翌々日、私のもとに、彼から使いがきて、一通の封筒を置いていった。 中には、いくつかの新しい詩のコピーがあって、スペインでの彼の記者会見の模様 を伝える、例の新聞記事も同封されていた。 》...我々の独立を阻むあらゆる事態に、私は最後まで抵抗する覚悟です 東欧の変動以来、いつかこうなるかもしれないという予感はしていたが、私が恋文 を送りつづけていた相手は、いまでは、完全に私の手の届かないところにいるらしか った。 (続く) 13)------------------------------------------------------------------------ 再びメキシコ編・その一 PANDORA の災難 と、いうわけで、メキシコに戻ったPANDORAは、さすがに落ち込んでいた。 近年ちょっとないほどのすさまじい落ち込みである。 さすがに友達の家に転がり込む気にもなれず、とある安ホテルにチェックインし、 ひとりで酒など呑みながら、とりあえず留守中の伝言を聞きに友人に電話したとこ ろに、「大事な伝言」を聞かされた。 「PANDORA、あんた、《アルカーノ》でのショウが決まったんだって。すぐ店に連絡 して」 「?」 《アルカーノ》というのは、この連載第1回で出てきたライブハウスで、トップ アーティストが出演することと、文化人が溜まっているので有名な店だ。 で、ここのショウは、10時から始まって数グループ出演し、12時頃、メイン が来ることになっている。そういう意味では、PANDORAもちょっと出演したことが ないわけではない。しかし...。 落ち込んでいる割に、すぐに電話だけはかけたのは、音楽家の条件反射というやつ である。 「おお、PANDORA、君にメインステージを任せることにしたんだ」 「メ、メイン?」 「一時間半のショウで15日だ。すぐバックを作ってリハに入ってくれ」 「ちょっと待ってよ、そんなに急に言われても...」 「既に新聞のインタビューは組んであるし、ギャラはトータルチャージの50%、 最低保証が○○ペソでいかがかね」 「あ、あのプログラムは...」 「前座がアントロポレオ(メキシコではトップと言われるジャズクインテット)だが」 「それで私のバックは...」 「オスカル・チャベス(メキシコで数千人ぐらい規模のコンサートをするタニムラシンジ風 シンガーソングライターのおじさん)がバックを貸してもいいと言ってくれている」 /(゚O゚)\ すーーーーー。(血の引く音) いままで、キューバやチリやニカラグアで、けっこう大きなコンサートに出たことは あったし、メキシコでもジョイントのコンサートや大学祭は出たことが何度もある。 しかし、《アルカーノ》のショウというとちょっと違う。大体、提示ギャラも高い。 いや、正確に言うと、《アルカーノ》はギャラがえらく安いことで有名な店だ。 で、安いギャラにもかかわらず、ここにトップアーチストが出演するのは、ひとえに この店の「格」と「雰囲気」による。国外の大物アーチストが飛び入りのノーギャラ で歌うことさえあるのだ。それだけ、この店の客は耳も肥えている。逆に、アルカー ノで歌うギャラの3倍から人によっては5倍というのが「正規」のギャラの水準だ。 それを考えると、今回の条件は、ほとんど「新人」ばなれした条件と言っていい。 確かに、そのギャラなら、トップミュージシャンにバックをやってもらったとしても 十分に謝礼は払える...しかし。 「わかりました。やりましょう」 と、発作的に言ったのは、実はPANDORAに勇気や自信があったからではなく、このと き最低に落ち込んで、自棄を起こしていたからであった。 (さらに言えば、若干のアルコールも入っていた) もー、 (゚o゚;)/// 矢でも鉄砲でももってこ〜い、 というぐらいの落ち込みだったとしか言いようがなかったのである。 もっとも、さすがに一夜明けると不安になった。 しかし、今更どうしようもない。 とりあえず、「ペンタグラマ」に出かけることにした。 ペンタグラマ...というと、高橋克彦ファンの方などは、なにか秘密結社を想像さ れるかもしれないが、実はレコード会社である。 インディペンデント系のマイナー・レーベルだが、しかし、一癖もふた癖もあるアー ティストを抱えていることでけっこう知られていて、それなりの地盤は持っている。 また、ここからメジャーになった人も多い。逆に、メジャー人気がありながら、あえ て、ここからレコードを出すアーティストもいる。 「ほー、《アルカーノ》からお呼びがね。いいチャンスじゃん」 と、広報担当の兄さん。 なぜか、横には、昼だというのに、あの「黒服の怪人」マルシアル・アレハンドロが いた。 (とはいえ、黒服は洗濯してたらしく、めずらしくジーンズの上下であった。こいつ もここのレコード会社にいるようだ) 怪人にチャチャを入れられたくなかったので、PANDORAはあくまで、広報の兄さんに 話しかけた。 「問題は集客なのよ。エウヘニア・レオンやタニア・リベルタやアンパロ・オチョア みたいな超有名人が続いたあとだもの。私で、ガラガラになる可能性は高いと思うの ね。しかも木曜日だし。ふだん私のライブに来るような学生は、あの店は高くて手が 出ないから期待できないし」 「なるほど、有り得る話だ」と、広報の兄さん。 「なるほど、では僕にまかせておきなさい」と、怪人。 しばし、沈黙。 「そんなに簡単に任せられるの?」 「要は話題を作って、みんなを行きたい気にさせればいいわけだ」 「いっとくけど、《アルカーノ》に来るような連中には、日本人だとか女の子だとか いうのは通用しないわよ」 「そんなのは重々承知だよ、まあまかせておきなって」 なんとなく、厭な予感がした。その不安を見すかすように怪人は言う。 「ショウを成功させるのはあくまで実力だからね、それは君ががんばればよいのだが 事実上のデビューをガラガラの客席でってわけにはいくまいよ」 「なにをやろうっていうの?」 「うわーはははは」 めちゃめちゃ、厭な予感がした。しかし、もう遅かった。 怪人は、広報の兄さんに何事かをささやき、(すると、広報の兄さんは眼を輝かせ、 「おおー、それは凄いアイデアだ」と言った)それから元気に姿をくらませてしまっ たのだ。 (続く) 14)------------------------------------------------------------------------ 再びメキシコ編/その2 PANDORAの災難(続き) それから数日後。 殊勝にも、PANDORAは、立ち直って真面目に仕事をしようなどという気を起こしてい た。 「そぉよ、ワタシには仕事があるんだわっ」 あの、怪人の動向が、わずかに気にかかってはいたが、なんといっても、この時の PANDORAは「愛の根性ドラマ」していたのである。 バックメンバーも、急場しのぎのよせ集めながら、さすがの一流どころで、実にカン がいい。新曲を次々にアレンジしながら、なかなかいいステージになりそうだった。 もっとも、客の入りだけが心配ではあったのだが。 そうこうしているうちに、新聞屋がインタビューにやってきた。 「エル・フィナンシエロ」という、三年ほど前に発刊になって以来、急激に評価を上げている新 聞で、後発のわりに、大手から敏腕記者を引き抜いたという噂どおり、特ダネ記事が 多い。経済新聞ということだが、国際面や文化面も充実しているという話だ。購買層 は、中流以上のインテリにターゲットを絞っている。 「アルカーノ」のショウの宣伝なら、まずベストといっていい新聞だ。 やってきた記者は、まだ、幼さが残る童顔の青年だった。 インタビューは型どおりの、リサイタルに関するものだったが、一通り終わって、青 年は手帳をしまったあと、 「ところで、PANDORAさんって、ジャーナリストでもあるでしょ?」 「あら、よく知ってるのね」 「実は、僕、日本のことで素朴な疑問があるんですけど、この機会に聞いてもいいか しら」 「いいわよ、私でお役にたてるなら」 その翌日、TVの夜のゴールデンタイムで、「日本・その繁栄の実態」とかいう過激 な社会派ドキュメンタリー(過労死や過酷な通勤時間やウサギ小屋のルポ。ちなみに 「発展途上国」メキシコでは、よほどの下層階級でない限り、平均的日本人より大きな 家に住み、ゆとりある暮らしをしている)が放映され、メキシコの中流階級に大きな話 題を提供することになるなど、この時点で、PANDORAは知るよしもなかった。 むろん、この童顔の新聞記者が「誘導尋問の鬼」の異名を取る敏腕記者であること も、彼が手帳をしまったあとも、バッグの中で録音機がまわっていたことも,PANDORA は知るよしもなかった。 さらに、この時のPANDORAは、キューバでいろいろあって欝から抜けきっていなかっ たので、非常にいくつかの国の政策について怒りを覚えていたという事実も存在して いた。 その2日後。 ライブ当日。 朝、10時。 PANDORAは、朝飯のため通りに出、新聞を買うと、レストランでモーニングサーヴィ スのメキシコ風卵焼き(唐辛子と卵とトマトを炒めたもの)を注文し、何気なく新聞 を広げた。 げ え え え え え っ /(゚O゚;)\ 同日。朝、11時。 PANDORAが、レコード会社「ペンタグラマ」の戸をランボーに開けて、中に入ると、 オフィスの連中が、拍手で迎えてくれた。 「よおっ、本日の話題独占女!」 「謀ったわね。マルシアルの阿呆はどこっ」 「や、奴は昨日はここにいたんだが」 「それで、今日は? あんたもグルなの?」 広報のお兄さんは、ひきつった笑顔を浮かべた。 「PANDORA、今日みたいな日に、君の前にのこのこ現れるほど、奴もバカではないと 思うよ」 「ええい、隠すとためにならないわよ」 そこに、社長が出てきた。 「おお、カミカゼ女」 「変なあだ名で呼ぶのは止めて下さい」 「いやあ、カミカゼは一つの美学だよ、PANDORA。君が惨たらしく暗殺されたらレコー ドの売上は上がるなあ」 「社長っ」 「冗談だよ」 そう。 硬派の「エル・フィナンシエロ」紙の本日の1頁にでかでかとPANDORAの写真があっ て、しかも巨大な見出しで 【PANDORA;日本政府の対米追従外交を痛烈に非難】 あの、インタビュー後半部分(というよりオフレコのはずの部分)で、PANDORAが 日本政府の対中南米外交と、特にODA援助のあり方について語った部分が、まる まる、どかんと丸1頁の掲載である。 ちなみに、ここでPANDORAが語ったことは嘘ではない。すべて裏付けのあることで しかもPANDORAが、その手の情報に詳しいのは、知ってる人なら知ってるから、考え ようによっては、確かに硬派の経済新聞向けのネタではあったのだ。特にODAの ことなんかは。 しかし。 このセンセーショナルな見出しはなんだ! これでは、私はまるで日本政府に、もろにケンカを売ってるみたいではないか.. ..私は歌手なのよっ、歌手。(;_;) 「PANDORA、もし君が別件で逮捕されたり、事故にあったりしたら、我々が責任持って 調査委員会を作ってあげるし、マルシアルだってお墓に花を持ってきてくれるだろう」 はいはい、冗談としては面白いですよ。 「社長、マルシアルの阿呆の今の居所を教えてよ」 「うむ...電話しても君のためにはならんと思うが」 「いいの。せめて一言、罵倒してやらなきゃ気が済まないわ」 じー、コロコロコロ。じー、コロコロコロコロ...。 プルルルル。プルルルル。がちゃ。 「もしもし」 女の声だ。 「もしもし、マルシアル・アレハンドロさんの...」 「きゃあ、あんただれっ!!! あんなバカ男なんて知らないわっ。欲しけりゃ、ノシ つけてあげるわよっ!!!(ガチャン)」 「...」(゚_゚;)(あまりのことに唖然とするPANDORA) 「だから、電話したってためにはならんと言っただろ」と、社長。 「あの男が、天才だがどーしよーもない奴だという事を再認識することにしかならん のだ」 かくして、PANDORAは痛む胃を抑え、レコード会社を出た。 もはやライブまで半日。どうしようもない。 しかし、さすがのPANDORAも、このあと、さらに恐ろしい事態が待っていようとは、 想像もできなかったのである。 (続く) 15)------------------------------------------------------------------------ 再びメキシコ編/3 PANDORAの災難(続きの続き) その日。午後9時。 PANDORAは、ライブハウス《アルカーノ》の前でタクシーを降りた。 正面には、でっかいネオンで ARCANO という文字。 そして、「本日の出演:JAZZ ANTROPOLEO NOBUYO(本名ね)Y SU GRUPO COVER; 55,000 」 この店は開場が9時半で、開演が10時である。従って、PANDORAの出番は11 時だ。日本の感覚から言えば、かなり遅い時間帯だが、外国ではこれは普通である。 ちなみに、この国の最低賃金は日給13,000ペソだから、このカヴァーチャージは けっこう高い。ドル換算なら20ドル弱だが、物価水準が日本の半分以下だから、 円感覚では、8000円ぐらいの感じだ。ちなみに普通の事務職OLの給料が日本円で 3万ないのだ。をいをい。 これで、飲物を取り、帰りのタクシー代(シティの地下鉄やバスは12時までしか ない)を払う事を考えたら、とても、学生あたりに手が出る値段ではない。 トップスターがこの値段で聴けるなら,キャパを考えれば安いものだが,あいにく PANDORAは大スターでも何でもないから悲しいったらありゃしない. 店にはいると、オーナーのパキート氏とイスラエル氏(この店には4人のオーナー の共同経営らしいが、店にはいつも2人が出ている)が、 「おお、PANDORA。新聞見たよ」 「いやー、問い合わせの電話がじゃんじゃん来ていてね、満席は確実だよ」 (しかし、マルシアルのおかげだと感謝する気にはなれない) しばらくして、バックメンバーのうちの二人も到着した。一人足りないが、照明の 打ち合わせにはいる。かけもちなのだ。音響は前日にチェックしてある。 10時前。 ペンタグラマの広報の兄さんが、楽屋にやってきた。 「おい、PANDORA、客席を見たかい? 凄いことになってるぜ」 「?」 客席を覗いてみた。まだ、演奏は始まっていないから、テーブル席にライトがあ る。 げっ。 ほぼ満席で、立ち見はいない。しかし、この客は....。 前の方の席で目についただけでも、有名な映画俳優で歌手でもある(1週間前に 一万人動員コンサートをやったばかりの)オスカル・チャベスとマネージャーがいる。 それから、孔雀のように着飾ったベテラン女性歌手アンパーロ・オチョアとその取り まき、美人スターのタニア、ベラクルス随一の民謡歌手ネグロ・オヘーダ、気むずか しいので有名な若手作曲家のアルマンド・チャチャにパンク・ロックのファウスト、 お昼のメロドラマ・シリーズの主題歌で大ヒットを飛ばしたばかりのダヴィッド・ア ロに、ペンタグラマ社の社長と話し込んでいるのは、硬派の音楽評論家のビクトル・ ロウラ....。 《アルカーノ》に、よく文化人や音楽家が来るのは有名だ。有名だが、しかし これでは、これでは、これでは... 「うーむ、お客にこれだけのメンバーが揃うのが判っていたら、十分宣伝に使えたの に」と、広報の兄さん。 たしかに、このうちの一人で十分に客席は埋まってしまうぞ。 (-_-;) そして、ジャズ・アントロポレオ。 なんとなく、メキシコのジャズというとダサそうに思う方もあるかもしれないが 彼らは、けっこう国外でも活躍している実力派だ。いわゆる、スタンダードからラ テン・ジャズまでこなす。 10時半。 「ねえ、メイン・ギターのクレオーファスはどうしたの?」 「おかしいな、時間を間違えるわけはないんだが」 10時45分。 「ちょっと、変じゃない? クレオは」 「さっき家に電話したんだが、1時間以上前に出たと言ってる」 「そんなバカな...」 10時50分。 「ねぇっ、クレオはどうなってるの????」 10時53分。 電話のベルがなった。 「大変だ。PANDORA。クレオが交通事故で病院に...」 「えーーーーっ! 何ですってえ? 大怪我なの???」 「いや、大した怪我ではないらしいが、検査をするらしい。どっちにしてもここに 来るのは無理だと...」 オーナーのパコが楽屋に飛び込んできた。 「どうした? あと、5分だぞ?」 「クレオが事故に....」 「しかし、今更、ショウを中止にはできんぞ。これだけ客も入ってるのに」 「どうする? PANDORA?」 ふたたび、すーーーーーーと血の気が引いた。 まったく、ここ数日、心臓に悪いことが続く。 私はきっと呪われているのだ。 これは、きっと何かの祟りだ。 しかし、この時のPANDORAは、普通の状態ではなかった。 そう、キューバ以来の「強度の欝」が抜けきっておらず、精神的にアブナい状態 だったのである。そぉ、アルコールも入ってないというのに \\\\\\\(゚_゚)/////// 「矢でも鉄砲でももってこいっ」てな。 「やるわ、やればいいんでしょう」 「し、しかし...」 「オーナー、ショウを10分だけ遅らせて。15分でアレンジを全部やり直しまし ょう。メイン・ギターは私がやるわ」 「お、おい、そんな無謀な」  と、バックの二人(シンセと第二ギターのマヌエル・グアルネロス、ベースのミサー イル)が言おうとして、止めた。きっとPANDORAの目が据わっていたのだ。 それに、どっちみちいまからショウを中止にはできないのだ。 11時10分。 そして、ショウは始まった。 (続く) 16)------------------------------------------------------------------------ 再びメキシコ編・その4 PANDORAの災難(続きの続きの続き) 明らかに「何か突発的な事」があったということは、プロの連中にはすぐ判ったと いう。 しかし、何が起こったのか? どこかがおかしい。しかし、どこが? と、いうのが、客たちがあとで言ってくれたことである。 実際、あんなにコワいライブをやったのは始めてだった。 15分間で、16曲の編曲をやり終えられるわけはないのだから、ほとんどがイン プロヴィゼーション(即興演奏)のようなものだ。 まさに、薄氷を踏むような。 いつも組んでいるメンバーなら、もちろん、もっとラクだったに違いないのだが、 この伴奏陣自体、はじめて組む面々で、しかもごく短期間のリハーサルしかやってい ないから、残りの二人も、はっきり言って自分のパートだけしか覚えていないのだ。 まずいことに、PANDORAのレパートリーは、あまり一般的じゃないコード進行が多い ときている。 とにかく、ほとんど舞台の進行を覚えていないぐらいの緊張状態だ。 実際、ギターの練習などしていなかったので、かなりトチったのだが、幸い、それ に気づいた人は少なかったようだった。逆に言えば、それに気づいた人は、「何か突 発的な事故」が起こったらしいことにも気づいてくれていたようだ。 それでも、最後の曲が終わった。アンコールの拍手。 でも、もうこれ以上はとても演奏できない。レパートリーがぎりぎりだったのだ。 結局、ギター一本の弾き語りで二曲のアンコール。 もう、緊張が解けて涙が出そうだった。もっとも、ステージの出来そのものは、お 世辞にもいいとは言えない。 かろうじてごまかしたというに過ぎないのだ。 あとになれば、後悔するフレージングばかり。しかも、よりにもよって、最高級の観 客を前にして。こんなことならガラガラの方が良かったのだ。 ぐったりつかれて、後ろから客席に入った。 午前12時半。 これから、別のグループがでて、3時までライブそのものは続くのだ。 オーナーのパキートがクーバ・リブレの杯を差し出してくれた。 「見事だったよ。あそこまでやるとは思わなかった」 「ミスだらけ。ギターはむちゃくちゃトチるし、歌には全然集中できなかったし。こん なの実力じゃない」 「いや、親切心で慰めてるんじゃない。凄い迫力だったぜ、PANDORA。さすがにマルシ アルが強引に...」 「なんですって???? 何でマルシアルが出てくるの?」 (゚_゚)←呆然とするPANDORA 「PANDORA、この店は、我々3人の会社経営者が、メキシコの最良の音楽の拠点を作 るために、非営利で始めたものだってのは知ってるよね」 「ええ」 「でも、この店が始まって以来、『業界』にコネの無い我々の店に、最高のスター たちが安いギャラで、それでも喜んで出演してくれるのは、いったいなぜだと思う?」 「....」 実は何故なのか、PANDORAにはいまだにわからない。なぜなんだろう。 (1)怪人が、多くのアーチストの弱みを握っている (2)何らかの方法で、狙いをつけたアーチストが出演せざるを得ないように コトを運んでいる (3)何か、特別な交換条件を提示している (4)(まさかと思うが)怪人には、それほどの人望がある とにかく、まったく意外な事に、このライブは評判が良かった。 特に、プロ連中には、あんな状況の中で最後まで表情も変えずに、微笑みさえ浮かべ てやり遂げるなんて、大した奴だ、と思ってもらえたらしい。 実は、「表情を変えずにやり遂げた」のではなくて、顔がこわばっていただけだった のだが、なんせ日本人には、窮地に陥ると 「ジャッパニーズ・スマイル」(^_^) という、もう欧米人の理解を超えた究極の「武器」があるのだ。 そう、よく海外に行った日本人が、困惑したときに、わけもなく微笑みを浮かべて外 人に薄気味悪がられるアレである。 PANDORAも日本人だったので、意識しないまま、極限状態で、「わけもなく微笑んで」 いたらしいのだ。 とにかく、結論からいくと、これでPANDORAに、さらに条件のいい仕事がいくつか舞い 込むきっかけにもなったのだ。 PANDORAが、半泥酔状態の怪人を発見したのは、その数日後であった。 「マルシアル、おひさしぶり」 「おっと、PANDORA...事故の事は聞いた。悪い事をしたな」 「あのね、教えて欲しいことがあるの。どこまでがあんたの策略だったの?」 マルシアルは、目を上げた。(これでいい男だったら映画みたいなシーンだが、その ためには、明らかに彼には気を入れたダイエットの必要があった) 「知ってたのか...。ただ、とんだ計算違いだった」 「なにが?」 「俺のやったのは、新聞記者をけしかけたとこまでだ。TV番組の件も知ってはい たんだが...まさか、交通事故が起こるとはね....。しかもあの日は、俺自 身の仕事が長引いてしまって...あんたのライブの開始時間に行けなかったんだ。 せめて間に合っていたら何とかできたんだが」 まあ、そこまで予測できたら人間じゃないわな。 「どうしてそこまで?」 怪人は、困惑した顔で酒をあおった。 「いまどき、まともな神経の人間がキューバに行けば、やりきれん気持ちで帰って くるのは目に見えてたからな。あんたが欝になったら何をしでかすかわからん」 「それで、熱中できるような仕事をあてがったわけ?」 「まあ、そういうことだ」 つまり、私は単純な人間だと思われてたわけだ。もろに当たっているだけに悲しい。 おまけに、「何をしでかすか」という点では、前科があるものな。 で、私は、酒の勢いもあって、わだかまっていたことを言葉にすることにした。 「....シルビオが覚悟を決めてるみたいなの」 「そういうことだろうと思った」 「どうして?」 「あいつ、数カ月前にライブ版のミックスダウンを兼ねて、メキシコにお忍びで来てたんだ ...で、一緒に呑んだ」 「何の話をしたの?」 「ま、いろいろとね」 怪人は肩をすくめた。はじめから全部知っていたのだ。 急にどうしようもなく悲しくなった。 怪人はタバコにゆっくり火をつけた。 「PANDORA、あんた、いつか闘牛に行ったときのことを覚えてるだろ? 闘牛の牛は その死にざまに、それまでの生のすべてを賭ける、といったよね」 「ええ」 「そういう死に方ってのは、ある種の人間にとっては本望なんだぜ」 「...私に黙って見ていろっていうの?」 「どうせ人間はいつかは死ぬのさ」 長い沈黙。 私にだって判っていたのだ。シルビオは、18年前のチリのクーデターで虐殺された ビクトル・ハラ*の親友だった。いつだったか私に言ったものだった...僕だって同じ 立場に立てば、ためらわず同じことをするだろう...あれは言葉の綾なんかではなか った。それでいま、皮肉にも、彼にあのときのビクトルと同じ運命がかぶさるかもしれ ない。そして、私にはどうすることもできない。 「...でも、私には彼が死ぬかもしれないなんて堪えられない」 「生きることが幸せだとはかぎらんよ。俺なら、おいぼれ牛になって、どこかの屠殺 所に送られてクズ肉にされるより、大観衆の前で壮烈に死ぬ方を選ぶね」 「...シルビオは、18年前のビクトルの死に負い目を感じてたのかもしれない。 たぶん私が考えてた以上にね」 「すべては誰のせいでもないのさ。PANDORA、もっと呑めよ、今夜は奢ってやるから」 私たちは、クーバ・リブレで何度目かの乾杯をした。 死んでいった人たちに乾杯し、死ぬかもしれない人に乾杯した。それから闘牛の牛た ちに。 「マルシアル...あんたって、実はいい人だったのね」 「私はいつだっていい人ですとも。君が気づこうとしなかっただけで」 (これが映画なら絵になるシーンだと思われる方もおられるかもしれないが、そのた めには怪人は、明らかにダイエットが必要だったし、私には「水で落ちないメイク」 その他いろいろが必要だった) それから、私たちは、さらに数杯の杯を重ねた。かなり酔いたい気分だったのだ。 約一時間後に、マルシアルがさりげなく尋ねた。 「PANDORA、つかぬことを聞くけど、君はクシというものをふだん使う?」 (PANDORAの頭は最近ソバージュなのだ) 「使わないけど....どうして?」 「いや、君のとこに泊まるのには...誰かに櫛を借りなきゃと思ったから...」 (゚o゚) 「...あ、あんたって、ホントに、サイテーの男ねっ!!!!!!」 そして、私は、怪人を力いっぱい殴り倒して、店を出た。 久々に気持ちよく決まったパンチだった。 (おしまい) ------------------------------------------------------------------------- *ビクトル・ハラについては、拙著《禁じられた歌》(晶文社)をどうぞ。